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ガイルの字は癖があって少し読みづらい。筆まめな方じゃない、と言っていた。ルークやミア、意外とシエルもお手本のような文字を書くのに対し、トムは丸っこい文字で、エリナは勢いそのままに書いていたのを続けて思い出す。
読んでいるうちに眼鏡が曇ってきた。─違う。目が潤んでるんだ。
『好きなのは前提だった』とか意味不明な供述をしている。
安心しろ。 俺たちも意味が分からなかった。
ただ、あいつがお前を好きなのだけは本当だ。
本当、意味不明すぎる。好きだなんて、分かるわけない。この手紙を信じてみたい気持ちはある。けど。
『僕と結婚すれば、王家の者が住まうところとして復興資産が出る』
『結婚すると、パントーニは王家の後ろ盾を得られる』
実際言われた言葉が思い出される。
何だか頭がぐるぐるしてしまう。
「だめ、寝よう」
夜だから考え込んじゃうんだ。
どんなに考え込んでも朝は来る。いつも通り起き出して羊の世話をしていると、声をかけられた。
「ファリーナ様、少し手伝ってもらえませんか」
「あら、どうしたの?」
「瓦礫の撤去はすんだんだけど、畑を耕す人が足りなくて…」
赤ん坊をおぶい、彼女は困り顔だ。確か足も少し悪かったはず。
笑顔を浮かべて答える。
「勿論!」
◇◇◇
連れられていった畑には、他に人影がなかった。ひたすら恐縮する民に気にしないよう伝え、早速鍬を振る。
前より軽く振るえている。朝練の成果か、足腰が強くなったようだ。こんなことでも学園を思い出してしまい、苦笑する。
戻りたいんだろうか、やっぱり。
ボーッとしていたその時。
「そこ肘曲げない! 腰を落として体幹で振れ!」
「はいっ!!!」
静かな畑に響き渡った鋭い叱咤の言葉に、条件反射で背筋をピンと伸ばして完璧な返事をしてしまっていた。完全に、毎朝の訓練場で叩き込まれた悲しき習性だった。
(……って、え?)
ハッと我に返る。
今、聞こえたのは、絶対にここにいるはずのない、けれど、耳の奥にずっとこびりついて離れなかった声だった。幻聴にしては、あまりにも現実的で、低くて心地よい響き。息が止まるかと思うほどの衝撃に、弾かれたように振り返る。
いたずらっぽい顔の、シエルがいた。
「久しぶり、ファリーナ。…会いたかった」
会いたかった?私だって、会いたかった。けど。また傷つくのが怖かった。 今度こそ期待してしまうのが、もっと怖かった。
衝動のまま逃げようとすると、「待って!」と腕を捕まれた。
「待ちません!なんでいるんですか!?」
「話をしに」
「私はしたくない!!」
「悪かった」
「!」
「僕の言葉が君を傷つけた。本当にすまない。でもちゃんと、話をするから。聞いて欲しい」
そんな真剣な目で見ないで欲しい。期待してしまうから。
腕をつかむ手が熱い。よく見たら、もう寒くなってきているというのにシエルは汗びっしょりだった。ブーツには乾ききっていない泥が跳ねていて、髪も少し乱れている。こんな格好のシエルを見るのは魔獣退治以来だった。
もう一度、優しく声をかけられる。
「僕の話、聞いてくれないか」
「…しながらなら、」
「え?」
「耕しながらなら、聞きます。人手が足りないんです」
シエルは今まで見たこともない笑顔を浮かべた。
「勿論、喜んで」
ざくっざくっとタイミングの違う鍬の音が広がっていく。シエルが地面を見ながら呟いた。
「君が部屋をでてった後、ガイルに殴られた」
「え!?だ、大丈夫なんですか?」
シエルに目をやったが、真剣に地面と向き合っていた。
「大丈夫、お陰で目が覚めた。……すまなかった。前の僕は、本当にどうかしていた。後ろ盾だとか、復興資産だとか、そんな言葉を言いたかったんじゃないんだ」
「………じゃあ、なんだっていうんですか」
「僕は、君の焼くパンが好きだ。君の明るい声が好きだ。君がいる騎士科の食堂が好きだ。……いや、違う」
視線が、合う。領地の空と同じ、綺麗な水色。ふと、あのリボンをつけたくなった。
「パントーニの復興のためじゃない。義務でも、同情でもない。僕が、僕の意志で、君の隣にいたいんだ。……ファリーナ、僕は君が好きなんだ」
「……っ」
嘘偽りのない、まっすぐな好意が胸に飛び込んできて、顔がカッと熱くなる。
政治的な意味なんてどこにもない。あまりにも必死な告白。期待して、傷つくのが怖かったけど。こんなに泥だらけになって、息を切らしてやって来て、私のために鍬まで握って「好きだ」と言ってくれる人を、どうして疑えるだろう。
「……ほんと、意味不明です」
溢れそうになる涙をごまかすように、ふいっと顔を背けた。
「だったら、最初からそう言えばいいじゃないですか。後ろ盾だの国費だの、あんな言葉ばっかり並べて……。私、本当に、ただの政略結婚なんだって思って……」
「すまない。本当に、僕の言葉が壊滅的に悪かった。ガイルたちに言われるまで、君をどれほど傷つけたか気づけなかったんだ」
シエルは困ったように眉を下げると、そっと鍬を地面に置いた。そして、衣服の懐から、少し端が折れ曲がった上質な羊皮紙を取り出す。
「だから、今度は形から入るのをやめようと思ったのだけれど……これだけは、君に渡さなければいけないと思って持ってきた」
「……なんですか、それ」
差し出された書面を受け取り、そこに書かれた文字を目にした瞬間、思考は完全にフリーズした。そこには、国王陛下のサインと共に、はっきりとこう記されていた。
『パントーニ領の復興支援と共に、第二王子シエル・ロイセンの、臣籍降下を許可する』
読めるのに、文字が理解できない。
「え……? 臣籍、降下……!?」
驚愕してシエルを見上げると、彼は少し耳を赤くしながら、でも悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「もう第二王子ではないんだ」
「……なんで」
気づけば、そう口にしていた。 王子であることを捨てるなんて、そんな簡単なことじゃない。
「僕が第二王子のままだったら、君にお願いをしたら命令と受け取られそうで。簡単じゃなかったが、後悔はしてない。言っただろう? 僕は僕の意志で、君の隣にいたい」
「っ…!」
否定はできなかった。王子のお願いを子爵令嬢が逃げ回っていた、さっきまでがおかしかったのだ。本当なら、決定事項としてすすむような話だ。
シエルは尚も続ける。
「でももし、前の僕の言葉がどうしても許せなくて、僕のことが嫌なら……結婚は、しなくてもいい」
「え……?」
「ただ、お願いだ。パントーニの復興の手伝いは、僕にもさせてくれないか。君の大切な領地を、今度は僕の手で、一緒に耕したいんだ」
真剣な瞳で見つめられて、心臓が高鳴る。
「君の大切な領地を守りたい。君が泣かなくて済む未来を作りたい。……今度こそ、君のためじゃなくて、僕がそうしたいから」
目が潤むのがわかる。だめだ最近、すぐ泣いてしまう。言いたいことは沢山あるのに胸につかえて言葉がでない。
「そんな反応されたら期待したくなってしまうんだが……なあ、良ければパントーニの美味しい小麦で、僕に毎日パンを焼かせてくれないか」
「……それ、プロポーズになってませんからね」
「え?」
「もっと、ちゃんと……言ってください」
そう言った自分の顔が、きっと今、真っ赤だった。
「……っ」
シエルは一瞬だけ呆然と目を見開いたあと、その綺麗な水色の瞳を優しく揺らした。彼の耳まで真っ赤に染まっていくのが、パントーニの日差し中で、はっきりと見えた。
前に一歩進み出て、泥のついた手で、でも壊れ物を扱うように、私の両手をそっと包み込む。
悪戯っぽい王子の笑みはそこにはなくて。
どこまでも真摯で、ただ私に恋をした、一人の男の顔をしていた。
「ファリーナ・パントーニ」
今度こそ、一番欲しかった響きになって私の胸に真っ直ぐに届く。
「僕は、君のすべてを愛している。僕と結婚して、一生、僕の隣にいてくれませんか」
──ずるい。そんな風に言われたら、もう、逃げ出せるわけがないじゃない。
溢れ出した涙を拭うことも忘れて、泥だらけの元王子の胸へと、思い切り飛び込んだ。




