学園にて
そろり、と恐る恐る訓練場を覗き込む。
朝の光が差し込む誰もいない訓練場を見渡して、そっと胸をなでおろした。──珍しく、まだ誰も来ていないようだ。
シエルと色々あって王都を飛び出し、そしてパントーニの畑でああなってから、初めて戻ってきた学園。
誰もいなくて安心したような、でも、なんだかちょっと肩透かしを食らってモヤモヤしたような、そんな複雑な心地で立ち尽くしていた、その時。
ぽん、と背後から容赦のない強さで肩に手が置かれた。
文字通り、比喩でもなんでもなくその場で飛び上がった。
ギチギチと音を立てながら恐る恐る振り返ると、そこには、腕を組んで仁王立ちし、不穏な効果音が背負えそうなほど冷ややかな笑みを浮かべたエリナが立っていた。
「おかえり、ファリーナ。──さあ、脱兎のごとく逃げ出して、そのまま行方をくらませていた間のこと、洗いざらい白状してもらおうじゃない?」
本物の大魔王って、きっとこういう圧倒的な威圧感のことを言うんだと思った。
「エ、エリナ……えっと、これはその、色々と事情が……」
「事情? 聞くわよ、いくらでもね。あんたたちが揃いも揃って学園から消えたせいで、残された私たちがどれだけ心労を味わったと思ってるわけ?」
エリナの目がきらりと鋭く光る。完全に蛇に睨まれた蛙状態になっている私の隣に、いつの間にか気配もなく、みんながいた。
「無事の帰還でおめでと。手紙にも書いたけど、お前がいなくなってからのシエルの荒れっぷりったらなかったんだぜ」
「おかえりなさい、ファリーナ。待ってたわよ」
「元気そうで何よりです」
「よ、ファリーナ。今日はパンある?」
いつものメンバーの、何一つ変わらない騒がしくて温かい空気感に、胸の奥がじわじわと熱くなっていく。
でも、エリナの「まだ許してないからね」という無言の圧力がかかった視線に、再び背筋を正した。
「本当に、みんなに心配かけてごめんなさい……! でもね、あの、シエルさんが──」
「あー、そのことならもう全員知ってる」
エリナがあっさりと言葉を遮った。
「え?」と目を丸くする私に、ガイルが肩をすくめながら、ポケットに手を突っ込んで呆れたように息を吐き出す。
「学園内、今その話題でもちきりだからな。あの堅物で冷徹だった第二王子殿下が、地方の子爵令嬢を追いかけて王位継承権をあっさり放棄、国王陛下に頭を下げて臣籍降下の書類をもぎ取って辺境に走ったって。おかげで、あいつを狙ってた高位貴族の令嬢たちや、あの鼻持ちならない第一王子の派閥は大パニックさ。いやー、傑作だったわ」
「シエルがファリーナのために王子様をやめちゃうなんて、私、騎士科の歴史に残る大恋愛小説が書けそうだわ……!」
ミアが目を輝かせて両手を合わせる。
まさか、シエルがそこまで大事にしていたなんて。私が書類を見てフリーズした以上の衝撃が、すでに学園全体に広がっていたらしい。
「みんな、朝から随分と騒がしいな」
その時、訓練場の入り口から、聞き慣れた低くて心地よい声が響いた。振り返ると、そこにはいつも通りの訓練服─けれど、以前のような周囲を寄せ付けない冷徹なオーラは消え失せ、どこか穏やかな雰囲気を纏ったシエルが歩いてくるところだった。
その姿を見た瞬間、エリナが待ってましたとばかりに、パチンと拳を鳴らしてシエルの前に立ちはだかる。
「あ、来たわね元・殿下。あんたにも言いたいことが山ほどあるのよ。ファリーナをさんざん泣かせて振り回して、最終的に王子やめて畑耕しに行きましたって、どんな恋愛脳よ!!」
「……ぐっ。悪かった、エリナ。それについては、本当に弁解の余地もない……」
あのシエルが、エリナの剣幕にタジタジになって、バツが悪そうに耳を赤くして視線を泳がせている。
その様子が可笑しくて、愛おしくて、私は思わずクスクスと笑ってしまった。
すると、シエルが困ったように笑いながら、私の隣へと一歩歩み寄る。自然な動作で、でもしっかりと、私の手を自分の大きな手で包み込んだ。思わず顔が赤くなる。
「あ……」
「うわ、ごちそうさま」
「朝から当てられすぎて胃がもたれるわ」
一斉にブーイングが上がる。
静まり返っていたはずの訓練場が、一瞬にしていつもの、いや、いつも以上の賑やかさで満たされていった。




