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シエル・ロイセンはそれなりな人生を送ってきた。第二王子として生を受けたが、自分によく似た第一王子、ノーチを溺愛する母のもと、スペアとして同じような教育を受けた──決して、ノーチより上にならないように気を付けつつ。
学園に入る際も、また同じことの繰り返しかと危惧していたが、幸い向こうは魔術科。こちらも魔術の素養はあったが、同じ科にいてはまた気を遣うだけだと、騎士科を選んだ。
母はそれを受けて、第二王子は身体を動かすことしか脳がない、やはり次期王は第一王子しかあり得ないと周りに吹聴していたようだったがどうでもいい。
騎士科でも、王位に遠い王子とどう関わったらいいかと遠巻きにされていたが、特に問題なく過ごせていた。──先日までは。
「おはようございます。素敵な素振りですね!鋤や鍬に興味はございませんか?活躍の場がありますよ!」
いつも通り、朝の鍛練でも周りと距離を取って一人剣を振る中、話しかけてくる少女がいた。上下関係が厳しい騎士科で、そんな態度はあり得ない。
一瞬呆気に取られ、確認する。
「は?……僕に言ってるのか?」
「あっすみません思わず心の声が。素敵な素振りですね、私と筋トレしませんか?」
「言い直さなくていい。あっちに人がいるだろ、そっちに頼んでくれ」
「あっちの人ってどちらですか?」
「だからあっち──」
褒められたのかと思ったら鋤だの鍬だの、突拍子もない話をしてくる相手を遠ざけようと他の面々を指差そうとすると、誰も目が合わなかった。不自然なほどに、目が合わなかった。まて、その首の向きはおかしいだろ。
視線を戻すと、彼女は肩をすくめた。
「ね、私一人ではストレッチもトレーニングも出来ないんです。お願いします」
「君、僕を誰だと……」
「誰であろうと大丈夫です!よろしくお願いします!」
第二王子だろうと知ったことではないのか、本当に知らないのか。それでもこんなに真っ直ぐものを頼まれるのは初めてで、ため息をつきながら渋々受け入れることにした。
身体をほぐすまでは順調に進んだ。しかし走り込みをすれば途中で足がもつれ、スクワットでは足が震え、腕立てをすれば眼鏡が落ちる。腹筋も手押し車も、額に汗をかいて荒い息で、ともすれば罰を受けているのかのような形相になっていく。
一通り終えると、満身創痍の出で立ちになっていた。
「ひー、ふー、さ、さすがですね」
「いや、君もな。正直最後まで出来ると思わなかった」
自分を含め、騎士科の余裕のある様子に彼女は目に驚きと尊敬の色をのせる。しかし政務科である彼女がここまで出来たことのほうが、驚きだった。
「た、た、たいりょくしょーぶなんですよ、こくそーちた、いってぇ」
「いい、喋るな、つらいだろ。水いるか?」
「はー、はい、ほ、ほしいです」
「分かった、取ってくるな」
変なやつではあるが、悪いやつではない。何とかトレーニングに食らいつく姿に、後輩が出来たような気持ちになった。
辛そうな相手に水を持ってくると、一気に飲み干し、長いため息をつかれた。
「ふー、ほんっとうにありがとうございました」
「いや、別に。意外と君根性あるな。政務科とは思えない」
「頭でっかちだと思ってました?」
「いや……うん、そうだな。政務科ってやっぱり、体力のないイメージだった。すごいよ」
サリアス先生から、朝の鍛練に政務科が混ざると騎士科全体に報告されていたが、皆懐疑的だった。戦闘訓練で共闘することもある魔術科に比べ、政務科はガリガリお勉強し少し騎士科を下に見ているというのが通説だったからだ。
彼女はどうやら違うらしい。
素直に褒めると、とても嬉しそうに笑って鞄を探り出す。
「ありがとうございます。これ、お近づきの印にどうぞ」
「…パン?」
渡されたのは、パンだった。確かに鍛練後はお腹がすくが、何故にパン。
疑問符を浮かべているのに気づかないのか、自慢げに語り出される。
「ええ、ただのパンじゃありません。我がパントーニ領自慢の麦に酵母に発酵時間までこだわりぬいたライ麦パン!1口齧れば香りが広がり豊かな小麦の味の向こう、確かな甘さを味わえますよ。朝の授業前に少しでもお腹を満たしてください」
「あ、ああ…?」
「是非味わってくださいね。これからもよろしくお願いします!」
「え、これからも?あ、おい!」
毒入りパンの可能性がよぎり、これからもという言葉に一拍遅れて引っ掛かるが、時既に遅し。少しよろよろとしつつ走り去る相手を止めることも追うことも出来ず、思わず呟く。
「あいつ…僕が第二王子って、わかってるか…………?」
パンをもう一度見る。確かに言われた通りに美味しそうだった。毒味も頼まず、1口、齧ってみる。
「……おいしい」
確かに、自慢するだけのことはあるパンだった。
──そして今日も、彼女は朝の鍛練の輪にいた。
「あ!おはようございます!」
「…おはよう」
「見てくださいよ、少し筋肉ついてきた気がしません?やっぱり継続って力なりですね」
拳を握りしめ、頼りない力こぶを作り出す目の前の少女を見る。
彼女は勿論トレーニングでヘロヘロになるし、走れば周回遅れになる有り様だが、必ずやりとげる。そして、これをやりきる騎士科は凄いと毎度のように褒めるのだ。僕だけではなく、騎士科は彼女のことを見直していた。訓練後に彼女が差し入れてくれるライ麦パンが美味しかったことも、一因かもしれないが。
彼女が明るく騎士科の面々との仲を深めていくので、何故か基本的に彼女と組むことになっている僕も、騎士科に馴染んでいっている。
「別にさほどついてはない。が、継続していることはいいと思う」
「また杓子定規な!俺はついてきてると思うぞ」
「こういう時は嘘でも褒めなさいよ。大丈夫よ、頑張りが伝わるわ」
彼女を取り囲んでいた毎日朝練に参加する連中に、軽くいなされる。他の学生達と同じように軽口を叩かれようになるとは思わなかった。だが、王宮とは違って気のおけないやり取りは、大分リラックスできる。
そう思って気を抜いたせいだろうか、彼女の言葉に思いっきり噎せることになった。
「いいんです、無理に褒めなくて…第二王子殿下もこういう風に鍛えていたら目を止めてくださるでしょうか」
「げほっ!!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「う、うん、だいじょうぶだ、失礼した」
おいやめろ、こっちを見るな騎士科。しかし何て言った?第二王子殿下?目を止める?
彼女を取り囲んでいた一人が、慎重に口を開く。
「君、第二王子殿下に会いたいのか?」
「ええ、本当は王様に直談判したいことがあるんですが…せめて王家の方にお話ししたくって」
「何を言いたいの?」
「私の領、今経済的に厳しくて。開発資産が減ってるんです…なんとか出来ないか、お話ししたいんですが。皆さんはお会いしたことあるんですか?朝の鍛練いらしてます?」
おい、だから騎士科はこっちを見るなって。
僕も慎重に、嘘はつかないように話す。
「まあ、会ったことあるやつが多いんじゃないか。朝練には出ないやつもいるが」
「え!そうなんですか?」
私の計画があ、としょげる彼女にほんの少し罪悪感がわく。第二王子なんて王に話を通せる立場じゃないんだと、言ってしまいたいが。
微妙な顔をしていたからだろうか、周りが明るく声をかけてくれた。
「まあ、そのうち会えるだろ」
「開発資産はともかく、私たちもこのパンの虜だもの。味が広められるようにしてみるわ」
「お、そりゃいいな。食堂とか売店においてもらうのはどうだ?」
「売店と言えばドーミエ先輩よね!先輩なら話を聞いてくれそうよ。ちょっと一緒に行ってみましょう」
「すみません、気を遣っていただいて…助かります。落ち込んじゃいられませんよね!頑張ります!」
ふん、と息をつき、改めて鍛練に混ざる彼女はとても眩しく見えた。




