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「可愛い」と言われた。
しかも、他の男に見られたくなかった、なんて。
午後の授業は何も頭に入らなかった。先生が何か言っていた気はするけれど、全部「可愛い」に押し流されて、記憶に残ってることがほぼない。それでも良いと思えるほどのことだった。
ルンルン気分のまま寮に戻ると、父からの手紙が届いていた。また婿候補の話だったら燃やそう、ときめて開ける。
──ファリーナ、元気かな?素敵なお婿さん候補はいたかな?何人か僕も見繕ってるから、帰ったらお話ししようね!!こっちは最近、変な色の猪が少しばかり暴れて麦畑を踏んじゃったよ。収穫が少し減るかも?対応してるから、次の仕送りは少し遅れたらごめんね。 あ、でもお父さんは元気だから安心してね!
どうでもいい話が挟まっているけれど、変な色の猪。麦畑を踏まれた。
さーっと顔が青ざめるのがわかった。同時に、頭が冷静さを取り戻す。手紙を片手に、走り出した。向かうは、騎士科。
「サリアス先生!」
「おお、パントーニ。朝練、よくやって─」
「王宮騎士団が派遣されたなんて話、聞きませんでしたか」
王宮騎士団との繋がりも深い、騎士科指導官長、その人のもとへ。息も絶え絶えのこちらを見てなにか悟ったのか、すぐさま表情を引き締めた。
「今の時期だと魔石地帯の巡回警護だな。どうした」
「また魔石…!」
どこまでも優遇されている。舌打ちしたい気持ちを抑え、サリアス先生に手紙を見せると、先生も同じ考えに至ったらしかった。
「変な色の猪…………グランド・ボアか」
「はい、そう考えています」
グランド・ボア。教養科目でも触れられる、大型の魔獣。緑色の大きな身体で走り回る、出たら即時退治が求められるタイプの魔獣。
「わかった。とりあえず情報を集める。このあと予定は」
「ありません」
「なら、今すぐ確認するからここで待っていなさい」
心臓が嫌な跳ねかたをする。お願いだから間違いであって欲しいけれど。
「……待たせたな、パントーニ」
どれほど時間が経っただろう。異様なほど長く感じた。重々しい扉を開けて戻ってきたサリアス先生の顔は、かつてないほど険しかった。その表情を見ただけで、私の最悪の予想が当たってしまったことを察する。
「先生、……王宮騎士団は」
「結論から言う。動かん。正確には、動けない、だ」
サリアス先生はドサリと椅子の背にもたれかかり、忌々しそうに髪をかき上げた。
「お前の言う通り、パントーニ領の北部にグランド・ボアの出現が確認された。……だが、王宮騎士団の主力は今、中央貴族たちの魔石鉱山巡回に駆り出されている。形式上、パントーニ領への騎士派遣要請の書類は受理されたが、上層部の言い分は『序列の低い地方の、穀倉地帯に割く人員はいない。巡回が終わり次第、順次対応する』だそうだ」
「順次って……! そんなの、数週間、下手をすれば数ヶ月先になります! その間に麦畑がどれだけ荒らされるか、領民にどれだけの被害が出るか……!」
叫ぶ声が、官長室に虚しく響く。知っていた。中央の人間が、辺境のパントーニ領をどれだけ軽視しているか。だけど、実際に突きつけられると、奥歯が割れそうなほど悔しさが込み上げてくる。
「王宮が動かないなら、……私が帰ります。今すぐ荷物をまとめて、領地の私兵を率いて──」
「落ち着け、パントーニ。お前一人で帰ってどうする。グランド・ボアは並の私兵数人で敵う相手ではない。実戦経験のないお前が行けば、犬死にするだけだ」
サリアス先生の静かな声が、熱くなりかけた私の頭に冷水を浴びせる。
「……今日はもう寮に戻りなさい。お前がパニックになっても事態は好転しない。私の方でも、退役した知り合いの傭兵や、動かせるツテがないかもう一度当たってみる」
「先生……」
「いいな、今日はもう帰りなさい。これは命令だ」
有無を言わせない教師の目。私は、悔しさに震える拳をぎゅっと握りしめ、小さく「はい……」と答えるしかなかった。
寮に戻りながら、いつもなら綺麗に見える王都の夕焼けが、酷く濁って見えた。さっきまであんなに赤くなって、シエルの「可愛い」って言葉に世界が輝いて見えたばかりなのに。今はただ、領地のことで胸が潰れそうだった。
◇◇◇
──そして、翌朝。
「おはよう、ファリーナ」
「おはようございます…」
「おい、大丈夫か?なんか、顔が…体調悪いんじゃ」
「ありがとうございます、大丈夫です」
微笑んで見せる。シエルは少し眉を寄せたが、何も言わなかった。元に戻った距離感は嬉しいはずなのに、今は頭が領地でいっぱいだ。でも手はいつめのようにパンをこね、丸めていく。シエルがこちらの様子を伺っているのが分かる。何度か口を開こうとしては止め、でもしっかり側にいてくれる。その不器用な優しさがとてもありがたかった。
昨日と同じように、二人で黙って朝練に向かう。様子がおかしいことなんて、昨日からずっと私を観察していた騎士科の鋭い面々が見逃すはずなかった。エリナが眉を寄せ、開口一番に言う。
「なに、その顔。また何かこいつしたわけ」
「!違います!」
「でもファリーナ、なんか倒れた時みたいな顔してるよ?」
「おいおい、大丈夫かよ」
「ストッパーさんは何してたわけ?」
「…」
「シエルさんは!シエルさんは、側にいてくれました」
「!」
隣で息を飲むのが聞こえた。優しい言葉をかけてくれるだけが優しさじゃない。いつも通り過ごしてくれた、それがどれだけありがたかったか。
必死に訴える。騎士科は目を見交わして、ミアが穏やかに尋ねてくる。
「シエルのことじゃないのね。どうしたの?」
「私達、友達じゃない。言いたくないなら良いけど、心配はするわ!」
「そーそー、意外と役に立つかもよ?」
「意外とどころかめっちゃかもじゃん!言ってみろよ」
「勿論、無理にじゃないですよ」
皆の心配が伝わってきて涙が込み上げてくる。少し迷ったが、素直に話すことにした。
「、実は…実家の方で、グランド・ボアがでたみたいなんです」
「!!!」
一気に空気が変わった。騎士科ならきっと、より深く魔獣について学んでいるからだろう。
「王宮騎士団の派遣は?」
「それが…今は魔石地帯の巡回中だから、人が出せない、と」
「ほんっとくそみたいなところだな!?」
「不敬よ」
「いや俺もシエルに同意。どうすんの、繁殖力高いよね?」
「何とかなんないのかな」
朝練をそっちのけで皆が話し合ってくれる。彼らの顔は真剣そのものだ。
そうだ、とルークが手を叩いた。
「野外演習って授業でありますよね」
「それが何?」
「場所の選定は、僕たちのはずです」
「え、それって…?!」
まさか、領地に来るつもりだろうか。あの、騎士団が派遣されるような魔獣を相手に?授業で習った。グランド・ボアの突進は、人間の体など簡単に消し飛ばす。いくら成績優秀な騎士科とはいえ、まだ生徒の私たちが相手をしていい魔獣じゃない。どうしても心配が勝る。だが、皆は乗り気だった。
「いいね、冴えてんじゃん!」
「それなら武器の持ち出しオーケーだしな」
「馬車も出して貰えるわね!」
「ま、待ってください。正気ですか?」
エリナの腕を引き、問いかける。聞いといてなんだが、正気とは思えない。でもエリナはニヤリと笑って見せた。そして皆の方を見て大きく息を吸う。
「騎士たるもの!」
「弱きものを守る盾となるべし!!」
「騎士たるもの!」
「どんな困難にも正々堂々立ち向かうべし!!」
「騎士たるもの!」
「愛と忠誠をもって任務に当たるべし!!」
揃った皆の声が、朝の静かな訓練場に響く。ただただ、圧倒されてしまう。
雰囲気をコロリとかえ、エリナが微笑んだ。
「ね、ファリーナ。心配に思う気持ちもわかるわ。でも私達これでも、騎士の卵なのよ」
「そうそう、騎士道に背くことは出来ないワケ」
「やれることは全部やろう、後悔したくないじゃん?」
「意外と皆強いんですよ、大丈夫」
「救護班ももちろん着いていくわ」
次々言われて、胸が熱くなる。最後、シエルと目があった。
「君たちの大切なところだろ。守らなくてどうする」
ああ私、本当に人に恵まれている。
◇◇◇
結局朝練はしないまま、指導官室へ皆で向かうこととなった。少し落ち着いて余裕がでたのか、売店でパンを売り出す時のことを思い出す。
「なんか、売店の時みたいだね」
「!私もそれ思ってました」
「じゃあ余計大丈夫じゃん、あのときもうまく行ったし!」
「やっぱ人数の力って大事だよな」
がやがやしながら先生のところへ向かうと、少し驚いた顔をされたが全員通された。扉が閉まった途端、エリナが口を開く。
「野外演習として、パントーニ領への遠征許可をお願いします!」
言葉に合わせ、床とぶつかりそうなほど深く頭を下げる。サリアス先生はしばらく黙ったままだった。
「……正気か、お前たち」
「正気です!」
「グランド・ボアだぞ。遊びじゃない」
「分かってます」
今度はシエルが答える。その声色に、サリアス先生の指がピクリと動くのが見えた。
私でも知るような魔獣だ、先生なら危険性はよりわかっているんだろう。
「……シエル」
「放置すれば被害が広がる。現地の私兵だけでは厳しい」
「だからといって学生を行かせると思うか?」
ぴしゃりと言われ、空気が張る。だが、ルークが一歩前に出た。
「正式な野外演習としてなら可能なはずです。僕たちには選定権があります」
「……よく知ってるな」
「本当はミアの故郷に行きたかったんですけど」
「お前らなぁ……」
ぶれないルークに、そんな時ではないのに笑いそうになってしまう。頭を抱えるサリアス先生だったが怒鳴らない時点で、少しだけ希望が見えている気がする。
沈黙のあと、先生は深く息を吐いた。
「……王宮に確認を取る。話はそれからだ」
先生が退室した瞬間、わっと盛り上がる。
「なんか行けそうだな!」
「やっぱ人数でせめて良かったわね」
「皆さん本当にありがとうございます…!ルークさんも、すみません」
「良いんですよ。別の機会に行きますから、ねえ?」
「ふふ、待ってるわ」
なんだか微笑み合っているルークとミアから視線をはずし、シエルを見ると一人険しい顔をしていた。
「シエルさん…?」
「うまく行くと、良いんだがな」
低い声に、一抹の不安が宿る。
そして、戻ってきた先生の顔をみて、それが的中したことを悟った。
「……全く、クソみたいな返事だった」
戻ってきたサリアス先生は、珍しく隠しもせず毒づいた。
「教師の同行は禁止。演習ならすべて自前で用意するべきだとのことだ」
「そんな!」
「今までそんなこと聞いたことないです!」
「私だってそうだ。だが」
先生は壁際の鍵棚から武器庫の鍵を取り出した。
「野外演習用装備の使用許可はもぎ取った。馬車と物資は自分たちで何とかしろ」
空気が変わる。
「先生、それって……!」
「私にできるのはここまでだ。いいな?」
ニヤリともせず言うのが逆に格好いい。
「騎士科として演習へ向かう学生を止める理由は、ない」




