10 神殿へ
お昼もつつがなく終えたので、それぞれ食後の一服をした後、午後の予定に合わせて動き出す。
サーシャ母さんはテイリ兄さん達に急かされながら、馬市へ行く支度をしに行った。北市場で馬市は開催されるため、ここからだと行き帰りに時間がかかるのだ。今回はただの馬の下見なので、馬車を用意して向かうらしい。ホウリィ姉さんはその手伝いを終えれば、近所の友達と遊びに行くとのこと。きっと最近見せてもらった布製の人形で遊ぶのだろう。どこの世界でも、女の子はお人形とかそんなものが好きなようだ。
シャール母さんとタニヤ母さんは父さんのために馬用の櫛入れを製作中らしく、その続きをするそうだ。いくら柔らかい素材を使用しているとは言え、革を加工して刺繍を施すから、それなりに時間がかかるらしい。まぁ、タニヤ母さんも携わるから、立派なものが作られることだろう。良ければ見せてもらおう。将来の参考のために。
で、俺と母さんはと言うと、神殿へ行くために支度中だ。と言ってもフーダ明けの儀式の時のような仰々しいおめかしなどはしない。普段着よりは上等そうで綺麗な服に着替え、お土産と言うかお布施にするらしい、これまた上等な布地を選んでいる。
「ねぇ、チュークさん。神殿へのお布施はこの花柄のものと、葡萄柄のものだったらどっちが良いかしら?」
俺を着替えさせながら、母さんが二つの布地を見比べながら尋ねた。
「おやまぁ、どちらも見事な物で。いつの間にご用意なさったんです?」
二つの布地を手に取り、その染色や図柄、質感や手触りを確かめつつチュークさんが感心したように聞き返す。
「おとといタニヤ姉様と刺繍用の糸を買い足しに行った時に見つけたの。とても素敵でしょう? どちらにするか迷っていたら、タニヤ姉様が両方買って下さったの。一つはアージに、もう一つは私にって」
その時のことを顔を綻ばせながら語る母さんに、チュークさんは相槌を打ちながら布地を検討する。
「それはようございましたね。それでしたら、この葡萄柄の物をお布施に致しましょうか。ファティーマ様にはこの花柄の方がお似合いですから」
「そう? じゃあ、そうするわ。ありがとう、チュークさん」
「いえいえ、これくらい何でもありませんよ。それよりも、ウルダン様とその奥様へのお土産はこれでよろしいですか?」
そう言って藤で編まれた一抱えあるバスケットを見せる。俺も見たがれば、母さん達は快く見せてくれ、中身についても教えてくれた。ちなみに、ウルダンと言うのは父さんの異母兄弟で俺の叔父に当たる人で、たまに顔を見せに来てくれる。とても気さくな青年だ。父さん達と違い、ハイパー童顔ではないため、実年齢通りの顔付きをしている。しかし悲しいことに、父さんと並ぶと年上に見られることが多いとのこと。まだ二十代なのに、三十路のオッさんより老けて見えるなんて不憫だ。ウルダン叔父さんの名誉のために断言するが、彼は決して老け顔ではない。むしろ、年の割に精悍な顔付きをしている方だろう。だが、父さんと言うハイパー童顔(しかも着瘦せまでするハイスペック)が隣に並ぶと、どうしても年上に見られがちなのだ。
一応ジルグドレン商家でも働いているが、奥さんが巫女付きの侍女であるため、専ら神殿で衛士として働いているとのこと。俺のフーダ明けの儀式の時にも来てくれて、槍の演舞を披露してくれた「蜂の者」もウルダン叔父さんが手配してくれたらしい。知らない所で世話になっていたんだな。
さて、そんなウルダン叔父さんへのお土産として籠の中には固く焼いた日持ちの良い平パン、香辛料漬けした馬肉、薬草となる干し草の束が数種類と香辛料数種類が所狭しと詰められていた。明らかに籠の体積よりも内容量方が多い気がする。どうやって入れたのだろう。恐るべき収納技術だ。
俺としてはこれで十分だと思ったが、母さんは違うらしく、難しい顔をしている。
「この組み合わせだと臭い移りがひどそうね。チュークさん。もう少し干し肉で臭いの弱い物はなかったかしら?」
「申し訳ございません、ファティーマ様。今日用意出来る干し肉ではこれが一番臭いが少ないんです。他の物だと煮込み用の更に臭いの強い物しかなくて」
母さんの言葉に、チュークさんは申し訳なさげにないと答えた。なるほど。臭い移りか。確かに香草漬けの干し肉と、薬草に香辛料を一緒に入れたら後々酷い臭いになりそうだ。
「くちゃいなら、おいてく?」
くそ。赤ちゃん言葉になるな。まぁ、仕方ない。
とりあえず、一番臭いを放つであろう干し肉を指差して言えば、母さんは苦笑しながら「それはダメよ」と答えた。
「身内のお土産にお肉を持って行かないのはとても失礼なことなのよ。だからこれは置いて行っちゃだめなの」
「じゃあ、これは?」
それなら薬草はどうだろうか。そう思って指差せば、これまた首を振られた。香辛料も同様だった。どれもお土産として持って行くべき必須品目らしい。でも、だからと言って臭い移りの酷い物を持って行くのは抵抗があるようだ。チュークさんは「この程度の臭い移りはよくあることですよ」と言って気にしていない様だが、母さんはそうはいかなかったらしい。ほとほと困った顔をしている。そんな母さんを見かねてか、チュークさんが代案を出した。
「では、干し肉だけアージ坊やに持っててもらいましょう。そうすれば臭い移りも多少はマシになるでしょうし」
その提案に母さんは少し迷ったようだが、俺の方を見て「お願い出来る?」と尋ねてきた。答えは勿論イエスだ。その程度のこと、どんと任せてくれ。俺は快く頷いた。それを見て母さんは小さく微笑んだ。どうやら俺のドヤ顔がツボに入ってしまったらしい。小刻みに肩が震えている。
「ハハ! 全く、頼もしいねぇ。それじゃあアージ坊や。これをお願いするよ。ちゃんと出来たらきっとファティーマ様にご褒美を貰えるよ」
「ほんと?」
ご褒美と聞いて俄然やる気が出てくる。
「えぇ。勿論よ。帰りに好きなものを買ってあげるわ。ただし、あまり高いのはダメよ?」
「あーい」
笑いが収まったのか、普段通りの様子で母さんはご褒美を約束してくれた。条件を付けられたが、こんなもの無きに等しい。外で、しかも自分で選んで買えるのだ。今の俺にとってこれ以上のご褒美はない。
「じゃあ、あーじがこれもってく」
そう言って清潔な包みに巻き直された干し肉を持った。物が良いのか、ズシリと重い。それに、布越しでも香草の香りがする。ちょっとこれは持つの大変かも。いや、ご褒美のためだ。頑張ろう。
腕をプルプルさせながら干し肉を抱える俺を、二人は微笑ましい様子で見ていた。しかし、流石に階段などを降りる際は母さんに抱えられた。
こうして準備が整った俺達は、玄関先で待っていた馬車に乗り込み、神殿へと向かった。
神殿は南市場の近くにあるため、家から割と近い。歩きでも20分もあれば行ける距離ではあるが、俺がまだ小さいため、馬車を利用する。帰りは市場を見た後、市場の馬車乗り場で馬車を借りて帰るそうだ。
馬車は自動車に慣れた俺にとって決して乗り心地が良いものではなかったが、窓越しから見える景色に、思わず心が躍る。
市場に近づくにつれ、様々な雑踏や色とりどりの軒に並べられた商品、流れの楽隊の歌や踊り、屋台の食欲をそそる香りもわずかな隙間を通して伝わってくる。思えば、転生してから市場に来るなんて初めてのことだ。これは俄然帰りが楽しみになった。一体何を買ってもらおうか。玩具か? 食い物は…。まだ離乳食だし無理だ。あ、でもあっちで売られているお茶とかならいけるか? でも、日本にいた頃、海外の屋台で飲み食いした友達が酷い下痢と嘔吐で苦しんでいたしなぁ。アレは可哀想だった。やっぱり、飲食系は止しておこう。となると、後は…。
馬車から見える景色を見ては、そんな妄想とも言えるものに没頭している間に、神殿に到着した。市場を迂回して大回りをしたとは言え、10分程しかかかっていない。本当に我が家から近いんだな。
「アージ。あなたはとっても偉いわね」
馬車から降りると、まずそう言って母さんが褒めてくれた。何でも、初めての馬車に怯えず、かつ、車酔いならぬ馬車酔いをすることもなかったので褒めてくれているようだ。最初の内は平気でも、途中で酔ってしまう子も多いらしいから。それに、干し肉は地味に重い。それを飽きもしないでちゃんと持ち続けた点も立派だと褒められた。
まんざらでもないので、とりあえず胸を張っておいた。それを見て、母さんは立派立派と頭を撫でてくれる。それが嬉しいような、少し誇らしいような。そんな気持ちが胸に広がる。
「それじゃあ、巫女様にご挨拶しに行きましょうね」
「あい!」
巫女様か。祝福って一体なんなのか。まぁ、フーダ明けの儀式の時みたいに早く終われば良いな。でないと、市場で買い物が出来ない。




