5.石巻市向陽町四丁目
向陽町四丁目の住宅街にナギの母が住んでいる。
アキラたちが訪れた時、彼女はすぐ玄関先に現れた。
「厚生省の駿河さんでしたっけ、東京からいらしたのよね? こんな遠いところまで本当にご苦労さまでした。ナギは隠れてないでさっさと家に入りなさい」
夫と死別したサキュバスとは思えないほど活力に満ちた婦人だ。
小柄ではあるが、娘のナギよりも引き締まった肉体、そして還暦間近とは思えない肌のハリからは、新しいパートナーの存在を窺うことができる。
「お、お久しぶり……です」
アキラの背後で縮こまっていたナギが恐る恐る前に出る。
「何言ってんの、ただいまでしょ。ほら、仏間に行ってお父さんに挨拶しといで」
「はぁい」
「駿河さんもどうぞ上がってちょうだい」
「はい、失礼します」
上がり込んだアキラは居間へ通された。
重厚な天然木の座卓を挟んでナギの母と向かい合う。
「改めまして、針生美月と申します。厚生省の方が、どうしてうちの娘と一緒にいらしたんですか?」
「実は、わかばの方にお住まいの帆足さんのお嬢さんの件で調べたいことがありまして、ナギさんにお手伝いいただいてるんです」
「あら、そうでしたの。家出した娘さんのことよね。ナギ、早くいらっしゃい! 上司の方をあんまり放っておくと失礼でしょ!」
「あ、いえ、上司というわけでは……」
呼ばれたナギが居間に入ってくる。
「お母さん、アキラは自衛隊の同期だよ」
「まあ、自衛隊から厚生省に? 随分出世されたのね。ナギもお役所勤めで忙しかったから帰ってこなかったのかしら?」
勘違いの連続にアキラは面食らった。
しかし説明を省くことで、ナギが西川口の格安デリヘルで働いていることに言及しなくて済む。
「はい、ナギさんは仕事熱心なので、何年も休まずに全国を駆け回ってましたから」
「ちょ、アキラ……」
「そういえば思い出したわ。何年か前にも厚生省の……ええと、み……ミクリヤ、じゃなかった、ミツルギさんて方がいらしたわね。逞しい男の方で」
アキラは久しぶりにその名を聞き、胸が苦しくなった。
御剣誠吾、三年前に専従班の班長を務めていた男の名だ。
ヤクザ顔負けの風貌と強引な手腕で、サキュバス狩りとあだ名されたが、サキュバス・マフィアを名乗る海外組織の襲撃を受け命を落とした。
彼の死にはアキラも関わっていて、生涯の負い目となっている。
「御剣は引退しまして、私が跡を継ぐべく修行中です」
そう言って笑った。
笑おうと努めた。
「立派だわ。それで帆足さんのことを調べてるのね。あの家は昔は仲がよかったんだけど、娘さんが高校に上がってから、一緒にいるところを見かけなくなったわねぇ」
「揉めてる様子はありましたか?」
「喧嘩をしたとかいう話は聞かないから、反抗期が遅れてきたんじゃないかって思ってたの。最近じゃ珍しくないから」
「珍しくない?」
「ええ、そう。赤目の家は母親が強いでしょう? だからか、娘がいる家庭は大抵親子ベッタリだったのよ。なのに、いつの頃からか母親と娘は考えが違って当然、一緒に行動する必要はないって言われるようになってねぇ」
赤目、というのはサキュバスを指す隠語の一つ。
というよりサキュバスという呼び方も前世紀に海外から持ち込まれたもので、地域によっては浸透していない。
「変化が急だよね。うちらの時代でも母親が頼みの綱って感じだったのに」
ナギが身を乗り出し割り込んできた。
彼女なりに新しい世代の考え方に違和感を覚えたのだろう。
「やっぱりスマホとかインターネットとかで簡単に他人と繋がるようになったからかねぇ……」
アキラの頭の中でも、世代格差を生む原因に一つ心当たりがあった。
ここ十年ほどの間に進んだ社会の潔癖化だ。
初めは感染症対策で人同士の距離が遠くなったこと。
その次に男女平等意識が高まったことにより、肉体接触を伴う交際が急激に減った。
そしてAIやネットの発達。
ブレイン・マシン・インターフェースの普及により、直接的な行為がなくとも性欲が満たされる。
その中で「サキュバスだから」という理由で男性との接触を必要とする若年女性は疎外感を抱えているかもしれない。
母親が伝える古い価値観にも抵抗を感じるだろう。
しかし、全ては想像に過ぎない。
「この後帆足さんのお宅にうかがってみようと思いますけど、ご家族の様子は……」
「そうね、動きの鈍い警察には苛立ってるし、やっぱり焦りもあるみたい」
その辺はサキュバスの家庭だから、ということはなさそうだ。
娘が失踪して一週間手がかりなしでは、誰であろうと苛立つし、焦りもする。
アキラの任務は情報収集だから、期待を持たせすぎないよう注意する必要がある。
***
玄関を出て車に乗り込む直前、美月が声をかけてきた。
また当面帰らないであろうナギへの挨拶かと思いきや、アキラにしか聞こえないよう小声で喋りはじめる。
「駿河さん、うちの子、本当はお役所勤めなんかじゃないんでしょう?」
その鋭さにアキラは言葉を返せなかった。
「服装だって違うし、顔つきだって荒んでるもの。昼夜逆転で生活が荒れてることもなんとなくわかるわ」
親ならではの観察だ。
当然どんな仕事をしているかも察しているかもしれない。
「でも、あなたみたいな友達がいるなら安心ね。どうか、これからもナギをよろしくお願いします」
「はい、もちろんです」
深々と頭を下げる美月。
アキラは短く答え、運転席のドアを開けた。
見送るナギに一礼してアクセルをゆっくり踏み込む。
「お母さん、何か言ってた?」
走り出した車内でナギが聞いてきた。
親の気持ちは娘の知るところではない。
アキラは笑みを浮かべて答えた。
「ナギがろくでもない生活してるだろうから、面倒見てだって」
「もお、なにそれ!」
不思議とナギの口元も緩んでいた。




