3.西川口の女
アキラの車は明治通りを王子駅の北まで走り、首都高中央環状線の下をくぐって北本通りに入った。
赤羽岩淵から新荒川大橋を渡ると埼玉県川口市。
カーナビを頼りに川口駅方面へ向かい、さらに県道を北へ。
川口警察署の前を通過したので右折し、狭い生活道路を入り込んでいく。
たどり着いたのは、二階建ての古びた木造アパートだった。
駐車場などないアパートの前に路上駐車し、アキラは身一つで階段を登る。
部屋番号だけが書かれた表札を見ながら、目的の部屋の前まで進んだ。
ドアにはめ込まれたチャイムを押してみる。
電子チャイムの音が響くが、その後しばらく待っても応答はない。
試しに丸いドアノブを回してみると、ドアが開いた。
鍵がかかっていないことに驚きはなかった。
治安悪化が叫ばれた川口市だが、警察署の裏手ということもあってかこの周辺は静かだ。
また、住人の性格も手伝って、在宅時には施錠しない習慣が想像できる。
目に見えて歪んだドアを開けると、薄暗い室内が見えた。
手前はキッチンになっているが、床に脱ぎ捨てられた衣服が散らばっている。
アキラはスニーカーを脱いで上がり込んだ。
キッチンの先は洋間になっていて、そこにも衣類が放置されている。
捻れたジーンズは男物のようだ。
部屋に上がり、歩きながら脱いだのだろう。
酔った男女がもつれ合いながら部屋へ入り、服を脱ぎながら互いの肉体を貪った。
その様子を思い浮かべると、アキラの下腹部が不気味に疼いた。
洋間の奥の襖を開けると、肉宴の痕跡が広がっていた。
和室に一枚の布団。
その上に一組の男女が裸で寝転がっている。
男の方は苦しげな表情を浮かべながら眠っている。
若く引き締まった肉体だが、どこかやつれている様子。
女の方は掛け布団を抱き、安らかな顔で眠りこけている。
決して太くはないが、腰や手足のたるみから日頃の不摂生が透けて見える。
二人の体からか、布団からか、生々しい芳香を感じた。
少しだけ心拍数が上がったことに苛立ち、アキラは女が抱いている掛け布団を強く引っ張った。
「んん……まだ足りないの……?」
女が惚けた声を漏らす。
アキラは足の爪先で女の脇腹を小突いた。
「んひゃあっ……あ……?」
女が頓狂な声をあげて起き上がる。
「あれ……アキラ?」
「目覚ませナギ、出かけるよ」
二人の声で覚醒したのか、男の方もゆっくりと起き上がった。
「あ、俺生きてる……わ、すっげえ美人……」
自分の体をベタベタと触ってから、アキラを見上げて驚く男。
「ありがと。あんたナギの彼氏?」
「あ、いや……俺は……」
「その子はお客だよ」
ナギと呼ばれた女が布団の上であぐらをかいて、寝ぼけている男を顎で示した。
茶褐色のロングヘアーをかき上げ、大きくあくびをする。
「客を連れ込むなよ」
「いい子拾っちゃった〜若いし何発出しても萎えないの」
悪びれる様子もない。
友人に痴態の跡を見られたという照れもない。
針生凪、三十一歳。自衛隊時代のアキラの同期だ。
「まぁ座ってよアキラ」
「やだよこんな汚い部屋」
アキラは湿った布団の上に立っているのが不快で、すぐに和室の隅に移動した。
「あの、俺、帰りますね」
「うん、また連絡するね〜」
男は布団から抜け出してキョロキョロ周りを見ている。
服を探しているようだ。
洋室に脱ぎ捨てた衣類を見つけ、ヨロヨロと四つん這いのまま部屋を出ていく。
足腰に力が入っていないところから、ナギに散々「吸われた」ことがわかる。
苦労しながら服を着た男が部屋を出たところで、アキラが切り出した。
「東北でサキュバスの失踪事件があってさ、今から金曜日まで現地調査に行くんだ。帰るまでのメシは全部奢るから、ついて来てよ」
「えっ、いきなり言われても仕事あるし」
「今週休みなの知ってる。店のホームページ見たから」
「お店以外の稼ぎが大きいんだよ」
ナギが言う「店以外の稼ぎ」の意味を想像したアキラはため息をついた。
店を介さず個人で客を取るのだ。
値段は風俗店と同等ながら、丸々懐に入るという利点がある。
客を選べない欠点はあるものの、大抵の男は腕力でサキュバスに勝てないからトラブルの心配はない。
「それになんでわたしがついて行く必要があるの?」
ナギの疑問はもっともだ。
アキラは短く答えた。
「現場が石巻なんだ」
「絶対行かない」
「頼むよ。土地勘のあるやつが必要なんだ」
「いきなり地元に行ったら絶対実家に知られるし、鬼電止まらなくなっちゃうよ。なんで帰って来ないんだ〜って」
「それなら心配ないよ。ナギの実家にも寄るから」
「余計いやだよ」
ナギが何年も実家に帰っていないことはアキラも知っている。
家族との軋轢が原因ではないことも。
単に生まれ育った土地に息苦しさを覚えるのだ。
地方出身のサキュバスにはありがちなことで、思い出したくない少女時代の記憶が多いからだ。
閉鎖的な地域では、健康のために付き合う男を大人が決めていたりする。
さらに田舎になると、村の男衆によって性的な知識や技術を仕込まれたりもする。
アキラにも覚えがあった。
初潮を迎えて幾月も経たないうちに、母が連れてきた男に抱かれた。
若く清潔感のある男ではあったし、優しく扱ってもらえた。
しかし、知り合ったばかりで恋愛感情など湧かない男に処女を散らされたという事実を、友人にも話せないまま思春期を過ごした。
それ以来少しでも好意を抱いた男には早めに体を捧げるようになり、それはすぐに周囲の知るところとなる。
「気持ちはわかるよ。地元に帰りたくないの、私も同じだから。でもさ、若い子が……私たちと同じ悩みを抱えた子が助けを求めてるかもしれないんだ。手伝ってよ」
「そりゃあ、助けてやりたいけど……わかった、東大生との合コンが条件でどう?」
「は? ああ……なるほど」
確かに不可能ではない。
二人の共通の知人が東京大学の前期課程に在学している。
今も彼と連絡を取り合っているのはアキラだけだ。
「じゃあ当たってみるから、とりあえず服着て準備しな」
「やったね。高級ホテル泊まれる?」
「宿だけは諦めて。駅前の旅館取ってあるから」
「えぇ、ケチくさ〜」
「役所だから仕方ないの。ほら荷造りはじめるよ」




