22.ありがとう
アキラは再びヘリコプターに乗り込んでいた。
艦隊に先行して貨物船に向かうためだ。
服は「いずも」でグリーンの飛行服に着替え、頭には樹脂製のヘルメットを被っている。
靴だけは慣れたものの方が安全ということで、履いてきたスニーカーのままだ。
さらに飛行服の上に救難用ハーネスを装着している。
肩と腰、そして両太腿を固定し、胸と腹部等に大きなD環が付いている。
「ハーネスに違和感はないですか?」
艦内でブリーフィングを担当した守谷中尉が、隣の座席からアキラに声をかけた。
彼も戦闘服の上に多数のポーチが付いたタクティカル・ベストを装着している。
ヘルメットはアキラのものに似ているが、戦闘用の重たいものを使っているはずだ。
「違和感しかないです。現役の時はもっと小さいハーネスだったんで」
用途が限られることもあり、アキラが使っていたのは腰周りを支えるコンパクトなものだった。
ロープを「座席結び」にして懸垂下降を訓練したこともある。
「慣れてらっしゃるようなので安心しました。もうすぐ貨物船が見えてくる頃です。ブリッジはすでに制圧完了、機関室とキャビンで戦闘中とのことです」
守谷中尉のヘッドセットに現場の報告が入っているようで、フィリピン海軍による接敵から全て伝えてもらっていた。
「あと、どうやらデッキに積まれていたコンテナの一つから、人の声がすると言ってます」
来た甲斐があった。
被害者の慰労とケアのため、救出から本土移送まで立ち会うよう命じられているからだ。
救出された被害者たちは自分が海の上にいると知って戸惑うかもしれない。
家に帰れるのだと伝えて安心させてやりたい。
「駿河さん、まだ確定ではないんですか……機関室に大量の荷物があって、爆薬ではないかと……」
「爆薬……?」
「もしそうだとしたら、証拠隠滅のために自沈する計画もあったかもしれません」
まだ油断はできないのだ。
船内制圧に手間取ったら被害者たちの命が失われてしまう。
アキラは膝の上に置いた手をギュッと握った。
「目標が見えました! 安全のため高度を取って接近します!」
操縦席からの声にアキラは身を固くした。
船内制圧の合図と同時にヘリは高度を下げ、右側面のドアから吊り下げられて降下する手筈になっている。
***
ドアが開放された。
ヘルメットのゴーグルを下げ、目元に密着させた。
乗組員がドアの上にあるホイストからロープを伸ばす。
次いでアキラのハーネスに装着されたカラビナに金具をカッチリと通してくれた。
守谷中尉がハーネスと金具の点検を行い、いよいよ降下となった。
「飛び出すと危険ですから、機内の方を向いてしっかり踏ん張ってください。リペリングの降下直前と同じです。蹴り出す必要はありません」
乗組員にロープを握ってもらい、アキラは両足を広げて開口部ギリギリに立った。
「そのまま後ろに倒れてください」
体重を後ろにかけ、機外にグッと傾く。
ロープが少しずつ伸ばされ、体が水平になる。
ついに両足も機体から離れ、スルスルとヘリが遠ざかっていく。
水平になっていた体は斜めになり、全周を囲む大海原が視界に入った。
真下には貨物船の甲板。
まだ少し高度が高く、上手く降りられる位置ではない。
ロープの長さとヘリの高度が調整され、じわじわと甲板が近づいてくる。
甲板で待機しているSBU隊員の姿もハッキリ見えた。
両脚をしっかり揃えて伸ばし、バランスを保つ。
その足首を隊員が掴み、着地までの間全身を支えてくれた。
甲板に足が着くと同時に隊員によってホイストの金具が外される。
両手がフリーになったのでゴーグルを上げた。
「コンテナはどれですか?」
「こっちです」
隊員がすぐに移動をはじめたので後を追う。
歩きながらヘルメットを脱いだ。
白いコンテナの周りを複数のSBU隊員が囲んでいた。
「扉は?」
「重い錠前がかけられていて開きません。今鍵を探しています」
コンテナの扉には縦に太いロッキングバーが走っていた。ハンドル部分には、後付けらしい頑丈な南京錠が掛けられている。
「壊します」
「えっ」
ヘルメットを足元に置いたアキラは南京錠を掴んで捻り、次に引っ張った。
もちろん外れるはずがない。
だが、錠をかけている部分は金属が薄くなっていることに気づいた。
大きく息を吸いこみ、両手で握った南京錠を強く右に捻る。
ギリギリと金属の歪む音が響き、ロッキングバーがビリビリ震えた。
上体を傾けながらさらに力を込める。
メキッ、メキッ、と各部の鉄板が裂けていく。
それに合わせてハンドルも歪みはじめた。
「ふうっ……ぐううう……!」
歯を食いしばり、残った力を振り絞ってさらに南京錠を捻った。
肩の筋肉がビキビキと引き攣る。
コンテナの白い塗装にもヒビが走る。
手を離すと、すでに南京錠を通す部分に裂け目が入っていた。
「あと少し……」
右拳を握り締め、振り上げようとした時だった。
背中に電流が走ったような気がした。
背後から射抜く視線がある。
覚えがある感覚だ。
丸の内で敵と銃を向けあったあの一瞬感じた、焦燥感混じりの殺意。
咄嗟にしゃがんだアキラは足元のヘルメットを掴み、振り向きざまに投げた。
その先には別のコンテナがいくつも並んでいる。
バキン、と大きな音が鳴り、コンテナの隙間から人が倒れてきた。
「敵だ!」
「取り押さえろ!」
隊員たちが駆け寄り、倒れた人物を拘束する。
コンテナの隙間からアキラを狙ったのは、痩せた体に浅黒い肌の男だ。
色あせたTシャツとハーフパンツだけを身にまとい、手には一挺の自動拳銃を握っていた。
「申し訳ありません、我々の不注意でした」
付き添っていたSBU隊員が改めて銃を構え警戒する。
その姿を見て、アキラも自分の仕事に戻ることにした。
握り直した右拳を振り上げ、鉄槌を南京錠に振り下ろす。
バキィン、と大きな音を立て、南京錠が甲板に落ちた。
歪んだハンドルを握り、大きく捻ると、ロッキングバーが音を立てて外れた。
ゆっくりと扉を引くと、中の熱気が塊のように吹き付けてきた。
常人なら耐えられないし、サキュバスでも相当に体力を消耗しているだろう。
外からの光が差し込み、いくつかの人影が見えた。
「厚生労働省です。皆さんの救出にまいりました!」
アキラが張り上げた声に、被害者たちが顔を上げる。
壁際で脱力していた一人が、アキラの方へ這ってくる。
目隠しをされ、両手は後ろ手に紐で縛られている。
「もう安全です。家に帰れますよ」
這ってきた女性がアキラの顔を見上げる。
アキラは彼女を抱き留め、目隠しを額にずらした。
女性は眩しそうに目を瞑り、ゆっくりと開く。
「あの……私たち……騙されて、閉じ込められて……」
「はい、もう悪い人たちはいません。安心してください」
女性はアキラの飛行服にしがみつき、弱々しい声で続ける。
「私、普通の人間じゃ……ないんです……ほかのみんなも……だから……」
「……私もそうだよ。だから来たの」
アキラは自分の目が潤んでいることに気づいた。
「怖かったよね……」
間に合ってよかった。
多くの人々が力を合わせて、この人たちを救うことができた。
石巻で力を貸してくれたナギの母。
仙台で情報をくれたナンパ師。
捜査を繋いでくれた班長。
宮城県警ほか東北各地の警察官。
松田刑事部長やSATなど愛知県警。
防衛海軍。
フィリピン海軍。
たくさんの力がアキラを導いてくれた。
「遅くなってごめんね。もう大丈夫だよ」
涙が溢れる。
ここまで来てよかった、と思ってから、心の中で訂正した。
ここまでたどり着けてよかった。
胸の中の女性が「ありがとう」と小さく呟く。
アキラも目を閉じ、多くの人々の尽力を思い、同じ言葉を口にした。




