20.ガブリエラ・シラン
ルソン島の遥か東方、フィリピン海を一隻のフリゲート艦がゆっくりと南へ向けて航行していた。
フィリピン海軍所属フリゲート「ガブリエラ・シラン」は日本で建造された最新型の水上戦闘艦だ。
周辺海域の警備強化を目的として、軍事協力の一環として提供された。
つい先月慣熟訓練を終えたばかりで、オーストラリア海軍との合同演習のあと、この海域に戻って来ていた。
艦名の「ガブリエラ・シラン」は過去の偉人から採られている。
十八世紀、スペインに支配されていたフィリピン・イロコス地方でディエゴ・シランという人物が地域の自治を訴え蜂起した。
彼は独立運動の最中に暗殺されたが、妻であるガブリエラが運動を引き継ぎ、スペイン軍との戦いに身を投じた。
革命軍の壊滅、スペイン軍によるガブリエラの処刑と、独立運動は悲劇的な幕引きに終わったが、フィリピン独立の精神はその後も国民の間に残り続けた。
作戦士官のラファエル・マナロ少佐は三十六歳。
旧型艦ばかり乗り継いで来たが、経験が豊富ということで抜擢された。
最新機器による航海や戦闘指揮にはおおむね慣れてきたと自負している。
明日の対空戦闘訓練を控え、艦橋でプランを練っていた最中、艦長あてに通信が入った。
艦隊司令部からの命令伝達らしいということは艦長の様子からわかった。
この艦長は五十代の大佐だが、マナロも何度か一緒に勤務していて、馴染みが深い。
童顔を気にして口ひげをたくわえているが、落ち着きがあり威厳に欠ける人物ではない。
本人曰く「小心」とのことだが、それがジョークになる程度には貫禄が備わっている。
そんな人物が、電話を切った後表情を失っていた。
しばらく黙って、艦長席に備え付けのモニターを幾度か操作し、考え込む。
難しい用件であろうことは想像に難くないが、とにかく艦長の行動を待つしかなかった。
「ラファエル、そっちにもデータを送った。緊急の任務だ」
「了解しました」
マナロはモニターを操作し、命令文と添付データを表示した。
驚くほかなかった。
確かに緊急性が高く、公益性の高い任務だ。
「確認しました。すぐ動きます」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
そう言うと、艦長はマイクを手に取り、全艦放送のスイッチを入れた。
「艦長より達する。現在太平洋上を不審船が航行している。外観は貨物船だが、日本で拉致された女性たちがコンテナに詰め込まれているとのことだ。艦隊司令部からの命令は、不審船を停船させ、その行動を封じることにある。諸官もフィリピン人であるなら、この艦の名称——ガブリエラ・シランの由来は知っていることだろう。奇しくも、日本海軍の艦隊にも一人の女性戦士が乗り組み、この不審船を追跡しているという。本艦にとって、この任務は運命と言うほかない。今日まで訓練を重ねてきた諸官らであれば、必ずや成功するものと信じている。各部署はただちに戦闘配置に就け」
艦長がマイクを置いた瞬間、マナロはモニター上の「B/S」と書かれたボタンをタップした。
警報ブザーがスピーカーから流れ、天井に赤いランプが灯る。
「ラファエル、我々もCICに入ろう」
「了解です、艦長」
足の下からゴオッというエンジン音が響きはじめた。
***
「相手の鼻先をフィリピン艦が押さえたら、我々が後方から接近、拿捕します」
「艦隊が追いつくってことですか?」
守谷中尉の説明にアキラは首を捻った。
高速艇並の速度で逃げる工作船に、「いずも」の巨体で追いつけるとは思えないからだ。
「もちろん艦は無理です。しかし艦載機なら可能です。ヘリで接近し、半数は水中スクーターで接舷、半数はリペリングで甲板に降下します」
ヘリからのロープを使った懸垂下降はアキラも経験がある。
一気に四人は降下できるから、ブリッジなどの制圧には十分だろう。
「そういえば、私たちの役目って何ですか? 状況確認と食事だけって、なんか申し訳ないような……」
「はい、駿河さんには特に上の方から指示がありまして……」
「上の方?」
厚労省ではないところからの指示ということだろうか、とアキラは不審に思った。
「文書としてはまだ出てなくて口頭なんですが、該船から拉致被害者が救出された場合、現地でいち早く被害者に会って、彼女たちの心のケアをしてあげて欲しい、とのことです」
「なるほど……わかりました」
拉致されたのはサキュバスなので、特生室のアキラが接する方が好都合ということだ。
しかし命令したのが班長でも御幸浜室長でもないというのは初めてのケースだ。
「それで、どこからの指示なんですか?」
「ああ、はい……内閣総理大臣とのことで、官房長経由で連絡を受けています」
アキラは絶句し、返事が返せなかった。




