14.深夜の出撃
左半身に強い圧を感じた。
そこに誰かがいるのだと瞬時に理解はしたが、下に組み敷いたヤクザに体重を預けてしまっていたため、反応が遅れた。
アキラはようやっと左を振り向いたが、すでに二メートルほどの距離に若い男が迫っていた。
運動神経がいいのだろう。
ゴチャついた組事務所の中を短距離走なみの速度で突進してくる。
武器は短刀一本。
腰だめにガッチリと構えているから、躱し損ねたらまずい。
できる限り体を捻って逃れようとするが、男はもう触れそうな距離に迫っている。
刃が電灯の明かりに煌めいた瞬間、アキラが思い出したのはかつての危機だった。
丸の内のオフィス街。
目の前で倒れる会社員の姿。
視線を上げた時、銃を持ったテロリストと目が合った。
アキラは銃を下に構えていたため、分の悪い遭遇だった。
真円に見える銃口が、今も目に焼き付いている。
敵はアキラを照準に捉えていながら、撃ってこない。
その間に必死に狙いを定め、引き金を引いた。
引き金は動かなかった。
慌てて安全装置を解除し、撃った。
敵の弾が尽きていたのか、油断していて驚いたのか、たまたま自分の射撃が早かったのか、理由はわからない。
因果が巡ってきたのかもしれない。
迫りくる刃は、あの時自分が放った銃弾が形を変えて戻ってきたのだ。
運命を受け入れようとアキラが目を閉じた時、甲高い声が耳を貫いた。
「ぉぉぉおおおおおああああああぁぁぁぁぁぁあああ!」
今まさにアキラに体当たりしようとしていた男が、横から飛んできた塊に押し出され、醜く歪む。
ナギが渾身のドロップキックを見舞ったのだ。
部屋がズンと揺れ、男の肉体が壁にめり込む。
加速のついた二人分の重量を受け止めた壁がメリメリと裂け、床から天井まで放射状にヒビが入った。
「いてて……ああもう! ほでなすがぁ!」
床から起き上がったナギがズンズンと足音を鳴らしてアキラに迫る。
「帰るよ、アキラ!」
「あ……うん……」
下敷きにしていたヤクザもいつの間にか気を失っていたので、アキラはゆっくりと立ち上がった。
ヤクザの横には、彼が持っていた自動拳銃が落ちている。
ナギの方を一瞬見て、アキラはその拳銃を拾い上げた。
上着を脱ぎ、丸めながらその中に銃を隠し、ナギの後を追った。
車に戻っても、気持ちの整理がつかないままだ。
エンジンスイッチを押す直前で指先が迷う。
「アキラ……まだ落ち着かないの?」
「あ、うん……さっきはありがとう」
「いいよ。それより、刺されそうになった時、諦めたでしょ?」
ナギの言葉が胸に刺さった。
彼女にはわかってしまったのだ。
「うん、さすがにあれは無理だと思った……」
そう答えたものの、胸の中のモヤモヤが大きくなるばかりだ。
「違うな……違う……今度は私の番だと思ったんだ……」
「今度はって……」
「防衛招集で、丸の内に出動した話はしたよね?」
「うん、その時の活躍は有名だしね」
さっきより鮮明に映像が蘇る。
咄嗟の撃ち合いは、幸運にもアキラの勝利に終わった。
だが敵は一人ではない。
すぐ近くで聞こえる銃声に心拍が速くなる。
自動小銃を持つ人影が飛び出してくる。
今度は先んじて撃った。
「その時も危うく死ぬかと思ったんだ。敵の銃がこっちに向いてて、でも撃ってこない。弾が切れたのかもしれないし、驚いただけかもしれない。その間に焦りながら引き金引いて、一発目は当たったかどうかもわからない。三発くらい撃ったら相手が倒れて……それを繰り返して、三人倒した時、急に世界の見え方が変わったんだ。これはゲームか何かで、敵はCGで、当てたら得点、撃たれたらゲームオーバー……だからさっきも、私が油断したから負けただけなんだって」
「アキラ!」
ガシッと両手で頬を挟まれた。
正面にはナギの険しい顔。
「終わったの! ゲームはもうおしまい! 人は簡単に死ぬし、わたしだってアキラだっていつか死ぬ! でも今そうなる必要はないの!」
グッと抱き締められる。
ナギの胸に顔が埋まり、息苦しくなった。
だけど不快ではない。
「ごめんナギ……」
「おっぱいくすぐったいから喋らないで」
ナギの腕から力が抜けたので、頭を起こす。
息を大きく吸い込むと大量の酸素で脳細胞が生き返るようだ。
「ところで、あんたの職場ってピストルなんて持たされるの?」
「あー、あれね……」
ナギの疑問は的を射ている。
アキラは右腰を探り、プラスチックの感触を確かめ、それを取り出した。
黒い大型のリボルバー。
撃鉄を起こし、銃口を天井に向けて引き金を引くと、ポイン、と気の抜けた音とともに空気が噴き出す。
「え……おもちゃ……? まさか、それ買うためにドンキ寄ったの?」
「うん、これならさすがのヤクザもビビるかなって。結果は大成功」
ペシ、とナギがアキラの額を叩いた。
***
『名古屋で仲介してる宮宿一家の情報は愛知県警に共有した。今は不審な貨物船と倉庫を探ってもらってる』
静かな港町でひときわ「静か」になった運送会社の前で、アキラは電話をかけていた。
相手は班長だ。
運送会社こと暴力団事務所で聞き出した情報を伝えたところ、深夜にもかかわらず警察への根回しを引き受けてくれた。
もちろん組員が全員昏倒していることは伝えていない。
「じゃあ宮城での調査は終わりでいいですか?」
『それなんだが、ここまで来たら名古屋に行ってほしい。だが一緒にいる針生さんまで付き合わせる必要はない。チケットを用立てるから、仙台から新幹線で帰ってもらおう』
「そうですね……えと、ナギ?」
ナギを見ると、何も言わずに首を横に振った。
「聞こえたよ。名古屋にもついていく。この事件では石巻の子も被害者だし、ここまで来て帰るのも腹立つし、あと、アキラ運転しっぱなしでしょ?」
「わかった、ありがとうナギ」
相棒の笑みを横目に、再び電話口に戻る。
「班長、針生凪も同行します。ただ名古屋なんで、明日の昼とかになると思いますけど……」
『大丈夫だ。ノンストップで行けるよう手配した。この件は室長から官邸に話が上がってる。もはや刑事事件の枠組みに留まらず、国家安全保障案件となる。つまり……ここから先はなんでもありだ』
「はぁ……」
班長の話が大きすぎて今ひとつ腹に落ちなかった。
が、その直後に、事態の大きさを否応なく思い知らされた。
「アキラ……あれ」
ナギの声と同時に、車内に届く赤い光でアキラも気づいた。
パトカーが接近している。
ランダムに煌めく光と幾重にも重なるサイレンの音は、それが一台や二台でないことを示している。
それは「群れ」と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。
「班長……警察が来ましたけど……」
『合流したら指示に従ってくれ。名古屋まで先導してくれる』
群れを離れて近づいてくる覆面パトカーが見えた。
『いいか、俺たちがこれからやるのは、国民の安全な生活を脅かすクソ野郎どもとの戦争だ。つまり、君の専門分野だ。思う存分戦ってこい』
「了解!」
覆面パトカーが横についた。
シルバーメタリックのトヨタ・クラウンクロスオーバーだ。
アキラが運転席の窓を開けると、助手席から警察官が声をかけてきた。
「厚労省の駿河さんですね! 宮城県警高速隊です。これから東北道を先導します!」
「よろしくお願いします!」




