ヤギVS狼
女王様こと、派手な着物姿の名も知れぬ女郷守だ。
綺麗な手には不釣り合いな、極太の鎖を持っているが、その両端には巨大な鎌が付いているーー所謂、鎖鎌だ。
鎖に締め上げられている悪魔は戒めを解こうと暴れ出す。
対抗して女郷守も細腕に筋肉と血管が浮かび上がらせ、目いっぱい鎖を引いた。
僅か数秒の綱引き——軍配は女郷守に掲げられた。バランスを崩した悪魔が地響きと共に後ろのめりに倒れる。
「す、すご……」
「何してるの! 早く斬りなさい!!」
「は、はいぃ!!」
鬼気迫る顔で急かされ、慌てて倒れた悪魔の心臓目掛けて切っ先を突き立てようとするが、表面におろし器のようなとげとげが生えた舌が倖を襲う。
咄嗟に刀でそれを払って切り落とすが、鎖を破壊した悪魔が跳ねるように立ち上がり体勢を整え、倖に襲い掛かった。
かに思えたが、倖の視界から、悪魔が瞬時に消える。
遅れて耳に届いたのは、ばぎゃん!! という痛々しい轟音。
その代わりに視界に入ったのはパイプ椅子と、その奥にいる誰か——。
「じゅ、朱里亜……!?」
パイプ椅子を持っていたのは、ロビーで別れたきりの朱里亜だった。
悪魔の体は、ラケットに当たったボールのように吹っ飛び、ハエ叩きに叩き付けられた蠅のように地面にめり込んでいた。
「……何してんだよ……」
抑揚のない声に振り返れば、だらりと下げた手にパイプ椅子を持つ朱里亜がそこにいた。
(朱里亜が、パイプ椅子で悪魔を殴り飛ばしたのか……)
それを見て、状況を把握。あまりにも突拍子もない展開だが、助けられたことにはかわりない。恐る恐る声を掛ける。
「……あ、ありがとう……朱里亜……。けど、ちょっとやり過ぎのような気が……馬鹿兄もめり込んじゃってるし……」
朱里亜は答えなかった。
表情は落としてきたように無く、光を失った瞳は想宇流だけを見つめている。
呆然自失に立ち尽くし、ぶつぶつと早口で何か呟いているが、何と言っているのかわからない。
「? 朱里亜、どした? 大じょ……」
「馬鹿、下がりなさい!!」
「んげぇ!?」
肩に手を置こうと一歩踏み出したところで、女郷守のラリアットが喉にヒット。
そのまま抱えられるようにして朱里亜から一気に距離を置くことになった。
「げほげほっ! はっ、ん゛んっ! い゛、い゛ぎなりなに゛を……!!」
「お馬鹿! あの娘、どう見てもおかしいでしょうが!」
「あ゛……!?」
目玉が飛び出しそうな衝撃を受けて涙目になりつつ女郷守を睨んだが、女郷守は既に臨戦態勢。両手には何処から出したのか、壊れていない鎖鎌が握られている。
朱里亜は倖たちに目もくれず、ふらりと力のない歩みで想宇流に近付いた。
引きずられるパイプ椅子が地面と擦れ、ぎぎぎと金属音が響く。その合間を縫うように、朱里亜の声が段々と大きくなっていった。
「……だ。……せ……だ。あ……のせ……。あん……いだ……。……んたの……せい……。あんた……せいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ」
まるで壊れた機械のように、何度も何度も同じ調子で同じ言葉を繰り返す。
「あんたの……あんたがいなければ、母さんは私を可愛がってくれた。あんたがいなければ、父さんと離れなくて済んだ。あんたさえいなければ、友達がいなくならなかった。あんたさえいなければ、いじめられずに済んだ。あんたさえいなければ、大人たちに嫌われなかった。あんたさえいなければ、あんたさえいなければ、あんたさえいなければ、あんたさえいなければ……あんたさえ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!!!!」
朱里亜は髪を振り乱し、搔き乱し、藻掻き苦しんでいるかのように体をくねらせる。振り上げられたパイプ椅子が、握り潰されるかのようにバキバキと音を立てて形を変えていく。
その時、ぴきぃ!! と、一風変わった亀裂の入る音が周辺に響き渡った。
「嘘っ、結界が!!」
「結界!?」
焦る女郷守。
言われて周りを見渡した倖は、図書館の敷地を覆うような光る巨大な蜘蛛の巣が浮かんでいるのに気付く。
だがそれは、ぴし、ぴしと立て続けに罅割れる音を奏で、やがてぴしししし! と連続的に鳴り響かせた。
間も無く全体に亀裂を這わせた蜘蛛の巣は、パキィン!! と、甲高い音を立てて一瞬にして砕け散る。
鉄製の細かい破片がぱらぱらと空から降り注ぐ。
何となく女郷守のお陰で図書館に化け物が寄りつかないと思っていた倖だが、その通りであった。
彼女の力で作り上げた蜘蛛の巣型の結界のお陰で、化け物たちは図書館に入り込めずにいたのだ。
しかし、それが無くなった今、外から化け物たちが入り込んでくる。
そしてその通り。
外で待ち構えていたのか、無数の黒い塊が敷地内に一斉に入り込んで来る。
「畜生!!」
女郷守は悔しそうに下唇を噛み、無数の塊たちに向かって鎖鎌を構えたのを見て倖も倣う。
だが、予想に反して黒い塊は倖らには襲って来ない。
まるで掃除機に吸い取られるかの如く、全ての塊は朱里亜の方へと飛んでいく。
朱里亜は微動だにしない。
塊は朱里亜を包み込み、やがて巨大な影となった。
その形は、鋭い眼光を放つ巨大な獣。
犬か、狼か——否、その姿はウェアウルフ。
悪魔よりも何倍も逞しい人の体に、鋭い鉤爪、背中には棘のような鬣、獣の頭部には大きな耳と、ナイフのような長い牙を持つ、黒い影か顕現していた。
『ワオおおおおオオおおおオおおおおおおオオオオおおおおっっっ!!!!!』
犬とも違う遠吠えはまるで雷のように轟き、鼓膜を痺れされ、内臓を揺さぶった。
そしてそれは何故か、想宇流に憑いている悪魔にも有効だったようだ。
初めこそ朱里亜に対して怒り向けていたようだが、朱里亜に取り憑く集合体の登場に、すっかり怯えた様子で尻尾を丸めている。
まるで腰が抜けてしまったかのように足は空しく地面を掻くだけで、逃げるに逃げられなくなっているようだ。
「『べ、べえええあああええ……じゅ、じゅりあ、止めろ、俺だ、想宇流だ。お、落ち着けよ、俺はお前の兄貴だぞ? なあ? 二人だけの兄妹なんだから、ひどいことしないだろ?」
悪魔が急に想宇流の体を使って語り掛ける。
兄妹の情に訴えかけようとしたようだが、それが逆効果であることは倖にはわかっていた。
寧ろ、なんで今出してしまったんだと悪魔を憐れみを覚えた。
想宇流の声を聞いた朱里亜は白目を吊り上げ、歯をむき出しにして怒りと憎しみを露わにした。
それに呼応すように黒い獣は怒りを燻らせ、威嚇の喉を鳴らし、命乞いをする獲物に向かって容赦なく襲い掛かった。
「『ひぎゃあえあああああああああべああああああぎゃいあああ!!!!!』」
「朱里亜!!」
「駄目!!」
哀れ、狼に襲い掛かられた山羊は為すすべもなく牙を立てられる。
黒い獣は、悪魔を噛み千切っては啜り、食らう。
怒りの人形と化した妹は、憎悪の対象である兄にパイプ椅子であったものを振り上げる。
思わず止めようとした倖は豊満な胸に顔を埋めさせられ、悍ましく醜悪な光景を見ずに済んだ。
だが、バキボキと骨を砕く音、くちゃくちゃと咀嚼する音――嫌な想像を掻き立てるグロテスクな音だけは、耳に届き続けた。
やがてそれが聞こえなくなり、女郷守の腕の力が弱まったのを感じて恐る恐る顔を上げる。
そこに居たのは黒い獣だけ。
想宇流と悪魔はおらず、彼が居た場所には惨劇を告げる赤い血だまりだけが残っていた。




