万業塊(ばんごうかい)
そんな甘い空気は一転。
フジは俵を担ぐように倖を肩に乗せて床を蹴った。
圧し掛かる重力は倖の腹部を直撃、変な声が漏れるがフジはお構いなし。
窓際に着地したところで、滑るように肩から降ろされて座らせる。
「一転して扱い雑過ぎやしません!? 一体何……」
非難しながら顔を上げた倖は、フジ越しに見たものに言葉を失う。
さっき自分たちがいた場所にいる四つん這いの生き物――それがなんなのか、瞬時に理解する。
今さっきまでフジにボコボコにされて身動き一つしていなかった筈の想宇流だった。
「は、羽間兄?! あんなボコボコにされてまだ動けんの……?!」
「違う。あれはもう、ただの人間じゃない。見ろ」
「へ?」
既に拳を構えているフジに促されよく見る。
想宇流は二本足で立とうとせず、四つん這いの体勢のままでいる。
口端は耳まで裂けているかのように裂けニタニタと笑い、歪む瞳孔は山羊のような横線。
その目を見た瞬間、倖の背筋にぞぞぞ! と寒気が走った。
「んなっ?! な、何あれ何あれめっちゃキモイ!!」
「万業塊だ」
「ば、ばんごうかい?」
「無数の悪意が圧縮された化け物だ」
郷守、里侵に続いて新しい単語だ。倖は漢字はわからなかったが、その存在を頭の中にインプットする。
そんな倖を見て、フジは不思議そうな顔をする。
「学校にも居ただろう?」
「え、嘘、いた? あんな気持ち悪いのいなかったよ?」
「……お前、武道館で戦っただろう? 落ち武者共の大将と同類だ」
「あ、あれがぁ!? 大将鬼はちゃんとしてたけど、こいつはただただ気持ち悪い!!」
「……化け物どもにちゃんとしてるもしてないもないだろう。どういう感性だ」
僅かにセンスのズレを感じさせる会話にフジが微妙な顔をする。気味悪がった倖が刀を構えたのを見て、改めて想宇流と対峙した。
「とにかく、こいつは普通の怨霊とは格が違う。油断するな」
「か、格が違うって……」
「生きている奴に取り憑けて、操ることができる分、こいつらの方が強くて質が悪いってことだ」
想宇流に取り憑く悪意の集合体は、二人が戦闘態勢に入ったのを嘲笑うかのようにだらりと伸ばした長い舌で舌なめずり。
涎塗れとなった口から、発情期の獣のような荒い息遣いを繰り返し、天井に向かってけたたましい鳴き声を上げた。
「『べえええエアアああああああえべエエあエエエえべええあェええッっっ!!!!」』
「ひいぃぃい! キモイ! ひたすらキモイ!」
「無駄口叩くな! 殺るぞ!!」
「殺るの!?」
それって殺人罪になるんじゃあ……と不安と疑問が過ったが、その質問の前にフジは地を蹴っていた。
「せ……正当防衛だからね!?」
飛び去る大きな背中に言い訳しながら、刀を抜く。
薄暗い室内で、光源など無いのにきらりと刃が輝いた。
先制攻撃を仕掛けたのは想宇流。だが、先に一撃を食らわせたのはフジだった。
飛び上がり、両手を勢いよく振り下ろしてきた想宇流。フジは左腕でそれ制し、固く握りしめた右手を想宇流の腹部に叩き付ける。
めきぃっ! と耳障りな音を立てて想宇流は白目を剥いて吹き飛ぶ。
が、空中で体制を整え直し、テーブルに着地。
痛みなど無かったとでも言わんばかりにニヤリと笑っていた。
今度はフジが飛び掛かる。
高く天井まで飛び上がったフジは想宇流に向かって踵落としを繰り出す。
一切の容赦がないのは、想宇流が避けた所為で被害を受けたテーブルが真っ二つに破壊されたのを見れば一目瞭然だろう。
「ひえ」
思わず声を上げた倖に想宇流の狙いが定まる。両の手足をめちゃくちゃに動かしながら駆け寄ってくる姿は悍ましいの一言だ。
全身に鳥肌を立たせながら、駆け寄る想宇流に刀を振り下ろすが、想宇流は横に飛んでそれを避け、大口を開けて迫る。
身を引き、空ぶって床に着地した想宇流に斜めに切りかかるが、想宇流はそれも簡単に避けた。ぴょんぴょんと軽快な動き扉前に積み上げれたテーブルの天辺にから倖とフジを見下ろす。
「うわめっちゃ身軽……」
「それだけだ。攻撃はそうでもない」
きゅ、とずれた軍帽を直しながらフジは言う。
確かに攻撃を当てれさえすればこちらのもの。だが、身軽過ぎるのは問題点だ。
下手に攻撃していれば無駄に体力を奪われ、疲れていたところを襲われていただろう。
フジが居て良かったと心の底から思う。
テーブルの残骸に乗るフジの傍にそそくさと寄り、二人体制で挑む。
「おい、何をやっているんだ!!」
突然割って入った第三者の声。上座の扉から入ってきたのは、事務所にいた警官だ。
ぐるりと見渡して状況を確認した警官は、構えた拳銃を抜身の刀を持っている倖に向けた。
「は!? ちょ、何で!?」
「女子高生! お前何やってるんだ、刀を下ろせ!!」
「いやいやいや無理に決まってるでしょ! 今はそれどころじゃないの!!」
「いいから言うことを聞け! 嫌いな相手だからと言って、やっていいこ」
警官の言葉はそこで切られた。
倖らの視線が警官に向けられていたその隙に、想宇流が目にも止まらぬ速さで警官に襲い掛かった。
無防備な警官の喉笛に想宇流が食らいつく。
「う、うわああああ!? なんだお前! 止めろ!!」
食い込んだ歯は浅く、致命傷に至らなかったのだろう、警官は喉を喰いつかれながらも声を荒げ、想宇流を引き剥がそうとする。
割と簡単に想宇流は剥がされたが、長く垂れ下がった舌が警官の顔を顎から額へと舐め上げる。
べろり。と、滑らかに這われたというのに、その跡は赤く染まっている。よく見れば皮膚がごっそりと剥がされ、下にある筋肉層がお目見えしていた。
「え……あ、ぎゃああああああああああっ!!」
一拍間を置いて、突如襲う激痛に絶叫が響く。
警官の血で口元を赤く染めた想宇流は、陶酔しながら味わうように喉を動かした。
倖は悍ましい惨劇に目を覆い、フジは警官を救助すべく走り出す。
警官が絶叫を上げながらも銃口を想宇流に向け、引き金を引く。
日本の警官が持つ拳銃の一発目は空砲と聞いていたが、既に使用済みなのだろう。
放たれた弾丸は想宇流の肩に穴を開け、続けて放たれた弾は腹、最後は耳を翳める。
その衝撃で仰け反った想宇流は明け放たれた扉から外に躍り出た。
「あああああああっ!! くっそお! 痛ぇ! いでえええ! ああああっ!」
「黙れ! 暴れるな!!」
フジはポケットから取り出した布で手当てをしようとするが、痛みにのたうち回られる所為で上手くいかないようだ。倖も手伝おうと顔を顰めながら近付く。
「倖、こっちはいい、あいつを追え!」
「は?! え、嘘!」
一瞬迷うが、田代と朱里亜、子供達のことを思い出す。彼らではあの想宇流に立ち向かえないだろう。
すぐさま切り替える。
「早く来てね!?」
「すぐ行く!!」
互いの目を見て約束し合い、倖は部屋を飛び出した。
想宇流は人間の記憶が残っているのか、人のいる事務所に向かっていた。
だが、固く閉ざされた扉は開かないようで体当たりを繰り返している。すでに大きな凹みが出来ていた。
走ってきた勢いのまま背中に向かって刀を薙ぐ。
が、間合いを誤り、刃は届かず地面を抉った。
想宇流は驚いて飛び跳ねた獣のように、倖の頭上を跳躍。事務所から離れてロビーに向かった。
「あーもう行ったり来たり面倒くさい!! ちゃんと戦え!!」
再び追いかける。
今度は倖たちが入ってきた正面玄関に向かっていた。
急に知能指数が上がったのか、それともやはり記憶があるからか、自動ドアの隙間に指を入れ、電気の来ていないドアをこじ開けようとしている。
しかしそこは既に警官が鍵を掛けていた為に開くことはない。
「いい加減諦め、ろ!!」
今度は落ち着いて、床を蹴って一気に距離を詰めてから刀を振り下ろす。
「『べあああああってぇええええぇああああええっ!!!!」』
獣の雄叫びと想宇流の悲痛な叫びが混じり合って空気を響かせた。
切られた痛みで暴れた想宇流は、正面玄関のガラス扉を叩き割り、とうとう外に出てしまう。
「なっ……!」
倖も扉を無くした玄関を出る。
想宇流は目の前の駐車場で蹲っていたのだが、その様子を見て倖は目を見開いて立ち竦んだ。
確かに背中を切った手応えはあったが血は出てきていない。
代わりに出てきていたのは、どす黒い影だ。
それは、人間の体に山羊の頭、背中には蝙蝠のような巨大な羽根を持った生き物を象る。
まるで悪魔サタンを思い出させるような恐ろしい姿を形成した。
想宇流は完全に意識を失っているのか白目を剥き、口からは涎と舌を垂らしたままゆらりと起き上がる。彼の体を動かしているのは悪魔のような影だろう。
四つん這いの人間に騎乗している悪魔は倖を視界に捉えると、怒りと憎しみに顔を歪ませる。
獣の表情の変化などよくわからない筈なのに、何故かそれがわかった。
「ひ」
向けられら憎悪の感情に体が強張り、大きく跳ねた。その一瞬の隙に、悪魔は鋭い爪を倖に向けて飛び掛かる。
しかし、太い首が背後から飛んできた鎖によって絡め取られる。寸での所で止めらてくれた救い主は誰かと見やれば、目に入ったのは巨大な肌色スイカ。
「女王様!!」
「誰が女王様よ!!」
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