イカれた男
「なんだ、羽間兄か……」
顔見知りだとわかると全身から力を抜く。
「内弁慶でチキンハートのあんたのことだから事務所から出てこれないと思ってたわ」
「…………………………」
「つーか、こっから入ってきた? ぶつかるかなんかしたの? こんなにもの倒すとかどんだけ不器用なのさ」
「…………………………」
「……なに、あんた、一言も言い返さないとか珍しいじゃん。とうとう語彙力無くした?」
「…………………………」
朱里亜の話を聞いた後だし、いつもより嫌悪感を多めに出した悪態を吐くが、幾ら言っても反応がない。
黙ってただそこに突っ立っていることに訝しく思えたが、反応しない相手にいつまでも突っかかるつもりはない。
「……まあいいや。あんたここにいたら? 私の邪魔しないでよ」
「お前」
外に出ようと、上座の扉へ向かうために踵を返したところでようやく想宇流が口を開いたので、再び彼と向き直った。
「なに」
「お前、俺のことが好きなんだろ?」
「……は?」
あまりに突拍子もない台詞に、倖はぽかんと開いた口が塞がらない。反対に、ゆっくりと顔を上げた想宇流は口元を歪め、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
「今まで俺に突っかかってきたのって、俺のことが好きな事の照れ隠しだっただろ」
「……え? は? え……? 何言ってんの、あんた?」
「だーかーら、俺のことが好きすぎて、他の女に目を向けてるからムカついてんだよな。気付かなかったぜ」
「いやいやいや。え? なにそれ? なんでそうなるの?」
「隠すことねーよ。俺にはもう全部わかってんだから」
「隠すも何も、全部本心で言ってんだけど」
「まじかよ。お前の愛情表現分かりにく過ぎね?」
「どこをどうしたらそういう発想なんの? 気持ち悪っ!」
「はいはい、お前が俺のことが好きなのはよぉーく分かったからよ。お前なんか好みじゃねぇけど、お情けで付き合ってやるよ」
「いや、断固拒否」
「なんでだよ。せっかく俺の方から付き合ってやるって言ってんだから素直に慣れよ」
「なんでって、ふつーに迷惑だわ」
「迷惑なわけないだろ。ブスがツンツンしてても可愛くないだけだぞ」
「誰がブスだ、この基地外。あんた頭おかしいんじゃない?」
「おかしいのはお前だろ! こっちはお前の想い受け取ってやるって言ってんだから喜べよ!」
どうやらこの非常事態に追い詰められた想宇流の頭はかなり残念な方向に進んでしまったようだ。
いつもなら明日花と沙耶花に向けられていた全く的外れで斜め上の理論が、今回は自分に向かっていると気付くと、スッと冷めたのでいつも通りに言い返す。
「なんで私の気持ちを全部あんたが決めてるんだよ。勘違いも大概にしろっつの。私があんたのことを好きなんて死んでもあり得ない。マザコンで弱い者虐めが大好きで、やり返すことのできない相手にしか強く出れないあんたなんか大っき」
「ごちゃごちゃうるせーな! いいから黙って足開けよ!」
嫌いの言葉に被さる様に叫ばれた台詞は、耳を疑うものだった。
聞き間違いかとも思ったが、果たして一体どんな言葉と聞き間違えることができるのだろうか。
一気に頭と顔に熱が籠る。
「んなっ……! あんたっ、何」
「俺のことが好きなんだったら、黙ってヤラせろったんだよ!!」
切迫詰まった想宇流の目は正気のそれではない。完全に常軌を逸している。阿保を見る感情が、瞬く間に恐怖に塗り替えられた。
近付いて来ようとしたのを見て、咄嗟に手元にあった椅子を投げ付けてからその場を逃げ出した。
「待ちやがれ!」
すぐさま追いかけてくる。
位置によっては長テーブルや段ボールや棚に遮られて道が塞がれ、また想宇流の妨害を入れられつつも、なんとか上座の扉へと走る。
そうして、辿り着いた扉の横に積まれていた、小さめの段ボールを手に取った。
「南無三!!」
想宇流に向かって、躊躇なく投げ付けた。
「ぐあ!?」
持ち上げた時はわからなかったが、中にはどうやら硬いものが入っていたようだ。想宇流の痛々しい声と箱の中で硬い何かがぶつかりあう音が合わさる。
蹲る姿を見て扉を開けようとする。
「!? なんで開かないの!?」
だが、取っ手を幾ら捻っても、押しても引いても扉はピクリともしない。鍵が掛かっているのかと、ツマミを縦横に回しながら扉を開けようとするが、扉が開く様子はなかった。
「くっそ、開けよ!!」
苛立ちまぎれに殴ったり蹴ったりするが、ただ手足が痛くなるだけ。
そんなことをしている間に背後で悪態交じりの呻き声を聞いて振り返れば、想宇流が四つん這いの体勢から立ち上がろうとしている。
やばい、と思ったその視線の先に見えたのは窓。
ここは二階だが、それほどの高さではなかった筈。
足下が余程悪路でない限り、倖は無事一階地面に着地できる自信があった。
最早一刻の猶予もない。
想宇流はまだ立ち上がれていない。
余裕でいける!
「!!!?」
そう思っていた倖の足は物凄い握力で掴まれ、埃の溜まったカーペットの上に引きずり倒された。
と慌てて身を起こそうとするが、それよりも早く下卑た笑みを浮かべた想宇流に覆い被さってくる。
倖が投げたもので切ったのだろう、額からはどくどくと血が流れて倖の顔に垂れ落ちた。
「ちょ……退け! 離れろ!!」
「暴れんじゃねーよ」
「くっそ!」
「おっと」
こうなったら刀を……と思ったが、柄に伸ばした腕は簡単に取られて、もう片方と纏めて床に縫い付けられる。
そんな倖を見下ろす想宇流は勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「よーやく捕まえたぜ。大人しくしてれば痛くしねーからよ」
「な……! ふざけん、!!」
ごり、と足に押し付けられた硬い何かに大きく体を震わす。それを見た想宇流の口は、耳元まで裂けたように大きく嗤った。
「なに、お前もしかして初めて? もうあのいけ好かねぇクソヤローと寝たのかと思ってたぜ」
「なっ、ふざけんな! んなわけないだろ! 離せ!!」
恐怖が全身を覆い、顔を真っ青にさせた倖はじたばたと暴れてみるが、この軟弱な体のどこにそんな力があったのか、想宇流は全く動じない。
必死に藻掻く倖を、想宇流は水面で溺れる虫を面白がるかのように冷たい笑みで見下ろしていた。
「そんじゃ処女、いただきまーす」
「な、や、止め、やだ、止めろ!!」
想宇流の手が倖のTシャツに伸ばされ、腹部が空気に晒された。
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