歴史資料
拘束から逃れ、向き合って朱里亜の肩を掴む倖。
あまりの青天の霹靂に、濡れた目を丸くして驚いた朱里亜の顔に困惑が刻まれた。
「そ、そうなの? っていうか、今思い出したって……」
「うちの父さん、図体でかいけど影薄いんだよね。なんだっけ、町興しとか地域のことやってる」
「それ、あたしのことと関係ないとこだと思う……」
「そう? でも同じ市役所職員なんだから、いろいろ対応してくれるって。あ、なんなら家出してうちに来なよ!」
「え?! そ、そんな……め、迷惑でしょ……?」
「だいじょぶ、だいじょぶ! うちの母さん意外と正義感強くてさ、前住んでたとこで子供匿ってた助けたことあるんよ。幼稚園の頃だからあんま覚えてないけど、帰ったら家に年上の男の子いてさ~。多分、あれそういうことだと思うんだよね! 知らんけど」
「っ……ほ、本当に……? 本当に、いいの……?」
縋るような、それでも疑いの眼差しを向けてくる朱里亜に向かって親指を立てて、歯を見せて笑う。
「構わん構わん! ってかよく考えたら母さんなら対処方法わかるじゃん! なんだ、悩むこともなかったや。帰って母さんに……今そんなことできる状況じゃなかったわ!!!!!!」
現状を思い出し、頭を抱えて崩れ落ちる。
すっかりと忘却の彼方に追いやられていた自分の記憶容量の少なさに驚きを隠せない。
「そうだよ、今はこの怪奇現象を収めないと、母さんたちに相談もくそもできないじゃん……! とにかく早く山に行かなければ……!」
「山? 山って……三代山? なんで?」
問いかけられて、あ、と言葉に詰まる。
(喋りすぎた……)
この現象の一端が自分である——ということを自ら告発する勇気は、倖にはなかった。
「——こ、この現象に詳しい人たちが、山に行けっていうから、向かってる途中なんだ」
「詳しい人?」
「えっーとね、郷守っていう名前の霊能力者みたいな人たちの集まりで……この町を怪異から守る人たちなんだって。化け物をグーパンで殴る軍人とか、数珠飛ばす尼さんとか……。あ、あと、胸にスイカくっつけてる女王様」
「最後に凄いのが出てきた気がするけど……つまり、この怪奇現象に対処できる人たちってことよね? ならその人たちがなんとかしてくれるでしょ。わざわざ化け物いる所を出て寺に行く必要なくない?」
「いや、それが、そういうわけにもいかなくて……」
「……もしかして、その刀もその人たちから渡されたの?」
「え、うん、まあ、一応……」
「いや、待って。意味わかんなくない? なんで霊能力者だっていうのに、この現象をなんとかしてくんないわけ? しかもあんたに山に行けと行ったくせに、なんで一緒にいて守ってやらないの? 武器だけ渡して行ってこいなんて、酷くない?」
「あー……まあ、そうだけど……」
「化け物のことはその専門家たちがなんとかしてくれるし、なんでだか知らないけどここは安全みたいだし、解決するまでここにいればいいじゃん。ねえ、そうしなよ」
そう言って倖の手を握り、引き留める朱里亜。小刻みに震えている手と、必死の形相で懇願する顔——その姿は、明日花と重なった。
倖は困ったように眉を潜めた。
朱里亜の言っていることは正しい。本来、ただの女子高生である倖に背負えることではないのだ。
そしてこのセリフが、倖を心配する気持ちから来ていることもその表情を見ればわかる。彼女の思いを無碍にすることは憚られた。
けれども、原因を作った身としては責任を持って現状を対処する覚悟が倖にはある。
「はざ……朱里亜、私は……」
その思いを口にしようと、口を開こうした時だった。
視界の端に何かが映る。無意識に視線を向けてみれば、二階へと続く階段をふわふわとした足取りで上がっていく後ろ姿。
倖らと同じ花郷高校の女生徒の制服と、セミロングの髪に、一瞬青いカチューシャを確かに見た。
「明日花?!」
「!?」
突然張り上げた声に驚いて拘束を緩めた朱里亜の手から抜け出し、明日花らしき姿を追いかける。
やはり見間違いではない。その後姿は紛れもなく、蛇のような黒い影の化け物に取り憑かれ、姿を消したはずの三代明日花のものであった。
「明日花! 待って! ストップ!」
急いで階段を駆け上がるが、既にそこに明日花の姿はない。
だが、階段から遠く離れた奥の扉が閉まるのを目撃し、慌ててその部屋に駆け寄る。
重厚そうな扉には、『大会議室』というネームプレートが掲げられていた。
ゆっくりと扉を開けると、そこは厚いカーテンが閉じられ、会議に必要な機材が置かれた暗い空間だった。
その静寂は、倖の鼓膜を圧迫し、視覚と聴覚から与えられた緊張感に心拍が大きくなり、無意識に唾を飲み込む。
「あ……明日花~、いる……?」
大声を出すと、物陰に隠れている何かが出てきそうな気がして小声で呼びかける。返事はない。
扉を開けっぱなしにし、刀の柄に手をやりながらゆっくりと足を踏み入れた。
壁には使われていないテーブルや椅子が立てかけられ、段ボールがあちこちに置かれた薄暗い室内。
視界はかなり狭められている——筈だったのに、上座の付近のホワイトボードの前に立つ明日花の後姿が、はっきりと見えた。
「明日花!!」
駆け寄る。
しかし、明日花の肩に手を置こうとしたのと同時に、明日花の姿はぱっと消えてしまった。
まるで最初から何もなかったような空間が広がった。
今のは幻覚か、それとも幽霊か……と茫然と固まる倖が、明日花が立っていたその場所に一冊の本が、開かれたままの状態で置かれている。
何の気なしにその本を手に取った。本は薄く、読み手が少ないのか目立った汚れはない。
窓に寄って、少しカーテンを開けて本の中身を確認する。
『かつて、花郷町は一つではなかった』
最初の一文は、そんな言葉から始まっていた。
『町には海側と山側に、二つの村があったのだ。正式な名は伝えられおらず、村を挟んだ中間にあった峠を境界として、山の村、海の村と呼ばれていた。
この二つの村は、自分たちの村の人間以外に対しては非常に攻撃的で排他的であったらしい。
近隣の町の歴史書に記載が殆ど無いのはこれが理由であろう。
それは峠を挟んで隣同士であった双方の村であっても変わりはなく、山の民も海の民も、互いの村を忌み嫌っていた。
何故、この二つの村がいがみ合っていたのか。正確な理由は知られていない。
わざわざ殺し合い、憎しみあう者同士が隣り合って住むというのもおかしな話だが、本人たちにとっては至極当たり前のことであり、憎み合うのは当然のこと。
とかく、二つの村は長い間不仲であった。
二つの村に、更なる亀裂が入ったのは明治後半。
天災によって、山の民は全滅の危機に陥った。
山の民は恥も外聞も投げ捨てて海の民に助けを求めた。
しかし、海の民はそれを無視し、山の民の不幸を嘲笑い、全滅を望んだ。
だがその後すぐ、海の民にも不作と不漁が続き、こちらも滅びる寸前まで陥る。
双方の村を襲った不幸は一年ほどで収まった。
だが、残された人々の怒りの矛先は互いの村に向けられた。
海の民が『山の民の呪いだ』と怒れば、山の民は『天罰だ』と罵る。
災害を引き金に、以降山の民と海の民は些細な事でも争うようになり、その水掛け論は数十年近く続いた。
その争いの最中では、多くの命が奪われた。
憎しみ、嫉み、悲しみ、恨み、妬み、そして、怒り。
負の感情が積み重なり、渦巻くその大地には呪いや怨みに満ち溢れ、各々の教えを広めようと訪れた神職や僧侶らから「過ぎたる業が存在している」と恐れられ、彼らは一日と持たずこの土地から逃げ出した。
その話が広まって、この土地は『過業』と呼ばれるようになる。
忌み地として近隣の村々から恐れられるようになったのだ』
「……うわー……意外と深い過去あったんだな、花郷町……」
その後もペラペラと読み進めてみるが、土地や気候のこと近代化の始まった昭和以降の話などが纏められていて、興味がそそるものはない。
まるで明日花に『読んで』と言われんばかりに置かれていた本だったが、何の意味があったのだろうか。
持って歩いても邪魔だし、本をカウンターに戻したその時だった。
重々しい金属音、大きなものが幾つも倒れるような爆音が響いた。
文字通り、飛び上がって驚く。
音の出所に思い至って慌ててそちらに向かうと、入ってきた下座の扉が閉められ、その前には長テーブルや椅子がパズルのよう似組み重ねられた上で扉を塞いでいた。
「え!? な、何だこれ!?」
目を白黒させて驚く倖。
だが、背後から迫る悍ましい悪寒に、飛び退くように振り返った。
そこに立っていたのは、事務所に居た筈の想宇流だった。
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