少女の葛藤
倖が知っている羽間朱里亜は、大きな目にばちばちの長いつけまつ毛と濃いアイライナーが特徴的な、まるでキャバ嬢のような顔。
が、今そこにいるのは一重の瞳だが、素朴で愛嬌のある、なかなか可愛らしい顔立ちの少女だ。
同一人物だとは思えないし、言われてもなかなか信じられるものではなかった。詰め寄り、朱里亜の顔を無遠慮に覗き込む。
「は、え? 嘘、マジで羽間妹? 面影無っ!」
「う、うっさい! 見んな!」
「え、なんでよ。ってか化粧しない方が良くない?」
片腕で無遠慮に距離を詰めた倖の肩を押しやり、片方の手で自分の顔を隠す朱里亜。
倖は普段とのギャップに、素直に称賛した。
だが、返ってきたのは怒りの籠った形相だった。
「あんたには関係ねーだろ! じろじろ見んじゃねーよ!」
「おわっ!?」
下から払い上げられた掌を、慌てて一歩引いて躱した。
言葉ではなく暴力で返した事と睨む瞳が普段の朱里亜の様子を思い出させ、かちんと頭にくる。
一気に冷静になって朱里亜を睨んだ。
「……あのさ、じろじろ見るなはこっちの台詞なんだけど。いつもいつも羽間兄のついでにいるくせして、何にも言わずメンチ切ってくんの止めてくんない?」
「は? メンチなんか切ってないし。被害妄想おつ」
「へー。その割にはよく目が合うし、その都度あんたはお返事くれてるよね~。なに、私の事そんな気になるの? 悪いけど私ノーマルだから」
「はあ!? ふざけんなし! きめえこと言ってんじゃねーよ!」
化粧を落とした彼女の迫力はいつもより半減している。
けれども口や態度の悪さ、短気具合は兄を彷彿させ、苛々を加速させた。
「ソウデスカー。なら、兄妹揃って勝てない喧嘩売ってくんの止めてね。マジで迷惑だから」
「っ……!! あんたこそ三代のおまけのくせに、でけー面してんじゃねーよ!」
「はあ~? 三代のおまけって、なんで雄翔たちが出てくんの?」
「だってそうじゃん! 幼馴染だかなんだか知らないけど、いっつも三代の連中とつるんで好き放題やって! 勉強や部活だって先公たちにも贔屓されてるし、マジでむかつくんだけど! ぜってー三代の権力の笠に着てんじゃん!」
「はぁ〜!? なにそれ、言い掛かりにも程がある!」
倖は成績は良くも悪くも真ん中の順位をキープしており、部活は大会には出させてもらっているが、幼い頃から習ったお陰でそこそこの実力があるだけで、贔屓された訳では無い。
「じゃなきゃ、あんたなんてそこら辺の低レベルなブスでしかないでしょ!」
「はあ!? ブスとは失礼な! 普通だ! 確かに雄翔たちとは仲が良いけど、友達なんだから当たり前だし、ってかいつも雄翔たちと一緒ってわけでもないし!」
「は、どうだか! あんた、友達とか言ってるけど、本当は三代雄翔と付き合ってんじゃないの? 呼び捨てなんかしちゃってさ。しかもあいつが親しくしてる女ってあんただけらしいじゃん? いいわね、見た目はいいし、頭もいいし、家は権力者だし。さぞやご自慢の彼氏でしょうねぇ」
「どこ情報だってのそれ!? あいつ他にもちゃんと女友達いるし! ってか彼氏じゃないっつーの!」
「うわ、必死。ウケる~」
漫画や小説で言えば、主人公の周りにいるクラスメイトや通行人と言った一般人を自負している倖。
そんなモブ人生に彩りを与えているのは絶大な人気を誇る幼馴染たちであることは確かだ。
勿論、彼らの人気のおこぼれを賜っているつもりはない。倖としてはただ『友人と毎日を過ごしている』だけだ。
だというのに、その立ち位置を妬み、朱里亜のように勘違いして言いがかりをつけてきた連中は、かつてよくいたものだ。
久しぶりにその種の勘繰りをされて否定するも、ムキになったような言い方がまずかった。朱里亜が勝ち誇った笑みを浮かべられる。
「つーか、三代も三代だよ! この町の顔役の寺の一族だか何だか知らないけど、その家の子供だけのくせにて威張り腐ってさ! いつまでもかび臭い習慣に縛られて、これだから田舎は嫌なのよ! あー気持ち悪い! 普通に住んでるお前らも頭おかしいんじゃないのっ!?」
ばんっ!!
朱里亜が口汚く言い放ったのと、トイレの出入り口の扉が勢いよく開け放たれたのは同時だった。
飛び上がらんばかりに驚いて振り返った倖が見たものは、猟銃を構えた田代。
思わず両手を上げて、倖はフリーズした。
「て、てててて鉄じい!? びびびびくっりした! 何、いきなり何!?」
「……いつまでも戻ってこねぇし、言い争う声が聞こえたんでな」
言いながら内部をぐるりと見渡し、何事もないことを確認した田代は渋い顔をしたまま猟銃を下ろす。
「こんな時にこんな場所でなにやってんだ、倖。たまには空気読め」
「読んでる! 読める方です! ってか鉄じい、子供たちの見張りは?」
「若造に頼んできた。見張りくらいならできるだろう。それより……」
ちらりと動いた視線は朱里亜に向けられ、鋭いそれに充てられた朱里亜はびくっと体を揺らし、視線を床に落とす。
「……お前さんも無事だったか」
「………………はい」
「ん?」
どうやら二人は知り合いのようだ。以外な組み合わせに、倖は無言で二人を見る。
「ずっとここに隠れておったのか?」
「い、いえ……さっき、来て……まっすぐ、ここに隠れました……」
「そうか……」
「……鉄じい、羽間妹と知り合い?」
「羽間妹? ……お前さんが、羽間の娘?」
会話が途切れたところで尋ねると、田代が目を丸くして朱里亜に問いかける。
だが、朱里亜は答えなかった。
言葉を読むに、二人は顔見知りだが、田代は朱里亜が羽間家の人間だということは知らなかった様子。
(……一体、どういう関係だ?)
田代と朱里亜の間に流れた微妙な空気に、取り残された倖は、え? え? と二人を交互に見やり、頭を捻る。
「ねえ、鉄じい。この空気は一体何? 羽間妹と知り合いだったの?」
「……だからお前は、空気を読め」
重い空気を意に介さず尋ねる倖に、田代は呆れた視線と溜息を送り、もう一度朱里亜を見やる。
「羽間の嬢ちゃんよ。あんまりこいつを馬鹿にしないでやってくれねぇか。こいつだって、色々苦労してるんだ」
「っ……田代さんまで……!」
がばっと顔を上げた朱里亜の瞳は潤ませ、悔しそうに歯を食いしばっている。
「こいつだって、お前さんと同じだよ。転校してきたときは、色々言われていたもんな?」
「え……?」
信じられないといった表情で倖を見る朱里亜。
確かに倖は産まれも育ちも花郷町の生まれと思われがちだが、実は小学二年生の頃に県外から引っ越してきた身である。
曾祖父は祖父母と三人で暮らしていたが、祖父母が相次いで亡くなり、一人になってしまった曾祖父を世話する為に、一家で引っ越してきたのだ。
天野家とご近所さんでもあった三代寺の人間と親交が深く、たまたま同い年の、しかも同じ剣道を習う子供がいた為、必然的に交流は増え、子供同士の付き合いも多くなる。
だが、当時から異彩を発揮していた雄翔は女の子たちから大人気で、いつも行動を共にする新参者は一気にやっかみや嫉妬を受けて陰口や嫌がらせの対象となったのだ。
「あー……まあ、確かにめっちゃ悪口言われましたねー。当時の雄翔の取り巻きから、いい気になるな~とかブス〜とかめっちゃ言われたし、漫画でよく見るイジメは一通りされたかな」
私物を隠されたり、水を掛けられたり、悪口を言われたり、無視をされたり。
陰湿で陰険ないじめの内容を思い出し、何とも言えない顔をしながら後頭部を掻く。
「けどな、こいつは親にも三代の連中にも頼らねぇで、全部一人で解決したんだ。
陰口現場を見かけたら乗り込んで反論。嫌がらせを受けたらあらゆる手段を用いて犯人を特定してやり返し。手を出しようもんなら殴り合いも辞さねぇからな。
そうしたことを地道に繰り返した結果、周りがこいつの人間性を理解して、受け入れた結果が今なんだよ。お前さんが思っている、三代の威光を笠に着て、なんてことは断じてねぇ」
「で、でも……」
「俺が手助けしようとしたら、要らん! って言いきったんだぜ。当時から利かねぇ子供だったんだぞ、こいつ」
「当時からって。今は違うっしょ?」
「どうだか。まあ、そんなことやってるもんだから、周りの連中は一目置いてるんだ。贔屓じゃねぇ」
「そ、そんなの、屁理屈です! 一目も贔屓も同じですし……!」
「つーか、贔屓贔屓っていうけど、今日だって私ヨネちゃんに怒られて罰として一人で教室掃除させられてたんだけど」
「は……?」
倖が発した突拍子もない出来事に、朱里亜は間抜けな顔で聞き返した。
「いや、終業式の時、居眠りこいてたら見つかってね。そう、聞いてよ鉄じい! クラスの連中酷いんだよ! だ~れも手伝ってくれないでやんの! 普通、一人くらい手伝ってくれるよね!?」
「なにやってんだ、お前……。罰なんだから当たり前だろ。それか、お前に人望が無ぇんだよ」
「ひでぇ……。……とまあ、こんな感じで、贔屓されてたら一人罰掃除とかさせられないでしょ。これのどこが先生に贔屓されるわけ?」
朱里亜は答えない。自分の思っていたこととの相違に言葉を失っているようだ。
「友達も誰も助けてくんないし……あ、なんだか切ない。やっぱ人望ないのかな、私……」
「そうかもな」
とにかく、完全論破だろう。
「三代の連中のことだってそうだ。確かに発言力はあるし、町の連中から何かと頼られてはいる。が、あいつらも悩みや葛藤が無ぇわけじゃねえ。人には話さないだけで、お前さんも悩みや苦労があるだろう。それと一緒だ」
「っ……! た、田代さんに何が分るんですか……!」
「ああ、俺はお前さんの事情を何も知らねぇよ。何も話してくれなかったしな」
その言葉に、朱里亜の表情が変わる。
年相応か以下か、頼りなく不安そうな子供のようなそれ。
倖はすっかり置いてけぼりだが、朱里亜の表情の変化に、静かに展開を見守っている。
朱里亜は言葉を選んでいるかのように口を戦慄かせ、逡巡した後、恐る恐ると言った体で言葉を絞り出す。
「……は……話してたら……助けてくれたんですか……?」
「さあな。聞いてみねぇと分かんねぇよ」
返ってきたのは、田代なりの返答。
朱里亜の顔から一瞬で表情が消える。
「っ……!! そ、そん、なの……そんなの、助けてくれないと言ってるのと同じじゃん!!」
ぽろり、と朱里亜の両目から大粒の雫が零れ落ちた。
怒鳴るや否や、朱里亜は手近な一番奥のトイレに飛び込み、大きな音を立ててて鍵を閉められた。
しん、と静まり返ったトイレ内。
暫くして、田代は大きな息を吐き、後頭部を掻いた。
「失敗した」
「は?」
「どうにも俺は慰めるとか助けになるとか向いてねぇようだ。後は任せた」
くるりと踵を返す田代。
「は? ちょ、鉄じいさん? それはちょっと無責任では?」
「仕方ねぇだろ。俺は昔から口下手なんだよ。よく家内にも怒鳴られていたもんだ。お前は喋るな、余計なことをするなってな」
「いやいやいや、だからってこの状況を放り投げるって、人間としてどうかと思う」
「別に俺は出来た人間じゃねぇからな。……羽間の嬢ちゃんの力になれたらいいと思ってるのは本当なんだがな……」
出ようとする田代の背中を追おうとした。
しかし、最後の言葉に込められた優しさに気付いて、勝手に足が止まった。
それと同時に、鼻先で女子トイレの扉が締められた。
お読みいただき、ありがとうございました(*^^*)




