花郷町営図書館
駅舎を出たところで、ふ、と三人に黒い影が差した。
「ん?」「え?」「あ?」
三人の視線が同時に上へ向いた。
そして、目を見開いてか固まった。
——そこにいたのは、巨大な頭の人間。
頭に対して体はとても小さく、両手を体にぴったりとくっつけ、両足も隙間なく合わせ、かなりぴっちりとした気を付けの姿勢で立ち、倖たちを見下ろしている。
巨大な頭には相応の目と鼻と口がついており、巨大な口から覗く歯は赤く、髪の毛がごっそりと挟まっていた。
「ぎゃあああああああああああ!!!!!!!!」
「巨頭オ! 巨頭オじゃないか!! 本当にいたんだ!!」
「何あんたちょっと感動してんのよ!?」
巨頭オは、これまたネット発祥の怖い話で、短文ながら印象的な語りに多くの読者が引き込まれた。
かくいう倖もその一人で、日本の南の方にその看板を発見したというまとめサイトが上がっていたのを見たことがある。本物かどうかは定かではないではないが、いつか行ってみたい候補ではあった。
それがまさか地元で見られるとは。まるで某映画の巨大なもふもふ精霊に会ったようで少し感動していたのは否定できない。
真っ先に悲鳴を上げて逃げ出したのは想宇流だった。弾かれたように朱里亜も走り出し、一拍遅れた倖は朱里亜に手を引かれて走り出す。
「え? ちょ! 私が行きたいのはこっちじゃ……!!」
羽間兄弟が向かう方向は、倖の目的地である三代山とは真逆。方向を正したいのだが、必死な形相の朱里亜には届いていない。
想宇流は絶叫しながら無茶苦茶に走り回っている。その様子は端から見たら異様で、怪異たちもそんな彼の様子に恐怖したかのように避けるように道を開けた。さながらモーゼの十戒だ。
「あああっ!! お、おーい! 助けてくれぇ!!」
不意に想宇流が正面に向かって声を上げて大きく手を振っている。
なんだ、と倖もそちらを見やれば、町営図書館の敷地に入っていく人影が見えた。
はたしてあれが本当に人間なのか倖には見当がつかなかったが、想宇流は何も考えずに人影を追う。
広い駐車場の向こうにある図書館は、新しく建てられた二階建ての建物だ。
その横に、平屋の旧図書館がひっそりと佇んでおり、現在は物置になっている。二棟は一階にある渡り廊下で繋がっていた。
人影はどこにも見当たらなくなっているのに、想宇流は真っすぐ人影が入っていったであろう新館に向かっていく。
玄関は自動ドアとなっているのだが、開くことはなく。
想宇流は流れるように自動ドアのガラスに衝突、まるでコントであるかのように崩れ落ちた。
「うっわ……あそこまで行ったら最早哀れだ」
「だっさ、ウケる」
背後でせせら笑う女二人など目もくれず、想宇流は自動ドアを手動で慌ただしくこじ開け、隙間に身を滑らせて中に入って行った。
玄関まで追い付いた朱里亜も後に続こうとしたが、倖が足を動さないので後ろに引っ張られる形となる。
「ちょっと、何してるのよ。さっさと行くわよ」
「いや、行くわよって……。ってこ、いつまで手握ってるの?」
「え? あ……!」
指摘され、思い出したように手が離される。ずっと握られていた倖の手は赤く熱を持っているが、それと同じくらい朱里亜の顔も赤くなっていった。
「あ、あんたがぼけっとしてるから悪いんじゃない!」
「や、確かに見たかったキャラに出会えて嬉しくて反応遅れたのは否定できないけど、普通に逃げれたし、手を引っ張られるほどではなかったんだけど」
「……余計な事をしたって言いたいの?」
「え? いや、別に余計なこととは……」
吐かれた悪態にいつも通りに返してしまったが、彼女の消えた表情を見てその対応は間違っていたと察する。
素直に礼を言うべきだったと慌てて礼を言おうとしたが、朱里亜はふんっ! と鼻息を荒くして想宇流の後を追った。その瞳が潤んでいたのを、倖は目聡く気付いてしまう。
「なんだよ、羽間妹……調子狂うなぁ」
何とも言えない後味悪さを感じながら、二人の後を追う。
「ちょっと」
突然、背後から声を掛けられ、飛び上がりながら振り返る。
そこにいたのは、派手な着物を着崩した長身の美女だった。わざと開けているのか収まりきらなかったのか、胸元の裾から豊満な谷間が惜しげもなく露出している。それがちょうど倖の目線の位置にあるものだから嫌でも視線に入ってきた。
「でっか……メロン、いや、スイカじゃん」
「は?」
思わず零れた呟きに、女は綺麗な顔を歪める。胸の下で腕を組み、モデルのように立つ彼女は女王様のようだ。鋭さを宿す切れ長の瞳は忌々しそうに倖を見下ろすが、倖の呟きを聞かなかったことにしたようで肩に掛かる長い髪を綺麗な指先で後ろに払った。
「あのね、貴女にここに来てほしくないんだけど」
「は、は?」
「ここに入るなって言ってるのよ」
「え? な、なんででしょ?」
「貴女、天野倖よね?」
「そ、そうですけど……もしかして、あなたも郷守さん……?」
「ほらね。この現象の元凶。貴女は厄介事を運んでくるのよ」
やはり、郷守の謎の情報網で倖のことは知られているらしい。しかし女は倖の質問には答えず、辛辣な言葉を投げ掛ける。
元凶とストレートに言われて、倖は体を射抜かれたような衝撃を受けた。
フジの『誰の所為だ』という言葉、セツの『貴方がやらねばならない』を思い出す。二人は倖に対して怒りは見せたものの、どちらかといえば気遣うような優しさがあった。
だが、この女からはそれが感じられない。
ただただ怒っている。
明日花を助けると決めた覚悟とセツに貰った勇気で持ち上げていた気持ちが挫けそうになる。
少し泣きそうになって、耐えるように口をへの字に曲げた。それに気付いた女は、嘲るように鼻で笑った。
「ちょっと、何泣きそうになってるのよ。まるで私が虐めたみたいじゃない」
「そう感じてますけど……」
「冗談じゃないわよ。事実、三代山の封印を解いたのは貴女でしょう」
「封印……や、やっぱり、あの祠? 社? と注連縄にはそういう役割があったんですか?」
思わず聞き返す。
すると女は驚いたように目を丸くした。
「……貴女、まさか、自分の郷守になにも聞いていないの? 貴女は……」
何か言おうと口を開くが、倖の背後を見て、はっとして顔を引き締めた。
「とにかく、貴女はここにいては駄目。さっさと三代寺に向かうのよ、いいわね」
「え、ちょっと、待っ」
そう言って美女は着物を翻しながらくるりと踵を返す。漸く話を聞かせてくれそうな人と出会えたと思い慌てて引き留めようとしたが、そんな倖の腕を背後から掴む者がいた。
「君、何をやってるんだ! 早く中へ!」
「へ!?」
そこにいたのは年若い男性警官だった。
警官は自動ドアを更にこじ開け、有無を言わさず倖は中に引き摺り込まれる。倖をロビーに放ち、自動ドアをしっかり閉め直して下の方にある鍵を掛けてから、再び倖の前に戻ってきた。
「よし、もう大丈夫だ。怪我はないか?」
「あ、は、はい……ありがとうございます」
「いや、気にするな。それよりも……」
警官は三十代くらいだろう。体格が良く、真面目そうな雰囲気が顔に出ている。太い眉の下の大きな目が、ジロリと倖の刀に向けられた。
(あ! 銃刀法違反だ!)
慌てて背中にやるが、隠し切れていないし時既に遅し。
「これはっ、その、家にあったやつで、私、剣道やってるから、護身用にって……!」
「……まぁ、こんな異常事態だから大目に見るが、扱いに気を付けるんだぞ」
「は、はぁい……」
「二階に行こう。友達が待ってる」
慌てて適当に誤魔化すと、警官は渋々納得はする。こんな状況でも市民優先の仕事ぶりを見るに、どうやら誠実な人物のようだ。
警官の先導で奥にある階段から二階に向かう。それに続きながら首を傾げる。はて、友達とは誰のことだろう?
「……ああ、羽間兄妹?」
「ん? はざま? もしかして、今来た彼が羽間想宇流?」
「そうですよ。噂って?」
「ああ、噂というか、署内で要注意人物としてマークされてるんだ。俺は故郷のこの町に戻ってきたばかりで彼らと関わったことはないんだが、相当な問題児だそうじゃないか」
「あー、そうですよ。学校でも転校早々やらかしてますからね、あの兄は。あいついるところには大体……」
何か起きるんですよね、と言いかけた時だ。
ガタン! と大きな音と悲鳴。警官が腰のホルダーから拳銃を取って走り出したので、倖も後に続く。
二階に上がるとすぐ貸し出しカウンターがあり、その奥には職員事務室がある。警官はそこに飛び込んで行った。
「おいおい、田代さん! なにやってるんだ、あんた!」
「喧しい。静かにしねぇか」
入ってすぐ警官が声を荒げると返ってきたのは嗄れたガラガラだが重みのある渋い声。驚きながら警官の背中越しに室内を覗くと、白髪頭の老人が猟銃を構え、その銃先には青い顔をした想宇流が尻餅を付いていた。
「早く猟銃を下ろせ!」
「お前のような若造に指図される理由はねえ。ほれ、さっさとここから出て行け、糞餓鬼が」
田代と呼ばれた老人は三白眼の鋭い瞳だけを警官に向けた後、銃口を想宇流の額にごりっと押しつける。
想宇流は「ひいいっ!?」と情けない声を上げ、四つん這いで警官の足にしがみついた。
「お、おまわりさん! このキチガイ、俺を殺そうとしやがった! 早く逮捕してくれよお!」
「落ち着け。田代さん、一体何があったんだ?」
「はん。糞餓鬼が年功序列がどうこう喧しいから軽く説教してやっただけだ」
よくはわからんが、猟銃を使うのはやり過ぎだ。時と場合によっては現行犯逮捕だぞ」
「はっ、何も知らねえ癖に、知った口をきくんじゃねぇ。現行犯逮捕なんざ、できるもんならしてみな」
くくっ、と皺の多い口元を歪めて嗤う田代に対し、勿論そんな場合ではないことをわかっている警官は悔しそうにぐっと口を結んだ。
そこに、ひょこっ、と倖が前に出る。
「あの、もしかして、田代鉄市さん? 花小の用務員の……」
花小とは、花郷町立小学校の略称である。フルネームで呼ばれた田代は猟銃を肩に抱え、片眉を上げて倖を向いた。
「……用務員はもう十年も前に退職したわい。……お前、もしかして」
「やっぱり! 鉄じいだ! 覚えてます? 私、天野倖!」
「やはりお前か。変わらんな、“女番長”?」
「うわ、その呼び方久しぶりに聞いた」
にやりと笑う田代の傍に、倖は親しいものに向ける快活な笑みを浮かべて駆け寄った。




