追いかけっこ
モールを出る前に、倖は制服を着替えることにした。カタツムリ女との戦いで、少しばかり制服が溶けてしまったからだ。決して扇情的ではないが、これからのことを考えると、動き易い服に着替えた方がいいかもしれない。
そう思って、モールの一角で広々と構えるアウトドア・登山グッズ専門店で衣服や持ち物を調達する。
吸汗速乾タイプの白Tシャツにウィンドブレーカー、ストレッチ素材のカーゴパンツと小さめのデイパック——まるでハイキングをするようなアクティブな服装だ。刀は腰の剣帯に変らず差し、靴も今履いているものをそのまま利用する。履き慣れていないものは足が痛くなるからだ。
突飛な思いつきだったが、服を改めたのは正解だったようだ。
「もおおおおおおおっ!!!!!!」
彼女は今、全速力で走っている——追いかけられてるのだ。
背後に迫るのは腰から下が無いセーラー服の女子生徒。
左右の腕を物凄い速さで交互に繰り出し匍匐前進のように道路を這う。
生気の無い骸骨のような顔に乗っている窪んだ眼孔は真っ黒だというのに倖に狙いを定め、ぱさぱさに乾いて歪んだ唇は、「わたしのあし……わたしのあし……わぁたぁしぃのぉあぁしぃ……」と、譫言のように何度も何度も繰り返している。
「てけてけ! まじ本物! くっそー! こんな時じゃなかったら写真撮りたかったのに!」
てけてけ。寒さの北国で電車に体を切断させられた女子生徒が下半身を求めて人を襲うという有名な都市伝説だ。
色々あったが、本来の倖はオカルトマニアにしてホラークラッシャー。怖い話に精通し、寧ろ進んで怖い体験をしに行くという度胸の持ち主だ。
書籍やネットなどで有名な怪異たちがあちこちに出没している。オカルト好きとしてはかなり垂涎かつ興奮ものだというのに、スマホが使えず、写真にも動画にも収めることが出来ないなんて、歯ぎしりするほど悔しかった。
倖が見かけたのはテケテケだけではない。
ネットで有名になった八尺様や、ぼろぼろになった人間を引きずる、顔面傷だらけの醜い少女、ヒキコさん——そんな超有名な怪異も見かけた。
だが、出会えば必ず戦うことになる。
そう思って後ろ髪を引かれる思いで避けてきた。
だが、うっかり油断してテケテケと出会ってしまい、今の追いかけっこをしている状況に至っていた。
てけてけに追い付かれたら腰から下を切断され、持っていかれてしまうとされている。
彼女から逃れる方法は角を曲がること。そうすれば物凄いスピードで追い掛けてくるてけてけは曲がり切れず、そのまま直進して消える……勿論、倖もその方法を知っており、試した。
しかしどうしたことか、このてけてけは塀などの壁を走って見事なカーブを繰り出し、死に物狂いで倖を追いかけてくる。運動馬鹿と揶揄されることも多い倖だが、流石に体力に限界があった。
「くぅ! 流石にしつこい! そんな親の仇みたいに付いてくるなよなぁ!」
幾度目かの角を曲がり、そう背後に向かって怒鳴った倖の視線に飛び込んでくる踏切。
カンカンと警報が鳴り遮断機が下りる。立ち止まって電車の通過など待っていたら、どんどんと距離を詰めてくるてけてけに捕まってしまうだろう。しかし既に電車の先頭が見えていた。
「やばい! 電車が来る前に踏切を……行くわけないだろうぶわぁーか!!」
てけてけのホームグラウンドともトラウマポイントとも呼べる踏切を前に突っ込んでいくほど倖も馬鹿ではない。
遮断機をくぐるふりをして、今度は倖が急カーブをお見舞いする。猛スピードで動く電車をうまく利用することができなかったのか、てけてけは車輪の下に消えていった。
背後でぐちゃぐちゃと非常に不愉快で生々しい音が響いているが、聞こえないふりをして全速力で踏切近くにある花郷駅に向かう。
電車が来たという事は人がいる。駅員なり乗客に助けを求め、救急車や警察……いや自衛隊に連絡してもらえることができるかもと思ったからだ。
(この怪異に対処できるかは知らないけど!)
花郷駅は田舎によくある小さな駅舎だ。出入り口は上部がガラスのアルミ戸、さほど広くない中には固いベンチ数席。券売機が二つと、駅員が在中する窓口、奥には禁煙ブームに則って増設された喫煙スペースがある。
倖は駅舎に転がり込んだ。すると改札向こうのホームに、待ち構えていたかのように先程の電車が到着する。甲高いブレーキ音を立てて徐々に減速、改札と向かい合うように、両開きの自動扉が開かれた。
「ナイスタイミンぐぇ!」
改札を駆け抜けようとしたところで、背後の刀が改札に引っかかる。勢い余って倖の身体は後ろに飛んで尻餅を突くことになった。
フジから託された刀を忘れていたわけではないが、刀はまるで倖の体の一部となったように持っていることを感じさせなかった。
「いっでぇ〜……! ん?」
思い切り打った臀部を擦りながら立ち上がると、ふと気付いた。
何故か、電車から誰も降りてこず、また発着のアナウンスがかからないことに。
「で、電車だ! 電車が来た!」
突然、喫煙スペースの扉が勢いよく開いた。
その騒々しさに振り返ると、そこからわらわら人が出てくる。
「退け! 邪魔だ!!」
「うわっ!?」
中年サラリーマンが改札を塞ぐように立つ倖を突き飛ばそうと腕を振り上げるが、慌てて退いて事なきを得る。
中年サラリーマンは我先に電車に飛び乗り、その後を若いカップル、中年のおばさん、大学生くらいの青年……彼らを見送って初めて電車の全体像を見やる。
先頭車両は電車と言うより汽車。しかもシックな黒いデザインではなく、遊園地にあるようなポップなそれだ。必死に逃げる彼らはその異様さに気付かない。
最後に喫煙スペースから出てきた倖と同じ制服姿の男女二人組が視界に入った時、倖は目を見開いた。
見覚えのあるチャラ男とギャル——
「羽間兄妹!?」
「!?」
先方は妹の朱里亜が倖に気付いた様子だが、兄の想宇流は逃げるのに必死で気付かず、改札を抜けようとする。
「あ! ダメだ!!」
「ぐえっ!?」
慌てて刀で通せんぼ。想宇流の腹部にそれが思い切り激突。崩れ落ちた際、今度は刀が顔面に当たったようで、呻き声を上げて床に蹲った。
「あ、あんた、天野……? 何を……」
青褪めた朱里亜が怯えた顔で倖を見る。
「で、電車に乗っちゃ駄目だ。あれは違う」
「は……? 何、言ってんの……?」
「あれは多分、猿夢だ。……と思う」
倖がその名を口にした瞬間、ぷしゅ、と音を立てて電車の扉が閉まった。「あ!?」と想宇流が四つん這いで電車に向かおうとするが、倖はその背中を踏みつけて更に体重を掛けてその動きを阻害する。
ゆっくり、ゆっくり動き出した電車の中から、恨めし気にこちらを睨む猿顔の車掌の姿が見えた。ぞっと立った鳥肌は武者震いのせいだろう。
「やっぱ猿夢か。まさに幽霊の正体見たり枯れ尾花、だな。ばれたから逃げるわけか」
猿夢。夢の中で、遊園地にあるような電車の乗り物に乗ったら、猿のような小人が現れて乗客を残忍な方法で殺すという都市伝説。
夢に出てくるはずなのになんでもありなんだな、と何気なしに電車が去った後を見やった。
——その瞬間、倖の思考はフリーズする。
向こう側のホームにある駅名の看板には見慣れた『花郷』の名ではなく、『きさらぎ』という文字だったからだ。
「え……え!? うわ、まじか! かの有名な『気のせいかもしれませんが』じゃん! 異世界じゃん! うわ、ハスミさんはいないの!? ほんと、なんで……スマホぉ!!」
「ちょ、ちょっと天野、あんた」
「て、てめぇ、俺を誰だと……げ!!」
羽間兄妹の声が重なる。想宇流に至っては鼻血を流しながら振り仰いで、自身を踏みつける相手をようやく知ったようだ。思い出したように想宇流から足を下ろす。
「あ、どーも、羽間兄妹。無事だったんだね」
「無事じゃねーよ! てめ、よくも邪魔しやがったな!!」
「邪魔とは心外だな。助けてやったのに。あの電車に乗ってたら、あんたらひき肉になってたよ」
「は、は? ひき肉? なに言ってんだお前。あ、頭おかしいんじゃねぇの」
「あんたに言われたくない」
この兄は心底好きではないのだが、乗れば死ぬとわかっている状況を見過ごす程堕ちてはいない。
(それでもやっぱり見殺しにしてやればよかったかなあ)
冗談とも本気とも言えない考えが過る。
自身のブラックな感情に罪悪感を覚える前に、これ以上この兄妹の相手は精神力と体力の無駄だとさっさと踵を返す。
「お、おい! どこ行くんだよ!!」
「三代山」
「はあ!? 化けもんがウロウロしてるのに、バカじゃねぇの!?」
「いや、私がどこに行こうとあんたには関係ないでしょうが」
「か、関係ないわけねーだろ! 見捨てんのかよ!」
「猿夢電車から助けてあげたじゃん。またあそこの喫煙スペースにいれば? 今まで生き延びてたみたいだし」
「じょ、冗談じゃねぇ! あんなきたねーしくせーとこ! くっそう、なんでこうなるんだよ……今日はママと買い物で新しい服買ってもらうはずだったのに……」
ぶつぶつと泣き言を言ってる想宇流をスルーし、朱里亜に視線を移す。
「そういえばババ……羽間のおばさんはどうしたの?」
「……知らない。地震の後、いなくなってた」
「……急に消えた感じ?」
「さあ? 逃げたとしても、あたしはともかく、あいつが想宇流を置いていかないと思うけど」
刺々しい言い方と内容に、ん? と疑問が過るが、朱里亜はいつものようにどうでもよさそうな顔で視線を逸らされる。
これ以上話すことはないと言わんばかりの意思表示に肩を竦め、倖は出口に向かった。
「とにかく、私は三代山に行くから。あんたらは好きにしたら」
「ま、待てよ! 置いていくなよ! 守れよ!」
意味の分からない台詞をほざく想宇流を放って駅を出る。慌てて立ち上がった想宇流と、無表情ながら何処か渋々と行った体で朱里亜も倖の後に続いた。




