尼僧
突然耳に届いた第三者の声に、倖は息も絶え絶えながらも目を開ける。
倖たちの周囲に小さな丸い球体が幾つも現われたかと思うと、それら全てが眩い光を放った。
「ぎゃあアアああアァァァあっッッっ!!?」
光を怯えるように顔を覆った明日花の口から怖気の走る絶叫が漏れ、弾かれたように明日花の体は廊下の端に飛ばされる。
そのお陰で触手が二人の身体から解かれるが、触手は蹲る小さな身体に吸い込まれていく。
「さ、沙夜花! 大丈夫か!?」
目がちかちかする。
瞬きしながら、酷い咳と空気の漏れるような呼吸を繰り返しす沙夜花の背を摩った。
首に残る跡が嫌が応にも明日花の本気さが伺えて寒気と怒りが湧いてくる。
「『おノれェエエエ……ダァアァれダああああアア……!!」』
明日花の声に誰の者とも知らない野太い声が重なる。
はっとして沙夜花を庇いながら刀の柄に手をやる。そこでようやく黒っぽい衣装を身に纏った後ろ姿が自分たちの間に立っているのに気付いた。
一瞬フジかと思ったが、その体は華奢で小さい上、着ているものもふわふわと緩い。
「……尼さん……?」
現れたのは、紺色の尼僧姿の女性だった。
倖らと明日花の間に立ち、拝むように手を合わせてはいるが瞳は鋭く明日花を睨んでいる。
明日花――いやあれは本当に明日花なのだろうか。顔はまるで溶けたように煙を上げている。蛇のような影が、そんな彼女の顔を修復しようと無数に蠢いていた。
気持ちが悪い。全身に鳥肌が走り、倖は目を逸らした。
「それでも三代の娘ですか、明日花。目を覚ましなさい」
「『……“郷守”カ……今ハまだ、分が悪イ……」』
「さともり……?」
始めて聞いた単語に、倖が反応する。
それが聞こえたのか、明日花が倖を一瞥。寂しそうに微笑んだかと思うと、明日花に纏う影が彼女の足元に広がった。
「待ちなさい、明日花!!」
尼僧が動いた。
首に連なる数珠が光を放ち、触れてもいないのに尼僧から飛んでいき放たれる。
数珠は螺旋を描きながら物凄い速さで明日花に向かっていった。
だがそれは黒い触手を幾つか千切り落としただけで、床に広がった影に溶けるように明日花の姿が一瞬で消える。
「明日花!!?」
「『待ッテテね、お姉チゃン』。絶対、一つになろうね。約束」
倖の呼びかけに、明日花のうっとりとした声だけが鼓膜に響き、やがて消えた。
「明日花……」
——静まり返った空間で、呆然としていた倖へ衣擦れの音が近づく。
「お怪我はありませんか?」
す、と落ち着きのある所作で尼僧が倖らの前に膝を折り尋ねてくる。鼻から下が薄いベールで被われて素顔は伺えないが、形の良い眉が垂れ、声色からも心配していることが伺えた。
「へ? あ、はい……。い、いや、あ、あの、明日花は! 明日花はどうなってるんですか!?」
「……あの子は、少々厄介な怨霊に取り憑かれてしまっているようです」
「とり、つかれて……?」
「……あす……か……」
「っ沙夜花!?」
呻くような声に沙夜花を見る。
床に転がったまま肩で大きく呼吸を繰り返しているが、意識は失ってしまっているようだ。その顔は苦しそうに歪んでいる。
「沙夜花っ!」
「沙夜花は大丈夫です。しかし、今は起こさないでくださいませ」
「でも、だって……!」
「障られておりますが、この程度なら私の力でもすぐに祓えます。ご安心くださいませ。しかし、今この子に起きられては少々厄介なので」
「さわられ……? ……触られ?」
苦笑した尼僧が、沙夜花の首に向けて人差し指と中指を揃えて向ける。
またも数珠が一粒首から離れ、沙夜花に向った。
数珠は沙夜花の前で静止すると先程とは異なる柔らかな光を纏いながら溶け出し、沙夜花の体を包んでいく。すると首の痣はみるみる内に消え、沙夜花の表情も穏やかなものに変わっていく。
「……これで大丈夫。沙夜花はわたくしが責任をもってお守りします。天野様はお早く、この町に蔓延る怪異——里侵を終わらせてくださいませ」
「へ?」
「え?」
間抜けな声を零した倖と尼僧の丸く見開かれた目が合わさる。
何を言っているかわからない。
が、尼僧も尼僧で何で不思議そうな顔をされるのかわからないといった表情だ。
「…………………………」
「…………………………」
「……フジ様と、お会いになられたのでは?」
「フジ様?」
「その刀は、あの方から授けられたのでございましょう?」
尼僧と刀を交互に見やる。
「……あの真っ黒い人のお知合いで?」
「はい」
「…………………………」
「…………………………」
「……あの、もしかして、フジ様から何も聞いておられないので……?」
「……聞くも何も、聞いたら余計な詮索はするなと言われてしまって、その後何らかの方法で気絶させられました。その後も、聞こうとしたら逃げられました」
「フジ様……。……まさか、お一人でどうにかなさるおつもりで……?」
尼僧が呆れたような表情で天井を仰ぐ。彼女はこの一連の出来事やフジの行動の意味を知っているようだ。
「……フジさんやお姉さんたちは霊媒師? 霊能力者? ワンチャン超能力者?」
「……そのどれでもございません」
恐る恐る尋ねると、尼僧が倖と視線を合わせる。
「え、じゃあ、あの、数珠が触ってもないのに飛んでって黒い触手を退治したのってどういう原理なんですか? っていうか、あのフジって人が骸骨を拳でぐしゃってできたのは?」
「それは……」
言うか言うまいか——尼僧が逡巡するように押し黙る。
「……あ!!」
不意に雄翔のことを思い出す。双子たちのことですっかり記憶から抜け落ちていたが、専門店エリアで負傷している雄翔を待たせたままだ。
「あ、あの、すいません、聞きたいことは山程なんですが、ちょっと待っててもらえます!? 雄翔が……この子の兄がシャッターの向こうで怪我してるんで、消毒液とか持ってきたいので!!」
「雄翔が? わかりました、わたくしも参りましょう。沙夜花と共に先に行っています」
尼僧はすくっと立ち上がり、気絶中の沙夜花を抱き上げる。
その華奢な身体の何処に力があるのか、軽々と沙夜花を背負った。
「モール内は、根城としていた元凶が消えたので安全ではございますが、くれぐれもお気をつけくださいませ」
「有難うございます! ほんとにこの裏のお店なんで!」
そう言って、倖は薬売り場に向かって全速力で走った。
カタツムリ女との戦いで薬品コーナーの棚も倒れ、商品があちこちに散らばっていた。
見覚えのあるパッケージを見つけると、転がっていたカゴに幾つか放り込み、雄翔の下へと急ぐのであった。
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