蛇
言い争いが止んだ。
明日花の言葉に、倖は双子を交互に見る。驚愕の表情のまま硬直している沙夜花に対し、怒りと悲しみを込めた表情で妹を見据える姉。
いつものおどおどした明日花の様子は微塵もない——それ程、彼女は己の言葉に自信があるのだろうか。
(そんな、まさか……)
沙夜花が明日花を嫌っている様子など、倖は見たことがない。寧ろ気弱な姉を守ろうとしていた記憶ばかりだ。
きっと明日花は何か見間違えて、沙夜花に対して誤解を招いてしまったのかもしれない。
「あ、明日花……混乱してる? 沙夜花が明日花を嫌いなわけないじゃん」
「お姉ちゃん……じゃあ、なんで沙夜花ちゃんは何も言い返さないの?」
「それは、沙夜花も……えっと、そう、混乱してるからだよ。いきなりそんな事を言われたら、誰だって驚くし……」
「……そうなの、沙夜花ちゃん?」
不満そうな顔をしながら尋ねる明日花。
だが沙夜花はなにも言わない。それに対して、明日花はほら見ろと言わんばかりに倖を見上げてみせた。
(沙夜花……なんで何も言わないの……?)
このままでは明日花の言葉が真実である可能性を高めてしまう。
可愛がってる双子たちの決裂の瞬間に、倖はどう対応していいかわからない。
その時の状況がよく分からない以上、憶測で沙夜花を責めていいわけではないし、幾ら非常時とは言え、実の姉を陥れることがあってはならないことだ。
(……いや、今は罪の有り無しを考えている時間はない)
荒ぶる鼓動を抑える為に、深呼吸を一つ。
「……お、落ち着こう、二人とも。とにかくみんな無事でよかったじゃんか。とにかく今は、ここを出て三代寺に行こう。そうすればなんとかなる、と思う、多分」
自信は無い。ただ、やはりお化けといったら寺か神社だろうが、神社はこの町に存在しないので、唯一の寺に行くことになる。
明日花に手を貸して立たせる。
沙夜花を見れば、スカートをぐしゃぐしゃに掴んで、声を殺して泣いている。
(マジ泣きだ)
それは、自分が悪いことをした自覚からくる後悔の涙なのだろうか。
わからない。わからないが、倖が今すべきことはただ一つ。
「ほら、沙夜花も行くよ」
「「……え?」」
手を差し出す。流石双子というべきか、同時に聞き返してきた。呼ばれた本人も思わず泣き止む。
「え? ってなんよ。私が置いていくとでも思った?」
どうやら思ったようだ。
驚いた表情がそれを告げている。
なんでやねん、と苦笑する。
「……沙夜花……ちゃんも?」
先程まで喜色満面といった表情だった明日花からも驚きが伺える。
「当たり前っしょ。こんな訳のわからん危ない場所に残してけないし。明日花も色々言いたいことはあるだろうけど、今は安全な場所に避難するのが優先だよ」
「どうして?」
「!?」
——途端、全身が冷や水を浴びせられたような感覚に襲われる。
見上げてくる明日花の表情には、静かな怒りが滲み出ていた。
生まれて初めて見る妹分の怒りの感情に、倖は僅かに後ずさった。
が、掴まれた制服は距離を置くことを許さない。
「なんで? そいつ、私のこと突き飛ばしたんだよ。逃げたんだよ。酷い奴なんだよ。なんで倖お姉ちゃんはそいつのことも連れて行こうとするの?」
「なん、なんでって……例えそれが本当であっても、私は明日花と同じくらい沙夜花が可愛いし、沙夜花を見捨てて置けない」
「お姉ちゃん、私の言うこと信じてくれないの?」
「信じる信じないの話じゃなくて、私は二人が大事」
「倖姉!!」
背後から手を引かれ、咄嗟の事で対処できなかった倖はそのまま後方に飛ぶ。
瞬間、倖の目に飛び込んできたのは明日花の背後から湧き出る黒い触手。
うぞうぞと気味が悪いと思わせるそれはついさっきまで倖が立っていた場所に身をくねらせながら連なり、床を黒く染め上げた。
「ひいいっ」と奇声を上げる沙夜花と共に立ち上がり、触手から――明日花から距離を取る。
「……本当、昔から邪魔ばっかりするよね、沙夜花ちゃんは……」
明日花の声だったが、これが明日花の声色かと思わせるような、背筋がぞっとするようなおぞましく、震えの走る声。
その背後から幾つもの黒い触手が蠢いている。床を這い、壁を伝い、天井まで黒く染め上げたそれは、明日花の柔肌にも絡みつく。
見ていて寒気が走る様相だが、明日花は全く意に介していない。
茫洋とした表情で倖の背後から抱きしめている沙夜花を恨めしそうに見ていた。
「子供のときからそう。余計なことばっかりして……巻き込まれて怒られるこっちの身にもなってほしかった。でも、沙夜花ちゃんは全然気にもしないで、勝手に巻き込んだくせに、謝りもしないで……。なんだっけ、『沙夜花と倖姉は同じ“さ”で始まってるから、沙夜花の方が仲良いんだもん』だっけ? そんなことで仲の良さが決まるなら世界中の“さ”から始まる人と仲良しなんだね? くっだらない……。すぐに張り合ってきて、本当に面倒くさかったよ。だからね、私、あんたのこと、子供の頃からずっと大っ嫌いだった。ああ、あんたも私のことが嫌いなんだっけ。両思いね、わたしたち」
「あ……あす、か……」
「名前呼ばないでくれる? 虫唾が走る」
衝撃的な一言。
あの恥ずかしがりやだが誰にでも分け隔て無く、優しい少女の口から初めて吐かれた暴言に対して倖は自身の耳を疑った。姉の言葉が余程ショックだったのだろう、沙夜花は真っ青になって震えていた。
明日花の視線がすっと倖へと流れる。
それは打って変わって天使そのもので慈愛に満ちた優しい眼差しに変わった。
「お姉ちゃん……倖お姉ちゃんだけは、いつも私の味方だった。私がそいつの所為で怒られているとき、私は悪くないことを説明してくれた。苛められてたとき、真っ先に助けにきてくれた。お話をするのが苦手な私の言葉を、ちゃんと聞いてくれた。怖い思いをしてても、倖お姉ちゃんがいると何も怖くなかった。いつも、誰よりも私のことを気にしてくれた……だから、私、世界で一番、誰よりも何よりも倖お姉ちゃんが好き……」
慈愛の眼差しが、どんどんと恍惚に変わる。心なしか赤く染まった頬は、正に恋する乙女のようで……。
その視線が示す意味を理解して、慌てて首を振る。いやまさかそんな。
そう思っていて、油断した。足首に触手が絡みついていた。
「倖姉!!」
冷たく、足首にじわじわと痛みを走らせるそれは倖の身体を床に転がし、ずるずると明日花の方へと引き摺る。
(刀で……いや、駄目だ!!)
腰の剣帯には刀がある。抜けばこの触手を斬れるかもしれない。けれど、その先にいる明日花を傷つけるかもしれない恐怖と躊躇いが、倖の右手をどうしても動かさせなかった。
慌てて沙夜花が倖の身体を引っ張ろうとするも、既に遅い。明日花との距離は近い。このままでは、いろんな意味でゴールインだ。それは拙い。
「え、ちょ、待っ! 明日花! 落ち着け! とにかく落ち着け! 話をしよう! なっ!?」
「ワタしと一緒ニナろう……倖おねえチャん……」
全く聞いていない。
影と沙夜花の力では全く比較にならない。触手を剥がそうと手を伸ばすが、正に影を掴もうとしているようで、肌に張り付いたそれを掴むことは不可能だ。それどころか触れた手にも触手は絡みつき、引っ張る力は強くなる。
このままでは、沙夜花もあの影に飲まれてしまう。
「沙夜花、逃げろ!」
「イヤ!」
「……オ前、要らない。私ガ欲しイノは、倖お姉ちャんダケ……」
「明日花……あうっ!?」
「沙夜花!!?」
首を振って拒むその姿を、明日花が忌々しそうに見て腕を伸ばす。太い触手が伸び、沙夜花の首をぎりぎりと締め上げ、細い首に皺が刻まれていく。
「っ明日花! 止めろ! 沙夜花が死んでしまう!!」
「お姉チャん……早ク、一つに……」
「明日花! 頼む、話を聞いて! 目を覚まして、明日花!!」
倖の言葉は明日花に届いていない。微笑む明日花の全身から湧き出た触手が倖を包み込む。
迫りくる影は、先ほど感じた死の予感と似ていた。
もう、ダメ、だ。
「この方に手を出してはなりませんよ、明日花」




