謎の老人
「誰だ」
すかさず雄翔が倖を背中に隠し、鋭い視線で老人を睨みつける。
今は落ち着いているとはいえ惨劇の後だ。それにも関わらず、憔悴した様子も、着衣の乱れもない、ただの好々爺の出で立ちが逆に怪しい。雄翔が警戒するのも当然のことだ。殺気同様の眼力を放っているというのに、老人は意に介した様子も無く、笑顔で首を傾げた。
「先程から、ずっとそこにお立ちになっていたようですが、どうかなさいましたでしょうか? 外に出ないのですか?」
「ずっと立っていた……?」
老人の言葉に雄翔が怪訝な顔をする。自分たちは表でも裏門でもずっと門に向かって歩いていた。足の軽い疲労感がそれを証明している。
(もしかしたら俺たちは、ずっとここで足踏みしていただけなのか……?)
そう推測するが、だからといって解決方法には至らない。
「外に出ないのですか?」
念押しをするかのように同じ言葉を繰り返す老人は、この場に不釣り合いな笑顔も相まって不気味だ。
一刻も早く二人を学校の外に出したい——そんな雰囲気を雄翔は感じ取る。
「……敷地外に出たいのは山々なのですが、あの御札の影響で出たくとも出れないのです」
「……ああ、成程。これでは、外に出れませんね……」
塀に貼られた御札に今頃気付いたのだろう。納得したように頷く。
「わかりました。でしたら、抜け道にご案内しましょう」
「抜け道? ……まさか」
「付いてきてくださいね」
老人は有無を言わさず、踵を返して歩き出した。
どう考えても怪しい。普通に考えればついて行く訳がない。
だというのに、ここまでずっと無言だった倖はさも当然のように老人の後に続く。雄翔は慌てて肩を引いて止めた。
「お、おい、倖! 何を考えてるんだ! どう考えても怪しいだろう?!」
「ん? んー……いや、ちょっと……」
そう曖昧に答える倖の様子は心ここに非ずという風にどこかおかしい。
「多分、大丈夫だと思う」
「な、何を根拠に……」
「うーんとね……。……今喉まで出かかってるから少し待ってね……」
「待てって、勝手に行くな」
「まあまあ、取り敢えず付いてってみよう。歩きながら思い出すから」
言って、倖は脳天気に笑いながらさっさと歩き出す。
「……何だってんだ、一体……」
全く納得いかないが、ここにいても埒が明かない。仕方なく、雄翔も二人の後を追った。
老人が向かった先は、裏門から然程離れていない。駐輪場の向こうに位置する、廃止された焼却炉の前で足が止まった。
三十年ほど前に煙やダイオキシンの影響を鑑みて使用禁止になって以降、投入口の扉には鎖が巻かれており、開けることはできなくなっている。それからずっと放置されている所為で、焼却炉は破損や汚れが目立ち、周辺は草が目立っていた。
老人は南京錠と鎖を手際よく外し、両開きの扉を開けた。
中は人が二人、余裕で入れる広さだ。煤けていて真っ黒……と思われたが、よく見れば底が無く、下へと続くはしごが設置されている。
抜け道という言葉に防空壕を想起していた雄翔は息を呑んだ。
「……やっぱり、七不思議の一つ、【隠された防空壕】……!」
「ええ、その通りです。御存知でしたか?」
「……噂程度です。しかし、本当にあるとは……」
「この道は、学校の敷地外に繋がっております。これで外に出られますね」
さあどうぞと言わんばかりに焼却炉を指し示す老人。
噂が真実だったことに少しばかり高揚した雄翔だったが、それを見て冷静さを取り戻す。
(こんな怪しい老人の言うことを、素直に聞ける訳がない……!)
勿論、雄翔も妹たちを探しに外に出たい。
だが、中に入って行き止まりだったら?
中に化け物が待ち構えていたら?
万が一の時、焼却炉に戻ってこられたとして、南京錠と鎖を掛けられていたら?
確証がない以上、おいそれと中に入ることは憚れる。まるで無機物の焼却炉が、口を開けた魔物の様に見えてしまい、雄翔は恐怖心から固まっていた。
「……外に出ないのですか?」
背後から繰り返される言葉は、責めるようにも警告するようにも聞こえた。
冷たい空気が背中を撫で、雄翔の頬を冷や汗が伝い落ちる。何故かわからないが、言い表せない恐怖が雄翔を襲う。
「外に出ないのですか? 外に出ないのですか? 外に出ないのですか? 外に出ないのですか? 外に出ないのですか?」
(……このままでは……!)
老人の異常な気配に、雄翔は最悪の結末を本能的に予感する。
しかし——
「思い出した!!」
その場に満ちていた悍ましい緊張感は、唐突に鳴り響いた脳天気な叫び声によって、あっけなく霧散することとなった。
今の今まで雄翔の横で何かを考え込むように黙っていた倖が、勢いよく老人を振り返る。
「もしかしてもしかすると、見回りの用務員さんじゃないですか?!」
その呼び方に、老人は不意を突かれたような表情で倖を見る。
そして暫く考えた後、閃いたような顔をした。
「君はもしかして、あの夜の……?」
「やっぱり!? お久しぶりっす〜!」
「お、おい、さ……」
「お久しぶりです。約一年ぶりですね」
ぱあっと顔を輝かせた倖は、雄翔が止める間もなく老人の元に駆け寄った。
打って変わって優しい空気に包まれる老人と倖を見て雄翔はあっけ取られる。
「……倖、知り合いなのか? あの夜って……」
「うん! ほら、ずっと前に話したじゃん! 一年の頃、学校に忍び込んでた私を見つけて大目玉食らわせた用務員さん!」
「言い方……。というか、その話……」
「私のこと覚えててくれたんすね〜!」
「それは勿論。女の子が一人で七不思議を見に学校に侵入するだけでも珍しいのに、初手から土下座謝罪を敢行してくるなんて、初めてのことでしたからね」
老人は目尻を下げ、思い出し笑いをしながら顎を触っていた。
「倖……」
「……えへ☆」
テヘペロ顔で誤魔化す倖。その光景が容易に想像できた雄翔は呆れて二の句が継げない。
「……そういえば、あの時はお名前を伺っていませんでしたね。倖さんと仰られるのですか?」
「はい! 二年の天野倖でっす!」
「天野……? まさか、貴方は……」
天野の名を聞いた瞬間、老人の顔から笑みが消えた——が、すぐに何事も無かったように雄翔を見る。
「……君は?」
「……三代雄翔です」
「三代……君は三代寺の関係者ですか?」
「……はい。現住職、三代翔山の息子です」
「私は牧と申します。いつもご丁寧なお勤めをいただき、ありがとうございます」
「……檀家の方でしたか。こちらこそ、有難うございます」
雄翔と老人——牧が礼儀正しく頭を下げあう。
「ってか牧さん、よく無事でしたね?」
その場の生真面目な空気を読んでいるのかいないのか、倖が何気ない調子で尋ねる。
今までの展開を全く読んでいない、あまりにストレートな問いかけに、雄翔はぎょっとし、牧は苦笑した。
「ええ、まあ……お二人も無事だったみたいで何よりです」
「めちゃくちゃギリギリでしたけどね……。とりま、隠し通路教えてくれて有難う、牧さん! このお礼は必ずするから! じゃあ!」
「待て待て待て!」
「ちょ、ちょっとお待ちください」
意気揚々と焼却炉に入っていこうとする倖。
雄翔は襟首を掴んで止め、牧は倖と焼却炉の間に割って入った。
「え、なに、二人とも、どしたの?」
「い、いえ、その……」
倖は心底不思議そうに雄翔と牧を見る。だがその疑問は雄翔も同意だ。
先程まで、一刻も早く学校から出ていけという態度だった牧が、今更止めてくる理由がわからない。訝しげな雄翔の視線も受けてか、牧は動揺しているようだった。
「が、学校外に出るのは危険なのはお分かりですか?」
「勿論。安全なのは魅了的だけど、私らは何が何でも行かなきゃならないんです」
「そんな……何故……」
牧は信じられないと言わんばかりで首を横に振る。
「雄翔の双子の妹たちが外に出てしまったんです」
「妹……三代の娘たちが?」
「そうなんです。
双子たちは私が離れた所為で、危険な目に遭ってるかもしれないと思うと居ても立ってもいられなくて……。
無謀なのは分かってます。けど、私は二人を助けに行きたいんです」
さも当然のように語る倖。牧に向かって真っ直ぐに向けられたその瞳には、射すくめるような強い光が宿っていた。
危険も承知で、外に出ると言い切る彼女を、牧もじっと見詰め返す。
ややあって、牧は諦めたように溜め息を吐いた。
「……わかりました」
そう言って、牧は道を開ける。
「中は一本道。十五分程歩けば外に出られます。……外に出たら、くれぐれも注意してくださいね」
「有難う、牧さん! このお礼は必ずするからね!」
「はい。楽しみに待っております」
嬉しそうに微笑む牧を見て笑顔になった倖は、何の迷いもなく焼却炉の中に飛び込んだ。
残された男二人。
先ほどのように冷たくはないが、静寂な空気はどことなく気まずさを過ぎらせた。
「雄翔ー! 中真っ暗ー! 私のスマホ壊れてたから雄翔のスマホのライト着けてー!」
「わかった、今行く! ……じゃあ、俺も行きます」
「お待ちください。……これを」
牧が尻ポケットから取り出し、雄翔に差し出す。それは昭和レトロな懐中電灯だった。
雄翔が有難く受け取ると、ズシリとした重みが手に乗った。
「有難うございます」
「……中は安全です。ですが、万が一の時のために、ここの扉の鍵は閉めないでおきますから……。もしもの時は、戻ってきてくださいね」
「はい。……その、案内してくれたり、色々と有難うございました」
「いえ……。怖がらせてしまって申し訳ありません。現御住職に、よろしくお伝えください」
「はい」
深々と頭を下げる牧。雄翔も頭を下げると、倖の後を追って防空壕の中に入っていった。
雄翔の姿が見えなくなると、牧は扉を閉める。
「……まさか、あの子たちが三代と天野の一族の者だったのは……」
感慨深げに呟き、そっと笑みを浮かべて空を見上げる。
「縁とは、どこで絡まるかわかりませんねぇ……」
そう言って牧は踵を返す。
その姿は一歩進むごとに薄くなり——いつの間にか陰も形も無くなっていた。




