慟哭
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先程まで微動だにしなかった大将鬼が動き出す。
腰の刀に手をやると、柄を握り、ゆっくりと引き抜く。
鈍く輝く刀身が徐々に現れ、鋭く尖る切っ先は倖に向けられた。
大将鬼は、既に万全の臨戦態勢だった。
ずん、と一歩足が踏み出される。二歩、三歩、左右交互に前に出される具足を付けた足が近づいてくる。段々とそれが早くなり、最終的には大将鬼は走り出していた。
走りながら大将鬼が刀を両手持ちに構える。それが迫っていると脳が認識した途端、倖は逃げ出した。
怖い。背後から迫る鋼の足音に響く鼓膜が全身を震わせるようだ。
所詮、倖はただの人。対して相手は人間じゃあない。
幾ら怖い話が好きだからと言って、何かしたかったわけではない。ただ見てみたかっただけなのだ。
(なんでこんなことに!?)
真剣なんて持ったことが無いのに、本気の殺し合いなんてできる訳が無い。
影がかかる。追い付かれた。咄嗟に横に飛んだ途端、直前にいた場所に大将鬼の拳が襲い掛かった。
爆音と共に床に大穴が開き、畳がめくれ上がり、爆風によって体が宙を舞って畳に叩き付けられる。
「っつう!」
下が畳のお陰で衝撃が幾らか和らいだが、肩を思い切り強打し、刀が横に転がった。
鈍い痛みに顔を顰めながら上体を起こす。
大将鬼は既に立ち上がってこちらを見ていた。赤い瞳は先程より赤黒く、形の変わらぬはずの頬当ては怒りに歪み、牙がより巨大に鋭利に変化している。
ひ、と短い悲鳴を上げて立ち上がろうとして、指先が刀に触れる。今の今まで、ずっと握りっぱなしだったそれが手から離れていた。一気に濃厚な血と死の臭いが全身を駆け巡り、慌てて刀を握るとそれらが薄らいでいく。守る為と言っていたフジの言葉の意味がわかったような気がした。
フジ。すぐ戻ると言っていたが、一体どれくらいで戻ってきてくれるのか。
大将鬼が動き出し、再び迫ってくる。立ち上がり、逃げようとしたが足が動かない。それは精神的なものではなく、足首を何かに掴まれている感覚を持っていた。
見れば畳から骨の手が二本突き出し、足首を掴んでいる。その間で腐った肉を纏った骸骨が目を細めていた。
捕まった。大将鬼はもう目の前だ。振り上げられた刃が目に入る。頭が真っ白になったが、体は条件反射的に身を守ることを選択した。瞬時に刀を横にして前に出す。
ぎいいいいいいいんんんん……――
鋼と鋼――抜き身ではないはずなのに――がぶつかり合う鈍い音が室内に響き渡る。
至近距離で相対した二人、否、一人と一体だが、武器を交差した格好のままどちらも動かない。
大将鬼の鮮やかな赤い瞳が倖を写し、何故か満足げに笑っていたのが何故かわかった。
だが、大将鬼の視線が倖の足元にある骸骨に気付いた瞬間、表情が変わった。
驚きと怒り――そして悲しみ。色々綯い交ぜになった感情が浮かんだ表情が浮かび、獣のような咆哮を上げた。刀を払い、足を持ち上げたかと思うと、倖の足を掴んでいた骸骨の頭を踏みつけた。
ぐちゃりともバキッとも聞こえた破壊音と共に骸骨は砕け散る。足が解放された。慌てて立ち上がって距離を取り、壁に背を付く。
部下を自ら斃した大将鬼は、天井を見上げて咆哮を続けていた。
いや、それは咆哮ではない。慟哭だ。頬当ての目元には赤黒い筋が幾つも伝い、鎧と床を濡らした。
大将鬼が、泣いている。
慟哭、嗚咽、叫喚、悲鳴、喚声。
無念、後悔、憂い、絶望、苦痛。
胸を抉るような締め付けるような切なさが去来し、無意識に自分の胸元を鷲掴む。そうでもしないと耐えられず、泣いてしまいそうだった。
その時何故か、雄翔から聞いた話を思い出した。
(この鬼たちは、【徘徊する落ち武者】だ)
それはこの町に伝わる伝承の一つであり、花郷高校の七不思議の一つになっているという話だ。
かつて、この地には戦に敗れて逃れた落ち武者集団がいたこと――平家だったとも言われているが、本当かどうかは定かではない。
彼らは戦に敗れたものの、主君の再興を強く願っていたが、この地で果ててしまった。
彼らの亡骸は無縁仏として葬られたが、その墓は今は高校がある場所にあったと伝えられている。
防空壕探しと同時に夜の学校に忍び込び、幽霊の出現を待っていたのは懐かしい思い出だ。勿論、落ち武者どころか花子さんも動く人体模型も無かったが。
(無念。そうか、無念だったのか)
その二文字が胸にすとんと落ちた。
主君の事。お家の事。家族の事。それらを残したまま知らぬ地で無駄に命を落とした事——彼らは地縛霊となり、七不思議と呼ばれ、死んだ後もこの地に留まり、苦しみ続けている。
(そんなの悲し過ぎる! 死は安らかであるべきだ!!)
ただ、思いが強過ぎただけだというのに救いが無いなんて辛すぎる。助けてあげたい。
自分に何ができるのだろう。念仏なんて知らないし、それで救われるなら埋葬された時に成仏しているだろう。
では、どうすればいい?
深呼吸を繰り返すと、自身の両頬を掌で叩く。ぴしゃり、と良い音とひりひりと痛みを感じながら壁から背を離し、大将鬼に歩み寄る。
(もしかしたら、この鬼は正々堂々と戦いたいのかもしれない)
それを証明するかのように、大将鬼は自分の部下に手を掛けた。
戦いを邪魔されたことによる怒りなら、こんなに悲しみが伝わる泣き方をするわけがない。
(助けてあげたい。——逃げてばかりじゃ、ダメなんだ)
ある程度距離を詰めると立ち止まる。図らずも、そこは試合場の開始線。これから始まるのは試合。
真剣を使った、生きるか死ぬかの試合だ。
倖の纏う空気が変わったことに気付いたのだろう、大将鬼は哭くのを止めた。
倖は試合開始前のように礼をし、大将鬼を見据えたままゆっくりと刀を抜く。
小気味の良い音を立てて抜けた刀は、鋭い銀色の輝きを放っていた。
「天野倖、お相手いたします!」
鞘を床に置き——高らかに宣言する。
その必要があったのかはわからないが、正々堂々の試合と言えば名乗りが必要なのでは、と時代劇を見て培った知識だ。
しかしそれはいい合図になった。
大将鬼が居住まいを正し、こちらに向かってくる。
同じように開始線に立ち、礼をした後、刀を構えた。
試合は一瞬で決まる。何故なら、武士の本気の刀を受け続ける余力は自分には無いとわかっているから。
先程は興奮を感じたが、今は酷く緊張している。
彼の全身から見えないオーラが発せられ、うねりを描き、倖を飲み込もうとしているようだ。
飲み込まれたら、負ける。息を飲み、刀を持つ力を籠める。
『だからお前は負けるんだ』
誰かの声が聞こえた。
しわがれているが、渋く耳触りの良い低い声は、懐かしさを帯びていた。
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