リアナに感謝
な、なんだ。眩しッ)
俺は気付くとベッドで寝ていた。
近くの机にコップと濡れたタオル。と俺のおでこにもう一つ濡れたタオル。
段々と記憶が再生されていく。
そうだ俺は挨拶をしに受付の場所に行って....そこからの記憶が無い。
記憶がないのでなんとも言えない。
とりあえず、起き上がってみるか。
綺麗なベッドが俺の寝ていたベッドを合わせて4つ。多分医務室か何かだろう。
コップには水が入っていた。
喉が渇いている。カラッカラだ。2つコップがあるが両手で二つ手に取った。
コップ二杯の水を一気に飲み干すと、ようやく人心地がついた。
「……ふぅ。生き返った」
喉の奥まで潤ってくると、次に気になるのは「時間」だ。確かヴァルダーさんには「夕方また寄れ」と言われていた。
壁を見渡すと、ドアの上に円形の奇妙な機械が掛かっていた。
文字盤には1から12までの数字。針が三本。……なんだ、この世界にも時計はあるのか。
時計の針は「5」を指していた。
「5時か……。セドリックと別れたのが3時くらいだったから、2時間くらい気絶してたってことか。あぶねぇ、ギリギリ約束の時間じゃんか」
俺は慌ててベッドから脚を下ろした。頭がズキズキする。
早くここを出ないと。そう思って出口のドアに手をかけた瞬間、ガチャリと向こう側から扉が開いた。
「あら、もう動いて大丈夫なの?」
そこに立っていたのは、例の「エベレスト」こと赤毛のアイドル受付嬢だった。
間近で見ると、さらに破壊力がすごい。整いすぎた顔立ちに、透き通るような肌。
何か話さないと。
「あ、えっと。……その」
やばい、固まっちまってる。そりゃ可愛い人が目の前に急に現れたら誰だって言葉に詰まる、はず。
いや、別に陰キャってわけじゃないよ。別に。
「あの、助けていただいてありがとうございます。挨拶が遅れました、アルティです」
変な間があいてしまったが、挨拶としてはまずまずだ。
「あら、丁寧ね。同い年なのに...私はリアナ。タメ口で良いわよ」
そう言いながら俺の頭のたんこぶを心配そうに見つめている。
「....受付で倒れた時はどうしようかと思ったわ。おばあちゃん、興奮すると見境がなくなっちゃうから」
「はぁっ!」
リアナが「何々!?」と呟いている。
俺、結局され...たのか?あの、チヨの野郎に。俺の初キッスが。
....ダメだ記憶がない。
リアナはすぐ何かを悟ったような顔をした。
さらに、いたましそうな表情で視線を泳がせた。
そして、そっと自分の唇を指先でなぞりながら、深くため息をつく。
おい待て、その顔はなんだ。
ダメだ、信じないぞ。
「……そうね。おばあちゃん、終わった後に**『若者のエキスは、甘くて弾力があるねぇ』**って、それはもう満足そうに入れ歯をガタガタ鳴らしていたわ」
「…………」
終わった。
俺の人生、始まった瞬間に終わった。
異世界に来て、魔法を覚えて、可愛い女の子と出会って……そんな淡い期待は、入れ歯のない75歳の「吸引力」によって、チリひとつ残さず吸い取られたのだ。
今思えば、目覚めた時変な味がしたような気がする。
「あああ……俺の、俺の17年守り抜いてきた純潔が……。よりによって、最初がチヨ婆……。しかも入れ歯なし……」
俺はガクンと膝をつき、医務室の床に突っ伏した。
視界が涙で歪む。
俺の、俺の記念すべきファースト・コンタクトが、熟しきった(を通り越した)果実のような老婆の唇だったなんて。無意識に俺は力無く地面を叩いていた。
「……ふふっ、あははは! ごめんなさい、冗談よ!」
頭上で、鈴が転がるような笑い声が響いた。
顔を上げると、リアナが自分のお腹を抱えて笑っている。
「嘘……?」
ん?嘘?
「そうよ! 髪の毛一本触れさせる前に、私が止めたんだもの」
こ、こいつ...びっくりさせやがって。マジで。
「あっははは、お腹ちぎれる」
まだ笑ってやがる。
「アルがチヨ婆から逃げようとして後ろの壁にぶつかって。その衝撃で落ちてきた剣の柄で後頭部を強打して気絶しちゃったの」
(本当ありがとう、誰かの剣...)
「いや、よかった。本当によかった……」
目覚めた時の変な味は気のせいだったらしい。
俺は胸をなでおろした。心臓のバクバクが止まらない。
悪趣味な冗談だが、リアナの笑った顔があまりにも可愛いので、怒る気も失せてしまった。ほんのちょっぴりだけ。
「でも、あのおばあちゃんに狙われて無傷だったのは、あなたが初めてかも。はい、これ。お詫びにナタリさんから預かってた栄養剤よ」
リアナが差し出してきたのは、エメラルド色の怪しい液体が入った小瓶だった。
「ありがとうございます……」
受け取ろうとして、ふと気づく。リアナが少し屈んだせいで、例の「エベレスト」が視界を占領した。
近すぎる。これはこれで、別の意味で命の危険を感じる。
「……? どうしたの、何が面白いのよ。そんなニヤニヤして、 まだ頭が痛むのかしら」
「い、いえ! 大丈夫! それより早くヴァルダーさんのところに行かないと! 今5時なら、ギリギリ約束の時間ですよね!?」
俺は立ち上がり、元気よくドアへ向かおうとした。
だが、リアナの言葉が俺の足を地面に縫い付けた。
「……あら、アル。言っておくけど、今の5時は**『翌日の5時』**よ?」
「…………へ?」
「アル、あれから丸一日と2時間寝てたの。ヴァルダーさん、昨日の夕方はずっと待ってたみたいだけど……今はもう、今日の夕方の定例会議が始まっちゃってるわよ?」
……嘘だろ。
俺、異世界に来て最初の任務というか約束を、チヨ婆のせいで26時間もブッチしたのか!?
てか数日間の間に色々起こりすぎだろ。
「精神的な深淵(チヨ婆)と戦っている間は起こすなって、ナタリさんが言ってたけど……急いだほうがいいかもね?」
リアナがクスクス笑いながら、時計の針を指差した。
俺の第2の人生、早くも「大遅刻」という特大の暗雲が立ち込めていた。
「じゃ、じゃあありがとう。また今度何かお礼でも!」
そう言いヴァルダーさんの所へ走った。
(いや、ちょっと待て)
......
「道が分からん」
俺は急ぎ来た道を戻ってリアナを探した。
「いた」
リアナはさっきの部屋にいた。
どうやら俺のベットの後片付けをしていたようだ。
「なによ、そんなに急いで戻ってきて」
「道が分からない....と言うかなんというか」
「道が分からないって?君....もしかして新人さん?」
「はい...」
「なぁんだ、そーゆー事だったのね」
「といいますと?」
俺が首を傾げると、リアナは手に持っていたタオルのシワを伸ばしながら、少し呆れたように笑った。
「君、フェルさんと一緒にこの**『中央統括庁アステリア』**に入ってきたでしょ? フェルさんは普段、王宮直属の『特務』以外には同行しないの。そんな人が新人の付き添いなんて珍しいから、何か特別な事情がある子なのかなって、みんな遠巻きに見てたのよ」
「……あ、そんなに目立ってたのか」
「そう。だから、そんな『重要人物(仮)』が初日に受付でチヨ婆ちゃんに生気を吸い取られて廃人になったなんて報告、ヴァルダーさんに上げたくないでしょ? 私の査定に響くもの」
やっぱり査定かよ。この世界のアイドルも世知辛いな。
「それに……」
リアナは俺の顔をまじまじと見つめた。
少し顔が熱くなる。おい、そんなに見るな。俺の顔に何かついてるか?
「ま、これだけ整った顔がシワシワの干物になるのを見るのは、個人的に趣味じゃないしね。……あのおばあちゃんに初キス奪われるなんて、今後の人生のトラウマが深すぎて、使い物にならなくなっちゃうでしょ?」
「……それは、否定できない。マジで恩に着ます」
「いいわよ。その代わり、道案内してあげるから、いつか何か奢ってね」
リアナはウィンクをすると、軽い足取りで廊下を歩き始めた。
案内してくれるのはありがたいが、後ろから付いていくと、どうしても彼女の腰の動きに目がいく。
(落ち着け俺。今は26時間遅刻の真っ最中だ。不埒な部位を拝んでいる場合じゃない……。でも、揺れる赤毛がまた……いや、集中しろ俺!)
「ほら、そこ右よ。ボーっとしてると、また変な部屋に入って別の誰かに捕まるわよ?」
「うっ、善処します」
俺たちは階段を上がり、二階の廊下を進んだ。
昨日見た光景だが、焦っているせいか、全部同じドアに見えてくる。
「ここよ。この突き当たりの豪華なドアが、ボスの部屋」
リアナが指差した先には、他とは明らかに違う、威圧感のある黒い扉があった。
扉の上には『統括長室』というプレート。
「中にはセドリックさんもいるはずよ。……じゃ、私は仕事に戻るわね。生きて帰ってきなさいよ、新人君。そんな怖くないけどね」
「……あ、あの! ありがとう、リアナ!」
「どういたしまして。……あ、そうだ」
立ち去ろうとした彼女が、最後に振り返って、少しだけいたずらっぽく笑った。
「アル。嘘か本当か、確かめる勇気があるなら――いつか私と試してみる?」
.....
「是非喜んで」
これが人間においての反射というやつだ。認識する前に口が動いた。
「なんてね! バイバイ!」
嵐のように去っていく美少女。
俺は一人、静まり返った廊下に放り出された。
前世ならきっと
脈ありなのか? それともからかわれただけか?
ってなっていただろう。
環境が変わると身も心も変わるもんだな。
だが、今はそんなことより目の前の「筋肉の壁」だ。
俺は意を決して、ボスの部屋のドアを三回、ノックした。




