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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第19話 剣を持つかごの鳥Ⅲ

 しんと静まり返った王の寝所では、世話に必要な最低限の侍女だけが出入りしていた。つい先ほど人払いがされてから、護衛もついておらず、近衛兵たちは王の居所の周りを巡回するだけ。黄金の装飾が壁や柱に施され、それらは曇りひとつなく完璧に拭きあげられている。が、荘厳かつ立派な王の証たちは主が誰であったかを忘れたかのようにただ毅然とそこにあるだけだ。


 王に謁見するため訪れたオスカーは、王の寝所から出てきた一人の男を見て眉をひそめた。


「……ノア考古学者?」


 相手も同じくオスカーに気づいたようで、柔和な笑みを浮かべて近づいてきた。


「こんにちは、オスカーさん。奇遇ですね。こんなところで会うなんて」


 ノアとは、彼がウィンザー王国に戻って来た日、つまり数か月前のしんの儀の準備で会ったのが初めてだ。レヤ大国の研究を主とする考古学者であるため、ノアは神殿への出入りが多い。

 穏やかで人懐っこい笑顔の下に、どんな顔を持っているのかオスカーとしては警戒しているところでもある。


「呪詛の件で?」


 端的に問うと、ノアはくすんだ緑色の長髪を揺らしてぱっと笑顔の花を咲かせた。無邪気に笑えば笑うほど、しんと静まり返ったこの重い雰囲気が漂う空間と乖離していく。


「さすがオスカーさん。その通りです。神殿の調査で今回陛下に対して行われた呪詛は古代レヤ大国時代の失われた呪詛だと判明したそうです。そのため私が呪いを解きにきました」


 ノアの部下が呪詛の証である木人形を神殿に渡してからまだ一時間ほど。素早い対応だ。そして今のところ、()()()()()()()()


 処刑日まで、第一王子セシリア―トを完全に孤立させること。

 彼の周りをウロチョロしていたエバンス王国第三王子のヴィンセントは、一週間ほど遠くに行くよう手を回したし、侍医のランリャは手綱を握っている。いつでも引く準備はできているのだ。

 ひとつ誤算は、部下の暴走で第一王子を痛めつけてしまったこと。だが、もともとしばらくは塔に引きこもってもらう必要があったから大きく見れば予定通りだと言えるだろう。


「そうですか」

「オスカーさんも陛下へ謁見しに来たんですか?」

「はい。では」


 長く会話をする気のないオスカーは、早々にノアの横を通り過ぎようとした。


「呪いが解けたのか、解けなかったのか、聞かないんですか?」


 すると、ノアがまるで楽しむかのように聞いてきた。


「……どちらであっても僕がやることは変わらない」


 迷いなく答えたオスカーに、ノアは苦笑しながらやんわりと注意する。


「不敬の罪に問われてもおかしくない発言ですよ」

「……」


 だから何だと言わんばかりにオスカーはノアの言葉を無視して、王の寝所の扉を叩いた。



 すでに王の寝所へと消えていったオスカーに向けるように、ノアは一人呟く。


「あなたから頂いた本はとても役に立っていますよ。わたし以外に、あの本……古代レヤ語を読める者は誰でしょうか。あの本は一体、誰の物だったんでしょうね?」


 その呟きは、王の居所の長い長い廊下に消えていった。







 セシリア―トはゆっくりと目を覚ました。

 目の前には見慣れた布があり、すぐにここが塔の中の自分の寝台の上でうつ伏せの状態でいることがわかった。ほんのりと薬草の香りと幾分か和らいだ血の香りがする。首を動かすことすら億劫に感じながら、体を起こそうとして、


「いッ……」

「動かないで。肉が裂けてるのよ」


 背中の激しい痛みにうめくと、セシリア―トの耳にランリャの声が届いた。

 再び力なく地面にうつ伏せになると、部屋の入口からランリャが寝台の傍まで来た。ランリャは背中にかけてあるだけの大きな布を取り去る。病的に白く骨と皮しかないセシリア―トの素肌が露になった。ムチ打ちによってできた背中の裂傷に塗布していた薬草を取り除いて、新しいものに替える作業を始める。


「今回はさすがに痛みですぐに目を覚ましたようね。あんたがムチ打ちをされてからまだ数時間よ」

「そう、なのか。…………ん?」


 無言で差し出された清潔な手ぬぐいを見て、セシリア―トは疑問の声をあげた。


「……涙、拭きなさい。嫌な夢でも見たの?」

「あ……」


 言われて、咄嗟に頬を拭った。


「どう足掻いても変えられない結末の夢だから……」


 時間が巻き戻ることはない。やり直せる過去などない。未来を願うことはできても、過去は願いに応えてくれないのだ。肉体の痛みが眠りの中で悪夢を引き寄せてしまったことに、セシリア―トは深くため息を吐いて諦めたように目を瞑った。


 その様子にランリャは「ふうん」と一言だけ返してそれ以上は何も言わなかった。


「それにしてもなんて仕打ちよ。幽閉されているからとはいえ、あんたは王族なのに一介の兵士如きが独断で罰するなんて正気じゃないわ」


 今まで直接的に危害を加えられることは、実は以前の放火が初めてだった。生まれてすぐは食事に毒を入れられることは多かったらしいが、それは事前にエマが察知して対処しくれていた。エマが死んでからはぱったりとそういうこともなくなったし、今回のように明確な悪意を感じることは珍しい。いつもは空気扱いなのだ。


「知らないうちに恨みを買っているのかも」

「それなら誰かに指示されて動いてるって考えた方がよっぽどありえるわよ」

「誰かの指示?」


 うつ伏せの状態で、顔だけを前に向けたセシリア―トは少し思案して呟いた。


「オスカー・ユーゲル」


 王妃の甥で、次期公爵家当主。塔を監視していた兵たちの指揮を執っていたのもオスカーだし、狩り大会のときは残酷で卑劣なアンガス・グレンダと共にいた男だ。狩り大会のときに向けられた視線の意味も、兵の暴走も止めた理由はわからないが、彼のとっている行動はどれもセシリア―トとは相いれない道を示していることは確かだ。


 背中の傷に薬を塗布していたランリャの手がぴたりと止まった。


「……彼、そんなに悪い人間には思えないけど」

「え?」


 ランリャの意外な認識にセシリア―トは思わず聞き返した。


「ランリャ医師はオスカー・ユーゲルと知り合いなのか?」

「……まあ」


 すると、ランリャは曖昧な返事をしてから「これは初めて人に言うんだけど」と話し始めた。


「お祖父様である前大神官ハリアトス・アイデルシオが突然亡くなったとき、アイデルシオ家の中で私の立場が急激に悪くなったの。両親は早くに事故で亡くなっていて、直系が私しかいない状況でお祖父様は私を可愛がってくれていた。後継者候補の叔父たちを差し置いて次期大神官の座は私だと噂されるほどにね」


 大神官の名前にセシリア―トの心臓はどくりと鼓動を打った。うつぶせの状態で良かったと心の底から思う。ランリャなら、顔色の変化にすぐ気づいてしまうだろうから。


 語り聞かせるようにランリャは続ける。


「当時から私は医師になりたいと思っていたから、噂は迷惑でしかなかったわ。でも、一族の中で唯一私の味方をしてくれるのはお祖父様だけだったからそういう将来もありかもしれないと思い始めていたの。その矢先よ、お祖父様が急死した」


 セシリア―トは目を瞑って耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。だが、それをしてしまえばあの日の光景が目の前に浮かんできてしまう。だからぐっと堪えて話を聞き続ける。


「アイデルシオ家は知っての通り、厳格な信仰一家。《神》の信仰の禁忌の一つに自殺があるでしょ。当時、お祖父様の死は自殺だと判断が下ったの。それからはもう叔父たちの私への攻撃が露骨になったわ。動機も遺言もないのに自殺なわけないじゃない?」


 彼女の中ではすでに過去の話をただ笑って語る。


「ただの小娘だった私に叔父たちに立ち向かう力なんてない。だから何もかもを奪われて辺境の領地に送られそうになったとき、オスカー・ユーゲルが突然現れてこう言ったの。『大神官ハリアトス様が亡くなられたとき、自分は傍にいた。大神官様は突然、心臓を押さえ苦しみの中逝かれた』ってね」

「………………………………………え?」


 セシリア―トの全身が強張った。

 息をするやり方を忘れたかのようにぎこちない呼吸を繰り返す。

 嫌な汗がにじむ。


「驚きでしょ? お祖父様は国にとっても大切な人だったから、そのあとすぐに再解剖が行われたわ。そしてその結果は自然死。それから私は一族内の争いに飽き飽きしていたからすぐに絶縁して、医師の道を目指したわ。私の能力を買って、侍医に推薦してくれたのも実はオスカーなの。だから、あんたの目に彼がどう映っているのかわからないけど、私にとっては良い人よ」

「……」


 何も返事ができなかった。


 前大神官が死んだあのとき、神殿にオスカーがいた。

 自分と前大神官しかいないと思っていたセシリア―トはその事実に体が冷たくなっていくのを感じる。


 始めて《神の()(わざ)》を使って人を殺めた瞬間をオスカーは見ていたはずだ。セシリア―トが殺したという事実をなぜ今の今までずっと隠しているのか。その事実だけで即刻、処刑台送りにできるはずなのに沈黙を続ける理由はいったい何なのか。


 得体の知れない恐怖と疑念がセシリア―トの体中を駆け巡った。


「話すぎたわね。ゆっくり眠りなさい。痛みがひどいようならユリカの葉の香りを嗅ぐと良いわ、気分が落ち着くはずよ」


 枕元に鎮痛効果のある葉の束を置こうとしたランリャの手を、セシリア―トは思わず掴んでいた。


「……どうしたの?」

「…………………………通行証と、身分証を」

「え?」

「陛下の居所へ入るための通行証を貸してほしい」


 王が病に臥せっているとき、国は非常事態として兵の配置や城内の規制が厳しくなる。故に、王の居所へ入れる人間は限られ、身元をはっきりとさせるために通行証が渡されているはずだ。それがなければ王の居所に足を踏み入れることすら容易ではない。


 突然の頼みに、ランリャは驚きつつ渋った。


「こんな体でどうするっていうのよ。王に会いたいならもう少し回復してから、私の助手としてついてくればいいわ。あんたの処刑日までまだ日はあるわよ」

「助手の“エディ”なんてこの世に存在しない。偽の身分証を作っている暇はないんだ」

「でもっ」

「最初で最後の頼みだ」


 痛みを堪えて起き上がったセシリア―トがまっすぐにランリャを見つめると、いつもは強気のランリャが恨めしそうに顔をしかめて言った。


「~~~~んもうっ! さっさと済ませてすぐに戻ってくるのよ? これ以上の面倒事は嫌なんだから」

「ありがとう」


 煩わしそうにしながらも頼みを聞いてくれるランリャに感謝をして、重たい身体を引きずりながら塔の階段を下りた。


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