第18話 剣を持つかごの鳥Ⅱ
もう何度目かわからないムチ打ちにセシリア―トの意識は朦朧としていた。
質の悪い木綿の服には肉が裂けて血がしみ込み、意識が飛びそうになると目を覚まさせるために水をかけられる。その繰り返しだ。ただ、幸いなことにムチで執拗に打つのは背中のみ。前がはだけて女性だと知られる屈辱的な状況には今のところなっていない。
「貴様ッ、 死にたいのか! さっさと国王陛下を害そうとした理由を吐けッ」
呪詛の証だという木人形片手に、イギルと呼ばれた隊長格らしき兵はセシリア―トに罵声を浴びせた。国王を呪ったのはセシリア―トだと彼らの中では確定のようだ。あとはその理由を聞き出して自白終了。
その筋書きは一体誰が考えたのか。何の力もないセシリア―トをここまで追い詰める理由はもはや一つ。ただ、存在が目障りだから。それ以外考えられない。
そんな自分の考えにセシリア―トは力なく笑った。
「はっ……ははっ」
自虐じみたその笑いをどう捉えたのか、イギルは醜悪な顔で叫ぶ。
「まだ笑う余裕があるとはっ。このッ!」
今までよりも力を込めてムチを振り上げ、そのままセシリア―ト目がけて――。
「――やめろッ」
ムチの先がセシリア―トの肉を強く打つ直前。鋭い制止の声にムチの行先は何もない地面に変わった。
「っ! オ、オスカー様!?」
イギルが振り向いた先には、オスカー・ユーゲルがいた。桃色のふわふわな髪は現王妃と血縁関係を連想させるには充分で、王妃の甥であり、第二王子の従兄でもある青年。華やかな雰囲気を纏う第二王子アイネリオとは違い、静の雰囲気を纏う凛とした佇まいは年齢よりも大人びた顔つきからか。
しかし、ここにいるのは無表情に近い普段のオスカーではなかった。鋭い視線と有無を言わせない圧力をその場の兵たちは全身で感じる。
「オスカー様、なぜこちらに?」
理由のわからない威圧感に、イギルは困惑しながら聞く。
「一体、誰の指示だ?」
「え?」
質問の意図を掴みかねてイギルは思わず聞き返した。だがオスカーは再び同じ質問するだけ。落ち着いて見えるのに、怒りを抑えているようにも見える。意識が朦朧とするセシリア―トをちらりと見たイギルは口を開いた。
「お、王妃様のご命令です」
「王妃様のご命令は、呪詛の証を探せというもののはずだが。……おい、そこのお前。違ったか?」
「はっ、はい! 間違いございませんっ」
突然、指さされた兵の一人が驚きながらも激しくオスカーの問いに同意した。それを一瞥してオスカーは再び男を見た。
「お前、第二兵団のイギル・ミッタ兵長だな」
「はい!」
オスカーに名前を憶えられていたことに嬉しさでも感じたのか、イギルは意気揚々と返事をした。だが、次の瞬間その笑顔は消える。
「これはお前の命令無視とみなす。勝手な行動は兵全体の士気に関わる。……こいつを拘束しろ」
「……へ?」
周りの兵が動くのは早かった。
イギルは肩と腕を押さえられ、セシリア―トのときよりも無様に地面に伏す。咄嗟のことで思わず抵抗するが、ここでの命令の優先順位はオスカーが一番。周りの兵はただその言葉に従うのみ。
そもそも、兵団の兵たちはユーゲル家の私兵たち。彼らにとって、ユーゲル公爵家嫡男のオスカーの言葉は国王よりも重みがあるのだ。
「なっ、なぜですか!?」
「理由を説明する必要が?」
「くっ……!」
なぜ自分が捕らえられたのかわからないイギルは必死にオスカーに懇願するが、オスカーは取り合わない。そのままイギルの横を通り過ぎて、ムチ打ちによって今にも意識が飛びそうなセシリア―トの前に立った。
悲惨な姿をじっと見つめてから、オスカーは静かに問う。
「呪詛の証は塔から発見されました。これは事実です。ですから、いま一度聞きます。国王陛下を呪ったのは殿下ですか」
「……………違、う」
力の入らない首をなんとか持ち上げ、セシリア―トは弱々しくもはっきりと答えた。感情の読めないオスカーの瞳はセシリア―トをまっすぐに見つめる。
「そうですか。では、殿下は濡れ衣を着せられたということでしょうか。……誰に? 心当たりはありませんか」
「……」
何度も脳裏をよぎった光景。それは、昨夜のライラ。何かを手に塔に侵入してすぐに帰っていった彼女は、一体何をやっていたのか。すでに自身の中で答えが出ているその事実に、セシリア―トは強く唇を噛む。
「…………知らない」
それでも、何も答えなかった。
ライラはあのとき、遠くから見てもとても怯えているのがわかった。何か理由があるにしろ、それはきっとやむを得ない事情だろう。彼女の性格はとても穏やかで年相応の少女だ。だからこれ以上、セシリア―トの問題に巻き込むわけにはいかない。
自分はやっていない、関係者もわからない、と頑なにこの件に関与していない姿勢を貫き通すセシリア―トに、オスカーは短くため息をついた。
「ひとまず、殿下がこれ以上衰弱してしまうのは私としても不本意です。今回の件、部下の不手際でした。申し訳ありません。ランリャ医師を呼んであります。……降ろして差し上げろ」
その一言で、兵たちがセシリア―トの拘束具を外した。地面に倒れ込む前にすかさずオスカーが体を支えるが、セシリア―トはその手を払いのける。はっきりとした拒絶に、オスカーは行き場の失った手をぐっと握ってから力なく降ろした。
「……お部屋まで付き添います」
「いい。こ、こから……兵を、引き上げてくれた方がっ……何倍も、嬉しい」
ふらつきながら塔の方へ歩いていく弱々しい体をオスカーは無言で眺めた。
夢を見た。
まだ乳母のエマが生きている頃の夢。
「セシリア―ト王子様、今日はごちそうですね~」
色とりどりの料理が並ぶ机を前にエマは嬉しそうに器にお茶を注ぐ。
「はい、どうぞ。南に位置するイェルカガ国から特別に取り寄せた茶葉らしいです。とっても芳醇な香りですよ」
「これは……最後の晩餐か?」
「まあ!」
エマは一瞬驚いた顔を見せながらも、少女のように小さく頬を膨らませてセシリア―トを睨んだ。
いままで一度もろくな食事が運ばれてきたことはなかった。それなのに、こんな日に限って人生で初めての豪勢な料理だったのだから、セシリア―トの一言も仕方ないものと言えば、仕方ない。
今日は、第二王子が誕生した日だ。
「第二王子殿下の誕生を祝って、国中お祭り騒ぎですよ。城内の全ての人間が今日はご馳走を食べるんです。例外はありません」
満足気にほほ笑むエマに呆れた目を向けながらも、セシリア―トは席につく。貴重な茶葉だというイェルカガ国のお茶に手を伸ばそうとしたら、エマが待ったをかけた。
「セシリア―ト王子様。せっかくなのでお祈りをしましょう。胸の前で手を組んで、目を閉じてください」
「《神》なんて信じていないのに、祈ってどうするんだ」
「祈りは全て《神》に捧げるものではないですよ、王子様」
「え?」
「ほら、いいからいいから。目を閉じてください」
早くご馳走を食べたいのか、エマは祈りをするように急かした。なんとなく釈然としないながらもセシリア―トはそれに従って目を閉じる。
数秒の沈黙。
先に口を開いたのはエマだった。
「王子様、お祈りはできましたか?」
「ん……まあ」
目を開けると、エマがセシリア―トを見てとても穏やかな表情を浮かべていた。なんだかいつもと微妙に様子が違うのは、ご馳走のせいか。
「さあ! せっかくのご馳走です。お腹いーっぱい食べましょう。まずはお茶を飲んで喉を潤してください、王子様」
「あ、ああ、うん。……いただきます」
イェルカガ国産の高級茶は、確かに豊かな香りがした。さらりと甘い香りなのに、口に含むとほんの少しの酸味と苦みを感じ、香りと舌に残る味が絶妙なバランスを作り出していた。
これが王室御用達の料理人たちが真心を込めて作る料理かと感動しながら頬張っていると、その姿を見ながらエマが静かにフォークを置いた。それに気づいてセシリア―トはエマに尋ねる。
「どうひあ?」
「きちんと吞み込んでから話してください。お行儀が悪いですよ、王子様」
「ンくっ……、どうした? もう食べないのか?」
「ええ、もう充分です」
微笑んで首を横に振るエマを見て、何となくセシリア―トもフォークを置いて口の中に入っている料理を咀嚼した。
「王子様、お茶もしっかり飲んでください」
「ん? あ、ああ」
エマに言われるままに、セシリア―トは軽く三杯目のお茶を飲み終えた。
「王子様、ひとつお聞きしても良いですか?」
「なんだ?」
城中にぎやかな雰囲気に包まれているから、今日は小窓から聞こえてくる虫の鳴き声がない。それが妙に不思議に思いつつ、セシリア―トはエマを見た。実母の前王妃より少し若い乳母のエマは珍しく、普段はひとつにまとめているくすんだ緑色の髪を横に流していた。
「国王陛下のことをどう思っていますか? 正直に、嘘偽りなく答えて下さい」
「……陛下のことを?」
「はい。恋しいですか? 憎らしいですか? それとも尊敬していますか?」
突然の質問にセシリア―トは言葉に詰まった。
ふたりの間で今までなんとなく避けてきた国王について、このタイミングで切り出してくるとは思わなかったから。セシリア―トにとって国王は、父親であり、実母を深く愛した人であり、幽閉生活を強いる人であり、そして何よりセシリア―トに無関心な人。一度も会ったことがないため、どんな感情であれ強い思い入れはない。
だから素直に答えた。
「この国の国王であり、それ以上でもそれ以下でもないよ。血のつながりが無条件に愛情を生むものでもないしね。だから恋しくも憎らしくも、尊敬もしていない」
父親の愛情というものに触れたことも見たこともないのに、恋しさなど感じることはないし、神殿の予言に従って国事が動くことはウィンザー王国の昔からの文化だ。国王が私的な感情より政治を優先させるのは理にかなっている。だからといって神殿に全てを左右されてしまう王権の弱さを全身全霊で感じている身としては、尊敬の念を抱く余地はさすがにない。
「本当ですか?」
「ああ。あいにく、愛情はエマ一人で間に合っている」
そう言って、エマの手を優しく握った。セシリア―トの世界に存在する人間はエマだけだ。生まれてからずっとエマと過ごしてきた。姉であり母で世話係であり、時には父でもあった。それはこれからも変わらないだろう。
すると、エマはとてもほっとした表情をした。
「……良かった。本当に良かったです。王子様、約束してください」
「うん?」
「この先もずっと、国王陛下に対して一切の感情も持たないと。親子の愛情はもちろん、憎しみも抱いてはいけません。あなた様の心に誰も住まわせてはいけません」
「……心に?」
「そうです。十六歳の誕生日の日、王子様がここを抜け出すそのときまで、あなた様をここに引き留めるものがあってはならないんです。王子様の心を守れるのは王子様しかいないんです」
手を強く握り返したエマはまるで言い聞かせるように、真剣な眼差しをセシリア―トに向けている。それを見て、セシリア―トは初めてエマの言っていることが理解できなかった。これから先の可能性しか見えていないような、そんなエマの言葉の中に、エマ自身がいない気がする。だから底知れない不安が襲った。
「エ、エマ。……何を言っているんだ?」
「王子様の乳母として、許されないお願いをしているのは重々承知しています。親子の絆を結ぶなと言っているんですから。……ですが、どうかお許しください。私はあなた様に生きてほしい」
「エマ」
瞳に涙を浮かべたエマに、セシリア―トは名前を呼んだ。第二王子の誕生という事実がエマを取り乱させているのか、それとも彼女自身に何かあったのか、セシリア―トにはわからない。けれど、先ほどから感じる胸騒ぎがひどく気になる。
「何かあったのか? 様子が変だよ」
「いいえ……いえ、ありました。ひとつだけ」
「なんだ?」
「そのお茶は国王陛下から頂いたものなんです。とても貴重なんですよ」
イェルカガ国産の高級茶を見ながらエマはほほ笑んだ。だが、お茶の出所なんてセシリア―トにとってはどうでもいい。今聞きたいのはそんなことではない。話を逸らされたように感じたその時、ふと思い出した。
第二王子の誕生は、第一王子の死を意味するということを。
「…………エマ、このお茶は毒なのか。陛下から私は毒薬を賜ったのか」
激しい虚無感が全身を襲って、手に持ったお茶の入ったカップを見つめて呟いた。禍を招くという予言を受けた自分が今まで殺されずに幽閉されていた理由は、王の嫡男がいなかったから。今回、無事に第二王子が生まれたとなればセシリア―トが生かされている理由がなくなったのだ。
しかし、数秒の沈黙のあとエマは静かに首を横に振った。
「いいえ、違います。これは王子様を救うものです。あなた様にと、陛下から直接私が受け取りました」
「……救う?」
「ええ、そうです」
それから、結局セシリア―トはお茶をほぼ一人で飲み干し、エマはたったの一杯しか飲まずにいつも通り眠りについた。
翌朝。
珍しく寝坊したエマを起こしに行くと、彼女の体は冷たくなっていた。




