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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第15話 難問と悪意Ⅱ

 王妃の視線の先はもちろん考古学者ノアだが、意識の中ではセシリア―トもいることは雰囲気で伝わってきた。静かに展示された遺物を見るはずが面倒な展開になったとセシリア―トは内心焦る。


「アイネに出土品の説明や古代レヤ大国のお伽話をしてくれると約束していたでしょう。もう忘れてしまったのかしら」


 困り顔で頬に手のひらを寄せた王妃は、つい守りたくなるようなか弱く可憐な印象を受ける。その様子にふと、セシリア―トは乳母のエマが、生母である前王妃が夏に咲く生命力溢れる野花ならば、今目の前にいる現王妃は春に咲く純真な毒花だと言っていたことを思い出した。


「もちろん、忘れてなどいませんよ。王妃様。アイネリオ王子様は茶菓子に夢中でしたので、少し席を外していただけです」

「まあ、あの子ったら。甘いものに目がないんだから。先ほども虫歯に注意するようランリャ医師に言われたばかりなのに」


 王妃相手でもノアは委縮することなく朗らかに返答をした。身分など関係なく、誰にでも分け隔てなく接することができるのは容易いことではない。考古学者というだけあって、ノアは肝が据わった人間のようだ。

 このままノアを連れて王妃も去ってくれと心の中で切に願うが、そんなわけにはいかなかった。ちらりと王妃の視線がセシリア―トを捉えたのだ。


「……その者は?」

「ああ、この者は――」

「私の助手です。王妃様」


 突然、ノアと王妃の話に誰かが割って入ってきた。しかし、凛と響く声にセシリア―トはすぐにそれが誰だかわかった。

 王妃に支配されていた雰囲気が、その人の登場で少し和らぐ。後ろからやってきたランリャを確認して、それとなくセシリア―トは一歩引いて王妃とは目を合わせないように俯いた。


「あら、ランリャ医師。ということは、その者はあなたの助手なの? 珍しいわね。あなたが誰かを傍に置くなんて」

「そんな大層なことではないです。最近は仕事が多いので一時的にです。ただの雑務しかこなせない者なので関心を寄せる必要すらありません」

「へえ、そう……」


 ランリャの説明で、王妃のセシリア―トに対するほんの少しの興味さえ薄れかけたそのとき、ノアが水を差した。


「何を謙遜しているのですか、ランリャ医師。この者は、侍女は誰一人として興味を示さないこれらの出土品をとても興味深そうに眺めていたんですよ。古代レヤ大国の知識はなくとも関心があるというだけで素晴らしいではないですか」

「まあ、それは稀有な娘ね。確かに侍女たちは皆、商人たちが持ってきた装飾品に釘付けなのに、ひとりでここにいたのね。ランリャ医師が優秀なだけあって、やはり助手であるそなたも賢いのかしら」


 今度こそ、王妃の視線がセシリア―トをしっかりと捉えた。まじまじと見定められるように見られ、心の中で頭を抱えるしかない。

 その状況にまずいなと顔をしかめたランリャが再び口を開いた。


「アイネリオ王子様の診察も済みましたので、我々はこれで失礼致し――」

「ああ、話が途中でしたね。お嬢さん、申し訳ない」

「えっ?」


 まるでランリャ医師の言葉を遮るように言ったノアに、セシリア―トは思わず視線を上げてしまった。隣ではランリャも違和感に眉を寄せている。


「王妃様。先ほどの話ですが、僕はこの者にここの出土品にちなんだ問題を出そうとしていたのです。せっかくこれらに関心があるようでしたので、もっと関心を持ってもらえるようにと思った次第です」

「あらあら、なるほど。それは面白そうね。わたくしが参加してもよろしくって?」

「もちろんです。ですが、王妃様だからといって贔屓はしませんよ?」

「まあ! うふふ、お手柔らかに」


 とんとん拍子で進む話に、もはやセシリア―トがここから去ることは叶わなくなった。王妃までノアの問題に参加するとなれば、さすがのランリャも無理を言ってここからいなくなるのは難しい。

 ちらりとランリャを見ると案の定、諦めろと静かに首を横に振っていた。


「……わかりました。ノア考古学者様の提案、お受けいたします。どうぞ出題なさってください」


 セシリア―トの渋々の了承に、ノアはぱっと笑顔を咲かせ「ノアでいいよ」と言った。さすがにそれは立場的に了承できないので、「ノア様」と呼ぶ。


「それではさっそく問題を出しましょう。古代レヤ大国時代の逸話でこんなものがあります」


――親が濡れ衣を着せられ処刑された美しい村娘が一人いました。その娘は村中の人間から虐げられていましたが、ある日偶然出会った旅人がその境遇を哀れみ友人になり、やがては恋人になりました。そして娘と旅人は村を焼き払う計画を立てていましたが、密かに娘に好意を抱いていた村長の長男が娘を(そそのか)す旅人を殺そうとしました。しかし、返り討ちにあい男は殺されましたが、ある事実を知った娘は旅人を殺して一人で村を焼き払いました。


「復讐劇かしら」


 ノアの話を聞いた王妃は、つまらなそうにそう呟いた。誰が聞いても、娘の村人に対する復讐劇に聞こえる内容だ。


「話というのは立場によって、喜劇にも悲劇にも、ただの復讐劇にもなります。僕が問題を出す部分はここです。娘が恋人である旅人を殺すに至ったある事実とは何か、です」


 娘の復讐に手を貸していた旅人を殺すほどの事実とは一体何か、確かに話の中には出てきていない。根拠となるような内容もなく、答えたとしてもただの憶測になってしまうとセシリア―トは眉を寄せた。


「ノア様。今のお話からだと、何が事実なのかただの推測でお答えすることになってしまいます。つまりは、勘です。それでは良い問題とは言えないのではありませんか」


 その指摘に、ノアは朗らかに答える。


「お嬢さんは論理的に物事を考える癖があるようですね。とても賢い考え方です。しかし、物事を考えるにあたって、人の思考、感情を読めねば論理的な考え方すら脆く崩れ去るでしょう。全ての始まりは“人”なのですから。“人”を理解してこそ物事を理解できるのです」

「……出来事から導き出すのではなく、娘の思考を考えて答えろということですか」

「さすがです。理解が早いですね」


 軽く拍手をする振りのノアが、なぜかセシリア―トの目には胡散臭く見えた。気のせいだろうかと怪訝な視線を送ったが、そんなことを一切知らない王妃は少し思案してからぱんっと手を叩いた。


「こうではなくって? 村で唯一、自分に好意を持ってくれていた村長の長男を殺した旅人が許せなくなった。それで殺してしまったのよ」


 殺した、などという王妃とは似つかわしくない言葉に思わず緩む頬をセシリア―トは引き締める。何の躊躇いもなくその言葉を口にできる王妃への興味は一旦、置いておく。


「残念ですが王妃様、不正解です」

「あら、残念」


 まったく残念そうに見えない王妃をちらりと盗み見みたセシリア―トに、なぜかノアが話を振った。


「お嬢さん、なぜ娘は王妃さまの考えのような思考にならなかったかわかりますか?」

「……その男が密かに娘に好意を抱いていたとしても、娘はそれを知らなかった。殺される直前で知ったところで、その想いは娘にとってなかったも同然ではないでしょうか」

「ふむ。つまり?」

「実際に娘に声をかけ寄り添ったのは旅人のほう。だから村長の長男の死に娘は心が動かないと思います」

「まあ……」


 そこまで言い切って、はたと気づいた。ノア、王妃、ランリャまでもが驚いた表情でじっとセシリア―トを凝視していたからだ。王妃は上品に口元を手で覆っている。


「な、何か?」


 一体なんだろうと狼狽えると、次の瞬間、ランリャは呆れの表情になり、ノアは軽く笑った。


「お見事。その通りだと僕も解釈しています。では、旅人を殺すに至った娘のその心情はわかりますか?」


 人が人を殺す理由。計画的なものではないとすれば、残るは衝動的に犯してしまった可能性が高い。実際、娘もある事実を知ったが故に愛する旅人を殺している。つまり、その旅人自身に関することで衝動的に殺意が愛情を上回ったと考えるのが妥当だ。


 そこで思考を切って、さっさとこの問題を終わらせようとセシリア―トは素直に考えを述べた。


「娘の親の濡れ衣に、その旅人が関わっていたんじゃないでしょうか。でも主犯ではないと思います」

「へえ、理由は?」


 心底面白そうに、ノアはすぐに聞き返してきた。だからセシリア―トも間をあけずに答える。


「旅人を殺した後、娘は村を焼き払っています。復讐が旅人を殺すことで完結していたのなら、村を焼き払う必要はないはずです」

「それはどうだろう。村人たちは娘のことを長年虐げていたんだよ。それだけでも充分、復讐をする理由になると思うけど?」

「虐げられてきた人間に残る感情は何だと思いますか」

「え?」


 質問には答えず、逆に質問してきたセシリア―トにノアは一瞬固まった。セシリア―トは今ノアに冷めた視線を送っていることに気づいていない。


「怒りではなくって?」

「いいえ」


 王妃の答えにセシリア―トは静かに首を振った。セシリア―トをじっと見つめたノアも王妃に続いて答える。


「……恐怖ですか?」

「はじめに抱く感情はそれでしょうね」

「はじめ?」


「疲れよ。もしくは虚無感」


 今まで一切口を挟まなかったランリャが、よく通る凛とした声で答えた。どこか不機嫌そうな表情だが、それは悲しみを表現しているのだと、セシリア―トにはなんとなくわかる。


「そうです。長年虐げられてきた人間はあらゆる感情が死んでいきます。そして最後に残るのは疲れです。ですから、娘に残っていた村人に対する感情は疲れのはず。旅人殺しで復讐が完結していれば村のことなど放っておくでしょう。どんな形であれその者たちと関わることが娘にとっては苦痛で煩わしいのだから」

「……まるで見てきたかのように言うんだね」


 ぽつりと呟いたノアの言葉に、セシリア―トはぎくりと体を強張らせた。確かに、今自分は意図せず感情的になっている気がする。興味深そうな王妃からの視線を受け止める余裕もない。太陽の強い光と相まって、セシリア―トの首筋にじわりと嫌な汗が流れる。

 すると、そこでランリャが助け舟を出してくれた。


「身分の低い者であれば、一度は感じることよ。珍しいことでもない。それでノア考古学者、エディの答えは正解なの?」


 どことなく暗い顔つきだったノアは、気を取り直したのかぱっと笑顔になった。


「話が逸れてしまいましたね、失礼。エディさんの答えは正解です。娘が旅人を殺してしまった理由は、娘の両親を罠にかけたのが旅人だったからです。この話では、旅人は娘がいた村と対抗していた近隣の村出身の人間だったんですよ」

「つまり、その村を壊滅もしくは侵略するために一連のことは全て計画されていたということね」

「その通りです、王妃様。この話は、己の信念が愛をも超える娘の強さを表しているんです」


 納得したような表情で王妃とランリャは頷いた。だが生憎、セシリア―トはそんな気分にはなれない。復讐を成し遂げたら、それは娘の心が強いと言えるのか。セシリア―トにとって甚だ疑問だ。


「では、正解したエディさんには後日、本を届けますね。楽しみにしていてください」

「……ありがとう、ございます」

「ちなみになんですが、今の話、あなたは悲劇だと思いますか? それとも復讐劇?」


 生温い風がさらりと頬を撫でた時、ノアがそんなことを聞いてきた。失笑を堪え、間髪入れずにセシリア―トは答える。


「喜劇です。復讐劇自体が喜劇ですよ。…………くだらない」


 そう呟いた刹那、博覧会が行われているこの緑花宮に、慌てた様子で一人の侍女が入ってきた。血相変えたその表情に、入口近くにいた人間たちが何事かと注目した。そして青ざめた顔色で、皆に聞こえるように叫ぶ。


「たっ、大変です! 王妃様っ」

「騒々しいわね。何事?」


 突然の不測の事態に、王妃は眉を寄せ、周りの侍女たちは叫んだ侍女を睨んだ。セシリア―トもつられて侍女の方を振り向くが、慌てているというより、怯えている様子になぜだか嫌な予感がした。


「塔のっ! ()()()()()がっ、いなくなったと神殿の警備兵から連絡がありましたっ!」

「なんですって!?」


 それは、セシリア―トが塔を抜け出したことを知らせるものだった。


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