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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第13話 狩る者、狩られる者Ⅴ


 雑多な草たちをかき分け、引っかかりそうになる枝を手で押しのける。とにかくセシリア―トとライラは走った。

 だが、弓は飛んでくる。右の肩すれすれに、時には左足を狙って。そんな風にまるで逃げる獲物を弄んでいるかのように飛んでくる弓は、狩人の性格を表しているようだ。セシリア―トにとって、アンガスもヴィンセントも陰険で腹黒であることにそう大差ないと感じている。


 そろそろ走り続けるのは限界だと思っていたとき、ライラが悲鳴をあげた。


「きゃあっ!」


 倒れ込むライラにつられ、セシリア―トも態勢を崩して派手に転んだ。後ろを振り返れば、ライラの肩部分の服が割かれ、出血していた。大怪我ではないが、体力がつきかけ極限の状態であるライラにとって、もはや精神が持ちそうにないことは表情を見ればわかった。


「ライラ、ひとまずこっちにっ!? ――ぐッ」


 木の陰に隠れようとライラを引っ張ったとき、セシリア―トは足に違和感を覚えた。だが休んでなどいられない。痛みを堪えてライラを木の陰に引っ張った。太い幹に背を預け、訳が分からなくなるほど上がった息を整えようと荒い呼吸を繰り返す。

ふと、手に冷たい何かが当たった。


「何だ……これ?」


 しかし、それをよく確認する暇があるはずもなく、狩人ふたりが近くまで来たことが馬の音でわかった。


「おい、貴様。まさか俺の邪魔をしてるんじゃないだろうな?」


 ヴィンセントの矢の放ち方に違和感でも覚えたのか、アンガスはヴィンセントを訝しむ発言をした。二人の弓の腕前がどれほどのものかはわからないが、セシリア―トとライラにとって確かに今まで一度も致命傷となるような一撃はなかった。単純に下手ゆえなのか、逆に狙いがあってのことなのか。その真意はわからない。


「駆け引きって言ってくれないかなぁ。アンガスって昔から被害妄想が激しいよね」

「あ?」


 煽るのが上手い。なぜかセシリア―トは感心しながらも、これ以上アンガスを刺激してどうする気かと不思議に思う。

 隣ではライラが苦しそうに顔を歪めていた。足に、肩に、矢がかすった傷があれば仕方ない。そして彼女もそろそろ限界だ。今このタイミングで再び走り出したとしても格好の的になることは明白。

 走りすぎてくらくらする視界の中、セシリア―トは打開策を必死に考えるがこんな状況下で良い考えなど浮かぶはずもない。空を仰いだその時、アンガスが意味深なことを言った。


「ふんっ。そろそろ終わりにしてやろう。俺は今日、この狩りで大物を狩るといっただろう? 今、まさにそれを仕留めてやるよ」

「ん? 大物って何の――ッが!」


 ヴィンセントの言葉が不自然に途切れた。それと同時に、矢が肉に突き刺さる鈍い音が聞こえた。


「なっ!」


 木の陰から見えたその光景にセシリア―トは目を疑った。

 ヴィンセントの肩に、深々と矢が刺さっていたからだ。しかもそれはアンガスとは真逆の方向から飛んできた矢。じわりと血が滲む肩を見て、アンガスが醜悪な笑みを咲かせた。


「狩りに怪我はつきものだ。なあ、ヴィンセント・エファ・ラバンス」

「くっ……は、ははは。大物だなんて、こうえっ……い、……だなぁ」


 痛みに顔を歪めながらもヴィンセントは憎まれ口をたたいた。だが、勝ちを確信したアンガスにとって、それはただの強がりにしか聞こえない。

 セシリア―トにとって狩人が一人になって嬉しいかと思いきや、最悪な人間の方が残ってしまった。せめてアンガスがヴィンセントに気を取られている間に少しでも距離を取ろうと腰を上げかけたその時、ライラが服を引っ張った。


「ま、まって。 そ、こは、危ないっ」

「え?」


 ライラの視線の先を辿ると、そこには先ほど手に当たったものがあった。良く見ると、それは獣を捕まえる罠のようだ。重さに反応して両側から鋭利な複数の刃が足を挟む、典型的な罠。そんなものが近くにあったことにぎょっとしてさっと離れるが、そこでふとセシリア―トは思った。罠は、これだけか? と。

 辺りを見回す。すると、上手く隠されているようだが、そういった目で見れば自ずと罠が見えた。


「これだ!」


 希望が見えた。そう確信してセシリア―トは覚悟を決める。

 ライラを木の陰に残し、ある場所を目指して突然走りだす。

 もはやアンガスに気づかれようと関係ない。ヴィンセントが打たれたことで、すでにアンガス以外に敵と判断できる人間が周りにいる。ならばもう“逃げる”ことは不可能なのだ。

 がさがさという音と草むらから見えたセシリア―トの姿にアンガスが気づいた。


「はは、そっちも片付けるか!」


 吐き気がするほど嬉しそうなアンガスの声が耳に届くと同時に、弓が放たれる。


「っ!」


 迫りくる矢の痛みを覚悟した。矢が刺さる痛みなど、セシリア―トは知らないが情けなく悲鳴など上げるものか!と咄嗟に歯を食いしばる。

 しかし、それは背後で飛んできた別の矢によってはじき返された。

 そのままセシリア―トは目的の場所で半場倒れ込むように地面に伏す。そして落ちていた矢で地面から草むら、そしてアンガスの近くの木の上まで伸びている紐を勢い良く切った。


 構造的に、紐で編まれた袋で獲物を捕獲する仕掛けのはず。これならアンガスの動きを止められる。そうすれば、あとはどうにかなる。


「――え?」


 が、予想した展開にはならなかった。

 まるで初めからここに罠があるのを知っていたかのように、驚きつつもアンガスはすぐに手綱を離した。それは馬から飛び降りて縄の袋を避ける動きだ。

 失敗した! そう思って絶望しかけたセシリア―トに耳に、ヴィンセントの鋭い声が響いた。


「まだだッ!」


 同時に、ヴィンセントの放った弓がアンガスの馬の足に刺さった。馬は悲鳴をあげ制御を失う。


「――うわッ! お、おいっ」


 暴れる馬を必死に落ち着かせようと、アンガスは咄嗟に手綱を握る。

 ヴィンセントが弓を放った同じタイミングで、ヴィンセントの背後から矢が迫った。しかし、それも予想済みと言わんばかりにヴィンセントは体を捻ってかわす。そのままその矢は真っ直ぐに飛んでいき――、


「ぐああッ!」


 アンガスの右目を潰した。

 まんまと罠にはまったアンガスは紐で編まれた袋に閉じ込められ、悠々と木に吊るされる。その事態に恐れをなしたのか、ヴィンセントの背後では最後まで姿を見せなかったアンガスの私兵が馬を走らせ去っていく音が聞こえた。

 この間、僅か三十秒にも満たない。そんな急展開の連続に、ライラは訳が分からず目を白黒させていた。


 呻くアンガスが頭上にいるまま、足を引きずりながらその場に立ち上がったセシリア―トは、まっすぐにヴィンセントを捉えた。


「……で、まだ続ける気か? この狂った狩りを」


 視線だけで人を射殺せそうなセシリア―トのそれと、答え次第では関係が完全に崩れ去るだろうなと予想される問いかけに、顔色の悪いヴィンセントはさすがに苦笑した。


「まさか」


 おもむろにヴィンセントは胸元から短く細い笛らしき筒を取り出した。そしてそれを口元に近づけると、森全体に響き渡るような澄んだ音が鳴った。


「終わりにしよう」

「…………」


 狩りの終わりを告げる合図に、セシリア―トはますますヴィンセントを睨みつけた。



 ランリャの治療を受けていたセシリア―トが、狩りの中止の知らせを聞いたのはそれからすぐのことだった。終わりの合図の笛を持っているはずのアンガスが、笛が鳴ってからなかなか戻ってこなかったことを不審に思った侍従たちが探しに行ったところ、悲惨な姿のアンガスを見つけたらしい。

 幸いなことに、狩人側にも獲物側にも死人は出なかった。だが怪我人は多数。彼らの治療に奮闘するランリャに断って、治療を終えたセシリア―トとヴィンセントはランリャの天幕にいた。だが、そこに漂う雰囲気は重苦しく殺伐としていた。


「……説明しろ」


 今だに顔色の悪そうなヴィンセントに容赦なくセシリア―トは問い詰める。すると当の本人は少しの間、口をつぐんだ。その様子にセシリア―トはさらに苛ついた。


「まさかとは思うが、あなたはこの狩りをあの男のように楽しんでいたのか?」

「そう見えたなら君はランリャ医師に頭の薬をもらってきた方がいいかもね。強めの」

「……」


 ヴィンセントにしては珍しくセシリア―トに対して直球な嫌味を返した。なんとなくいつもの余裕がないように映る。

 アンガスとふたりして追いかけまわしたことは百歩譲って非難はしないつもりだ。なぜなら、自分たちの逃げ回り方が上手かったから怪我を負わなかったのではなく、きっとヴィンセントはアンガスの妨害をしてくれていたから。それくらいは冷静になった今、セシリア―トはわかっていた。

 しかし、ひとつ解せないことがある。なぜ、笛をあのタイミングで吹いたのかということ。


「あなたは最初からあの男と同じ笛を持っていたんだろう。なぜあの時になって吹いたんだ! もっと早い段階で吹いていたら怪我人は少なかったはず。もっとやりようはいくらでもあっただろう!」

「単純なことさ。あれが一番、効果的だったんだよ」

「何だと?……このッ…………人でなし」


 アンガスの動きを完全に封じ込めることでやっとあの笛が意味を為す。それは理解できる。だったらなおさら、もっと早い段階でアンガスを拉致するなり縛り上げるなりすればよかったのだ。そうすれば、ヴィンセント自身、怪我をすることもなかったはず。


「……あれ?」


 そこでふとセシリア―トの中で何かが引っかかった。

 そもそもなぜ“獲物”であるセシリア―トとライラをふたりで追いかけ回すようにアンガスをけしかけたのか。そしてなぜまんまとアンガスの手の者からの攻撃を受けたのか。王族でしかも敵国の人質という環境下で育ったヴィンセントなら、他人の敵意には敏感なはずだ。もし仮に、全て計算していたことなら? そんな考えが浮かんできてセシリア―トは全身が震えた。恐怖からか、怒りからか、もはや自分ではわからない。


「聞き方を変える。……どこからどこまでが、あなたの計略だ?」


 確信の籠った瞳を向けると、ヴィンセントは無表情に近い顔で口を開いた。


「ちょっと君、俺のこと買い被りすぎではないかい? まさか君が本当に森に入ってくるとは思わなかったよ」

「最初からだな」


 ヴィンセントの言葉を無視してそう結論付けた。

 セシリア―トがライラと出会って、アンガスに見つかったことは偶然かもしれないが、きっとヴィンセントの中ではそれすら想定範囲内の偶然だったのだ。そして彼の計画の大枠からは外れていなかった。きっとヴィンセントの目的は単純明快。

 お互い座った姿勢のまま、ヴィンセントは少し視線を逸らした。今更、気まずさでも感じたのかとセシリア―トは構わず続ける。


「アンガスを再起不能にすることがあなたの目的。それに私を利用したんだな。私がこの狩りの実態を知れば、必ず出しゃばると確信していた。だから中途半端に情報を与えて狩りをかき乱させた。例え、それで狩りが長引き怪我人が増えようがお構いなしに」

「……どう解釈してもらっても良いよ。すでに終わったことだ」


 肩の矢傷を苦しそうに抑えてそう呟いたヴィンセントを見て、セシリア―トはこれ以上の会話は無意味だと悟った。まんまとヴィンセントの計略通りに事が進んだことは癪だが、ヴィンセントのおかげで命拾いしたこともまた事実。


 足をくじいているはずのセシリア―トは立ち上がった。ずきりと鈍い痛みに若干、眉を寄せる。


「どこに行くんだい? あまり動き回らない方が良い」

「あなたは一人ここでゆっくり休んでいろ。頭が冷えるまで。私はライラの様子を見てくる」


 暗に「同じ空間にいたくない」と言われたヴィンセントは肩を竦める代わりに、苦笑した。それを横目にセシリア―トは足を引きずって天幕を出て行った。




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