第12話 狩る者、狩られる者Ⅳ
狩場である森の中に入って早々、馬の足音にセシリア―トはおもわず木の陰に隠れた。そっと聞き耳を立てていると貴族の令息二人が不平をもらしていた。
「くそっ。あの男どこに行った! トロそうだったから良い獲物だと思ったのに、隠れるのが案外うまいな」
「いっそのこと、適当にそこら辺に矢を射るか? そうすれば驚いてでてくるだろ」
「いや、矢を取りに戻るのが面倒だ……。ちっ、男は諦めて足を怪我してる女がいただろ。あいつを探そうぜ。どーせ近くでうずくまってるさ」
彼らの笑い声がどうかその女性に届いていませんように、と願い顔を歪めたセシリア―トは気づいた。自分が隠れている木から少し離れたところ、目を凝らしてやっと見える場所に紺色の侍女服を着た人間がうずくまっている。
そして最悪なことに、それは令息たちが今まさに馬を走らせようとしている方向だった。
「最悪だっ」
声をかけて届く距離ではないし、そもそも叫べばセシリア―ト自身、獲物となってしまう。何とかして彼らの方向を変えなければと考えて、近くに落ちていた小石が目に入った。
これだ!とセシリア―トは小石を手に持って、彼らの進行方向とは真逆に思いっきり投げた。
ガサガサッ!と小石は草むらに落ちる。
それはまるで人が草をかき分けたような音だった。
「……今、向こうで音が聞こえなかったか?」
「ああ、俺も聞こえた」
そう言って彼らは顔を見合わせ、意地の悪そうな表情でにやりとした。それが合図だったのか、馬の腹を勢いよく蹴ると音の方へ駆けて行った。
それを見て、セシリア―トはすぐにうずくまる侍女に走り寄った。
「だいじょっ…………」
「っ!?」
「……なんだ、それ」
侍女の姿に息をのんだ。
そこで森に入ってすぐに感じた違和感の正体に、セシリア―トはやっと気づいた。ここでは、人が獲物として狩られているはずなのに、人の叫び声ひとつ聞こえなかったのだ。森のつくり、風の流れ、そういったものもあるかもしれない。が、大きな要因は今目の前の侍女の姿を見て察した。
涙でぐちゃぐちゃになった顔、その口には白い布が噛まされ声が出せないようにされていた。相当きつく結ばれているのか、布に沿って頬の部分は赤く擦れた跡が痛々しかった。
この光景にセシリア―トは怒りを通り越して、恐怖を抱いた。得体の知れない場所に迷い込んでしまったようですぐには言葉が出ない。
「っ……」
しかし、僅かな血の香りにはっとした。視線を巡らすと侍女は右足から出血していた。矢が掠めた傷だ。決して手際が良いとは言えないが、固く結ばれた布の結び目をなんとか解く。
「はあっ、はあっ、はあっ……だ、だれっ」
空気を求め大きく息を何度も吸う侍女は、突然現れたセシリア―トを警戒した。当然だよなと内心思いつつ、セシリア―トは安心させるように丁寧に答える。
「ランリャ医師の助手だ。狩る側ではないから、落ち着いてほしい」
「えっ……あ、ラン、リャ医師?」
状況が呑み込めず目を白黒させる侍女を前に、セシリア―トは自身のスカートを破った。破れた布を包帯代わりに侍女の足に巻き付け止血する。
「詳しく説明している暇はない。他に同じような状況の人間は何人いるんだ?」
「えっ……えっと……わ、わかりません。二十人ほどはいる、かも……」
その数にセシリア―トはますます眉間のシワを深くする。
侍女の名前を聞くと、おどおどとしながらも「ライラ」だと教えてくれた。クリーム色の髪を後ろの低い位置でひとつに結び、たれ目が印象的な女性だ。ぱっと見、幼さの残る顔つきだが、セシリア―トとそう大差ないように見える。
「ライラ、歩けるか? ひとまず森を出よう」
「えっ!? だ、だめです! 途中で逃げ出すなんてっ」
「何を言ってるんだ。死にかけてるんだぞ!? ここにいたらもっとひどい目にあう!」
なかなか動こうとしないライラを急かすが、彼女は青ざめて必至に首を振る。その様子にセシリア―トは違和感を覚えた。
「……何か、脅されているのか?」
死と隣り合わせのこの狩りに、獲物の侍女や侍従たちは縛られている。命令だとしても逃げ出そうと思えば逃げ出せるはずだ。だがそれをしない。というか、できないが正しいのかもしれない。
この事実に、薄々勘づいていたセシリア―トは正面からライラの肩を抱いて真っ直ぐに見つめる。
「“狩り”から逃げ出した人間はどうなるんだ?」
「…………もっとひどい目に。侍従なら家畜よりもひどい扱いを受けます。きっと死んだ方がマシだと思うような。それから……侍女なら、そ、そのっ……む、無理やりっ」
「――わかった。もういい、しゃべるな」
最後まで言おうとしたライラの言葉を、セシリア―トは遮った。反吐が出るようなおぞましい想像を強制的に止める。理性ある人間の行いとは到底思えない。
「獣以下だなっ」
そう吐き捨て、セシリア―トはライラを無理やり立ち上がらせた。二人の体格差はほぼゼロ。つまり、怪我を負ったライラをセシリア―トがおぶって動き回ることは不可能だ。ならば、なんとか怪我の痛みは我慢してもらい、一刻も早く安全な場所に避難させるしかない。
「えっ! あ、あのっ」
戸惑うライラをよそに、彼女の手を引きセシリア―トは森の外へと走る。
空は憎らしいほど晴れ渡っており、木々の間から場違いなほどに穏やかな木漏れ日がさしていた。馬が通れる通常の道を走ることもできず、必死にチクチクと刺さる雑多な草をかき分けていく。まとわりつく自身の髪の毛と汗が鬱陶しい。
途中よろめくライラを支えながら、セシリア―トは自分の体力がもうほとんどつきかけていることを理解していた。元々、体力がない上に今は病み上がり。誰かに支えられて走ることはできても、誰かを支えて走ることなど本来ならできるはずもない。もはやただの気力で突っ走っている状態だ。
「あっ!」
足に力が入らなくなってきた、そう思った刹那、ガクンと膝が崩れ落ちた。
同時に、ビュンっという音が通り過ぎた。
それは今自分の頭があった位置。
「――え?」
地面に倒れ込んだ状態で、ゆっくりと横を見れば木の幹に深々と矢が刺さっていた。
「ひっ」
短い悲鳴をあげたライラもすぐに頭を抱えてその場にうずくまる。状況を把握するより先にどこか聞き覚えのある声が聞こえた。
「ちっ、外れたか。今、確かにそこにいた気がするんだが」
恐る恐る草の間から覗くと、そこには灰色の髪に神経質そうな顔つきのアンガスがいた。
この非道な狩りの元凶であり最悪な人物と出くわしてしまったことに、セシリア―トの心拍数は上がる。せめて向こうが気づく前にこちらから気づきたかったと心の中で悲鳴をあげるがもはや遅い。
どうやってこの状況を切り抜けるか、そう考えてふいに気づいた。このおぞましい行いを始めた人間なら、終わらせることもできるのではないかと。宰相の一人息子だというアンガスをどうにかすれば、他の貴族令息たちも大人しくさせることができるのかもしれない。
そう思い至ってセシリア―トはゆっくりと立ち上がろうとした。
が、すぐにその考えが甘いと知った。
「ぎゃあッ!」
矢が空気を割く音のすぐあと、セシリア―トの前方ほんの数十メートル先で、男の叫び声が響いた。はっとしてそちらを見ると、侍従らしき男が力なく崩れ落ちる瞬間が目に飛び込んだ。男の肩には矢が刺さっている。
その様子を目の当たりにし、セシリア―トの後ろでうずくまっていたライラも息をのんだ。
『…………………………』
僅かな沈黙がより緊張感を高める。
これが生存本能だろうかとセシリア―トは自分の行動を恨めしく思う。気づけば、少しの吐息も漏らすまいと息を止め、左手ではライラが声をあげないように彼女の口を覆っていたのだ。このまま通り過ぎてくれ、そう心の中で願う。
しかし、アンガスは単純ではなかった。
「……まだいる、な。ちっ、面倒だ。さっさと獲物を仕留めねぇと」
バクバクと破裂しそうな心臓の音を聞きながら、セシリア―トは足に力を入れた。鉛のように重い足だとしても動かさなければ、この状況を打開することなど不可能だ。
静かに大きく息を吸って、吐き出す。
狙いを定めようとアンガスが弓を引く音が聞こえた。
それに応えるようにセシリア―トは覚悟を決め、勢いよく立ち上がり――。
ビュンッ!
「うわッ!!」
全く別の方向からセシリア―トの頭の少し上を狙って矢が風を切った。予想外のことにおもわず尻餅をつく。そして、アンガスなどよりもっとよく聞き覚えのある声が響いた。
「あー、惜しいなぁ。……やあ、アンガス。奇遇だね。狩場が被るなんて」
「……貴様」
この場の雰囲気とはかけ離れた飄々としたヴィンセントの態度に、アンガスの機嫌が急降下したのが見て取れた。アンガスの標的が獲物からヴィンセントへと移る。
「何のつもりだ」
「何、とは?」
アンガスの問いかけに、尚もヴィンセントはすっとぼけたような態度のまま。まるでわざとアンガスを苛つかせているように見える。
すると、いつの間にか額に青筋を立てたアンガスが無言で弓を引く。その先はヴィンセントだ。
「わあ、ついに見境がなくなったか。アンガス・グレンダ」
「ふざけるのも大概にしろよ。ここは俺の狩場だ。貴様、誰の獲物を狙っている? 死にたいようだな」
「物騒だなぁ。お前が何をしようと関係ないが、俺を傷つけた瞬間それは国交問題になるということだけは覚えておいた方がいいよ、アンガス」
ヴィンセントは国同士で取引をした人質。しかもれっきとしたエバンス王国の王子だ。さすがに宰相の一人息子だとしても他国の王族に手を出すことは危険だ。
だが、アンガスはヴィンセントをあざ笑うかのように歪んだ笑みを浮かべた。
「お気楽な奴だな。貴様が人質となって以来、冷遇をしているにも関わらずエバンス王国は何も言ってこないじゃないか。つまり! 貴様はすでに見捨てられているんだよ。たかだか第三王子が身分を盾にしようとするなんて、身の程を知れ。――そろそろ痛い目にあわせてやるよ!」
同時に、アンガスの指から矢が離れた。
「っ!」
ヴィンセントの頬すれすれで矢は飛んでいく。咄嗟にヴィンセントが首を傾け避けなければ、確実に大けがを負っていたところだろう。アンガスは本気でヴィンセントを殺すつもりだ。
その一連の行動にヴィンセントはため息をつきつつも、なぜか薄く笑った。それを見た瞬間、セシリア―トは嫌な予感がした。無意識にライラの手を強く握る。
「狩りに紛れて俺をどうにかしようとしても構わないけど、その間、俺はどんどん獲物を仕留めていくよ」
そう言って、あろうことかヴィンセントはセシリア―トが隠れている方向に弓を向けた。
「なっ!」
ヴィンセントが来たことで助かったなどとほんの少しでも思った自分を殴りたい。そんな気持ちでセシリア―トは足に力を込めた。幸い、尽きた体力は彼らの会話の間に少し戻っていた。ライラを連れて、森の外まであと少しの距離を走り抜けるくらいはある。
もはやここに留まっている方が危険だ。そう判断して、セシリア―トはライラの手を握って走り出した。
「ちっ!」
「さあ、どっちが先に仕留めるかな?」
セシリア―トの背後で二人の狩人が馬を蹴った音がした。




