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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第11話 狩る者、狩られる者Ⅲ


 うめき声をあげながら浅い呼吸を繰り返す男を、ランリャは懸命に治療する。セシリア―トも男が痛みで暴れないように抑えつけ、口に布をくわえさせた。

 グジュリと嫌な音を立てながら、ランリャが背中に突き刺さった矢を一気に抜く。


「――ッ!?」


 激痛に男の体がのけぞった。


「しっかり押さえてっ!」


 男を連れてきた別の侍従とセシリア―トは必至で押さえつける。ランリャの手は男の血でまみれ、額には大粒の汗が浮かんでいた。何度も傷口に布を押し付け止血を試みるが溢れ出る血液は止まらない。

 その光景に絶望した侍従が思わず弱音を吐いた。


「こ、これじゃ……もう」

「黙りなさいっ! 懸命に生きようとしてる患者の前でふざけたこと言ってんじゃないわよ! 私はこの国一の医師よ! 何が何でも助けるッ」


 鋭く叱責したランリャは薬箱を雑にまさぐり、白色の小瓶を取り出した。蓋を開けると中には黄色の粉末が入っている。


「これは琥珀を砕いた粉末とインカの根を混ぜた止血剤。私が知っているもので一番強い止血剤よ」


 そう言って男の傷口に振りまいた。溢れ出る血液と合わさってすぐに赤く染まるが、構わず傷口の縫合も進めた。素早い手さばきにはさすがとしか言いようがない。最後にその上からきつく包帯を巻いた。


「幸い急所は外れているから、ひとまず失血多量さえ防げれば命に問題はないはずよ。あとは薬を処方するわ。状態も状態だし、丸薬より煎じ薬の方がいいわね。エディ、これを外で煎じてきて」


 ランリャは様々な薬草や根が入った袋をセシリア―トに渡した。なぜ人に矢が刺さっているのか、この状況をもっと詳しく知りたいところだが、ひとまずは治療が先だとセシリア―トも素直にうなずいて天幕から出た。



 なんとか火を起こしてから、無事に煎じ薬を煎じ終わり器に入れて持っていこうとしたところで誰かに声をかけられた。


「なんだ? ランリャ医師にこんな助手なんていたか?」


 上等な狩り用の服を身に纏い、傍には侍従を従えている灰色の髪の男がいた。綺麗に整えられた髪に立っているだけで相手に高圧的な印象を抱かせる男だ。

 セシリア―トの行く手を阻むようにその男の後ろにはもう一人、薄桃色でくせ毛の男が冷めた表情で黙ってこちらを見ていた。二人とも狩りに参加している貴族の令息たちだということは一目瞭然だ。

 面倒なのに絡まれたと内心、舌打ちしたい気持ちを隠してセシリア―トは当たり障りない様に接する。


「本日よりランリャ医師の助手としてお手伝いさせて頂いております」

「ふーん……。一匹狼のあのお高くとまったランリャ医師が助手をつけるとは、意外だ。一体、どういう経緯で助手になったんだ?」

「……特別な理由は特にございません。ランリャ医師の気まぐれでしょう。申し訳ありません、煎じ薬を持ってくるように仰せつかっております。私はこれで失礼いたします」


 正直に全てを話すわけもなく、セシリア―トは俯いたまま二人の横を通り過ぎようとした、その時。


「うわっ!?」


 セシリア―トが派手に地面に転んだ。

 手に持っていた煎じ薬は地面に消え、器がころころと男の足元に転がっていった。セシリア―トは何が起こったのか一瞬わからなかった。しかし、何もないところでつまずくはずはない。つまり、足をかけられたのだ。

 セシリア―トの頭上から淡々とした男の声が降り注ぐ。


「この俺が、聞いているだろう? 二度も同じことを言わせるな。答えろ」


 女だから手荒な真似はしない、なんて話は通じ無さそうだ。紳士的な見た目に反して、随分と野蛮で頭がおかしい。怒りや屈辱を感じるよりも、こんな真似をする人間がいるのかと驚きに満ちた瞳でセシリア―トは男を見上げた。それでも視線は合わない。


「……はあ」


 ため息をつきながら転がった器を手に取る。無言で立ち上がって汚れた服を叩いてから、また視線を下げた。今、自分はランリャ医師の助手だ。ここで騒ぎを起こせばランリャに迷惑をかけることになりかねない。とにかく面倒ごとは避けたいという思いでセシリア―トは再び同じことを繰り返した。


「特別な理由はございません。ランリャ医師の気まぐれでしょう」

「……はッ! 仕える医師が医師なだけに、助手も一味違うな。ふむ、いいだろう。今日は趣向を変えてみるか」


 何をするつもりだと怪訝に思いセシリア―トが視線を上げると、ちょうどランリャがいる天幕の方から侍従の男が歩いてきていた。矢が刺さった男を担いできた男だ。きっとランリャに言われてセシリア―トの様子を見に来たのだろう。

 それをまるで獣が獲物を捕らえたような目で見つめた男の様子に、嫌な予感がした。


「おい! お前、こっちへ」


 貴族の令息の命令に逆らえるわけもなく、侍従の男は不安そうな顔でセシリア―トをちらちらと見ながら貴族の令息に歩み寄った。


 途端、貴族の令息が拳を振り上げた。


「え……――ぐぁッ!」

「なっ!」


 突然の暴力に驚くと、止める間もなく何度も何度も貴族の令息は侍従の男を殴り、蹴り、ものの数回で侍従の男は地面に伏してしまった。腹を押さえ痛みに悶えている。

 ふうっと息を吐いた貴族の令息は汚れた手を布で拭き、乱れた髪を優雅に整えた。


「選べ。質問に素直に答えるか、この男と同じ目にあいたいか」


 セシリア―トはぐっと拳を握った。あまりに横暴すぎる態度に怒りを覚えるのと同時に、身分の差がここまで人権を失くしてしまうのかと愕然とした。

 毒づきたいところだが、これ以上相手の神経を逆なですると、無関係な侍従がどんな目にあうか、全く予想がつかない。言葉は通じるのに会話はできないタイプの人間がいるんだなと、そんなことを思っていた。


 黙っているセシリア―トに選択の答えは後者だと結論付けた男が手を振り上げ、拳がセシリア―トの頬に届く直前。


「アンガス」


 別の誰かの声が貴族の令息を止めた。


「もう充分だろう。無駄なことに体力を使うのはうんざりだ。さっさと休もう」


 アンガスと呼んだ先ほどから静観していた薄桃色の髪の男が、かわらず冷めた表情でこちらを見ていた。だが、なぜだか敵意は感じられなかった。


「オスカー。お前、今この俺のことを止めてるのか?」


 ジロリと睨むアンガスを、オスカーは至って冷静に見つめ返して言う。まるで癇癪をおこしかけた子供とその保護者だ。


「お前のために言ってる。さっさとここから立ち去った方がお互いのためだ」

「お互いってなん――」


 そう言いかけた刹那、聞き覚えのある声が響いた。


「おやー? 狙っていた的とは違う別の的を射てしまったアンガスじゃないか。やあ、オスカーも。相変わらずお守りとはご苦労なことだね」

「……貴様」


 地を這うようなアンガスの言葉は、どこからとなく現れたヴィンセントに向けられた。二人を見てオスカーはやれやれと首を振る。ヴィンセントが来ることが分かっていたようだ。


「休憩もせずこんなところで油を売っているなんて、随分と余裕そうだね。先ほどの狩りはまさか俺に一位の座を譲ってくれていたのかな? それならば礼をしないと」

「黙れ、人質風情が。初戦からがっつくなんて、そんな品のないことをするはずないだろう。俺はこの国の宰相の一人息子だぞ。次は貴様より大物を狩るって決まってるんだよ。せいぜい、あがけ」


 飄々とした態度で笑顔を張り付けるヴィンセントに対し、顔を歪めてもの凄い形相で睨むアンガス。その光景を見て、セシリア―トは二人の仲を一瞬で察した。まさに犬猿の仲だ。


「オスカー行くぞ。興覚めだ」


 ヴィンセントが来たことで相手をするのが面倒になったのか、アンガスとオスカーは自分たちの天幕へ戻っていった。去り際、セシリア―トはオスカーと目が合ったがその理由はよくわからない。


「……で? 来て早々、あんな奴の目につくなんて何をしていたんだい?」

「あっ! 大丈夫か!?」


 セシリア―トは急いで地面に伏していた侍従の男に駆け寄った。幸い口が切れて少し出血がある程度、大きな傷はなさそうだ。巻き込んで悪かったと謝りながら、立たせてやった。


「うわ、感謝の言葉もなし?」


 無視したことに対して子供のように不満を口にするヴィンセントをちらりと見る。思いっきり蹴飛ばしたい気持ちを、セシリア―トはなんとか我慢した。わざとやっているのかと叫びたい。


「ヴィンセント()()()。助けて頂き感謝いたします。私どもはランリャ医師のもとへ行かねばなりませんので、これで失礼いたします」

「あー……ああ。それなら、俺も同行しよう」


 自分で言っておいて、セシリア―トの()をやっと思い出したのか、ヴィンセントは胡散臭い笑みを浮かべた。

ランリャの待つ天幕に戻ると、お前たちは一体何をやっているんだという表情で睨まれた。



 翌日、狩りの二日目。

 ランリャと同じ天幕で過ごしていたセシリア―トの元に、ヴィンセントがやってきた。


「狩りの際中、何があっても森には入らないように」

「なぜだ?」


 唐突な言葉にセシリア―トは首を捻った。森に入る予定は今のところないが、逆にそう言われると何かあるのかと勘繰ってしまう。


「理由は言えない。君がいるような場所ではない、とだけ言っておこうかな。……言ったら面倒そうだし」

「何だそれ」


 はっきりとしないヴィンセントに、セシリア―トは訝しんだ。しかし、結局その理由とやらは何も言わずヴィンセントは二回目の狩りへと向かった。

 それならば、とセシリア―トは傍で会話を聞いていたランリャに向きを変える。毎年、医師として参加しているというランリャならわかる話かもしれない。

 じっと見つめていると、ランリャは薬箱の整理をしながら渋い顔した。


「あんたが知ったところで何も変わらないのに、ヴィンセント王子はなぜ隠すのかしらね。まあ、知らなければ良かったと思うことでしょうけど。彼なりの優しさかしら」

「あの人の優しさなんて独りよがりの、ただの迷惑でしかない」

「あら、そう。なら言うけど、あんたここに来て令息たちが狩った獲物は見た?」

「獲物?」


 ランリャに聞かれ、すぐに答えがでなかった。ふと考え込む。

 狩りといえば獲物はうさぎやイノシシ、鹿などだろう。大物と言えば熊や生息地域にもよるが虎なんかもいるのかもしれない。しかし、確かにそれらの獣は一切見ていない。


「そういえば、まだ見ていないな。別の場所に保管してあるのか?」

「嘘」

「え?」


 ランリャの言っている意味がわからず、セシリア―トは聞き返した。すると、薬箱の整理が終わったランリャは身だしなみを整えながらやっとセシリア―トに向いてはっきりと言う。


「見たじゃない昨日。一緒に処置もしたし」

「は? ……いや、まさか」


 一瞬よぎった想像にすうっと全身の体温が下がった。

 昨日、ランリャとセシリア―トは突然運び込まれてきた背に矢が刺さった侍従を治療した。あの時は狩りの誘導で誤って獣と間違われ矢が刺さってしまったのだろうと考えていたが、もしそれが違うのであれば。もしあれが、この場においての()()であれば。


 おぞましい想像にぞくりとした。手先が氷のように冷たくなっていく。


「なっ、んで」

「初日は普通に狩りが行われるわ。狩られた獲物はすぐに別の場所へ保管されるから、私たちがここに着いたときにはなかったのよ。で、二日目の今日は獲物が変わるの」


 渋い顔をしつつも、平然としたランリャの態度にセシリア―トは怒りに似た感情を覚えた。


「なぜそんな風に言えるんだ! どうかしてるっ。こんなこと、陛下も知っているのか!?」

「まさか。これを始めたのはアンガス・グレンダよ。私だってこんな頭のおかしいことはやめろと訴えたわ。そしたらどうなったと思う?」


 紳士の皮を被った凶悪なアンガスのことだ。簡単に予想はつく。セシリア―トは昨日、自分がされたことも思い出し、顔をしかめた。


「あいつが雇ってる私兵にひどい目にあわされかけた。その時はすでに王城で侍医という立場にいたからか、さすがにそれはまずいと言ってラントが止めたわ。でもそれでは気が済まなかったのでしょうね。あの男、次は私の周りの人たちに手を上げていったわ。本当にずる賢くて最低な奴」


 悔しさに顔を歪めるランリャに、セシリア―トは告発すればいいと言った。しかし、ランリャは首を横に振った。


「死人が出ていないから」

「え?」

「狩りに怪我はつきもの。死人がでていない以上、危険な行いではないって王の耳に入る前に突っぱねられたわ」

「……ふざけてるっ」


 セシリア―トは怒りに震えた。そして同時に恥ずかしくなった。この国を治めているはずの王が非道な行いに気づかず、自分がその王族の一員であること。そして公正でなければいけない高官たちは守り慈しむべき民をその手で苦しめているという事実が。


「その死人っていうのが、自分たちの子供だったらなんてことは微塵も考えないんでしょうね」


 ぽつりと呟いたランリャの言葉に、セシリア―トの肩はぴくりと跳ねた。


「……わざわざ教えてくれて感謝する、ランリャ医師。私は少し散歩をしてくる」


 セシリア―トは俯きながら天幕の出口へと歩く、自然と視線は前を向きその歩みはだんだんと早くなり、しまいには駆けだした。

 セシリア―トが何を考えているのか察したランリャは叫ぶ。


「ちょっと! あんた一人が行っても変わらないわ! 世の中はどうしようもないことがあるのよッ! エディ! エディったら!」


 そんなことわかっている。人に身分の差があること、生れ落ちる環境、選ぶことのできない運命。自分自身が一番よくわかっていることだ。

 それでも『何もしないこと』と『足掻いてみること』は全く違う。最近、知ったことだ。


 セシリア―トはそう内心で吐き出し、とにかく走った。


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