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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第10話 狩る者、狩られる者Ⅱ


 目覚めた時、傍にいたのはヴィンセントではなかった。

 すっきりとした頭で部屋を見回すと、


「あんたは体力がないのが一番の問題よ。無駄に毒の耐性がついてるせいで普通ならこの摂取量だとすでに毒に負けてるの。倒れた原因は極度の過労なんだからね。毒抜きは薬でどうにかなるけど、体力増強は自分でどうにかしなさい」


 艶やかな黒髪をひとつにまとめて、白く長い服を着た医師のランリャが小言を並べ立てた。歳があまり変わらない見た目のランリャを見ながら、セシリア―トはぽかんと呆気にとられる。ベッドの上で上半身を起こした状態の病み上がりという状況でも、ランリャはとにかく言いたいことを言い放った。


 部屋の主人であるヴィンセントはどこにいったのか。そしてなぜランリャが当たり前のように自分を診ているのか。混乱しつつも頭の中を整理しようと固まって数秒。


「ちょっと、何をぼうっとしてるの。まだ体調が戻らないの?」


 怪訝な目を向けるランリャにセシリア―トはハッとして首を横に振った。

 外は陽が上っていることから、昼間だと推測できる。それならばヴィンセントは騎士たちに混ざって訓練中なのかもしれない。だからといって他人を自分の部屋に置き去りにして、さらにはまた別の人間を入れておいて自分はいない、という状況をなぜ良しとできたのか。甚だ疑問だ。

 が、とにかくまずは診てもらったことに対して礼を伝えようと口を開きかけて、ぴたりと動きを止めた。


「あ……」


 どこをどう診た?


 背中がひやりとした。

 その現実に気づくのがあまりにも遅い自分に愕然として、一気に顔から血の気が引いていく。いつの間にか口元を隠していた布も取り払われており、髪の毛の色も瞳の色も元に戻っている。


 無意識に手繰り寄せたふとんをぎゅっと掴んで、自分の体を隠すように固まったセシリア―トを見て、ランリャがため息をついて言う。


「……あんたのことなんか誰にも言わないわよ。そんな相手もいないし。だからせっかく毒抜きをしたのにそんな青ざめた顔しないで。そもそもそんな顔するくらいなら、普段から体調に気を付けて医師の助けがいらないようにすることね」


 バレている。

 ランリャはセシリア―トが女だということ、そしてその事実を隠しているということに気づいていた。だが、彼女にとってそんなことはどうでもいいらしい。


「ああ、それとヴィンセント王子から伝言よ。『二つ目は、侍従から助手に昇格』」

「……は?」


 突然の言葉に訳が分からず、思わず聞き返した。するとランリャは心底面倒くさそうにしながらも補足してくれた。


「今日から北の森フェイルで狩り大会よ。それにあんたは私の助手として同行するの。ヴィンセント王子に頼まれたのよ。体力向上のためには歩き回らせるのが良いって」

「狩り大会……」


 ウィンザー王国の北に位置する場所には森が広がっており、その先にエバンス王国との衝突の原因でもある鉱山がある。その森フェイルでは毎年、狩り大会が行われるのだ。国王は参加せず、貴族や騎士といったある一定以上の身分の若い者たちだけで行われる行事。国事ではないため少し砕けた内容だと予想はつく。


 しかし、なぜわざわざ人が多いところに行かないといけないのか。

 なんとも鈍い反応を返したセシリア―トに、ランリャは時間が勿体ないと思ったのか説明を諦め行動に出た。机の上に置かれていた変装道具一式をずいっと押し付けてくる。


「今日中に森へ行かないといけないの。さっさと着替えて出かけるわよ。道中は馬車で行くからその中で寝てても良いから。とにかくさっさと着替えて」


 そしてあれよこれよと言ううちに、医師の()助手が出来上がった。栗色の髪のカツラに顔から半分下は布で覆っている。医師の女助手という設定上、特に違和感はないのだが。セシリア―トは胸元に手を当てた。著しく不健康な体つきのため、仕方ないといえば仕方ない。

 なんとも屈辱的な気持ちになりながら、自然なふくらみになった自身の胸元を見てため息を吐いたのだった。



 北の森フェイルの狩り場にはすでに多くの人間たちが集まっていた。待機場所にはそれぞれの天幕が張られ、武器を運ぶ侍従や茶の用意をする侍女たちが忙しなく動き回っている。呆気なく城を抜け出せたことに拍子抜けしつつも、セシリア―トは多くの人間に少し緊張していた。柔らかな若草の感触を足のうらに感じているとランリャが尋ねてきた。


「ああ、そうだわ。あんたのことなんて呼べばいいの?」

「えっと……エディとでも」

「わかった」


 さすがに本名で呼ぶわけにもいかず、セシリア―トは適当に偽名を使うことにした。咄嗟にでた名前だが特に問題はないようだ。ランリャもすんなりと了解した。

 薬箱を持ったランリャはさっそくどこかへと歩みを進め始める。セシリア―トもはぐれないように黙ってついていく。


 すると興味深そうにキョロキョロと辺りを見回すセシリア―トを見て、ランリャがぶっきらぼうに口を開いた。


「ヴィンセント王子を含め、若い貴族の令息たちはすでに一回目の狩りに行ってる。ここにはいないわよ」

「……別に、ヴィンセント王子を探しているわけじゃないんだが」

「あら、そう。ふーん」

「…………」


 なぜだか今この場で解かなければいけない誤解があるように思えて仕方ないセシリア―トだが、それすら口にするのは憚れる気がする。むしろ口にするのすら屈辱的な何かが。

 まるで魚のように口をパクパクしているとランリャがぴたりと足を止めた。どうやら目的の場所についたようだ。


「患者はどこ?」


 数人が集まる緑色の天幕に入り、ランリャがそう問いかけると一人の男が煩わしそうに視線だけをこちらに向けた。上等な狩り用の動きやすい服を着て、ボタンや装飾には宝石もあしらわれているところを見ると貴族の令息であることは明白。

 傍に控えていた侍従がおどおどした様子で返事をした。


「こ、こちらです!」


 言われた通りランリャが近づくと、男は小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「女のくせに医師などやって、その我の強さでは嫁の貰い手などいないだろうな」


 そんな言葉を投げかけながら、男はランリャに足を差し出した。怪我をしたのは足だということだろう。言葉で言わずに、足を差し出すだけとは感じの悪い男だ。

 セシリア―トはランリャと知り合ってまだ日は浅い。が、それでも彼女の性格上、男の無礼な言動に何も言わないような人間ではないことくらい把握している。王や高官相手にも怯まない度胸の持ち主なのだ。


 傲慢な貴族令息相手にどう出るのか様子を窺ったが、意外なことに予想とは違った。


「足首を触るわ。力を抜いていて」


 驚くことにランリャは言い返すことも顔をしかめることもせず、ただ淡々と医師としての治療を進めた。

 その様子をセシリア―トが不思議に思っていると、男が「いっ!」と声をあげた。それはランリャが男の足首を色々な角度に曲げているところだった。だが顔は痛そうにしていない。


「……軽い捻挫ね。塗り薬を処方しておくわ」


 ランリャは薬箱から塗り薬を出してセシリア―トに渡す。そこではっとして自分は女助手だったことを思い出し、セシリア―トは傍に控えていた男の侍従にそれを手渡した。


「おい、この俺が心配してやってるのに無視か? 俺が爵位を継いだ暁にはお前をこの国から追い出してやってもいいんだぞ。医師なんて他にもいる」

「これで治療は終わりよ。他にも呼ばれているからこれで失礼するわ」

「その時になって後悔しても遅いからな」


 男の安っぽい捨て台詞を聞き流しながら、ランリャとセシリア―トはその天幕を後にした。終始、おどおどと患者の男とランリャの間を行ったり来たりしていた侍従がセシリア―トには印象的だった。


 狩り大会は始まったばかり。特にまだ怪我人も多くなく、ランリャは手持無沙汰に薬の調合をしていた。せっかく城外に出たのだからと天幕内ではなく草の上に直接座ってちまちまと無言で進めるランリャに、セシリア―トはそれとなく尋ねてみた。


「さっきのあの残念な令息とは知り合いなのか?」

「……それ、わざと?」

「え?」

「……いや、何でもないわ。知り合いといえば知り合いよ」


 言い方に刺々しさがある。ただの知り合いではないのだなとセシリア―トは察した。若くして城内で侍医として才能を認められていることや、貴族の令息を軽く扱える様子を見ても、ランリャはただの医師とは考えにくい。

 そもそも、ランリャの髪色は艶やかな黒髪。あえて触れてはいなかったが、何らかの形で神殿と関わりがあると思っていいだろう。


「はあ……。従兄で昔の婚約者だった男よ。今は何の関係もないわ。私が家と絶縁してるから」

「え」


 突然のヘビーな内容にセシリア―トは驚いた。自分のことは語らない性格だろうと勝手に思っていたので、こうも容易く暴露するなんて意外だ。

 その気持ちが顔に出ていたのか、ランリャはじろりと睨んでから「ぷっ」と笑みをこぼした。ますます意外な反応だ。

 セシリア―トが状況を掴めず目を白黒させていると、今までにないくらいランリャは饒舌に話し始めた。


「私の生い立ちは、私が城で働き始めてから凄く話題になったのよ。侍女や侍従たちだけじゃなくて、下働きや末端の兵士たちも噂していたわ。つまり、普通に城にいれば私のことはある程度知っていて当然。城下の街でも一時は噂になったほどよ。それなのに、あんたは私とあの男の関係すら知らずに純真無垢な顔で聞いてきた。あー、面白い。久しぶりよ、その反応」

「あ……ああ、なるほど」


 自分の失態に気づいてセシリア―トはため息をついた。外界との接触が皆無だったため、その時々で話題になった噂話や人間関係などは知らない。この調子で他人と話していてはすぐに違和感を持たれて正体を探られてしまうかもしれない。そう思ってセシリア―トは反省した。


「あの馬鹿男はラント・チェスター。チェスター伯爵家の嫡子よ。あいつの言っていた通り、そのうちあいつが爵位を継ぐでしょうね」

「伯爵家って……思っていたより身分が高いんだな」


 “あんなのでも”という言葉は言わずに呑み込んだ。

 それにしても、伯爵家の一人息子と婚約関係を結べるということは、ランリャはそれなりに身分の高い貴族出身ということになる。そして彼女自身、見事な黒髪。頭の中で一瞬にして結びついてしまった予想に、セシリア―トの鼓動が早くなった。


「ラン、リャ医師の……その、姓は」


 わずかに震える唇を動かして、そう問いかけて後悔した。


「アイデルシオ。“元”だけどね」


 ガシャン!

 手に持っていたすり鉢と乳棒が滑り落ち、大きな音を立てて床に打ち付けられた。真っ二つに割れたすり鉢とその音にランリャは驚いた。

 “アイデルシオ”は、前大神官と同じ姓だ。()()()の光景がちらついて指先が冷たくなった。

 青ざめるセシリア―トは急いで破片をかき集める。


「す、すまないっ。……いたっ!」

「ちょっと、何やってんのよ」


 素手で破片を触ったことで、セシリア―トは指先を切ってしまった。ランリャは手際よく破片を取り上げて消毒をしてくれる。

 当然、セシリア―トの指先が震えていることも顔色が悪くなったことも気づいている。が、何も言わなかった。


「……病み上がりで少し歩き回らせたかもね。少し休んでいなさい。嫌でもあとで忙しくなるわ」

「え? どういう」

「――ラリャ医師! ランリャ医師はどこですかーっ!?」


 聞きかけ、誰かが大声でランリャを呼んだ。森の方から男がこちらに向かって走ってくる。背にはぐったりとした人を背負っているのが遠目に見えた。


「おかしいわね。……今年はやけに早い」


 その光景に眉を顰め呟いたランリャはすぐに薬箱を持って、男に走り寄る。セシリア―トも急いで男のもとに行くと、背負われていた男を見て言葉を失った。


 狩り用の矢が、なぜか深々と背中に刺さっていたのだ。


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