ヴァッサークッペ〜彼女は坂を登り続けた〜
朝ご飯は、貝の出汁が効いている海鮮カレーライス。
ラギの料理は香辛料で成り立っているので、確かにカレーが出てくるのはわかる。
皿の上を埋め尽くすズワイガニ。いわゆる、プーパッポンカリーだ。
朝から食うものかと思うと疑問だが、まあうまい。
そしてラッシーと思いきや、ノーマルの牛乳だった。しかしこの牛乳ですら何やらランクの高い牛乳らしく、牛乳特有のなんだか喉に引っかかる感じもなく、サラサラと喉奥に流れていく。
それを、オーシャンビューのレストランにていただくわけだ。
今は朝の八時。こんな時間でもタンカー船やら何やらが港を出入りしている。
というのも、すぐ近くには京国の『隅扇島』がある。
京国に至る陸路は、険しい山脈が寸断している。
だので陸路は実質ないのだ。という話を、だいぶ前に『玉隅』で聞いた気がする。
そのため、この国境地の西側は海路にて京国に向かう事になる。
* * * * *
ところで、イリーネさんは今朝も部屋にきた。
どうせ今日だか明日だかで最後だ。
彼女が何を考えているかなんてついにわからないままだが、この『海兵隊』ごっこに付き合うことにした。
イリーネさんのモーニングコールがくる前までに着替えを済ませて、顔を洗って髭を剃り、ベッドをきちんと敷き直す。
……今日のは一層厳しかった。
無言で部屋に上がり込んでくるのはいつも通りだが、腕を組んで、口をぎゅ……っと横一文字に閉じ、明らかに落ち着きがなかった。
そしてチェックが厳しかった。
イリーネさんからの『焦り』というのか『イライラ』が伝わってきて、僕は怖いのを通り越して嫌になっていた。
ともすれば観光客いじめか!? とよくない考えに陥りかけもしたが、もう何でもいい。
どうせあと二日の仲なんだ。
* * * * *
今日向かう、リヒト最後の都市。ヴァッサークッペ(京浜玉野黒)は、ハイデ・アルエルクからさらに北西に移動し、
三方向が山に囲まれている都市だ。北側の山の反対側には京国『玉隅』がある。
徳島を北とする『縦四国』でいうところの高知県、大川村のあたり……になるのだろうか。
十一時になり、支庁が開くと僕たちは市長との面会を済ませる。
これまたナイスミドルが出てきた。
品のいい調えられた口髭。そして知性を感じる佇まいだ。
本当にリヒトの西側にいる男性は顔面の偏差値も高いのが鼻につく。……いや鼻につくは言い過ぎだ。
羨ましい。
とにかく俳優さんみたいな人ばかりだった。
そしてこれをまた言われた。
「くれぐれも、よろしくお願いいたします」
だから、僕は明日か明後日には仙神堀の空港から日本に帰るのだ。
そしたらもう、こんな大陸とは無縁の生活を送るのだ。
今更何も、お願いされることなどないのだ。
* * * * *
大陸での思い出を振り返れば、決して悪い旅ではなかった。
そりゃあ、一ヶ月以上、座ってるか寝てるかのどちらかなので、
慢性的な腰の痛みは与えられたし、リハビリに数ヶ月は要するだろう。
それに危険な目にもあったし、恥ずかしい思いもした。
結局親父がここで何をしたのかは、多分、分からずじまいだ。
まあ問題ないだろう。『お前には何も残さん』と遺書ではっきり言ってきたのだ。むしろここまでしてやった僕に感謝してほしい。
車は、山の奥に進んでいく。
「いやー了様、本当にご苦労様でした。これから向かうのがリヒトでの最後の都市、『ヴァッサークッペ』にございます。
国境地で人口はラァジの指針する二十段階評価のうち六。田舎の街です。
到着は例によって夜になるのですが……今日に限っては今夜中に市長と面会できますので」
それはまたなぜだろう? と思わなくもなかったが、僕の心はもうこの旅の総括に入っており、エルザの言葉を話半分にぼんやり外の景色を眺めているだけだった。
ハイデ・アルエルクを抜けたと思ったらデコデコした道に差し掛かる。悪路だ。なんとも、玉隅のことを思い出す。
そして民家など一軒も建っていない。
本当にこの先に都市などあるのか? と疑ってしまうほどの山道だった。
道路は一車線。視界の遠くに見える電線のみが、文明を感じさせる唯一のものだった。
「リヒト西部にも、こういう場所があるんですね……」
悪気があったわけでも嫌味でもなく、僕は思ったことを言ってしまった。
「うん、そうですねー。正直、山を挟んだ京国を監視するためだけの都市とも言われているくらいですから。
名産もこれといってありませんし、ヴァッサークッペからリヒトの都心に来た人間のことを揶揄するミームもあるんですよ。
日本語でいうところの『お上りさん』みたいなことでしょうかね」
なんだってそんな場所が最後の都市なんだ。と思わなくもない。
どうせなら、ハイデ・アルエルクの港町を最後にしてくれたらエモい……というか印象に残る旅だと思うし……
あれ? 考えてみたらどうせ、船で隅扇島に行くことになるんだから、普通に考えればリヒト国のゴール……というか最後に回るべき都市は、
ハイデ・アルエルクのはずだ。
なぜここが最後なんだ……?
と、僕が疑問に思う頃には、全てが遅かった。
……全てが遅かったというよりも、最初から僕は彼らのしいたレールの上をただ走っていただけだったのだ。
そのことを、ようやく思い出した。それだけのことだ。
* * * * *
結局、デコデコしてウネウネした山道を登っていき、崖から下にはハイデ・アルエルク。遠くには首都、シュワルツワルト。ヴェーザーなど都市群が見渡せる。
そして僕たちが山道を登っていくのと比例して、太陽は沈んでいく。
本当に『リヒトの西側か!?』と言いたくなるほど、道は整備されてなくつまり、街灯なんてないわけだ。
最後の都市にして、なかなか緊張感のある山道だ。
道中、何度か鹿さんが狭い一車線の車道を横切った。
* * * * *
ヴァッサークッペとは、一言で言ってしまうと、駐留している軍人さんのための街だ。
とりあえず若者を見かけたら、軍人さんだと思ったらいいだろう。
山道を登って、割と開けた土地に出てきた僕らを出迎えたのは、四台ほどのアルメーだった。
郊外には一般人も暮らしていて、小学校、中学校まではあるらしい。郊外って……もっと標高の高い場所だろうか。
高校まで進学するならこの山を降りて、ハイデ・アルエルク、もしくはモーゼルまで通わせるのだそうだ。
坂の上の学校……。玉隅と同じじゃないか。
ところで、僕らが都心部……というか軍事基地まで辿り着いた時には、夜の七時を回っていた。
「この時間でも市長さんが対応してくれるのは、市庁がないからですか?」
僕が聞いてみると……
「いいえ。ちゃんと市庁はありますよ?」
などと言う。
こんな山奥で働いている市長さんが、こんな時間まで僕らを待ってくれている!? リヒト人なのに!?
そんなわけがなかろう。
頭の中が疑問符で埋まっている僕が連れて行かれたのは、なんてことはない。民家だった。
民家と言っても基地の中にある、いわゆる兵隊さんの暮らす民家なのだが、その中でも一等立派に見える。
* * * * *
出迎えてくれたのは、案の定がっしりとしたリヒト人だった。
「了様、紹介いたしますわ。
アルフレート・ミュラー市長です」
「初めまして」
控えめな笑顔の、いかにも強そうな方だった。
しかし、市長の家まで出向くと言う展開は初めてだ。
明日のスケジュールがそこまで押しているのだろうか?
疑問に思いながら握手に応じると……
「さ、上がってください」
と、リビングまで案内された。
正直、ここで儀式をして終わりだと思っていた。
なんだか分からずリビングまで行くと、奥様が手料理を振る舞ってくれている。
牛刺し丼。リヒトの家庭料理だ。
はて? ここで一泊させてもらう、ということだろうか?
分からないでいると……
「イリーネ、お前も了様の隣に座りなさい」
アルフレートさんが言った。
すると……
「……はい。お父様」
そう言って、イリーネさんが僕の隣に座った。
なるほどそういうことだったのか。
ここはイリーネさんの出身地で、彼女のお父さんが市長さんだったわけだ。
ならば、勤務時間外で僕らに会ってくれるのも納得はいく。家族に会うわけだから。
しばらく我々は、他愛もない談笑をしていた。
主にイリーネさんの話だ。
彼女は中学を卒業するまでは、プリンツシュトゥルムの選手を目指して坂の上の学校まで通い続けた。
ヴァッサークッペは田舎だ。男の子のチームに紛れてチームのエースになった。
そら、数年間この坂道を登り続ければ足腰も強くなるはずだ。
高校からはモーゼルに通い、そこが彼女の第二の故郷になった。
優秀すぎたイリーネさんはシュワルツワルトの国立大に入学。
しかしデスクワークに興味のなかったイリーネさんは軍の士官学校に行くか、プリンツシュトゥルムの選手になるかで迷った末に、当時女性は競技に参加もさせてもらえなかったプリンツシュツルムの選手になるためにモーゼルに行った。
それからは僕でも知ってるストーリーに続く。
スポーツは男のものと言う概念を彼女は覆し、今のプリンツシュトゥルムと言う競技が生まれた。
旅の最後に、嫌いになりかけてた人の一面をしれて、僕もなんだか満足したあたりで……雲行きが怪しくなった。
突然のエルザの一言だ。
「それで、お二人の挙式のことですけれども……」
出た出た。エルザのいつもの冗談だ。くらいに思っていた。
「……うん。父親としては、この子が選んだ相手に文句はない。
しばらく会えなくなるのは寂しく思うが……幸雄様の息子だ。娘を幸せにしてもらえるものだと思う」
そして突然、立ち上がった。
「娘を、よろしくお願いします」
……ここで僕がスリッパで以って彼の頭を引っ叩いたら、この話は冗談。と言うことになるだろうか?
絶対にそうならなくなってしまったのは、イリーネさんも立ち上がってしまったからだ。
「……なんの、ことですか?」
正直声が上ずっていたと思う。
するとエルザは続ける。
「何って、お二人の結婚ですよ。ジークで決闘を行ったじゃないですか」
この言葉とともに、頭の奥の隅の隅に封印していた思い出が掘り起こされた。
「は……はい?」
ここから次々と不条理なことが起きる。
まずは、家のインターホンが鳴った。奥様が対応している間……
僕らの空気は凍結されていたかのように動かなかった。
何かを言いたいし、言うべきだ。
なのになぜだかそれが許されなかった。
家に入ってきたのは……これまた予想外の人物たちだった。
「ご無沙汰しております。了様」
久々にみる、チビの京人。綾氏。そしてでっかい男、エゴンだ。
なぜか自然と防衛本能が働いた。
今すぐなんとかしろ! じゃないと……一生この大陸から関わりを断てないぞ!?
* * * * *
「ちょ……! なんですかこれは!? 僕は日本に帰れるんですよね!?」
すると、綾氏は心から申し訳ない、といった声を絞り出した。
「ええ。しかし……それにはあと、数年かかるかもしれません」
「綾氏さん!? ……あんたら……まさか最初から、僕を大陸から出す気がなかった……?」
「オメーには、まだやってもらわなきゃならない事があんだよ」
威圧的な声でエゴンが言う。
頭がのぼせ上がった僕は、思わず立ち上がり、その後の事も考えずに部屋から飛び出した……が、
綾氏から当て身をうけて、その場に崩れ落ちた。
「了様、申し訳ない。我々の運命がかかっておるのです……」




