ハイデ・アルエルク〜彼らは山を登った。自由を勝ち取るために〜
昨日の晩みたいなことがあったから、僕とイリーネさんとの関係値も変わっただろう。
なんというか、少しでも彼女のトゲ……いやトゲと言うのは違うな。
……圧? みたいなのが、和らいでくれることを祈った。
イリーネさんとの関係値は、僕が望まない形で変わった。
昨晩僕に見せてくれたあの恥じらい顔は、無かったことになっているのか、それとも心底ドライな人間なのか、それとも本当にリヒトの技術の推移を集結させたサイボーグがイリーネさんなのか、毎朝の僕の支度は彼女がマンツーで面倒見るようになった。
美人にお世話してもらって羨ましいと想うかい? 現実はそんな生やさしいものではない。
むしろ、彼女の『審査』は日に日に厳しくなってくる。
最近は、彼女が僕の部屋のノックをするときには、起きていて着替えが済んでいないと許されないような空気感になっていた。
しかもただ起きて着替えていればいいと言うものではない。
サングラスにスーツ姿の仏頂面で部屋に上がり込んできて彼女は腕を組み、僕の部屋の状態を一瞥すると、
黙ってベッドを指差した。
言いたいことはこうだ。「使い終わったベッドが乱れている。全て部屋に入ってくる前の状態に戻せ」
僕は海兵隊志願者か!? 何かの動画で見たことがある。朝方にベッドメイクが完璧じゃないと、上官に怒られるアレだ。
本当にこの人が何を考えていて、僕に何をさせたいのか全くわからず、ともすればそれを質問することすら許されないこの空気。
イリーネさんのせいで、『若干面倒臭いが呑気な僕と親父の旅』が、『怠惰な人間に対する更生プロジェクト』になってしまった。
そして食事中は必ず僕の隣に座るようになった。食べこぼしのパン屑が、テーブルに落ちようものなら僕の手首を掴み、食事を中断させてまずは清掃をさせる。
おかげで美味なはずのリヒト料理の味に集中できない。
僕はイリーネさんを心の中で『鬼軍曹』と呼ぶことにした。
* * * * *
悪い面だけではない。それがたとえ『朝の散歩』であっても、僕の身なりはビシっとしていて、靴先までピカピカ。
背筋は『しゃん』と伸びており、とても寝起き一時間後とは微塵も感じさせないであろう身なりになった。
昨日見せてもらった『赤いサボテン』の景色は、息を呑む美しさだった。
サボテンって、『木』だったんだなあ……なんて安直で、貧相な感想しか出てこないが、
サボテンにもちゃんと幹があり、根があり、花が咲くのを目で見て、そういえば人生においてこんな巨大なサボテンを見たことがないことに気がついた。
「このサボテンが赤くなる理由は諸説あります。
この辺りには真水がなく、地中の塩分が高いために葉緑素を捨てた。という説が有力ですね」
「じゃあ、何を養分としてるんですか?」
何気ない僕のこんな質問に、エルザは……
「動物の死体と言われてるんです。この辺りは、日中気温も高くなりますから。水分不足で行き倒れる野生動物も多いのです。
その動物からタンパク質や鉄分を吸収した結果、あのような色になったと言われています」
なんだかおっかないことを言われた。しかし現実に見る真っ赤なサボテン群と、その奥に見える巨大な山脈は、息を呑むほど美しい。
それがたとえ、動物たちの悲劇の死によって成り立つ景色だとしてもだ。
弱者は命を吸われ、美しいものを輝かせる。……ある意味、リヒトを象徴する景色に思えてしまった。
* * * * *
身なりに気をつけているという自信もあり、市長には堂々と会えるようにはなった。
厳しいマネージャーがついているもんで、僕の格好には隙がないはずだ。
モーゼルの市長さんも、全身にセレブと書いてあるいかにもなセレブだったが、足元を見られずには済んだだろう。
* * * * *
考えてみればもうすぐ僕の旅は終わる。
今から向かう『ハイデ・アルエルク』、もしくは『堀綾大志』を含めて、あと二都市だ。
正直な気持ちを正直に述べさせてもらえるなら、「ああようやく日本に帰れる」 だ。
そりゃあ、特にリヒト西部の暮らしというのは、世界中の誰もが羨む生活なのかもしれない。
だけれども僕がそんな生活をしていると考えると、なぜだろう。笑ってしまうのだ。
ここは僕の居場所じゃない。親父にとっては違うとしても、京も、東リヒトも、西リヒトも、僕のいるべき場所じゃない。
やっぱり僕は、どこまでも日本人なんだ。
ここにいるのは、……それは日本政府から頼まれたお仕事なのかもしれないが、それも終わったらもう関係はなくなる。
後少しで帰れる。
そう考えると、鬼軍曹からの厳しいマンマークにも耐えられるし、馬鹿馬鹿しいぐらいのセレブリティな生活も俯瞰でいられる。
車はモーゼルを出て、北西の港町へ向かう。大陸を横断する巨大な山脈が段々と主張を増していき、
京国との国境地帯が近づいてきているのだと感じた。
「了様。これから向かう都市はハイデ・アルエルク。人口はラァジの指針する二十段階評価のうち十五。
港町で富裕層に人気があり、何より観光地としての一面もある、まさにリヒトの顔とも呼べる街です」
僕は、会社を辞める日に後輩に言われた言葉を思い出した。
『先輩も食べてくださいよ。ハイデの海鮮丼』
なるほど。外国人からの人気も高い大都市で、海沿いの、富裕層に人気のある都市か。
……今度こそ港区じゃないか。
そんなハイデ・アルエルク。もしくは堀綾大志は、徳島を北とする縦四国で言うところの愛媛県西条市あたり……だろうか。
都心部は海に面しており、沿岸に巨人の銅像が立っており、大陸の外に向けて指を刺している。日本でも見たことがある、ラギ大陸で有名な景色だ。
なんてことを考えている間に、高い高い山の麓に、ビル群の灯が見えてきた。
* * * * *
なるほどこれは大都市だ。まごうことなき大都市だ。
車も人も多い建物は高い、物も人も声がデカい。都会などと言う場所は、どこまで行っても都会なのだと感じさせられる。
……まあ、見上げれば高い山があり、山の麓の大都会。と言うのが若干変わっているだけだ。
だからなぜだろう。大都会でありながら山と海のせいで長閑な面もあると言う、本当に不思議な場所だ。
例えば、神奈川県逗子市。その山を取っ払ったら大都会になると思わないだろうか?
例えば、広島県尾道。周りの山を取っ払ったら大都会ではないだろうか?
それに近い感じだ。
まあ強いていえば、逗子や尾道よりも建物の数が激しく高く夜なのに人が多いみたいな違いはある。
車を降りて、海と、北の山と、街を見渡せる場所までやってきた。
なんだか久しぶりに見るが、相変わらず主張の激しい巨大な山だ。
あの奥に、京国がある。
「了様、リヒトの戦いはね、徹底された全体主義への反抗だったんですよ」
夜の山を眺めながらエルザがつぶやいた。
「京国に行ったことがある了様ならわかるでしょう? 人間一人一人に、生まれてから死ぬまで何かしらの役割を背負わされて、
それが幸せなんだと思い込ませる。自分が辛いのは国のため。自分の幸せは国のもの。体面こそ治安の良くて結束力の強い国。でも中身は『マスラオ』みたいに空っぽ。
復興期を乗り越え、京国はリヒトにもその風潮を押し付けようとしてきました。
だから私たちはあの山を越えたんです。『カンプフ・フュア・ディー・フライハイト』『私たちは私たちである!』そう叫びながら、鉄の鎧を身に纏い、山を登ったんです」
エルザは、有名な沿岸の巨人像を指差した。
「彼はギルベルト・ハインリヒ。第三次大戦の指導者です。そして、リヒト人にこの景色を与えてくれたと言われている人物です。
……リヒト東部の実状も理解してます。課題も多い国です。それでも、見てください了様」
エルザは僕の前に立ち、両手を広げて見せた。
「『私は私』これを大声で叫べるのがリヒトと言う国です。これが、私たちが勝ち取った景色なんですよ」
言わされているのではない。何かのセリフでもない。本人の言葉だ。
これと似たような言葉を、皮肉なことに丁度山の反対側にある海沿いの都市で、僕は言われたのを思い出した。
言い分は真逆だが、彼女と全く同じ目をしていた。
* * * * *
元職場の後輩に勧められた海鮮丼は、確かに美味かったし、日本で食べた偽物とは全く違うと思い知らされた。
……具体的にどう違うのか聞かれると、困ってしまう部分はある。
明日行く都市で、僕の旅は終わる。




