モーゼル〜スポーツの概念を変えた名選手〜
まずは、ドナウ・ホテルのレビューをしないとなるまい。
大陸一のセレブが停まるホテルだ。
それは意外なことに、森の中にあった。
車など通れぬ、獣道とも言える細い細い、背の高い植物の間の道をフロントまで歩いていくのだが、
もちろん地面からLEDライトが煌々と灯っているので懐中電灯など必要ない。
背の高い植物も、これも日頃から計算に計算を重ねて整備されているのだろう、枝葉が歩道に干渉しないように群生している。
よって、不衛生感は感じないのと同時に、テーマパーク感も感じないという、野生と文明社会の境界を絶妙なラインで攻めてくる。
まずは匂いだ。当然、道中土の匂いがするのだが、鼻を突く程の……いわゆる、田舎の田んぼの匂いとは違う。
かといって、人工物の匂いも感じない。あくまで自然の匂いだ。ここも絶妙だ。
そして、背の高い……ニューギニアのジャングルを彷彿とさせる亜熱帯の背の高い木々に囲まれてホテルはあり、フロントはなんと外に直接面していた。
エルザがチェックインを済ませると、フロントがベルを鳴らす。すると五から六人の男が駆けつけてきて……我々の前に跪く。
「我々はあなた方の召使いです」という演出だろう。しかしこれがそんじょそこらの役者など相手にならないくらい堂に入っていた。
所作表情の一つ一つに嫌味がなく、初めて会うのに数十年前からこんな関係性だったか? と勘違いしてしまうほどの自然さだ。
これが演技の真髄なのか、『我々は召使いである』とアピールするのではなく、相手にそう感じさせるのだ。
だから信頼しきってしまい、自然に親父や位牌を預けてしまった。
ホテルの敷地内は流石に面積が広いらしく、フロントから各部屋への移動は使用人の運転する小型車に乗っての移動になる。
夜なので、景観も相まってちょっとしたナイトクルーズだ。
木しか見えないかと聞かれるとそんなことは決してなく、森に溶け込むようにナイトプール。テニスコート等が見える。
いかんせん森の中なので、虫が飛んでそうなイメージが拭い去れないのだが、これがどういう技術を用いているのかわからないが、とりあえず不愉快を感じさせるものは飛んでいなかった。
ドライバーは話術にも優れており、信頼感と親しみやすさが、当たり前のように同席していた。
それで話を聞いて驚いたのだが、この道路にはヤシガニが見られることがあるのだという。
一切の不快感をトリミングした、アドベンチャー。
いや、さすがリヒトである。
向かったのは食事処だ。
このホテルにレストランはもちろん存在するが、我々が案内されたのは大きめの『あずま屋』のような建物だ。
すでにシェフが一名控えており、下準備を済ませていた。
中央には円卓。これにはガスが通っているのだろう。
電灯は、四方八方に灯された炎だ。
つまりまあ、海外の、火鍋スタイルなのだが蚊や蛾が一匹も飛んでないのは、本当にどういう技術なのだろう……?
前菜はサラダ。そして海鮮のマリネ。ただでさえ空腹だったがふんだんに使われる香辛料の香りが胃を刺激して、メインディッシュは鍋だ。
こればかりはリヒト料理なので馴染みのないものだったが、近いのはいわゆる『牡丹鍋』だろうか?
『猪の肉を使っている』そうなので豚ではないのだろう。鍋の中は『火鍋』よろしく二つの層に分けられており、
片方は出汁は魚介と豚骨。もう片方は猪の血が使われている。まさに白色と赤色で分かれている。
そこに、匂いから判別するに八角と、クミンシード。カルダモンも入っているかもしれない。香菜系のスパイスも含まれているだろうか?
野菜は主にキャベツ。そしてセロリだろうか? 文章だけで説明すると闇鍋もいい所だが、不思議なことにこれが美味かった。
豚骨と牡丹肉なんてそれこそ、匂いの戦争が起きそうな気がするがそれを、香辛料がうまく中和して、日本人には馴染みのない匂と味には違いないが、
「まあ高級だよね」という一種の、誠実さは伝わってくる。
そしてこれがまた、地元の酒と合うんだ……。
牡丹肉の印象なんて、それこそ日本では癖があって口の中に匂いが広がり、噛みにくいというジビエだが、リヒトでは日本の某有名トンカツ専門店よりも肉が柔らかく、まあ、歯は要らないだろう。
香辛料も相まって独特な風味ではあるが、出された酒はそれを心地よく胃袋に導いてくれる。
麦の酒というくらいだからエールなのだろう。
今日は休肝日! と宣言したが、ここまでサービスされたものを拒否するのは、なんだか違うと感じた。
しかし今回に関して言えば、雰囲気も相まって悪酔いはしなかった。
唯一、トイレのみ懸念されたが、そこはリヒトだ。
演出に抜かりはなく、使用人に案内されたのは洞窟を模したトイレで、扉を開けると大理石と真鍮で支配された世界だった。
暇さえあれば磨いてます!! と伝わってきており、食事をした後でこの発言は汚いのを承知で、敢えて言おう!
このトイレの床は、舐めれる!!
もちろん舐めるわけがないが、舐めろと強要されたら全然舐めれる。
辺りは香水の匂いで満たされ、虫など入ってこず、完璧な孤独を味わうことができた。
思うに、最高のサービスとは、ホスト側とゲスト側双方への、最高の信頼感から成り立っているのではないだろうか?
こんなホテルに宿泊できるのは当然、まあ、何かしらの成功者だ。
もしくはこのホテルに宿泊するために何かしらの努力を重ねたものだ。
つまり人間がある程度できている人間のためのホテルだ。そんな人間たちが、こんな環境で馬鹿騒ぎをしたり、ものを汚く使ったりなどしないのである。
一般人の僕ですら、シラフではないのに汚さないよう気を遣ってトイレを使うほどだ。
よほど空気の読めないサイコパスやソシオパスでもない限り、こんな場所で暴れようという気は起きないのである。
そして、暴れるような人間はこの国では東部に強制連行されて今までとは百八十度違う世界に叩き落とされるのだ。
客への信頼感が高いので、ここまでのサービスができるのだろう。
風呂も露天風呂。そして寝床まで外に面している。
部屋というか大きな屋根と柱のみ。大森林の中に、王様のベッドが人数分用意されており、森の息吹を感じながら安眠することになる。
そして虫はこない。
感想? 最高だったよ。
王様の気分を味わい、同時に最高の客としての品格と礼節を自然学習したいのならドナウ・ホテルに行きなさい。……いくらかかるのか知らないけれど。
* * * * *
環境がそうさせたのか、それともここ数日の苦行で僕の肝臓は再び酒に強くなったのか、二日酔いもなく実に心地のいい朝だ。
鳥の囀る鳴き声が、窓も壁もない空間に広がる。
一生ここにいたいが、市長さんとの面会は十一時だ。
本当に惜しいがホテルを出る。
市庁も、こじんまりとはしているが、明らかに、どこぞの有名デザイナーが高い金を詰まれて建設したのだろうなというのがわかった。
市長さんは厳格そうなご老人だった。
京言葉、つまり日本語も完璧で、「くれぐれも、よろしくお願いいたします」
と言われた。またこれを言われた。
京国でも言われた言葉だが、一体僕に何を願うというのか。
それはまだ分からないが……分からないが確実に外堀を埋められつつあるのは感じている。
* * * * *
なんだかここのところ、イリーネさんがとにかく怖いのだ。
前から怖そうな人だなあとは感じていたが、人との距離の詰め方が独特すぎて僕には理解ができない。
特に身だしなみに厳しく、タイがよれている。服にゴミがついている。猫背気味になっていると、無言で背中を掴まれ、無言で身だしなみの審査と更正が入る。
正直、これではエルザはなんのためにいるんだ!? と思ってしまった。
何度か勇気を出して声をかけてみようとは思ったものの、僕が何を言っても向こうはリアクションも返してくれないので、
ああ、仲良くなる気はないんだな? と僕も心を閉ざしてしまう。
なのに向こうから『物理的』に詰めてくるのだ。サングラスで隠れているので表情もわかったもんじゃない。
怖いというか、嫌いになりつつあった。
いつか別れ際が訪れる時には、「あんたのこと苦手だったよ」とケツまくってやるくらいの関係値になりつつあった。
ともかく車は北に進む。
「了様、今から向かうのは、『モーゼル』
大都市ドナウと、ハイデ・アルエルクの中間にある都市ですね」
『モーゼル』もしくは『乞仙大志』は、徳島を北とする縦四国で言うところの愛媛県、丹原町は来見のあたりだろうか?
「大変お待たせしました。本日は『Prinzsturm』が観られますよ!!」
……プリンツシュトゥルム……なんだっけそれ。
「……あ、『皇子千里行』か!!」
思わずテンションが上がってしまった。すると気のせいだろうか? 運転中のイリーネさんがサングラス越しのバックミラー越しに僕を睨んだ気がするのだ。
これははっきりわかる。敵意だ。怖い。
「違いますよ了様。プリンツシュトゥルムです! それの観戦チケットが取りやすいのがここでしてー……と言いますのもねー……
今から向かうモーゼルの人口はラァジの指針する二十段階評価のうち、五……」
五!?
「ド田舎……ってことですか?」
「ええ、ほんの数年前まではそうだったのですよ。
と言いますのは、モーゼルの近くに真水がなく、ドナウやハイデ・アルエルクから引いてこないとならなかったために、常に水不足だったので人間が住みづらかったんですよね」
しかし土地を余らせておくのもなんだったので都市を建てようとしたのか。リヒト人ならあり得る。
「もちろん、昨今のインフラ技術によって水不足は解消しました。ですのでまあ、スタジアムも立つわけですけれど、
リヒト政府は同時にここの土地の値段をあえて釣り上げたんですよ」
「それはなぜ?」
すると、エルザは端末を見せてきた。
画面に現れたのは、思わず声が出るほどの絶景だ。
地面から、赤い植物が狂ったように咲き乱れ、遠くの方に青い山が見える。これはおそらく大陸を横断する例の巨大な山脈だろう。
……真水が無いんじゃなかったのか?
「これ全部、サボテンなんですよ」
「ええ!?」
鮮やかな、紅色に近いサボテン。わざわざ紹介するくらいだから、ここにしか群生しないのだろう。
「これを観に、観光客が押し寄せてくるんですよね。ですから目にする人間の大半は観光客です。
住んでいる人間といえば、人付き合いに疲れたちょっと変わった人ですとか。
モーゼルのスポーツチームの選手ですとか。そういった人間しかいません」
「観光客がたくさん来るのでは、むしろ賑やかな街になってしまうのでは?」
「まあ、スタジアムもありますしそうなります。
だから住民は都心部に住まず、もっぱら郊外で静かに過ごすんですよね」
「え、この景色は見られますか!?」
「ええ。明日の朝見に行きましょうか。今日は、プリンツシュトゥルムがいかに偉大な競技か見てもらいます!!」
* * * * *
相変わらずダイナーで休憩を取りながら、のどかな平原を進む。
道中、ポツネンと立っている建築物も、いちいち金持ちが住んでいそうな建物だった。
この辺りは富裕層のための都市なのだろう。
モーゼルのスタジアムに着いた頃には夜になっており、試合はすでに始まっていた。
* * * * *
『モーゼルの変わり者』も、ゲームになったら熱中するのか、なかなかの客数で、良いお召し物を纏いながら熱狂したり野次を飛ばしたりしている。
ルールは、京国の『皇子百里行』と基本的には一緒だった。
違いはやはり、選手に女性が含まれていることだが、これに不覚にも感動してしまった。
女性選手は、言葉遣いが適切で無いのは認める。しかし、本当にゴツく、いかつく、強そうだった。
そんな女性たちが、男を模造刀で斬る瞬間はスカッとした。
本当に、男性と遜色ない動きをしていたし、京国で見た時と比べて、フォーメーションも戦術も多く複雑で、タッチダウン。いわゆる皇子が敵陣にたどり着いた時にはびっくりしてしまった。
え、いつの間に!?
こんな気持ちになる。
そういえば、大陸内で最強の都市を決める、野球で言うところの日本シリーズみたいな試合もあると聞いた。
「もちろんありますよ? ただね……」
エルザは複雑な顔をした。
「統一ゲームに、女性は参加できないんです」
「え!?」
腹の底から出る、渾身の、「え!?」だった。
こんなに強いのに!?
でも理由は、冷静に考えてみたらわかる。
「京国が、女性と戦うことを良しとしないんですよ。彼らはイデオロギーや思い込みだけで生きている生物ですから。
なら女性を出場する競技には参加しない。と頑固に表明してしまっているんです」
「じゃあ……女性の選手たちは統一ゲームに出られないことを知っていて、国内のゲームに参加している……?」
「もちろん。だから私たちにとっても、統一ゲームなんてあまり興味がないんですよ。京国に負けるのが癪だから付き合ってあげる。こんな気持ちですね」
エルザは綾氏と違って、正直な人間だ。だからこれが偏見なのか事実なのかはわからない。
「ただ、こんなに女性選手が強くなったのってここ数年のことなんですよ?」
それも驚きだ。
「何があったんですか?」
するとエルザはなぜか、誇らしげな顔になった。
「伝説の選手がいたんです。私が心から尊敬する、元選手です。
その選手は強く、気高く、統一ゲームに参加できないと言われても腐らず、自分のチームとファンのために戦い、男を蹴散らしていったんですよ。
彼女の存在が、後に誕生していく女性選手の心に火をつけていったんです。
そして、リヒトは女性でも活躍できる、自由の国であることを証明したんですよ。偉大な人物です」
考えてみたら、男女がペアを組んで戦う競技なんて日本でも数えるくらいしかない。
野球もサッカーもバスケットも、バレーボールでさえ男女別々だ。
それを、男女の垣根を破った選手がいたと言うことだ。それはとてもすごいことだと思うし、その選手が誰かは分からないが僕も尊敬してしまった。
* * * * *
その晩のホテルでのことである。
僕の個室に、コン、コン、とノックの音が響いたので、出てみればそこにイリーネさんがいた。
ものすごく嫌な予感になったのは言うまでもない。
あんだよ! 説教かよ! 今日じゃなくてもいいだろ!! と僕は半分顔に出た。
……だが、なんだか様子が変なのである。
なんだか俯き加減で、狼狽えている。だけど喋らないから何を言いたいかわからない。
僕はなんだかイライラしてきた。
「なんですか」
すると、イリーネさんは突然僕の腕を掴んで、外に引っ張り出した。
なんだなんだなんだ!?
イリーネさんにこんなことをされるのは初めてだったので、僕は気が動転していた。ただ、どこかに急いでいた。そして彼女にしては珍しく、冷静ではなかった。
なんだか分からないが、相当怒らせてしまったのだろうか?
案内されたのは……ホテル内にある、モーゼルのプリンツシュトゥルムチームの歴史館のような場所だった。
そこに飾られていた写真は……
とある女性が、男たちに囲まれながら誇らしげにトロフィーを掲げる姿の写真だった。
書いてある言葉が全てドイツ語だったので、何かはわからないが、この女性は半ば、伝説の方だったのだろう。
さっきエルザが言っていた、伝説の選手なのだとわかった。
そして……
それがイリーネさんだった。と言うこともわかった。
……僕が思わずイリーネさんを見ると、珍しく顔を赤らめて俯いていた。
……なあに? これを僕に見せたかったの?
思わず僕は、心で問いかけてしまった。
この人は、街の英雄だった。しかし、女性であるから統一ゲームには出られない。
だから選手を辞めた後は軍関係の仕事に着いたのだと想像できた。そして……今僕にリヒト領を案内している。
どんな気持ちで競技を辞めたのだろう?
どんな気持ちで、軍属になると決めたのだろう?
それを僕に見せた今の気分は、どんなだい?
多分聞いても、今のイリーネさんからは何も返ってこないだろう……。




