ドナウ〜トマト一パック五千円のセレブリティ〜
「さあ、了様。今日向かう都市は、『ドナウ』
首都シュワルツワルトの隣接都市にして、随一のセレブシティ。
国内の富裕層に人気の高い都市なんですよー!」
……昨日見た景色とは温度差の激しそうな街だ。
いや、いや待て。なんだか放置してはいけない問題があるような気がする。
恐る恐る昨日の記憶を掘り起こしてみる。
* * * * *
昨日というよりか、さっきだ。
しかし、思い出すのが非常に難しいのだ。
こうしている今でも意識がまだ混濁しているのと、『ジーク』での出来事が全て現実離れしすぎていて、
『あれは悪い夢だった』と言われても全然信じてしまいそうな事ばかりだったからである。
というより、あれは悪い夢だったのだと処理してしまおうとしている自分がいる。
だってそうだろう。暗闇の中で、異様に白くトゲトゲした外見の人間に囲まれて決闘を申し込まれ、なんだかヤバイ飲み物を飲まされたんだ。と僕が言ったとする。
誰がそれを信じる?
それでそんな集落で一泊することなど当然許されるはずもなく、そのまま徹夜で次の目的地に向かうわけだが、
決闘の時に飲んだヤバい飲み物が本当にヤバい飲み物だったらしく、車が発進してジークを出るや否や、吐き気に堪えられなくなり、
急遽車を停めてもらい、路上にゴメンナサイしたのである。
昨日一日の思い出は本当にSFとしか評せない出来事だが、この時の悪夢は鮮明に覚えている。
内臓が吸収することを拒絶しているこの異物を、吐き出したくて、でも若い頃のようにうまく吐けなくて道の脇でもがいている僕の、背中をさすったり、
喉に指を突っ込んだりしてくれているのが、エルザにしては妙に体がデカかったなあ……と感じたのだけは覚えている。
じゃあこれは誰だ? と冷静に考えようとすると、お次は理性が「今その件について冷静になるな!」と訴えてくるので、僕は自分から自分の神経を断ち切ったのだ。
それで今に至る。
救急キッドから、熱冷ましシートのようなものを情けなく頭に貼ってもらって、それでようやく現実に戻ってきた。
なぜか身体中がアザだらけなのが、昨日あったことが現実だったのだと裏づけていそうで辛い。
何やら、僕がこの旅を終えた後も、永劫この大陸と関係を断つのは不可能になりかねない事が起きた気がする。
……一旦、無かったことにした。相手だって本気にしているわけがないだろう。
相手ってなんだ。
とりあえず言えるのは、僕がこの大陸で酒を飲むと碌な事にならないという事がはっきり分かった。
* * * * *
これから向かう『ドナウ』もしくは、『十間大志』は、徳島を北とする縦四国で言うところの愛媛県、久万高原町のあたりだろうか?
よって車は北を目指す。
「人口はラァジの指針する二十段階評価のうち十六。
首都の隣接都市で、港町ハイデ・アルエルクと並んで富裕層に人気の街です。政治家や俳優、スポーツ選手、開業医など、セレブが暮らす街ですね」
その割には、『ジーク』から続いている、静かな大草原が永遠と続いており、東京の港区みたいな景色は一向に現れない。
まあ、車の数は増えてきた。だから人が住んでいるのは間違いないのだと思う。
そして、まあ見かける車は高級車に間違いないだろう。
……ラギ大陸の車のことなんてわかりはしないが、『毎日隅々までプロに洗車させてます!』と車体に書いてあるかのようだ。
* * * * *
道中にポツネンと立っているダイナーに立ち寄りながら、夕日が沈むまで牧歌的な草原を進むことになる。地平線の彼方に、
首都シュワルツワルトの夜景、ヴェーザーの夜景が見えるのだが、進行方向に高い建物はない。景色が港区にならない。
その代わりに現れたのは、落ち着いた林の中から出てきた豪邸の数々である。
なるほど六本木ではなく、田園調布の方だったと言うわけか。
確かシュワルツワルトの印象は、常に警察が出動しているような喧しい都市だったと思うが、
それに比べると随分落ち着いている。なるほどセレブの住宅街だ。
背の高い木々の中に、落ち着いた平家が何軒も立ち並び、そのほぼ全てにプールかサウナがあった。
市庁の開いている時間は過ぎている。
だので今日は観光だ。
* * * * *
「ここ、ドナウも法律が少し特殊です。個人税、法人税は低く設定されており、金融資産の売却益には課税がかけられず、
相続税、贈与税が免除されております。だから富裕層に人気が高いんですよね」
煌々と光を放つお店のショーケースには、洋服、ハンドバッグ、アクセサリーが陳列されており、いかにも高級そうだった。
「了様。あそこのハンドバッグ。日本円で三百万円です。どうですか? 意中の女性にプレゼントを買っていかれては」
などと笑顔で聞いてくる。
値段で叩きのめされたのと、なぜか『意中の女性』と言うフレーズで二重に叩きのめされた。
ここのところ不健康な生活だったので、夕食前に運動でもしようと言うので散歩がてら街を散策することになったのだが、全く僕の知らない世界だった。
売っているものがまず特殊だ。万年筆とか……タペストリーだとか……置物であるとか……いわゆる日用雑貨とは呼べないものがそこら中で売られており、
それの値段がいちいち、日本円で十万円を越える値段だ。
なんだかわからないがセレブはここの万年筆を使うのだろう。
それと店員も今までセレブばかり相手にしてきたのが伝わってきて、僕みたいな一般人が悪目立ちする。
エルザが近くにいてくれなかったら街からつまみ出されていたかもしれない。
食品店もあるにはある。
しかしそれも……なんだか他の都市では見かけないような物が多く、トマトが五個入り一箱で五千円もする。もちろん日本円に換算してだ。どんな世界線だ!?
だったら料理なんかするよりもその五千円を使ってカニでも食いに行こう……という思考にさせるのがリヒトなのかもしれない……。
ところで僕がこの街で買えるものって何があるだろう? などと思わず探して回ってしまったぐらいだ。
結構ムキになって探した。
例えば手のひらほどの、豹を模した青いガラス細工の置物。
これくらいなら数万円ほどなんじゃないか? と思って値段を見てみたら
これはガラスではなく純度百パーセントの緑柱石で、お値段は日本円にして五百万円。これをリビングや事務所に飾ることが、リヒト人にとってステータスなのだそうだ。
例えば、缶バッチサイズのキーホールダー。
キーホールダーは流石にうん十万もしないだろう!! と思って値段見てみたら、
これは第三次大戦時、スタンウェイ戦車隊の兵士が実際につけていたドッグタグの現物でお値段がなんと二千万円!!
見ていて嫌になった。だいたい僕は外交官の方々が側にいないと無一文だったことに気がついた。
そのまま夕食を……と言うことで三人で歩いていたはずなのだが、いつの間にかイリーネさんとはぐれていた。
目立つ人だからすぐに見つかるとは思っていたが、やはりすぐに見つかった。
お店の前に呆然と立ち尽くしている背中を見つけた。
何を見ていたのかは……その広すぎる背中に隠れてわからなかったが、多分ミリタリーグッズとか、銃とかだろうどうせ。
「……イリーネさん?」
僕が声をかけると、振り返った。
この人の、こんな顔を始めてみた気がする。少し恥ずかしいような、顔をあからめているような、ああ、この人もちゃんと女性なんだなあ。と感じる顔だった……というかサングラスを外している顔を初めて見た気がする。
慌ててサングラスをかけ直し、何事もなかったかのように合流した。
……何をみていたんだ? 思わず気になって見てみると……
それはウェディングドレスだった。
思わず封印していた僕の記憶の断片が再生される。
昨日、こんな事を言われた気がする。
『この決闘で了様とイリーネの結婚が決まりました!!』
* * * * *
まさか本当に真に受けてる訳じゃないよな!? イリーネさんに限ってそんなことはないよな!?
なんだろう、ソワソワと言うか、ゾワゾワした。そんなドナウの夜だった。




