アルトミュール〜それでもカニは美味い〜
次に向かう『アルトミュール』もしくは『黒扇上水』は、シュワルツワルトから少しだけ距離がある。
そして、リヒトは京国とは違い、勤務時間を厳守する傾向にある。
まして今日会うのは、市長ではなくリヒト国大統領だ。
大統領が『会うのは十二時』と言ったら、それはもう絶対的に面会時間は十二時になるのだ。
そこにリヒト西部の人口の多さ、つまり道の混雑具合が絡まってくると、どう頑張ったってアウトミュールに到着するのは深夜になる。
まあ、ともかく今日の朝はのんびりできるんだろ?
リヒトの首都の観光でもできるもんかな。などと呑気に構えていたのが甘かった。
この日は、朝の六時に響いた、ノックの音から始まった。
* * * * *
僕は起きていた。正確には寝られなかったというのが正しい。
ホテルの部屋は、もう文句のつけようが無かった。
高い天井。学校の教室くらいはあるんじゃないか? と感ずるほどの面積。
これが個室!?
部屋の中央から豪華なシャンデリアが煌々《こうこう》と灯っており、部屋の至る所に僕の身長よりも大きい絵が飾られている。
室外には、常に四人ほどの日本語が通じる使用人が控えており、頼めば旅疲れで痛くなっている僕の背中腰尻をマッサージしてくれる。
それと、どういう仕組みなのかわからないが、室内から僕が、手を三回叩けば誰かしら入ってくる。
部屋の防音が弱いのか、彼らの耳が異常なのかはわからない……。
ベッドも、一人で使うには大きすぎる。
耳障りにならないほどの、パイプオルガンなのかな? 荘厳な音楽がかかっており、部屋中が香水の匂いで満たされていた。
王様にでもなった気分だ。
中央のテーブルには、甘いお菓子が積まれている。……これはマカロンや、マジパンといったものに《《近い》》お菓子なのかな?
とりあえず日本の高級デパートでもお目にかかれないだろう。
結果……落ち着かなくて眠れなかった。
なんとなく真っ暗闇の中で眠る気にもならず、薄ぼんやりと照明をつけると、例の絵たちに書かれた人物と目が合う。
そういう技術の元に書かれた絵なのだろう。どの角度からでも目が合う。
怖い。落ち着かない……。
だから暗闇にすると、僕の性格上余計なことを色々考えてしまう。
例えば、こんな時間でも僕が手を三回ならせば誰か入ってくるだろうか……。
まさかな。と思って、小さく、「パン。パン。パン」と僕自身に聞こえるか聞こえないかという大きさの音で手を叩いた。
すると部屋が「ガチャ」っと開いて、暗闇の中、真っ直ぐ僕の元まで誰かやって来る。
「お呼びでしょうか」
などと暗闇の中、はっきり聞こえる。めちゃめちゃ怖い。
それよりも困ったのは、特に用事がないのに呼んでしまったことだ。
「間違えました。ごめんなさい」
などと人としてサイテーな返答をして、帰っていただいた。
本当にどういう仕組みなのか。まさか暗視カメラか何かが部屋中に仕掛けられていて、常に監視されているのだろうか?
とにかく完璧すぎるサービス故に、僕は落ち着かなかった。
そして朝六時に至る。
コン、コン。などというよりは、ドン、ドン、ドンなどとはっきり部屋に響く威圧的な音だった。
こんな時間から何事かと、まずは出るのに時間がかかるベッドから抜け出して、扉を開ける。
……立っていたのは、使用人の方ではなく、イリーネさんだった。
手に男性用のスーツをぶら下げており、それを僕に突きつけてくる。
『着替えろ』の一言も言う気がないのか……。
そりゃあ国の元首との面会だ。おそらく報道陣も来る。
エリザに選んでもらったラフな格好で会うわけにはいかんだろう。
かといって、今からそんな格好になるのか?
疑問に思いながらイリーネさんの格好に目がいくと、いつもとは違う、スーツというよりか軍服に近い仰々しい格好をビシっと着こなしている。
サングラスで顔の半分ほどが隠れているが、化粧も済ませて、髪もまとめ上げられている。
頭に疑問符を浮かべながら僕は、スーツを受け取ると、なぜかイリーネさんも部屋に上がり込んできた。そして、シャワールームの前で腕を組んで直立の姿勢をとる。
……僕はもう、本当にこの人が苦手になりつつあった。何も言ってくれないからコミュニケーションが取れないのだ。
とりあえずさっさとシャワールームで着替えてこい。ということだろう。
はいはいわかりましたよ! と僕は半ば不貞腐れて、無言でスーツを受け取り、シャワールームで着替えてきた。
寝不足で機嫌が悪い。本当なら聞こえるほどの声で文句の一つでも言ってやりたかった。
……しかしなんとなく黙り込んでしまう。イリーネさんが、怖かった。
知らない大陸とはいえ、スーツはちゃんとスーツだ。シャツを着て、タイをしめて、ジャケットを羽織る。
こんなもの十分もかからんわ。なんで朝からやらすねん。
と、イラついて心の中が関西弁になり、着替え終わった僕はシャワールームから出た。
イリーネさんは、全く同じ姿勢でそこに立っていた。
僕はなんだか気まずいので部屋から出ようと思ったら、「がしん!」と肩をつかまれる。
背筋がビクっとなった。
なんですか? と振り返ったら、黙って僕のネクタイを外し、肩にかけてシャワールームを開ける。
『やり直し』という意味だろう。
この野郎……。野郎じゃないけどこの野郎……。
僕は、実に二十分かけて、人生において久々に、『しっかり』とネクタイをしめた。
オラこれで文句ねえだろ。と、シャワールームを出ると、イリーネさんは今度は手鏡を取り出し、僕の顔を見せてくる。
髪はボサボサ。無精髭が生えている。
なんだこの人!? 教習所の教官か!? ネチネチネチネチと!!
僕は顔を洗い、髭を剃って、数年ぶりに髪に櫛を入れて整えた。
……段々と、大統領に会うのが嫌になってきた。いや最初から乗り気では無かったのだ。
知らねえよ! 知らねえ大陸の偉い人のことなんか! 呼んだのはソッチだろうが!
なんで僕がこんな目に……ブツブツと呪詛を心の中で唱えながら目を合わさないようにイリーネさんの前を通過しようとしたら、
「がしん!」と肩をつかまれる。
なんだよ今度は! 僕も思わず目が険しくなる。
すると、今度は化粧品を渡された。
なんだ!? 僕に女装でもしろってか!?
意味がわからず僕が固まっていると、イリーネさんの指が、「カン!」と鏡を叩く。
言いたいのはおそらくこうだ。目にクマができており、血色が悪い。
血色が悪いのは、生まれつきなんだわ!! 目のクマも旅疲れ、言わば職業病みたいなもんだ!
「化粧……したことないです」
はっきり言ってやった。すると、今度は無言で端末を操作し、僕に渡す。
それはラギ大陸版のユーチューブのような動画投稿サイトで、『ビジネス入門、面接時の化粧方法。男性編』というタイトルの動画だった。
なーにが自由の国だよ!! 人に会うのに男でも化粧しなきゃならねえってか!!
僕はシャワールームで一人、動画を見ながら人生初めての化粧をした。
……これに時間がかかった。
何度やってもイリーネさんからの審査が通らない。
僕は何度もやり直しを迫られ、実に一時間かかった。
* * * * *
何だか久々に見るエルザの顔が眩しかった。
そもそも、僕の身の回りのことは、エルザの担当のはずでイリーネさんではないはずだ。
イリーネさんは言わば、ただのドライバーのはずだ。
それが朝も早よから僕の部屋にやってきたのは、エルザが自分の準備で大変だったからなのだろう。
なんだか……女優さんみたいだった。
などと思っていたら、女優さんみたいな顔が僕にぬ! っと近づく。
「すごーい!! いい感じですよ! 了さん!!
俳優さんみたいです!!」
ええ。優秀すぎるマネージャーが居りまして。という反面で、勘弁してくれ……とも思った。
マジモンのハリウッド女優からそんな言葉を言われると、心臓がくすぐったい……。
結局、早朝から慌ただしいまま、ホテルを出たのは九時。
大統領邸、『シュロス・マンタイ』に到着したのは十時だった。
庭がやたらめったら広くって、至る所に彫刻や銅像が建てられていた。
その中でもエルザが指を指して説明してくれたのは、三人の人間が家族写真よろしく固まっている像だった。
なにぶん銅像なので、ぎりぎり人間なのだろうと判別がつくレベルだ。
「了様。彼らがリヒトに自由をもたらしたと呼ばれる『ヴァイス兄弟』です」
ヴァイス。……確かにどこかで聞いたことある苗字だ。
「リヒト人は、自由と尊厳のために戦い続け、その度に敗れてきました。
それを初めて勝ち取ったのは、彼ら兄弟の勇気と信念で起こした革命戦争のおかげでした。それが第三次大戦です」
大統領邸。すなわち『シュロス・マンタイ』は、中世のお城そのものだった。
ここに人が住んでいると言うのだから……。
そして、面会の始まる二時間前でも、すでに慌ただしく大勢のスタッフが右往左往していた。
僕達はまず応接間に通されて、面会時の注意事項を伝えられた。
と言うのも、今日のこの面会は、ラギ史に確実に残る面会となり、リヒト国内は当然、京国、ひいては『世界中』の人間が注目するものになるだろう。
当然、数百人単位の報道陣がくるので、くれぐれも『所作礼法』に気を配ってほしいとのことだった。
豪華な食事と酒も出る。
もちろん食べてもよいが、最大限の『所作礼法』を弁えて欲しい。
だそうだ。
数分のうちに、『所作礼法』なんて言葉を何回聞いたろう……。
今になって僕は怖気付いてしまった。
正直お腹も空いていて、なんなら出てくる料理が楽しみだくらいに思っていたが、食欲も失せてしまった。
朝のイリーネさんの無言の圧に、感謝すら覚えてしまった……。
* * * * *
面会が始まり、大勢の視線が集まる中で、リヒト国大統領とお会いした。
僕はただの運び屋なのに、役者としての素養が求められている気がした。
大統領、ラーエル・ヴァイスさんも、ナイスミドルだった。
その『所作礼法』の一つ一つが洗練されていて、その上で場慣れしていた。
握手から始まり、例の空中に三本線を描く所作。僕と対面で足を組んで椅子に座る所作。発話。
その全てが一つ一つ計算されており、知性を感じさせ、品があった。
この時の事は、緊張しすぎてあまり覚えてない。頭の中が真っ白だった。
ラギ大陸の歴史に、永遠に残る一瞬に立ち会っていると思うだけで、どうにかなりそうだった。
踏み込んだことのない世界だ。踏み込むと思ってもいなかった世界だ。
大統領が何かを喋る度に、……リヒト語がわからないのが辛かったが、全ての言葉が名俳優の名台詞に聞こえた。
なるべく自然体に振る舞おうと思っていたが不可能だった。
大統領が何かを僕に聞くたびに、『もう帰してくれー!』と心が叫んでいた。
化粧をしたって、『所作礼法』を刻み込まれたって、何をしたって僕はこの場の異物だ。
従って、大統領とどんな話をしたかは覚えていない。
むしろ印象に残ることは、面会が終わり、裏……というか会場を出てから、個人的に大統領とお会いした時だ。
裏でさえもこの人は、自然体で名俳優だった。
……話が逸れるが、日本の俳優田村正和は、普段からドラマで見るような空気感で裏表のない人物なのだという。
彼は普段から人生を『演じて』おり、それゆえにあのような……個性的なドラマでのキャラクターが成立したという。
この大統領から感じたのは、もちろん田村正和の空気感とは言わないが、日常的に『大統領』という役を演じているのだと感じた。
まあそれはともかく……
こんな事を聞かれたのだ。
「よかったら、リヒトに住まないかい?」
敬語がなくなって、距離が近く感じる。これも計算だろう。
冗談で言ってるのかなんなのか、分からなかった。
「君さえ良ければ、『ヴェーザー』の一等地をあげよう。どうだ。
『自由の国』で、何不自由なく暮らしてみないか」
大統領の言葉の真意がわからない。
ただ、僕よりも、親父にその価値があるんだろう。
確かヴェーザーも首都の隣の都市だ。
そこに住むということは……
どのような形であれ、親父という存在が政治利用されるということだ。
なんだろう……例えば、京国と戦争になった時に親父もろとも人質にされるとか……。
一方の見方では、日本に帰って職場に戻してもらうなり、新しい職を探すなりするよりかは刺激的な毎日なのだろう。
何より僕には家族がいないから、日本で孤独死をする未来しかないのであればこれは悪くない条件だ。
もう一方の見方は、それはおそらく、綾氏を始めとする京国の人々を裏切ることになる。
なんだかそれは、後で後悔をする気がした。
決して役者にはなれない僕は言葉を選んで……
「僕はおそらく、リヒトの役には立ちませんから」
と返した。
僕がこう言うのを、大統領は分かっていたのだろう。
「返事はリヒトに滞在中のうちは受け付けるから。考えておいてくれ」
などという。
この人とは、何の勝負をしたって勝てる日は一生来ないんだろうな。
そんな気がした。
大統領との面会はこのようにして終わった。
* * * * *
車は南を目指す。
向かっているアルトミュールは、徳島を北にする縦四国で言うところの高知県西予市のあたりだろうか。
緊張の糸が切れた僕は、過去最大にお腹が空いていた。
未だに現実感の湧かないで、フワフワしている僕の、唯一感じられる現実味が空腹だ。
この時間は、まだシュワルツワルトからアルトミュールへの道は帰宅ラッシュに捕まっておらず比較的に空いている。
逆に捕まってしまったら、今日中にシュワルツワルトから出ることすら危うくなる。
だからご飯も食べずに飛び出したのだ。
今朝から何も食べてない。
緊張でカロリーを吐き出した。
腹が、減った。
「了様、了様、我慢ですよー! アルトミュールはなんと言っても『食の街』ですから!!
二十四時間美味しいカニとエビが食べられますよー!! そしてアルトミュールと言ったら地ビールです!
今夜は大統領との面会の打ち上げも込めて、三人ではっちゃけましょうねー!!
頑張ってー了様!!」
頑張ってーと言いながら、エルザもおそらくお腹が空いているはずだ。
半分は自分への言葉だろう。
心なしか、イリーネさんの運転も荒ぶっている気がする……。
そしてエルザは僕の顔をじっとみて……
「了様、普段から化粧した方がいいんじゃないですか?
今とても男前ですよー!」
君には勝てんよ。
君には、何も勝てんよ。僕が空腹で不機嫌にならないように彼女なりに気遣ってくれてるのだろう。
よく出来た子だ本当に。なんだか僕は、娘を見るような気分になってしまった。
自分の娘がこんなに美人で、気がつかえて、賢い子なら、それはそれは厳格なパパになるだろう僕は。
「ええと、了様。これから向かいますアルトミュールは、首都の隣接都市で、観光地の一つです。
人口はラァジの指針する二十段階評価のうち十。
まあなんと言っても、国内で最もカニの消費量が多い国ですね。
カニと言ったらアルトミュール。アルトミュールと言ったらカニと言っても差し支えございません」
……囚人が獲ったカニを、ここで消費するわけだ。
ダウパーからなら海路で行けば近い場所にある。
国を挙げてカニを売り込んでいるのだろう。
もうそんなことはどうでも良くなっていた。なんでもいいから食わせてくれ。
頭の中はその一言で埋め尽くされていた。
「ついでですので……ええっと、お酒の入ってない状態で業務連絡を済ませてしまいましょうか。
私も今日は、飲みますよ!!
……ええとー、明日行く場所は『ヴェーザー』ですね!!
リヒトの全てがここにある。と言うほどの有名な観光地ですよ。
公式イメージは、『住民はノリとパッションが全てだと思って生きている。年間通じて天候が良いので頭のおかしい人しかいない』ですね!!」
……なんだそりゃ。もういいや。いいから、いいから早くカニとビールを……。
* * * * *
「うめー!!」
僕らがアルトミュールについた頃には、二十三時を回っていたが、それでも本当にお店はどこもやっていた。
出されたカニを頬張り、地ビールで流し込んだ瞬間に腹の底から声が出た。
「改めまして、今日は本当にお疲れ様でした!!
さあ!! 大量のカニとロブスターが攻め込んで来ますよー!!」
「うめー!!」
僕は、「うめえ」を言うだけのマシーンになっていた。
流石にリヒトに染まってきたのだろう。不謹慎なのを承知で……
囚人さんありがとう!! カニ、本気で美味しいです!!
三人で、アホほどのカニとエビ。それからビールを腹に流し込んだ。
本当に大変な一日だった。
けど、何かを成し遂げた。そんな気分になってしまった。




