シュワルツワルト〜大陸最大の人口〜
滞在しているヴァルノウが学園都市だからなのか。
宿と図書館とコワーキングスペースが同席している。と言う変わった趣の宿だ。
まあそれでも人は多いのはさすがリヒトなのだが、どの人種も基本静かだ。
それは京国のような『うるさくしたらわかってるよな?』などと言うような圧ではない。
なんとなく、騒ぐようなテンション感に自然とさせない工夫が施されている。
日本の公衆トイレの話を思い出した。
特に駅の公衆トイレが汚すぎて問題だった時代。『トイレを汚さないでください』と書いていたのを、
『いつも綺麗に使ってくれてありがとう』に変えた瞬間にトイレが本当に綺麗になったと言う話だ。
そのようなちょっとした工夫。
例えば照明は暗めだし、通路は広くはない。
それに辺り一面がみっちりと本で満たされていれば、なんだか自分が知的な人間だと勘違いしてしまう催眠にかかる。
『圧』ではなくて、計算し尽くされた沈黙だ。
宿の作りも変わっている。個室がない……いや、あるのだが、
図書館のように長テーブルもあれば、ハンモックもあり、そして、いたるところにテントが張ってあり、寝たい人はそこで寝ることになる。
もちろんハンモックで寝てもいいわけだが、競争率は高い。
明日向かう場所は、リヒト国首都だ。
向かう場所も市庁ではなく、大統領邸、『シュロス、マンタイ』に向かわないとならない。
合衆国でいうところの『ホワイトハウス』だ。
だので前日の確認や打ち合わせがあるらしく、チェックインするや否やエルザはほとんど、会議に使えるコワーキングスペースに篭りっきりだった。
……というわけで僕はなし崩し的に自由行動になる。
親父も、貴重品としてフロントに預けてあるので、両手もフリーだ。
そうなると脳裏をよぎるのはどうしても親父の事だ。
彼は何をした? それがラギの人から打ち明けられる日は来るのか?
そしてリヒトの軍属にいたのが真実だった場合、京の人を手にかけたなんてことはあるのか?
自分の親が何をしでかしたのか、正直気になって仕方がなかった。
だからこんな本の山に囲まれたら、僕の探したいものは一つ……なのであるが、ここで予想しなかった事態が発生した。
* * * * *
この旅で数日間一緒に過ごしながらも、声なんて一言か二言くらいしか聞いたことのない女性。
運転手のイリーネさん。
年齢は、僕と同じくらいだろうか。エルザとは違って、いかにもな軍人さんというイメージ。
人間もゴキブリも、同じ表情で処せますよ。という雰囲気が漂ってくる。
彼女からの激しいマンマークに遭ったのだ。どうやら、昨日の国立図書館の一件で僕を一人にしたら、碌なことにならないと判断したのだろう。
京人のような圧を露骨にかけてくるようになったのだ。
サングラスの奥の目にどんな表情を浮かべているかなんて分かりっこないが、絶対に笑ってないことだけはわかる。
そんなおっかないのが、常に僕に体を密着させる距離でついてくるのだ。
これが圧でなければなんだ。
人混みに紛れそうになると、ガシンと、まあまあの握力で腕を掴まれる。
まるで囚人扱いだ……。
いや国立図書館で僕がしたことを考えれば、これは仕方のない仕打ちなのかもしれない。
だが、罪人のように扱うのは違うんじゃないか!? 国立図書館の一件だって、どちらかというと中途半端な秘匿をしているあんたらの過失じゃないのか!?
僕はだんだん、付きまとわれることに腹が立ってきた。
宿に温泉があるので見つけると、「あ、温泉だー」とわざとらしく本日二度目の男湯に入った。
ようやく僕は、一人の時間を手に入れることができた。
久々の温泉が心地よかったのと、さすがに時間をかければイリーネさんだって疲れているはずだ。
先に休んでいたり、隙を見せるのじゃないか? 何せ相手は綾氏じゃない。気まぐれなリヒト人なんだ。
僕は実に一時間以上、二度目の温泉を堪能した。これで今度こそ自由だろう。
……と思っていたのが甘かった。
僕が男湯から出るのを、直立で微動だにしなかった女性が出入り口で待っていた。
手には、紙コップを持っている。匂いからして、昨日のヴァルノウテーだろう。
その姿は、まるで数年前からここに立っていた銅像を思わせた。
黙って僕に紙コップを手渡す。それは、温泉に入った後は水分を補給しろ。という無言の圧だった。
あったまきて一気に飲み干したら、辛味で舌と喉が焼けた。もう、本の探索とかどうでも良くなった。
じゃあ寝る時も僕を監視するんだな!? 僕は、軍人ではないただの一般人とはいえ男だ!!
男と同じテントに入ってくるんだな!? 僕は半ば煽るように空いているテントに入ると、当然のようにイリーネさんも入ってきた。
正気かよ……僕は根負けして大人しく寝ることにしたが、当然見られていると思うと熟睡などできなかった。
チラ……っとイリーネさんの方を見ると、横になりながらもサングラスをかけている。正気かよ……。寝るときぐらいはずせよ……。
どんな徹底ぶりだよ……。そんな悪いことしたか!? 僕が!!
なんだか悲しくなってしまった。
* * * * *
ヴァルノウからの出発は早かった。それでも「今日中に大統領邸には辿り着けないだろう」とのことだった。
それは、首都シュワルツワルト(または京浜江中)は、ヴァルノウから少し離れているのと、どうせ渋滞に捕まるという理由らしかった。
車内にて……
「了様、お腹空いてませんか? お手洗いとか、大丈夫ですか?
道中休憩も挟みますので、お困りのことがあったら遠慮なく言ってくださいね!」
とエルザが話しかけてくる。
相手を気遣う声だ……この声も、僕が気を許すように仕向けられたどこまでも打算的でどこまでも計算された声なのだろうが、
それでも耳に心地よかった。昨日の圧の暴力に比べたら……。
シュワルツワルト(もしくは京浜江中)は、徳島を北とする縦四国でいうところの、……うーん。
高知県野村町……の北部に都心部があるイメージだろうか。
ヴァルノウの、涼しげな森林地帯を抜けると、もうこれぞリヒト! の大都市だ。
どこを見ても背の高く、デザインの凝っている主張の激しいビル群。朝の六時だというのにもう人が大勢いる。
そして渋滞に捕まった。
とにかく眠い。……多分イリーネさんも同じはずなのだが……そんな人に運転を任せて大丈夫なのだろうか。
……本当にイリーネさんは人間だろうか?
多分、リヒトの技術の推移を集めたサイボーグだ。……いや、絶対そうだ。そうに違いない。
僕は目を閉じた。
* * * * *
サイレンの音で目が覚める。
舌打ちは控えた。
おそらくシュワルツワルトに入っているとは思うのだが、サイレンの音で起こされるのはもう三度目とか四度目だ。
道路脇を、乱暴に二台ほどのアルメーが走っていく。
危うく通行人に接触しそうで、見ていて怖い景色だ。
実際、アルメーと歩道ですれ違った人間も、「ふざけんな!!」的な意味のリヒト語を叫んでいた。
サイレンを発しながら激走しているあたり、警察のアルメーなのだろう。
この景色を見るのも、本日四度目だ。
時計を見たら、時刻は十時。
朝っぱらからなんなんだよ……と言いたくなる。
「寝れませんか?」
エルザが僕の背中をさすってくる。
ぐるる。と僕のお腹が鳴る。
「まだお店の開店前ですので、もう少しだけ我慢してくださいね」
寝るのを諦めて、窓の外を眺めた。
本当に人が多い。
旅行客、サラリーマン、若者、とにかく人ばかりだ。
「リヒト首都、シュワルツワルト。
ここまで栄えたのは、この辺りは川が多く、山のないなだらかな平地。そして穏やかな気候ですのでこの辺りは人間が生活するのに適しているのです。
人口はラァジの指針する二十段階評価のうち十九。この数字は大陸内で最大のものです。
昨今は海外からの観光客も増えておりますので、それを加味すると二十を越えると言われています。
そしてリヒト国は中央集権型の都市作りをしているものですから、政治、経済、文化、軍事の中心にあるのがシュワルツワルトなんです。
そしてエデュケーション率も国内最大です。シュワルツワルト大学は国内最大の国立大ですので。日本でいうところの東京と言っても差し障りないかと思います」
東京……言わんとしていることはわかる気がするが、なんだろう。
東京よりも人が多い気がする。
東京に人が多いというのはそれこそが実は偏見で、人口が東京都の右側三分の一に人間が密集しているから多く見えるだけだ。
これはニューヨークでも同じことが言えるが、左半分はむしろ人がいない。
東京に至っては左半分は限界集落と言ってもいい過疎地だ。
シュワルツワルトはどうやらそうでもなさそうだ。
よって、町中人でギッチギチで逃げ場がないのがシュワルツワルトだろう。
「そんなシュワルツワルトが現在抱えている問題が、人口増加による治安の悪化です。特に夜間は外に出ないことが推奨されています」
まあ、午前の時点で、アルメーが出動してしまうくらいだ。
夜はすごいことになるんだろうと、なんとなく想像がつく。
それにしても車が進まない。
先ほどのアルメーが二台、路上で停止している。
男の叫び声が聞こえるので、どうしても視線がそちらに行ってしまう。
サバイバルナイフほどの刃物を振り回している男が、警官に取り押さえられ、さらにアルメーに囲まれていた。
目が真っ赤で、口は開いており、明らかに正常ではなかった。
一気に眠気が覚めた。
今何時だ? まだ正午前だ。
「そして、犯罪原因の一角が、リヒト東部から流れてくる麻薬と言われています」
目の前の景色を異常だと感じたのは、
サバイバルナイフみたいな物騒なものを振り回していた男が取り押さえられていたら、日本だったら人だかりができると思う。スマホを構えたり、マスコミがきたりすると思う。
それがなかった。
むしろ警察やアルメーを邪魔そうに人々が避けて、道を行く。
ここではさして、こんな景色が珍しいことではないのかもしれない……。
リヒトが全国的に就職難であることは、東部で聞いた。
一生懸命努力して勉強して、報われなかった若者がヤケを起こして危険な行為に走る。
どの国でも度々耳にする事件だ。ここではそれが当たり前なのだ。
そして、警察に組み伏せられているこの男はこの後、東部に行くんだろう……。
許されるまで漁船に乗せられるんだ。出てきても社会的に居場所はない。
増えていく若者の犯罪率について、政府は本腰を上げて対策を取ろうとはしないという。エゴンの話では、『落ちこぼれ』もここでは必要悪として晒し上げられるらしい。
結局、エリートと、そうじゃないのの格差は広がっていく。
思わず目を閉じた。
ぐるるる、とお腹が鳴った。
生理現象とはいえ、こんな時に食欲が湧いてしまう自分が不謹慎な人間に思えてしまう。
プクク……と隣の席から笑い声が聞こえてきた。
「お腹空きましたよね。
どうせ今日中に大統領邸につくのは諦めてますので、ご飯にしましょう。
えーっとー……お肉とカニと、どっちがいいですか?
昨晩はお肉だったから、カニにしましょうか!」
「……お肉で」
すると、エルザの顔がものすごく意地悪な顔になり、両手でバツ印を作った。
「ダメでーす。同じものばかり食べていたら京人になっちゃいますよ?
リヒトって、海鮮も美味しいって知ってました?
シュワルツワルトで一番カニが美味しいお店があるのでそこに行きましょう!!」
……そのカニがどのようにして獲られているか、知っているのだ僕は……。
それでも僕に『カニを食わせろ』と、政府から言われているのか君たちは……。
なんだか大統領に会うのが憂鬱になってきた。
* * * * *
ホテルに着いた時には、すっかり夜になっていた。
「さて、了様。明日はまず、大統領邸に向かいまして、忙しいようですが次の都市に向かいますよ。
明日向かうのは港町『アルトミュール』。
公式イメージは、『カニを食うために人生をかけている街。死ぬほどカニが食いたければここに行け』です」




