リッペ/秋戸石〜資本主義の果て〜
午前十一時に、ペグニッツの市長に会う。
当たり前のように日本語……ここでは京言葉というのだっけ、それが喋れる人だった。
午前十一時の都会なんて、ちょっとした人間達の渦みたいなものが形成されてるもんだと思ってる。確かに市庁には人が沢山いたが、一歩でも外に出れば……
……これは何と表現すればいいんだろう?
巨大な建造物がそこかしこに立ち並び、いかにも人間のために用意された場所なのに、そこにいるべき人間が一人もいなかった。
遠くの方でビル建築の音が響き、それが唯一の人間の気配だ。
この街を作るのに、どれくらいの時間がかかったのだろう? リヒトの技術力を持ってすれば時間はかからないのだろうか。
それにしたって、莫大な資金は必要だったはずである。それこそ天文学的な数字の。
……そしてここに人が実際集まるのは、おそらく大きな戦争が終わった後なのだろう。
僕はエゴンのように『クソリヒト』なんて言葉は使わないが、それでも滑稽に感じてしまう。
隣の国が閉鎖的で、大陸に観光客が来るだけでも嫌がるのに、そこに永住させるなんて言ったら怒ることくらいわかるはずじゃないだろうか?
実際に過去に四度も大喧嘩をしている仲の悪い隣国に。
なのになんでここまで移民の準備を進めてしまうのだろう? どうせ戦争で壊されるとか、そういう想像力も働かないのだろうか?
……もしかして怒らせることが目的なのか? とすら勘ぐってしまう。
あるいは戦争を乗り越えてでも、移民を受け入れることに価値があると思っているのだろうか。
だとするならもっとわからない。リヒトって大学を出たものですら職にあぶれる状況で、ユースバルジに陥ってるのではなかったのか?
移民が必要な状況とはとても思えない。
リヒトの掲げる『自由』ってなんだろう? リヒトに入国して十日。僕には理解ができなかった。
* * * * *
車は南西に向かう。
僕らが今から向かう都市、『リッペ』もしくは『秋戸石』は、
徳島を北とする縦四国で言うところの高知県『松野町』といったところだろうか。
さして遠いわけではないが、こんな時間から出発してしまったら市庁に着く頃には十六時を過ぎてしまいそうだ。
どうするのだろう? と考えていたら、市長がペグニッツとの市境まできてくれるそうなので、昼過ぎには用事は済んでしまうのだそうだ。
なんだかわからないが手厚いことだ。
「都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち七のド田舎。西部との境がある。他は何もナシ。以上」
エゴンの雑な説明が終わった。
右手に、大陸南西部の海にまで続くという川幅が非常に広いホック川を眺めながら、稲田、牧場、忘れた頃に京本倫平太像が続く。
そして段々と懐かしいものが見えてきた。山だ。
大陸南東部には山がない。あの山の奥に南西部があるのだろうか。
本当に昼過ぎには市境につき、そこにリッペの市長は待っていてくれた。
ビシッとスーツを着こなした、ジェントルマンだった。
「ようこそ。南東部最後の街リッペへ。道中大変でしたでしょう。ここから先は自由の街ですので。どうぞお楽しみください。
日本の方も沢山観光にいらっしゃってますので」
市長からは一種の清廉潔白な印象を感じる。
「できれば、満足のいくおもてなしをしたいところなのですが、ご覧の通りリッペは何も無いものでして。
このまま、南西部まで川を下っていく旅客船に乗ってください。
本来なら境を渡るには審査に時間をかけるのですが、了様は特例でございますので。
旅客船も貸切にございます。護衛の兵は付けさせていただきますが。
……エゴン君もここまでお疲れ様」
市長はエゴンとも握手を交わす。
「……じゃ、船に乗って、大陸南東部の旅は終わりだ。さっさと行こうぜ」
エゴンが車に戻ろうとしたのを……
「おっと?」
と市長が止める。
「エゴン君はここまでで任務終了と聞いていたが?」
「……了様を無事に南東部から送り出すまでが自分達の任務ですから。旅客船までは自分達が案内しますよ」
サングラス越しのエゴンの目が座っているのを感じるが、どんな意図があるのかは僕にはわからなかった。
市長は両手を挙げて……
「わかったわかった。本来は私が送り届ける予定だったが君らに護衛を任せよう。
……ただ、出港の時間があるからね。……寄り道しないでくれたまえよ」
返事もしないでエゴンと僕は車に乗った。
* * * * *
小高い丘の上で、突然車が止まる。
「なあ、クソしたくねえか?」
「……いいえ。さっき市境近辺の公衆トイレで済ませたので」
するとエゴンは意味ありげにサングラスを外した。
「してえよな? ……ちょっと連れションしようや」
僕とエゴンは車を降りる。
まさか本当に小便のために降りたわけではないだろうと思っていたが……
エゴンは双眼鏡を僕に渡した。
「あっちの方だ。見ろ」
彼が指差したのは方角的に南だ。
レンズ越し数キロ、いや十数キロ先に見えたのは巨大な畑だった。
「……あの畑は?」
「麻薬だ」
絞り込むようにエゴンは言う。
「効果は、自分が自分ではなくなる感じ、全ての感覚は研ぎ澄まされてまるで宇宙の中心にいる感覚になる。
目の前に映る全ては、自分が魔術か何かで生み出したもののように感じる。ようは幻覚と幻聴と浮遊感。そこから得られる多幸感で高い依存性がある。
……オタクらの国にある麻薬と一緒かどうかは知らん」
勝手に視界が動いたと思ったら、どうやらエゴンが双眼鏡の位置を勝手に動かしているらしい。
その先に見えたのは……
「あれは……麻薬カルテルの施設ですか?」
「だと思うだろ? ……あれは軍の基地だ」
畑の目の前に、軍の基地がある事になる。
「ここらの軍隊はカルテルに買収されている。
カルテルの奴らは好き放題だ。ここリッペの殺人率はリヒト東部でもトップ。
全部カルテルが引き起こした麻薬がらみの殺人。……たまに関係ないやつも殺される。
なのに警察は関与しねえんだ。……カルテルの後ろに軍がついてるからな。
さっきの市長がお前をさっさとリッペから追い出したかった理由はそれさ。夜になるとここは物騒な街になるからな」
スッと、双眼鏡が取り上げられた。
「了。これがリヒトだ。
リヒトで麻薬は『違法ではない』。まあ、公に合法でもないがな。
麻薬がらみで犯罪を起こす奴が『違法』なんだ。
そして東部では実に良心的な価格で麻薬が売られている。
いいか了、これがリヒトの言う『自由』だ。
麻薬ですら国家の財源にする、なりふり構わない『自由』
ここに生まれた奴らは、みんなリヒト西部での幸せな生活を目指す。
東部に来るやつは落ちこぼれ。
落ちこぼれたやつでも、麻薬で現実を見せなくするのさ。これが奴らの掲げる『自由』だ」
僕は少しだけ考えて、ここ数日感じていた疑問をぶつけることにした。
「それをどうして、僕に見せるんです?」
エゴンは黙って、呆然と畑を見ている。そして……
「なんでだろうな」
と独り言のように呟いた。
「僕に言われても、僕はこの国を変える力なんてありませんよ?
……『親父』にはあったのかもしれませんが。僕は他人みたいなもんです。
エゴンさん。あなた『達』は、僕になにをさせたいんですか?」
僕が言うと……
「おめえになんか興味ねえよ」
と吐き捨てた。
「ただ、知っていて欲しいんだ。お前は明日からリヒト本国に行く。
そりゃあ、刺激的だろうな。ここ東部とは真逆だろうな。でも覚えていてほしい。『これがリヒト』だ」
明らかに、僕に何かを訴えたいように感じる。
「エゴンさん」
おそらく、僕がエゴンと話せるのは今日が最後だろう。
最後に聞いてみたくなったことを聞こうと思った。
「南東部の事情は、頭に入ったつもりです。
南東部の将来に向けて意見が割れていることもわかりました。
で、『エゴンさんは』どうなんですか?」
「……どう言う意味だ?」
「大嫌いな京国と繋がった方がいいと思っているのか、クソリヒトの一部でいるのをよしとするのか、『革命』を起こしたいのか。
あなたはどの立場なんです?」
「……俺は軍人だ。どれでもねえよ」
「そうじゃないでしょう? どれでもなかったら、港まで『真っ直ぐ行く』っていう市長との約束を破ってまで、
僕にこんな景色は見せないはずでしょう? あなたは何がしたいんですか?」
するとエゴンは頭を掻いた。
「……わかった言うよ。俺はな、大陸は三つの国になればいいと思う」
「つまり『革命派』と一緒だと?」
「やめろ。あんなのはただの現実逃避だ。俺のは違う。
……南東部はリヒトとは縁を切って、一からやり直す必要があると思う。
そして京とは『和解』する。同盟は組まない。京国みたいなのはディストピアだと俺は思ってるからな」
「でも、そうなるとリヒト領は半分になります。……京国がそれを期に統一戦争を仕掛けてくるって言う可能性は?」
「ああ? ……ハハハハ!! 面白れえ事を言うなお前。ハハハハ!!」
なんで笑われるんだろう? と思った僕は、少し考えて以前、綾氏が言っていた言葉を思い出した。
過去四度あった戦争は、全部リヒト側が仕掛けてきた。と言うやつだ。
そして保守的で閉鎖的な京国のことだ。京から戦争を仕掛けてくるとは、思っていないと言うことなのだろうか。
……本当にそうなのだろうか?
* * * * *
川を渡るには、大袈裟なほど立派な旅客船が僕を待っていた。
これを、今日は僕が貸切りなのだという。
ここ数日で一番、旅行っぽい旅行かもしれない。
港では、先ほどのリッペ市長が待ち受けていた。
そして兵隊が数名。あとはアルメー。
市長が車をノックする。
「了様、お待ちしておりました。早速船の方へ。
リヒト本国のおもてなしをさせていただきます。
夕方に出発し、『ヤクスト』につくのは明日の朝になります。
船のシェフも超一流。
ホック川の景色を楽しみながら、ビールを片手に極上のカニ料理をお楽しみください」
親父を抱えて、僕は車を降りた。
僕は、エゴンや五台の車全部にお辞儀をした。
エゴンは僕をみずに、手だけを雑にあげた。
二名の兵士に付き添われながら、僕は馬鹿らしいほど大きな旅客船に乗る。
クイーンエリザベス号かよ。それを貸切り。
僕が、船に乗る少し手前でのことだった。
「了ーーー!!」
後ろから、エゴンの叫び声が聞こえた。
僕は思わず振り向く。
大勢の兵士に取り押さえられながら、エゴンが叫んでいる。
「了!! 忘れんなよ!! 南東部はこれから良くなる一方だ!!」
両脇の兵士が、僕の背中をそっと押し、すぐに船に乗るよう促した。
「これ以上最悪になることなんてないからなー!! 了ー!!
南東部を!! 忘れんなよー!! ここのクソみたいな思い出全部、覚えてろよー!!」
僕が船に乗り込むまで、彼は叫び続けた。
南東部にきて一週間。僕はリヒト本国に向かう。
ふと親父の遺骨を見たら、以前エゴンが流した赤いシミが、小さく滲んでいるのが見えた。




