ペグニッツ/石福野〜『世界中』から睨まれる街〜
言うまでもなく寝心地は最悪だった。
今いる部屋が牢獄じゃないとはいえ、ここは実質リヒトの収容所だ。
部屋の外からの音がやかましいし、いちいち不穏だ。
五分に一度、ビィィィィ!! というサイレンが基地中に鳴り響いて、威圧的なドイツ語……いやリヒト語で何かがスピーカーからアナウンスされるものだから、
実に心臓に悪い。
とはいえ、外はマイナス二十度の世界……夜だからもっともっと寒いだろう。
暖房の効いている部屋のベッドで寝かせていただけるだけでもありがたいと思うべきなのだろう。
* * * * *
出発は早かった。逆に助かった。
正直こんな場所、すぐにでも出て行きたかった。
睡眠不足だろうが、車の中で寝ようと思えば寝れるのだ。
それがこの旅の唯一素敵なところだ。
各々、IDを提示してダウパーのゲートを出る。
早速、肌を刺すような寒さが緩やかになっていくのを感じる。
本当にどうなっているんだここの気象は。
でもそんなことはどうでもいい。腹は減っているが安眠にありつける。
……などと思っている頃に、妙に目に付く景色が広がってきたので思わず窓の外を見てしまう。
……テントだ。それも十や二十じゃない。
車道の両脇を、幾千はあるんじゃないかと感ずる、色とりどりのテントが視界の遠くに至るまで並んでいる。
次に見えてきたのは車道にはみ出すほどの屋台だ。
……今は誰もいないようだが、屋台が営業を開始したらなるほど。この車道は通れたもんじゃないだろう。
それを見越してのこの早い出発だったわけだ。
数キロ近く屋台が並んだと思うと、次に車道の両脇を埋め尽くすのは、またテント群。
そしてコンテナハウスと呼べばいいのか、キャンピングカーの親戚みたいな、生活できそうなプレハブ小屋が立ち並ぶ。
途端に眠れなくなった。
その原因は匂いだ。
車内にまで流れ込んでくる、生ゴミとタバコとアルコールと、人間の体臭っぽい匂いがミックスされて濃縮した匂い。
情報量の多い匂いだ。
まあ、はっきりと言って仕舞えばホームレスの匂いだ。
しかしここまでくると、なんだかホームレスに対して失礼なんじゃないか!?
とすら思ってしまうほどの強烈な匂いである。
人間が出す、ありとあらゆる意味でのゴミをかき集めて、さらに発酵させたら、多分こんな匂いになる。
自分でも相当失礼なことを言っている自覚はあるつもりだ。しかし、どう頑張っても他に言葉が見当たらないのだ。
僕は寝るのを諦めて、いつものルーティーンを行った。
これから向かう『ペグニッツ』または『石福野』という都市は、徳島を北とする縦四国で言うところの……
難しいがJR予土線、『十川駅』に都心部があるイメージだろうか。
地図アプリや大陸地図と睨めっこしている僕の視線を逸らさせたのは、人の声だった。それも大勢の。
車が止まる。
「あークソ。捕まっちまったか」
目の前に、人の行列……いや大群ができており、旗を振り回しながら何かを叫んでいる。
赤、白、黒三色の十字架は、リヒトの国旗なのだろう。
皆口々に、
「「シュトップト・ディー・アインヴァンダルングスポリティーク!」」
「「ツリュック・イン・デン・ヴェステン!」」
と叫んでいるように聞こえる。
少し先の道路上で、煙が起きている。あれは国旗が燃やされているのだ。
デモ抗議だと一瞬で分かった。
エゴンの無線が鳴り、おそらく先頭車両の人間の声が響く。
『どうする? 退いてもらうか?』
エゴンはため息をついてそれに返す。
「いや……軍用車だと解ったら奴ら何をしてくるかわからん。
なるべく刺激しないように進もう。しばらくしたら抜け道があったはずだ」
『了解』
エゴンは一層強いため息を吐く。
各々、窓を開けてタバコを吸い始めた。
外の匂いが強烈に流れ込むと思ったら、案外タバコの匂いで中和されたのが助かった。
虚ろに群衆を眺めながら、エゴンは喋り出した。
「いいかー? よく見とけよ了。
『ペグニッツ』はクソリヒトが垂れ流したクソそのものだ。
今お前が見てるのはその景色だよ」
そんなこと言ったらまた助手席と喧嘩になるんじゃないか!?
とヒリヒリしたが、助手席の男も案外この言葉には同意するところがあるのか黙ってタバコを吸っていた。
「都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち十三、これからもっと増えるだろうよ」
「どう言うことです?」
「移民政策だよ」
エゴンが『移民』と言った瞬間に、そこかしこから嘆息が聞こえた気がした。
想像するに、このデモを行っているのはさっき見えたテントやらコンテナハウスに住んでいた人たちで、どうりでさっきは人の気配が無かったわけだ。
そして、彼らが訴えているのも『移民政策』に反対している声だろう。
でも『移民』ってなんだ?
「京の人間がここに越してくるって事?」
僕が聞くと、
「バカ言えよ」
と返された。ますます意味がわからない。じゃあ移民ってなんのことだ?
エゴンが火のついたタバコを路上に投げ捨てると、タブレットを取り出して大陸地図、それも『ペグニッツ』を中心とした拡大図を見せてきた。
「ここ『ペグニッツ』、もしくは『石福野』は、リヒト西部と東部の境目にある。この境を越えたらリヒト西部。つまりリヒト本国だ。
少し前までここは、東部の都市だったんだがな。要はリヒト本国の人口が急増化したってんで……
一番西部に近い『ペグニッツ』を無理やり乗っ取ったんだ」
「武力で?」
「んなわけねえよ。……物価と、家賃を含む居住費と税金を数倍つり上げて、西部の富裕層しか住めなくしたんだよ。しかしこれにはカラクリがある」
エゴンは、東部と西部の「境」よりやや西側の都市を指でなぞった。
「『ヤクスト』と『フルダ』と『ヴァルノウ』……ここには西部の中でも有名な名門大学がある。
西部の中でも『境寄り』の都市は、言わば学園都市なわけだ。
これらの大学に子供が入学している家庭には、居住費は激安で提供する。
……まあ、この辺の大学を出れば国に貢献できる可能性が高いからな。
するとどうなる? 『ペグニッツ』は、東部でありながら、暮らしているのは西部の人間ばかりと。こう言うことになるわけだ」
つまり、テントで暮らしていた人たちは、元々『ペグニッツ』で暮らしていた人々と言うことだ。
それを身勝手な政策で追い出された人々なのだろう。
しかし、そんな理由で同じリヒト国民を『移民』呼ばわりするだろうか?
僕の疑問は尽きなかった。
* * * * *
『ペグニッツ』の都心部は、ダウパーからそれほど離れていない。
しかしデモ行進に道を遮られていたので、早朝に出発したのにも関わらずたどり着く頃には夕方過ぎになっていた。
そして、ダウンジャケットは暑いので脱いだ。昨日との気温差で体調を崩しやしないかと心配になる。
都心部は大都会だ。
見上げるほどのビル群。これの殆どがマンションなのだという。
中には、建築途中のビルも数多くあった。
市庁はもう閉まっているので、面会は明日行うことになった。
とにかく腹が減っているが、夕暮れが終わり夜になる大都会の景色を見せたいと、なぜかエゴンが言う。
街を一望できる場所まで移動し、車を停めて外に出た。
* * * * *
それは奇妙な景色だった。
大都会だと言うのに、夜景がないのだ。
馬鹿馬鹿しいほど立ち並ぶマンション群に、ぽつりぽつりと灯りが灯る。
車も少ない。
僕はさっきエゴンが『これからもっと増えるだろうな』と言った事を思い出した。
「移民って、どこの国からの移民なんですか?」
僕が聞くとエゴンは、
「どこだと思う?」
と聞き返してきた。
「京国」
「ハズレ」
「……リヒト西部」
「アタリと言いたいがハズレ」
「じゃあどこです」
するとエゴンはタバコに火をつけ、煙を吐いた後にこう、言った。
「チャイナだよ」
「は!?」
……中国って意味か!?
「これがクソリヒトの移民政策だ。カネ持ちには飛びついて土地まで譲る。
それがどこの誰だろうがな」
「そ、そのことに、京国やアメリカは賛成してるんですか!?」
「してるわけねえだろ。だから第五次大戦が起こるとしたらここが中心地になるって言われてんだよ。
今はお隣さん。つまり京国、そしてオタクらの国の幾つかが猛反対している。
中でも京は喧嘩っ早いからな。このままクソリヒトが移民政策を推し進めたら戦争になるだろう。
……下手したらオタクらの国を巻き込んでな。
それでもマンションを建設して、お出迎えの準備を始めてるんだよ。我が愛すべきクソリヒトは」
エゴンがタバコを蒸す。煙が暗い夜空に溶けていく。
「ここは自由の国らしいからよ。カネさえあれば自由にしていいんだとよ。それがどこの誰でも……
……例えば、チャイニーズがイラーに中華料理屋を出そうとする。
条件は、この間言った通りイラーの大学を出ること。
もちろん、自分の足で通う必要なんかねえよ。自宅からオンラインで授業は受けられる。
そしてイラーの大学は、税金さえ収めていれば実質無料だ。
中華料理。食ったことねえけどリヒトじゃあ馬鹿みたいにウケるんだろうぜ。
そうするとどうなる。リヒトも中国も経済が潤う。
逆にイラーの人間は東部に追い出されて、行き着く先は麻薬の売人か革命主義者だ。
裕福な奴はもっと裕福に。クソはもっとクソらしくなるのさ。
明るいだろ? クソリヒトの未来は」
ぐるる。とお腹が鳴った。
確かに衝撃的な話だが、それを僕に言われても……と正直思う。
移民政策。日本でも度々問題になる言葉だ。
そして移民政策が問題にならなかった国というのは、地球上にはないのではないだろうか?
オーストラリア、アフリカなんかがいい例だ。
それでも正直、僕には関係のない話だ。僕はただの『運び屋』なんだから。
確かに世界大戦になるのは困るが……結局のところ、それは僕じゃなくて偉い人が決めることだ。
僕にできることなんて、せいぜい選挙に行くぐらいのことなんだから。
「じゃあ飯にすっか。
囚人が命懸けで獲ったカニでも食いに行こうや。
……おっと、じゃあシラフのうちに業務連絡を済ましとくか。
明日向かう場所だが、南東部最後の街『リッペ』もしくは『秋戸石』だ。
公式イメージは『西部との境の街の、夜に出歩く奴はいない』だ」




