ダウパー/乞玉〜いかなる罪も蟹で償える〜
ホテルは今までの中で一番まともだった。
いや、言って仕舞えば最高だった。
客をもてなすのがリヒト人の国民性で、隅々まで気の利いたサービスが行き届いている。
京とは大違いだ。
暖房が消えた瞬間に凍死するだろうが温度と湿度は心地よく設定されており、
ちゃんと個室でトイレが清潔だ。中でも驚いたのはサウナがあったことだ。
リヒト本国も、イラーの異常な精神疾患率を問題視しているのか、至る所にサウナがある。
そして野外プールだ。
流石にブリザードが吹雪いている時はサウナも営業停止だろう。そしてブリザードが無くたってイラーは海からの潮風が突風の如く吹き荒び、これが非常に冷たい。
この風の中を冷え切ったプールに入るわけだ。
イラーの公務員は、十六時まで働く。そしてそれが終わったら家族や友人とお酒をしこたま飲み、灼熱のサウナに入ってから全裸でこのプールに入る。
ここまでが一日のワンサイクルだそうだ。
エゴン達もやるというので、僕もやってみることにした。
確かにサウナは日本のそれなんか比べ物にならないくらい暑かった。火傷するんじゃないかと思うほどだ。
しかし、裸でプールに向かう途中で、風に吹かれて恐れをなした。とてもプールに入る勇気は無かった。
僕みたいな特に苦労もない日本人には、この風だけで十分『整った』……。
* * * * *
朝ご飯ももう、最高以外言葉が出なかった。
大きなズワイガニが朝から食べ放題だ。
こんなに贅沢なものが朝から食べられて、働く時間が十六時には終わり、毎夜馬鹿騒ぎしてサウナに入れるというのに、精神疾患者の増加傾向が続いているというのだから、人間というのはわからないものだ。
人間というのはどこまでも満足できず、人生に過剰な期待を持ち続けてしまうことこそが精神疾患の根幹なのではないかとすら感じてしまった。
……まあ、確かにブリザードは怖いが……。
ところで、聞けばこのズワイガニは、今から行く『ダウパー』もしくは『乞玉』から獲れた物だという。
* * * * *
南東部の都市を、徳島が北の『縦四国』に当てはめるのは非常に難しいが、
『ダウパー』もしくは『乞玉』はだいたい、『愛南町、御荘平城』辺りに都心部があるイメージだろうか。
車が若干煽られるほどの強い潮風が吹く。
道端に目をやれば、ここにも『京本倫平太』の像が立っている。
イラー、もしくは亀石井も彼にとってゆかりのある地なのだということだろうか。
本当にどこにでも彼はいる。
……そして、若干離れたところに今度は明らかに違う人物の銅像が現れた。
『明らかに違う』と言い切れるのは、彼は侍の格好をしていないからである。
銅像であっても『軍服を着ている』とわかる。
「……彼は誰ですか?」
隣のエゴンに聞いてみると、エゴンはだるそうに答えた。
「あいつか? あいつはな。せっかく淘汰されていたダメなリヒトを復活させちまった、馬鹿な男だよ。
名前は、あーなんだっけなー……」
すると助手席に座っている男が……
「フィン・ヴァイス。第三次大戦で勝利を掴んだ、勇敢な革命家だ」
「……ケ。何が革命家だよ。リヒト東部をダメにしたのは、このクソ兄弟のせいだろうが」
エゴンが吐き捨てると、男は助手席から身を乗り出した。
「それを言ってるのはお前だけだ。車内で政治的な会話はやめようってルールを作ったのはお前だよな」
目が座っている。本気で怒ってる顔だ。ものすごく怖い。おい勘弁してくれ。
僕の膝は震え出した。
「あー悪かった悪かったよ。俺は昨日飲みすぎた。お前のいう通りだ。車内で余計なことをいうのはよそう」
そう言って、エゴンと助手席の男は、表面上の握手を交わして、表面上で和解した。
どうやらこの狭い車内でも、政治観で争いが起きるくらい、南東部というのは不安定な場所らしい。
* * * * *
何度もいうが、ここから北二千キロにあるのは常夏の国ハワイだ。
そしてここは、ほぼ赤道の真下のはずだ。
なのにそれを忘れそうになる、というよりも、その現実を考えると頭がおかしくなりそうだ。
目の前に見えたのは、海に浮かぶ広大な氷の塊。つまり氷山だ。
* * * * *
車内の暖房は最大で、僕は今、ダウンジャケットを着てフードをかぶっている。
なのに奥歯が震えるほど寒い。
「悪いな。軍の車だから暖房が弱いんだよ。外はマイナス二十度だ。……窓開けるなよ」
マイナス二十度。
それを聞いて震えながら僕はプ……と笑ってしまった。
「なんだどうした」
「だって……地理的におかしいじゃないですか。たかが二千キロ向こうは常夏の島ですよ?」
「……らしいな。でも俺らにしてみればこれが当たり前だからなあ」
それで僕は、ここは京国とは違うことを思い出した。確かリヒトは積極的に外国人を出迎えていたはずだ。
「研究者とか科学者とか、そういうのは来ないんですか?」
「日本からのか?」
「日本でもアメリカでも北欧でも」
「あー……まあ、リヒト西部は観光地だけどなあ。東部はリヒトからしてもあまり人に見られたくないようでな。
基本的に東部と西部を隔てる境から、外国人は中に入れないようにしている。出入りできるのはリヒト人だけだ。
あとー……まあ、これから行くダウパーはちょっと特殊なもんでな」
そりゃあそうだろう。特殊どころか、人も暮らせないだろう。なんだマイナス二十度の都市って。
* * * * *
「えー、改めて今から行くのは『ダウパー』もしくは『乞玉』だ。
ご覧の通り、まあ寒い場所だよ。一応内陸だとダイヤモンドが取れるのかな?
まあ、でもダウパーと言ったらまずは、海の幸だよな」
なるほど。寒いなりに港町で、カニやらマグロやらが沢山取れるのだろう。
ベーリング海で、カニをとってる漁師達みたいなのが数名暮らしている都市なのだろうか。
……と思っていたら、エゴンは信じられない事を言った。
「都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち十三」
「十三!?」
そこそこ大都市じゃないか!
マイナス二十度の大都会ってことか!? どこのディストピアだ!
「まあそういう反応になるよな。
……見ればわかるぜ。クソリヒトが、いかにクソかってのもな」
意味深な言葉だ。
さっき助手席の男に怒られたばかりにも関わらず、エゴンはまた毒づく。
「そして、ダウパーには支庁はない。軍施設に行くことになるから観光はできない。
宿も期待すんな」
エゴンが口を開くほど、僕の頭に疑問符が浮かぶ。
* * * * *
何もない牧草地に、突然背の高い鉄柵が現れる。その幅は異常なほど広く、まるで……
まるで都市全体を囲っているかのようだった。
「電気が流れてんだぜ。あれ」
また吐き捨てるようにエゴンが言った。
だんだん、嫌な予感がしてきた。マイナス二十度の、普通の人間が暮らせない都市。
それを囲っている、電気の流れた鉄柵。
どう考えても、住民を外に出さないための柵だ。
僕ら五台の車は、入り口のゲートで停められる。
京国ほどの大袈裟な手続きはない。IDカードを見せるだけで通れた。
嫌な予感とは裏腹に、割と都心は都心をしていた。
大きく、華やかな建物。
……だが人がいない。
走っている車も、僕らが乗ってるのと同じような車ばかり、つまり軍用車だ。
エゴンは建物の一つを指差した。
「あそこは劇場『だった』んだぜ」
過去形なのが嫌に気になる。
呆れるほど巨大な施設に入っていく。
京国を思い出すほど威圧的な外観だ。
少し遠くに、氷塊の浮かんだ海が見える。
海だけ見れば、なかなか幻想的な景色だ。
* * * * *
ダウパーで親父と引き合わせたのは、基地の責任者だった。
ここでは彼が市長ということだろう。
年齢はエゴンと同じくらい、いやもう少しだけ若いかもしれない。
真面目な軍人といった印象の、がっしりとしたリヒト人だ。
僕らがここに辿り着いた時には、十六時をすぎてしまっていたのだが、
軍人は公務員ではないからなのか彼は嫌な顔ひとつせず、誠実な笑顔で出迎えてくれた。
「ようこそ。わざわざこのような場所までお越しくださり、ありがとうございます」
そして、僕の手元の親父を見て……
「幸雄様も、ようこそお越しくださりました」
と、長く深々とお辞儀をした。
その間、僕は部屋に飾ってある写真を見ていた。
少し前の写真だろうか? ついさっき通ってきた景色が写っているのは間違いない。
ただ、人が多い。
そして人々の顔は生き生きとしていて、笑顔が見えていた。
僕の後ろからエゴンが、未だ親父に頭を下げている基地の責任者に話しかけた。
「悪いが今日はここで一泊していいか。まさか外でキャンプしろとは言わないだろ?」
すると、基地の責任者である青年士官はゆっくり顔を上げた。
「もちろんだ。……と言っても了様にご用意できるのが、基地の仮眠室だけなのが申し訳ないが……。
君らは休憩所の一角で睡眠をとるといい。掃除はしてあるから自由に使ってくれたまえ」
「……だとよ。ほら、行こうぜ」
エゴンが部屋から出て行こうとするので、僕は思わず口を開いてしまった。
「あのー……」
すると青年士官はアルカイックスマイルで応対してくれた。
「いかがなさりました?」
「……この写真は、いつのものでしょう?」
僕が劇場の写真を指差すと、青年士官は穏やかな声で言った。
「こちらは、まだダウパーが都市《《だった頃》》の写真ですね。
当時ダウパーには、優に十二を越す劇場があったのです。演劇の聖地。そう呼ばれていた時期もありました。
私も、元々俳優を志していたものですから。若い頃は故郷ヤクストからダウパーまで通ったものです」
「え、今は都市じゃないんですか?」
僕が聞くと、エゴンが面倒臭そうに吐き捨てた。
「収容所だよ。巨大な、な」
* * * * *
そういうことだったのか。
しかし目の前の青年士官はさして動揺もせずに話を続けた。
「元々、ダウパーの人口レベルは二十段階評価のうち八ほどの小さい街でした。
演劇人が寒い中、技を磨く場所でした。
その都市がこのように変わった背景にあるのは、リヒト本国での犯罪率の増加に伴うものでした」
本国、とは西部の事を言っているのだろうな。と、なんとなく察した。
「リヒトの刑罰に、死刑はありません。野蛮な京国とは違いますから。
あそこは、罪を犯したら有無を言わさず死罪。神を裏切ったら死罪。一度でも人としての道を踏み外したら死罪ですから。
リヒトは自由の国。やり直すチャンスも与えられるんです」
「……では、ここで漁船に乗って漁を行っているのは……」
「はい。囚人達です。
元々のダウパーの漁師さんが、彼らに厳しく漁を教え込み、罪の分のグラム数、蟹を獲ったら釈放されるというシステムです。
とれた蟹や魚は、イラーや本国に送られ、高い利益を生み出しています。
もちろん、東部警察ではなく、我々本国の軍が直接監督を務めます。
罪人は裁きを受け、国は儲かる。非常に合理性のある政策だと自負しております」
目が本気だ。
つまりそういうことだ。死刑を廃止した結果、死ぬほど辛い環境での重労働を課すことにより、確かに国は儲かり。犯罪の抑止にもななった……ということだろう。
合理的だ。ゾッとするほど合理的だ。
* * * * *
基地の仮眠室に入る前に、狭い休憩所で、壁にもたれてタバコを吸っているエゴンに話しかけてみた。
「例えば……窃盗でどのくらいの蟹を獲らないといけないんですか?」
「ああん? ……そうだなあ。窃盗だったら百トンくらいですむかもな」
百『トン』!?
「で、殺人、強盗で一千五百トン。連続殺人で五千トンだ。
ここでは年間蟹が取れるからな。五千トンでも十年もすれば出られるんじゃねえのか?
……で、ここでは年間、平均二百人が『事故死』する。
二百人は、リヒトにまだ死刑制度が生きていた頃の年間執行人数の実に四倍だ。
当然囚人に給料なんか振り込まれない。死にたくないし、環境は最悪で早く出たいから必死で仕事を覚えて働く。
……すると勝手に国が儲かるって寸法だ。クソだろ」
その合理的な政策のために、文化の街を丸ごと潰したというのか。
途端に僕の頭は重たくなった。
「ほれ。お前にはベッドが用意されてんだからさっさと寝ろ。
……明日行くところは『ペグニッツ』または『石福野』だ。
公式イメージは、『南東部一静かなベッドタウン。ラギ南東部のガン細胞』だ」




