イラー/亀石井〜『平等社会』が生み出した蟻地獄〜
大陸南東部に来て、朝食らしい朝食をとれたのはここファールベルゼルグが初めてじゃないだろうか。
果実のジャムを塗った焼きたてのパン、豆と魚のスープ。魚はなんの魚かはわからないが鱈とかその辺りじゃないだろうか?
そこにクミンシードやカルダモンといった香辛料達の香りがする。
デザートもこれまた果物だ。マンゴーだけはわかったがあとはわからない。ただ、美味い。
そこに紅茶がついてくる。頼めば牛乳と香辛料を入れてもらえるらしい。
なるほど客人をもてなすリヒト人らしい朝食だ。
今は朝の七時。比較的温暖のファールベルゼルグの朝はのんびりしているらしく、昨晩のお祭り騒ぎが嘘のような静けさだ。
人も少ない……と思ったら、なんだか見てはいけないものを見た気分になった。
宿のレストランは一階にある。従って通行人と目が合うのだが、この時間に外にいるファールベルゼルグ人は路上生活者だ。
外からの視線が痛く気まずい。
目があったのは老婆だった。まるで「この地に生まれたのは、前世の罪の精算だ。そして来世の幸福へ向かうための試練だ」と目が語っていた。
思わず目を逸らす。
すると、次にレストランのガラスに張り付いている痩せた子供と目が合う。
こうしていれば、気のいい富裕層は恵んでくれるのだろうか?
僕と少年が目を合わせること十数秒。エゴンに肘で小突かれた。
「あんまジロジロ見るんじゃねえ」
確かにその通りかもしれない。僕は一旦見なかったことにしたが……
「なんでレストランが一階なんだ」
と、独り言のように呟くと……
「この景色を楽しんでるのさ。そうすることで自分の地位を誇るのがここの富裕層だ。昨日の市長みたいな奴等さ」
本気で言っているのか皮肉を言っているのか、エゴンの言葉の真意はわからなかった。
* * * * *
車は南西に向けて進んでいる。
稲田や、牧場くらいしか見るものは特にない、なだらかな草原を進んでいく。
今から向かう『イラー』は、徳島を北とする縦四国で言うところの、うーん……非常に難しいが、
『愛南町、広見』辺りだろうか。
そして、車の中でも明らかに気温が下がったのを感じる。
僕が、大陸地図と、地図アプリを見比べていると、横から
「えーと、今から行くのは『イラー』もしくは『亀石井』だな。
これまた変わった都市だ。イラーと言ったらブリザード。
そしてブリザードと言ったらイラーだ。そのくらい年間単位で数回もブリザードの被害に遭うのがここだ。
にも関わらず都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち九」
「……僻地って言うほどでもない?」
「その通りだ。むしろな、リヒト人が住みたい街ランキングで、東部で唯一上位に食い込むのがここイラーなんだよ。
まあ、市長が有能だったんだろうな。京国時代の良いところと、リヒト時代の良いところを組み合わせて、規律と自由のバランスをうまいこと取ったんだ。
そして消費税や物価をつり上げる代わりに市民にわかりやすく還元されている。
よって市民の政府への信頼が高いんだ。この都市の経済は『イラーモデル』と呼ばれて、リヒト西部でも参考になってるくらいだよ。
ただ地形がな。見たらわかるように大陸南東部は高い山が少ない。海からの風がモロにくるから凍った波風と砂塵でブリザードが起きるんだ。
そういう極端な都市さ」
「『イラーモデル』?」
「まあわかりやすく一例を言うと、自由と規律のバランスをとった結果、
全ての人間が平等に暮らせるように心がけたんだよ。たとえば、収入の低い俺たち軍人がスピード違反で取られる罰金と、
富裕層のやつが取られる罰金は二桁も三桁も違うのさ。
医療も、誰でも無償で受けられる」
「……ファールベルゼルグの路上生活者はイラーに住めば良いのでは?」
「そいつが年に数回やってくるブリザードに耐えられる体を持ってればな。
まあ、ファールベルゼルグみたいな、収入格差の激しい都市が近くにあるからこそ、『イラーモデル』は輝くのかもしれないよな。
男女の収入格差もない。何より教育に力を入れていてな。家庭の貧富に関わらず誰もがほぼ無償で教育を受けられる」
つまり、高い税金や物価の代わりに高いエデュケーション率を持っているのがイラー。もしくは『亀石井』と言うわけだ。
「教育費が無償な代わりに、授業の時間も短い。まあ……西部で働くにはちと足りんな。
『平等の都市』はここでも徹底されていて、『テスト』はなく『成績』っていう概念もないんだそうだ。
エリート主義のリヒトに正面から喧嘩を売っていくスタイルだよな。そして有給率もダントツで高い割にサラリーマンの月収も高いので、
リヒトで一番ワークバランスの取れた都市とも呼ばれてるよ」
なんだか聞いていて、日本人からすると羨ましくなってしまう生活モデルに聞こえてくる。
……ブリザードがどれだけ恐ろしいのか知らないが……。
日本では、公約に『増税』を叫ぶ政治家はまず当選しないだろう。
どいつもこいつも真逆の『減税』を叫ぶ。
ここイラーでは市長選挙では、堂々と『増税』を叫ぶ候補者が支持されるのだという。
「……楽園じゃないですか」
「まあ、あと一つ。イラーと言ったらあれだな」
「なんです?」
「うつ病」
……は? と頭に疑問符が湧いた。
うつ病……ってなんだっけ?
「寒くなるから、これを着ておけ」
そう言って僕は、ダウンのジャケットを渡された。
* * * * *
冷たい空っ風が吹いている。
イラーに入ったようだ。
道路は整備されており、都心部は小さくこじんまりとしているものの、煌びやかな電飾が施されており、
老人や足が不自由な方のための『歩く歩道』やエスカレーターがそこかしこに見える。
この国の主力兵器、『アルメー』が至る場所に2台づつ配備されている。
人々は黙々と真っ直ぐ見て歩いている。
治安がいいというか、静かな街だと思った。聞こえるのは風の音ばかりだ。
……確か以前似たような都市に来たような気がする。
レストランや、小洒落たバーがそこそこあり、ちょっとした表参道に見えてくる。
「今何時ですか?」
なんで時間が気になったのかわからない。でも僕は思わず聞いてしまった。
「今か? 三時だよ。昼のな」
やっぱりそうだ。
ファールベルゼルグとイラーはそこまで離れていない。
移動時間は短いはずだ。
なのに、もうこの時間帯で街灯が煌々と灯っているのだ。
そんな馬鹿な。南東部には山がないはずだ。なんでこんなに、日暮れが早いのだろう?
疑問に思ったのと同時に、
以前、秋綾と言う都市に訪問したことがあるのを思い出した。ここも秋綾と一緒で謎の乱層雲が取り憑いているのだろうか?
「心の疾患者が多いのは、この天候のせいですか?」
素朴な疑問をエゴンにぶつけてみると、
「学者先生はそう言うよな。でも原因はそれだけじゃないと俺は思う。まあ、夜になればわかるよ。とりあえず今は市庁に急がねえといけねえ」
* * * * *
イラーの公務員は十六時退勤が義務付けられている。
だので僕らはそれまでに市庁に向かうことになった。
……市長室の前、ガラス扉越し見た光景が頭に焼き付いている。
市長室には、当然市長が座っているのだが、心配になるほどの激しい貧乏ゆすりを繰り返しながら時計の一点を見つめていたのだ。
確か、僕らがついたのは十五時五十分ほどだったと思う。
僕らが入った瞬間に、表情がガラッと変わって露骨な作り笑いを浮かべた。
そして市長と親父を引き合わせたわけだが、僕は見てしまった。
市庁のデスクの上には、錠剤の入ったピルケース。その前に置いてあるカップに入っているのは……匂いからして多分水ではない。お酒だ。
嫌な想像が頭で駆け巡る。
この人たちの十四時退勤は、単なる決まり事や義務じゃなくて、何か絶対的なことなのだろう。
その絶対的な何かにおいて、遅刻など論外。退勤時間十分前であっても遅すぎるのだ。
人一人、それも市長をここまで追い詰めてしまうくらいには。
* * * * *
夜になると、昼間の静けさが一変し、街は賑わいだす。
そこかしこから笑い声や歌声が響く。
そんな風景を、都会的な電飾が飾る。
僕らが入ったレストランも、実に賑わっている。
女性、男性、皆笑っている。
そして料理は抜群に美味かった。サーモンを焼いた上から、卵と酒と香辛料をかける。実にまろやかな味の料理だ。
周りは賑やかだが、僕ら一向は静かに料理をいただいていた。
異質感がすごいことだろう……。
「こいつら、この時間のためだけに生きてるのさ」
寂しそうにエゴンがつぶやいた。
「『イラーモデル』はリヒト中で注目されている。しかし、完成しちゃあいないのさ」
「どうして?」
僕が聞くと、エゴンはフォークを握る手を止めて、少し考えた。
「まあお前がさっき言った通り、日中は曇り空で常に重苦しく、都市が生活を保障してくれるとはいえ、ブリザードの被害を年間で数回受ける。
でも俺はさっき、それだけじゃないって言ったよな?」
「はい」
「考えてみてくれ。想像力を膨らませてな。競争が悪とされ、誰かと比べることを『悪』だとする市民性。
完全な平等社会。
それは聞こえはいいかもしれない。でもそんな中に何年もいてみろ。どうなると思う?」
「……わかりません」
「多分、話題がなくなる」
そう言われて、僕は昼間に歩いていたイラーの人々の姿を思い出した。
誰も、喋っていなかった。
「そんな……ことないんじゃないですか?」
「そうかな? 俺らだって、会話が盛り上がる時ってどんな時だ? あのスポーツ選手がすげえ。
あの音楽がすげえ。あの政治家の政策は酷え。
それらの会話が一切なくなったら……? たぶん、上澄だけの薄っぺらい会話しかしなくなるんだぜ。
しかもここは朝から一日薄暗い。そりゃあ、気分も沈むよな」
僕は周りを見渡した。
「……でも、今は盛り上がっているようですが?」
「だから良くないんだよ。この街の公務員は十六時には退勤する。
金もそこそこ持ってるからやることと言ったら、家族や友人と酒を飲むことぐらいしかねえだろ。
昼間は貝殻のようにダンマリ。夜は鳥みたいにピーチクパーチク大盛り上がりで感情の波が大きすぎる。
それが毎日だ。
酒。それからドラッグ。うつ病患者には最悪な二種とされてるよな。
そして次の日に待っているのは、死にたくなるほど憂鬱な曇り空と二日酔いと、上部だけの会話だ。
この都市のアルコール依存率は、リヒトの中でも上位に入り、東部ではぶっちぎりの一位だ」
そう言われると、なんだかここの人たちの笑顔が哀しく感じてきてしまう。
「そこにここイラーの独特な政策も加わっていてな。イラーで店を出したり、イラーで就職したいなら条件がある。
それはイラーの大学を出ることだ」
「それはなぜ?」
「イラーモデルを遂行するには、徹底してイラーモデルに当てはめる必要があるからだろう。
『競争は悪』『比べることより個性を磨け』これを叩き込まれた人間でないとイラーで仕事はできない仕組みになっているのさ。
そりゃあ、イラーはリヒト国さ。しかしイラーはイラーで独立した文化を形成しちまってるのさ。
まあ、大学も医療も高い税金や物価のおかげで無償化。そこに引っ張られてみんなイラーに来たがる。
……そしてなぜか病んでいくのさ。
イラーの大学を出ても、働けるのはイラーだけ。蟻地獄だよな。
それに気がついた人間は、そっとイラーを出ていって……
ファールベルゼルグで路上生活者になるか、スリルを求めて革命戦士とかいうクソを夢見るかさ」
「そこまでですか!?」
「だってブリザードがねえんだもん。それだけでも生きていけるって思ってるのさ」
なんだか、料理の味まで変わってしまった。
「まあ、クソリヒトが掲げる『自由』も『幸福』も幻想ってことだよ。俺から言わせるとな。
さて、そんなことより明日は大陸最南端の都市『ダウパー』または『乞玉』だ。
公式イメージは『落ちぶれた文化都市。氷河の牢獄』だ」




