ファールゼルベルグ/鶴長〜鼠が猫よりデカい〜
ホテルの地下駐車場で車中泊だったもので、珍しく安眠から覚めた時にはすでに車は動いていた。
目が開いた頃には、太陽が地平線から顔を出したあたりで、白白とした空が陸稲を包んでいるという景色だった。
陸稲は、見渡す限り陸稲で、細い国道がその間をモーゼよろしく切り開いて進んでいるのである。
道路は散らかっている。掃除をする人間がいないのだ。
「おう。目が覚めちまったか」
隣でエゴンがそんな事を言った。言葉の意味はわからなかった。
それで僕は、なんで起きてしまったのか気がついた。
下半身に、痛みと重みを感じる。
「……あのー……大変言いにくいのですが……」
「ああ?」
「トイレ、近くに……ないですよね」
「便所? おお、丁度いいや」
するとエゴンは無線機を取り出した。
「エゴンから全車両。『休憩』したいとさ」
すると五台の車は前の車両から一台ずつ停車する。
「ほれ。行って来い」
「……ん?」
何処に?
僕は、まだ繋がりきれてない脳味噌の神経を無理くりつなげて、言葉の文脈を考えてみた。
すなわち「トイレに行きたいです」「丁度いい。行って来い」
……は!? まさか他人様の田畑で「成せ」という気か!?
そんなことできるか!!
普段の僕ならここで、便意は引っ込むのだと思う。しかし、南東部についてからというもの、碌なトイレに巡り会えなかったりそもそも『出す』タイミングがなかったり、
更に言うとこの先にトイレに寄ってもらえるタイミングも確約されてないとなると……
僕に、人間の尊厳をかけた選択が迫られた。
畑で成せと!? 米だから直接口には入らないかもしれないが、なんというかそう言う問題じゃない!!
なんかイヤだ!!
僕が戦々恐々としていると、前の車から男が眠そうに降りて、道路脇で普通に丸出しになり、事を成された。
吐き気を催す絵にも見えるし、なんだか田舎の爽やかな風景にも見える。
「どした? 行ってこいよ。このタイミング逃したらもう、今日の夜まで安全な場所でクソなんかできねえぞ」
「誰にも怒られませんか……?」
「怒らねえよ。むしろ無料で肥料を提供してやるんだ。慈善事業だと思ってやってきな」
ヤダよ!! なんだ!? 僕がこの大陸で食べたお米は、そんな風に育てられているのか!?
などと僕の倫理観は抗議の言葉を並べるが、反比例して下腹部は危険信号を発し続けている。
正直、限界だった。
僕は車を出た。
どうしても車から少しは離れたかった。皆が見ているかもしれない前で、お尻を丸出しにして、踏ん張るところを見られるのは後の旅のことを考えると、
これからの関係値に関わってくる。
僕は靴のまま、ぬかるんだ稲を心で謝りながらかき分けた。
「あまり遠くに行くなよー!」
エゴンの声が聞こえてくる。馬鹿言うなよ。子供じゃねえんだよ。……などと今から野糞をしようとしている大人が申し上げるわけですが。
下半身が危険信号を出しているが、さすがにズボンを下ろす瞬間にためらった。
「ハアア」と、深いため息をついて覚悟を決め、僕はパンツを下ろした。
土の匂いがする。こんなに土の匂いを感じるのはいつ以来だろう。
……もちろん、男の僕は日本で野糞をした経験はある。遠い過去の話だ。
腹に収めた積荷を畑に収める。
見上げた空は何処までも白く広がっていて、生暖かい風が僕の頬を撫でる。
文字通り、僕は大地と一体化したのである。
成し遂げた。
大量の稲に見下ろされて、僕は安心感を得た。……同時に次の心配が襲いかかってきた。
……何で拭けばいい?
エルザからもらったスーツにハンカチが入っていて助かった。
そのハンカチも……まさか五人も乗っている車に持ち帰るわけにはいかないので、無駄に畳んで何度も「ごめんなさい」と唱えながら畑に置いてきた。
やっていることは最悪だが、嫌に清々しい気分になった。
「おかえり。これでお前も大人になったな」
エゴンが言うと、車の中の男達が失笑した。
* * * * *
「さて、と。今から行く都市は『ファールゼルベルグ』。『鶴長』って呼ぶ奴もいるな。
都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち十四。
市長がやる気のある人間でな。うまいことカルテルやマフィアとも渡り合ってるおかげで治安もマシな方だ。
久々にホテルに泊まれるかもな。ただー……もう分かってきてると思うが、なるべく車から出ないでくれ」
「もちろん」
僕はエゴンの言葉を聞き流しながら、いつものルーティーンをしていた。
ファールゼルベルグ、もしくは鶴長は、縦四国で言うところの……難しいが『勝間沈下橋』のあたりに都心部があるイメージだろうか。
リヒト東部の、更に東側は、今まで通ってきた、『ビルケンコプラ』『ツークシュピッツェ』『トレッタハッシュピッツェ』そして今から行く『ファールゼルベルグ』
の四都市で、一つの巨大な湖を囲んでいる。この湖の形が変わっていて、『Y』の字とか『人』の字によく似ている。
言いたいことは、湖面が三叉状に広がっているのだ。
この湖は『クロイツェンダー・ゼー』という名前らしい。
……ところで……
「ファールゼルベルグは、そこまで離れていませんね? どうしてこんなに早く出発する必要があるんですか?」
僕が聞くと、エゴンは咳払いを一度だけして、答えた。
「まあ見て分かったと思うが、リヒト東部は無法地帯だ。
警察も関与しない。行方不明事件なんて起きても誰も探さない。
若者は本国のケツをまくるのに必死。麻薬の売人になるか、銃を持って革命を夢見るか。どのみちクソだ。
……ただし全員が全員そうなるわけじゃねえ。
クソになりきれなかった人間はどうなるか……つまりな」
エゴンが喋りかけた途端である。前の車が停車した。
渋滞しているようには見えなかった。
フー。とエゴンはため息をついた。
「捕まっちまったか」
僕は目を凝らして、先頭車両の方を見ようとした。
痩せた金髪の少年が三人ほど、車両にへばり付いている。
三人とも、十代になったばかりではないだろうか。
エゴンは無線を取り出した。
「エゴンから、コンラート。面倒臭え。通してもらえ」
エゴンは一度無線をしまいかけて、また取り出した。
「ちゃんと領収書切ってもらえよ」
無線から『ああ!?』と、まあまあ苛ついた声が聞こえてくる。
「冗談だよ。立て替えといてくれ。後で精算しよう」
* * * * *
この道は、朝から深夜にかけて、物売りで溢れるのだそうだ。
食べ物。果物。密造酒。非合法なドラッグ。占い。機械の部品。体重測り。
そのため道路は通れたもんじゃないのだそうだ。
「あのガキどもも、家の中じゃあ稼ぎ頭だ」
「知り合いなんですか?」
「何度かここで会ってるよ。さしずめ親父は食えない軍人で、少ない給料も酒代に消えちまうんじゃねえか?
よくあることだよ。ここではな。昨日も聞いたろ? 戦争でも始まらん限り、東部の人間は用無しなのさ。
鼠と価値は変わらねえ。そして鼠みたいに増えていく」
エゴンは無線を取り出した。
「エゴンからコンラート。今日は何を貰った?」
……『……』聞き取れないが、不機嫌そうな声が響いてきた。
それを聞いたエゴンは、
「ハハハハハ!! ……はーいお疲れ」
と無線を切った。
「乾電池と使用済みコンドームだとよ」
車内で笑い声が響いた。
先頭車の窓から、何かが投げ捨てられるのが見えた。
* * * * *
突然建物の数が増える。
平家が立ち並ぶと思ったら、少し遠くに高いマンションが現れる。
家、家、家、何処を見ても家ばかりだ。
路上では、若者、大人が堂々と座り込み、こんな時間からお酒を飲んでいる。
そして、猫ほどの大きさの生き物があたりを駆け回る。大陸特有の生き物かと思ったら鼠だった。
よくみれば路上で大の字になって横になっている男もいる。
あれは死んでるのではないらしい。エゴンの言葉を借りれば「いい夢を見てる」ということだ。
カラスもでかい。
町中ゴミ袋が積み上がっており、壁には落書き。
『我ら気高きテロリスト』と大きく書いてあって、笑っていいものかどうか反応に困る。
窓が開いた状態だと、下水道からの匂いと、なんだかわからない甘い匂いが同時に漂ってきて頭がクラクラする。
道中、何度もクラクションを鳴らして少しづつ都心部に向けて車は進む。
都心部手前では、白い車が数台停車していた。
* * * * *
都心部の手前で市長がなんと直々に出迎えてくれたらしい。
周りにはSPと思われる武装した人間が多数いて、あたりを見回している。
ここは安全だと言うことで、僕は親父を連れて車から降りた。
ファールゼルベルグの市長は、縦にも横にもデカく、腕にはタトゥーが彫ってある。
岩みたいな頭から伸びた長い白髪の長髪を後ろで束ねている。
まずエゴンが市長と挨拶をした。
「よく帰ってきたな! 少しは稼げるようになったか? ああん!?」
市長の声はデカい。
ガハハと笑いながら、エゴンと握手とハグをした。
次は僕の番だ。
「おー!! 幸雄の息子か!? すぐ分かったよ!!」
巨大な両手が広がって、僕を吸い込んだ。
「どうだいリヒトは!! 最高だろ!? なあ!!」
巨大な筋肉に圧迫されて僕は乾いた愛想笑いしかできなかった。
親父よりも先に僕にアクションをかけてくれたのは、この人が初めてかもしれない。
それはなんだか少し嬉しかった。
そして……
「ああ、これが、幸雄か?」
「はい」
すると市長は、骨壷の入った箱を抱えて……
「こんなに軽くなっちまって……こいつ……」
と目を閉じた。
* * * * *
市長が直々に都市を案内してくれるそうだ。最初に向かった先は、大きな記念公園だった。
噴水の前に、女性の銅像が建てられている。
僕は相当、市長に気に入られたのか先ほどからずっと肩を組んで歩いている。
「みろ。あそこで第三次大戦が終戦したんだ」
「彼女は誰ですか?」
「あいつは、京国の姫、光依。当時京国の支配下にあったこの地の、あの場所で終戦宣言を行った。
そして、俺らのリヒトが帰ってきたってわけだ」
どうやらこの市長は、リヒト国の事を支持している側の人間のようだ。
「第二次大戦で、京国の侍がここ南東部を統一した。
そこからは真っ暗な時代さ。市民は軍の言いなりになるしかない、何から何まで否定される時代だったそうだ。
故郷を捨てて、ここから出ていく人間までいたんだ。
それをー……
俺らのリヒトは自分の力で取り戻したのさ。全てを。ゼロの暗闇からな」
よくわからないが、エゴンとは真反対の事を言っている気がする。
でも色々な意見があるのがここ南東部なんだろうと言うのは、いい加減察しがついた。
「すげー街なんだぜ? ファールゼルベルグは。第二次大戦が始まったのもここ。第三次が終わったのもここ。
ここにはリヒトの全てがあるのさ」
市長の声は、迷いも嘘もなかった。本気でそう思っている。少なくともそう聞こえた。
「なあ、見てくれよ。この街を。
最高だろう? 路上で寝てても殺されることのない街。
喧嘩はたまにあるけれど、拳で解決しちまえばいい。わかりやすいだろ?
この街を作るのには時間がかかったよ。
俺が選挙で当選してから、リヒトの兵隊を引き連れてカルテルどもを街から追い出した。大企業への減税をおこなってリヒトの企業もきてくれるようになった。そしてできたのがこの街だ」
市長は大きな腕を広げて街全体を僕に見せる。
「最高な街だろ? 誰でも幸せになれる。
嫌になっちまったらクスリでハイになっちまったらいい。ウチでは麻薬の単価を引き下げさせてるから、安く手に入るぜ!!
カルテルなんざ怖くねえ。いざとなったら俺がアルメーに乗って皆殺しにしてやるよ!! ハハハハ!!」
乾いた笑いしか出てこなかった。
「お前も、人生に疲れたらいつでもここに来い! 毎日楽しいぜ!!」
* * * * *
その後も市長にあちこち連れ回されて、なんだかわからない地元のお酒をしこたま飲んで解散する頃には夜になっていた。
お酒からはバナナの匂いがしたから果実酒だと思うのだが、なぜかガソリンっぽい匂いもした。
市長から『ウチに泊まっていけ』と言われたが、明日も早いのでと断った。
お酒が回っているからそう思うのだろうか。ファールベルゼルグの夜はカーニバルみたいだった。
そこら中から屋台の売り声。路上歌手の歌声。そして、爆竹が流行っているのか地面から色鮮やかな火花がそこら中で音を立てて上がる。
ホテルは久しぶりの個室だ。
本当に南東部の街か!? と思うほど、清潔……とまでは言えないが普通に泊まれるレベルの宿だ。
トイレも各部屋にある。これは助かる……。
ノックが聞こえたと思ったら、エゴンが入ってきた。
なんだか今日顔を合わせるのが久々な気がする。
「疲れたろ。老人の相手は」
「いや……楽しかったすけどね」
「……まあ考え方は色々だよな。あの世代は『古き良きリヒト』を夢見てるからな。
あいつの言ってた企業の減税。そして軍の治安出動。その財源はどこからきたと思う? 社会福祉や治安の予算削減だよ。
結果生まれたのは、富裕層と貧民層の格差。そして路上生活者だ。
鼠の数が増えたのも、路上で丸太みてえに人間が転がるようになったのも、東部の東側全般がカルテルの巣窟になって一般人が逃げ出したのもあいつが当選してからだ。
『古き良きリヒト』……幻想みたいに奴らは言うがな。リヒトによかった事なんてあったか? って俺は聞きたくなるけどね」
僕は何も言えなかった。
アルコールが頭まで回っていて、ろくな言葉が出なかったのもある。
「まあ些細な愚痴さ。明日も大変な場所に行くからしっかり寝てくれ。
明日行くのは『イラー』もしくは『亀石井』だ。
公式イメージは『ブリザードといえばイラー。自然災害と仲良く!』だ」




