ビルケンコプラ/亀野〜トイレが世界一汚い!〜
「うーん?」
自室で『旅のしおり』の大陸地図をかれこれ五分近く眺めている。
しかし、探せば探すほど、今いる『ニーナ・ハーゲン』の近くに『ビルケンコプラ』なんて都市はないのだ。
僕の聴き間違えだとしても、似たような響きの都市はない。
どういうことだろう? ふと、嫌な予感がして大陸全体を探してみると……
「あ」
思わず声が出た。見つからないはずである。
『ビルケンコプラ』は、大陸南東部のさらに東部にある。
ニーナ・ハーゲンが、海沿いの都市ということもあり、おそらく海路を使って移動をするのだと思う。
徳島を北とする『縦四国』でいうところの、『四万十市』あたりだろうか。
なぜ次の都市がここなんだろう? よくわからないが、明日から僕は大陸の南東部に行く事は分かった。
* * * * *
太陽が登りきらないうちに起こされた。
「もうなんなんだよ……」と慌てて顔を洗って、宿の寝巻きから着替えて支度をするわけだが、それで気がついた。
そういえば、今日のスケジュールを昨日の晩に聞いてない。
文句を言うならば僕が本来、この辺りのことを聞かないとならないのだろうがこれに関しては言い訳がある。
綾氏は前日の夜に事細かに教えてくれていたのだ。
だから何時に起きて何時までに支度を済ませて、で、何時あたりで『不味メシ』を胃に治める覚悟をすればいいと脳内でシミュレーションできていた。
テント泊の時も感じたが、リヒト人と言うのは大雑把な人間が多いのだろうか?
さすが自由の都市だ。
昨日僕がビルケンコプラを探さなければ、今頃東南部に連れて行かれることも知らなかったわけだ。
ただ、飯は本当に美味い。今朝はジャムの塗ってある、ふっくらこんがりパンと、蜂蜜入りヨーグルトだ。
そしてパンは食べ放題だ。あとは紅茶。ジャムは、何のジャムかはわからないが、当然何かの果実だろう。
素朴な木のテーブルに、赤と緑の鮮やかな絹生地のテーブルクロス。そこにキャンドルが灯っている。
外はまだ薄暗いが、登りかけた太陽が海の彼方に見える。こう言うディレクションというのか、景色含めて料理を楽しませる演出が、本当に上手だ。
ただ、今日のスケジュールは非常にタイトなようで、紅茶を飲み終わる前に朝ごはんの時間は終了となってしまった。
宿の入り口まで、ニーナ・ハーゲンの市長は来てくれた。
ビシッとしたスーツ姿の、いかにもな壮年紳士だ。背が高い。ただ、眠いのだろう。
「私は今非常に眠いです」と露骨に顔に書いてある。
こういうところも、リヒト人だなあ。と感じる部分だ。
自分の目の高さの空に三本の線を指で縦に引いて、両手を組み、頭を下げた。いよいよこれが、リヒト式の祈り方なのだと分かった。
そして用がすむと帽子を取って深々とお辞儀をして、さっさと帰っていった。
親父と市長を引き合わせた後、向かったのはやはり街の港だった。
そこに並んでいたのは、長閑で牧歌的な田舎の町とは明らかに不釣り合いな、無機質で威圧的な、少なくとも旅客船ではなかった。
それでここニーナハーゲンも、国境地帯の街であるということを思い出した。
まあ言って仕舞えば巡洋艦が五隻ほど並んでいるのだが、僕らは何に乗るんだろう?
……まさか軍艦に乗せられるわけじゃないと思うが……。
ただ、威圧的な巡洋艦が停泊していること以外は緊張感がないのもリヒト的な景色なのだろうか?
巡洋艦の近くで、私服のおじさんが釣りをしている。
そしてその脇では、キャンプ用の椅子に、サングラスをかけた男性が豪快なイビキをかいて寝ている。
その脇には、港に置いてありそうな木の樽。そして灰皿。寝ながら指に挟んでいるのは、まだ火がついてるのか煙が出ているタバコである。
わかりやすい寝タバコだ。
エルザが、その男性に近づいて揺り起こす。
すると男性が「んが」といびきを中断して、露骨に不機嫌そうな態度でサングラス越しにエルザを見る。
そこから不機嫌そうに二言三言ドイツ語、いやリヒト語を交わしたら、男性はタバコを見て、名残惜しそうに一口吸って、火を消した。
そしてだるそうに立ち上がってエルザと一緒にゆっくりこちらに近づいてくる。
「了様、紹介いたしますね。
こちら、エゴン・レッケブッシュ。私に代わりリヒト東部をご案内いたします」
男はサングラスを外して握手を求めてきたので、僕は応じた。
暗い金の短髪。白いTシャツにジーンズ。リヒト人特有の彫りの深いというか……頭蓋骨が浮かんで見えるというのか……、フットルースのケヴィン・ベーコンに、筋肉の主張を激しくした感じの男性だ。身長は明らかに二メートルを超えている。
おそらく、いや確実に大陸に来てから一番背の高い男性だった。
「エルザさんは一緒に来ないんですか?」
「はい。私はリヒト西部でお待ちしておりますので。大陸南東部の旅を楽しんできてください」
とだけ言って、エルザとイリーネさんは去っていってしまった……。
* * * * *
エゴンは、再びサングラスをかけて、僕に許可も取らずに紙タバコを取り出して火をつける。
今日び、日本では見ない光景だ。
そして気だるそうに煙を吐きながら……
「んじゃ、時間ねーから行くぞ」
と言った。
「え、ど、どれに乗るんですか?」
エゴンみたいなタイプの、背の高いイカつい系の外国人は、僕の人生でこれまでにないタイプだったのでしゃべるのが緊張してしまう。
彼は、サングラス越しでもわかるほど面倒臭そうにこちらを振り向き……
「どれでもいいよ」
と言った。
言っている意味がわからない。するとエゴンは続けた。
「どれも行き先一緒だから。ただ一言言っとく。どれも乗り心地は最悪だから、酔い止め飲んでさっさと寝ることをお勧めする」
「えっと……これら五隻とも、ビルケンコプラに行くんですか?」
「だから、そうだって言ってるだろ。好きなのを選べよ。『リヒト』は自由の国なんだろ?」
何か引っかかる言い方だ。
『どれでもいい』というのは本当にそのままの意味らしく、僕は特に理由もなく手前から二隻目の巡洋艦に乗ってみたが、何も言われなかった。
何だろう。今から戦争にでも行くみたいな緊張感だ。
エゴンに酔い止めを渡され、巡洋艦の奥にある一室に案内された。それはクルーの仮眠室のようだ。
無機質で、何だかおっかない部屋だが壁に貼ってあるグラマラスなリヒト美人のポスターが、京国とは区別化されていた。
「いいかー? 陸に着くのは今日の夜だ。それまで、船内でウロチョロされたら困る。
基本的にこの部屋から出るな。便所は部屋を出たらすぐそこだ。誰か使ってるかもしれんが、そこは譲り合いの精神で。メシは……あー」
エゴンは頭を掻いた。
「やっべ。メシ考えてなかったな。まあそこらへんの棚に誰かの食いかけのレーションとか入ってんだろ。
それ、自由に食っていいから。腐ってるかどうかも、まあ自分の判断で考えてくれ。じゃ、向こうでな」
聞きたいことは山ほどあるのだが、そっけなくエゴンは不安と疑問符でいっぱいの僕を部屋に置いて去ってしまった。
ここで何となく察しがついた。僕は、歓迎されてない。
* * * * *
窓が無いので、外の様子がわからないが出港したようだ。
酔い止めが強い薬だったのが、今思えばよかったのかもしれない。
おかげで、あれこれ余計なことを考えることもなく、ぐっすり眠ることができた。
まあ、寝るより意外何もすることが無いというのもあるが、僕は性格的に、時間があればあれこれ考えてしまう。
そして、この状況は色々と考えざるを得ない状況だからだ。
なんで、巡洋艦に乗せられたんだ?
それと、寝る、というよりも、寝る体ができる、と言えばいいのか、安眠はしていない。
だから何となく外の音が聞こえるのだ。
何度か、安眠室の扉が開いたのはわかる。そして、明らかな舌打ちが聞こえて部屋を出ていったと思えば、
また扉が開いて、今度は僕が見えてないのか気にしてないのか、同じ部屋でタバコを吸っているんだろうなあ……と感じることもあったり、隣で何か食べてる匂いを感じたり……。
もっと気になるのは、時々発せられるサイレンだ。これには最後まで、慣れなかった。
ビー!! と鳴る度にビク!! と目が覚めてしまう。
そしてその後必ず、ドイツ語で何か船外スピーカーから何やら好意的ではない言葉が発せられる。
時々、銃声にしか聞こえないものも数発聞こえて、今外で何が起きているのか気になるが、それでも酔い止めの強い薬が効いていて、考えるのもだるくなり、
とりあえずの眠りにつくことができた。
薬がなかったら、今頃不安で一人でベソをかいていたかもしれない。
* * * * *
おかげで、僕は、仮眠室から一歩も出ることなく、大陸南東部の港にたどり着いたようだ。
人間の脳というのは便利なもので、決して安眠していたわけではない。
むしろ突然なるサイレンと、たまに聞こえる銃声で、僕の脳は現実に留まるのを拒んだようだ。
半ば現実逃避的に眠りの世界に逃げ込んだわけだ。
夢は何もみなかった。
「ついたぞ」
と、エゴンが仮眠室まで迎えにきてくれたが、いまだに薬が効いているのか、それとも現実に帰ることを僕の脳が拒否しているのか、
目は何となく開けられるが、強烈な怠みで立てる気がしなかった。
「ほら。ついたぞ。親父さん忘れんなよ」
エゴンは肩を貸してくれて、僕は巡洋艦を降りることができた。
真っ暗だが、人工的な灯りで足元と周りの景色は見える。
街頭じゃない。数台の車のヘッドライトだ。
思わず振り返ると、巡洋艦は五隻。……これは本当に五隻ともニーナハーゲンを出港したのだろうか?
それで正面には、……停車しているのは明らかに軍用車で、あたりには数名の兵士が銃を携えて立っている。
僕たちが横切る瞬間に、敬礼をした。敬礼の形だけは、どの国も同じなんだなあ。などと、呑気な事を思った。
停車している一台の、後部座席に案内された。
* * * * *
窓は分厚く、その外には鉄の網が張られている。
防弾ガラスだ。
僕は明らかに護送されていた。
車内で水を与えられ、それで段々と指先、足先の神経がつながっていく感覚がした。
「落ち着いたか?」
エゴンが聞いてきたので、水をもう一口含んで頷いた。
「改めまして、ようこそ大陸南東部へ。
ここにはマトモなクソか、狂ったクソしかいない。まあそんな国だ。
今から向かうビルケンコプラ。……まあ、『亀野』って呼ぶ奴もいるな。
都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち八。人間より野良犬が多い。
だから『リヒトから来た人』からしたら臭えと思うけど、まあ我慢してくれ」
「……ここはリヒトじゃないんですか?」
僕が聞くと、エゴンは、
「俺たちゃリヒト人だよ」
と面倒臭そうに答えた。
* * * * *
「なあ、『ニホン』ってどんな感じなんだ?」
これがおそらく、エゴンとする初めての世間話的な会話だった。
綾氏にもエルザにも聞かれなかったことだ。
街頭はない。灯りらしい灯りは、前の車両のテールライトと、この車のヘッドライト。
そして後の車のヘッドライトが全てだ。
街の様子はわからないが、人は歩いてはいなさそうで、平家がポツポツと立っている。
僕が質問の意図がわからないでいると、エゴンは続きを話した。
「ここと比べて暮らしやすいかい?」
そう聞かれて、僕は車の外を見てみたが、あんまりよくわからなかった。星は綺麗だ。
「……なんとも言えないですね」
本当に何とも言えなかった。
「そうか。なあ、俺を軍に雇っちゃみないかい? 自分で言うが俺は優秀なアルメー乗りだぜ」
「アルメー?」
「そうアルメー」
なるほど。リヒトもリヒトで京と同じ軍事国家だ。京でいう『マスラオ』みたいな兵器があるのだろう。
「……日本には軍はありませんよ」
「Was!?」
驚いている。まあそうだろう。
過去百年近く、どこからの侵攻も受けてない国ですよ。と言っても、信じてもらえないだろう。
エゴンは頭を掻いた。
「マジか……ジョークだと思ってたぜ」
車内には、五人ほどの人間がいるが、いたるところで嘆息が聞こえた気がしたが気のせいだろうか?
「倫平太みたいに、馬に乗ってカタナを振り回してるモンだと思ったよ……」
つまり現代でもサムライがいて、馬を乗り回していると思っている。
どちらかというとそっちの方が冗談に聞こえるが。
すると突然、車が一斉に止まった。
そして、皆が一斉に車から降りる。
なんだ何が始まるんだと思っていたら……
「おい、お前さんも降りておけ。親父さんも忘れるなよ」
とエゴンに言われた。
* * * * *
車のヘッドライトが、銅像を照らしている。
僕は思わず自分の目を疑った。
銅像が車にライトアップされているおかげで、それが京武士の銅像だというのがわかる。
そして、周りのリヒト人達がそれに対して、京でたくさん見た『二』のポーズでお辞儀をしていたのだ。
僕が周りに合わせてお辞儀をすると、リヒト人が三々五々、車に戻っていく。
「この人は?」
僕がエゴンに聞くと彼は一人、ずっと『二』のポーズで深々お辞儀を繰り返していた。
「京本倫平太。いいか? ここ南東部で覚えておく人名なんて、彼ともう一人くらいだ」
そういうと、エゴンはようやく直立になった。
「第一次大戦が終わるまで、この地域はマジでサイアクな場所だった。
それを、何とかマトモな国にしてくれたのがこの人だ。
……まあ、その後一回、クソリヒトに占領されるわけだが……
この人はこの地に留まって、俺の先祖を見捨てないで戦ってくれた。
戦って、取り戻してくれたんだ。ここ『ビルケンコプラ』もしくは『亀野』からな。
彼がもしいなかったと思うと今頃……なんて考えるとゾッとするね」
暗くてエゴンの顔はよく見えないが、その顔は明らかに尊敬と敬愛の眼差しだった。
リヒト人なのに、京人を尊敬している。僕はすでに混乱していた。
「だから、今日も一日平穏無事に過ごせるように、『彼』に会ったらお辞儀をするモンなのさ。俺たちゃ信心深いもんでね。リヒトと違って」
* * * * *
車に戻り、都心部にたどり着く。市庁にはよらず、そのままホテルらしき施設の前に車を停めて、待たされること一時間近く。
正直疲れていたので眠っていたのだが、エゴンに起こされた。
何やら、車の外に人が立っており、彼が市長なのだという。
暗くてよく見えないが、背の低く、何か落ち着きがないというか、オドオドしている印象だ。
僕が親父を抱えて、車から降りようとすると……
「バカ! 降りるな!」
と怒鳴られ……
「そこから挨拶すればいいから」
と言われた。
何が何だかわからず、車ごしにその人にお辞儀をする。
……こんなんでいいのか?
僕の本能が、今のは本当に市長か? 親父に挨拶をさせる口実のためだけの、カカシを立てられたんじゃないか? と疑いだす。
そして今度こそホテルに入れるかと思ったらさらに三十分待たされて、ようやく車を降りることを許された。
こんなことになるとわかっていたら、あの巡洋艦のトイレを借りていた。
それをサボったばかりに実は車に乗ったあたりからずっとトイレを我慢してたんだ。
もうあと三十分待たされていたら、正直危なかったし、この三十分が数時間に感じた。
このトイレの形は久しぶりだ。いわゆる、ボットン便所というのか、穴を掘ってあるだけのそれで、匂いが凄まじく、当然のように紙がなかった。
そして個室内を、正体を知りたくもない虫が這っていたり、飛び交っており、思わず便意が失せたが僕は格闘の末に、成し遂げた。
そして、早速トラウマになり、こんなトイレはここだけであってくれと神に祈った。もちろん、日本の神にだ。
僕が潔癖な性格だったら、ここで発狂していただろう。
そして、案内された部屋も、個室ではなく何というか……これは……なんだ?
タコ部屋? まず頭に浮かんだ言葉がそれだった。
男達が各々、壁や柱にもたれて寝ている。
「横になっていいんだぜ」
気遣っているのか何なのか、エゴンが僕に毛布を渡してくれたが、とてもここで一人横になる気分なんて起きなかった。
今日のこの時点で、明らかにリヒトとは『違う国』だとは気づき始めていたが、僕はこれからこの南東部の『異質さ』を思い知ることになる。
「明日行く場所は『ツークシュピッツェ』もしくは『野黒沢』だ。大陸最東端にあるクソみたいな都市さ。
公式イメージは『単独行動は自殺行為! この世で最も秩序から遠い都市』だ」




