ニーナ・ハーゲン〜コキアと三角屋根が映える〜
リヒト領にやってきて二日目。
早速、京との文化の違いに戸惑っている。
結果から言うと、眠れなかった。
案内人二人は、僕のためにテントを立ててくれた。
アメリカ東部の大都市を彷彿とさせる美しいリヒト首都近郊の夜景。
空には、加工写真かと疑うほどの満点の星空。
そんな景色に包まれて眠るというのは、確かに魅力的なのかもしれない。
標高が高いので、正直寒い。
なので二人はバッテリー内蔵の電気ストーブを貸してくれた。
おかげで凍えることは無かったが……最終的にこの電気ストーブが大戦犯だった。
赤々と灯る電気ストーブの灯りに釣られて、大量の虫が集まってきたのだ。
僕はそこまで虫は苦手ではないが、出不精でキャンプなどしたことがない僕は大群の虫など見たことがなく、
僕の掌より大きな羽虫が二、三匹テントに張り付いており、隙間があれば入ってこようとする。
それと、この大陸にも蚊はいるみたいだ。そりゃあ蚊の羽音ぐらいは聞いたことがある。
蚊の大軍の羽音を聞いたことがないだけだ。
なんだこれは!? 何かの拷問か!? 気が狂いそうだ!
蚊のASMR音声を無理やり聞かされ、僕はもらった虫除けスプレーと、蛇よけスプレーを噴射した。
頭が錯乱してたんだと思う。とにかく蚊をテントから追い出したかった。
瞬間後悔した。
テント内がガスだ。
電気ストーブだから引火はしないと思うが……換気した方がいいかもしれないとテントのファスナーに手を伸ばしたところで、
今までで最大級の蛾の親分が入り口付近に控えており、僕と目が合う。
そっと……手を引っ込めた。
なんとなく電気ストーブを消してみると、今度は別の地獄が始まった。
この辺りは街灯も何もない。
つまり大陸で初めて経験する真の暗闇が始まるのだ。
大人なので暗闇くらいでは怖がらないが、大人なので無駄に成長した想像力が勝手に仕事をする。
テントの外、少し離れたところから、バキバキバキと音が聞こえる。
何か大きな生物が枝を踏んだ音じゃないだろうか。
例えば? 熊とか猪とかだ。
昨晩は三人とも酔っ払っていたので、後片付けが完璧か不安だ。
大陸のクマがどれだけ頭がいいか知らないが、日本の熊は歯磨き粉の匂いでも嗅ぎ分けて寄ってくるみたいな話を聞いたことがある。
テントを開けて外を確認したいが、それは望まぬ侵入者を招く結果になる。
大陸の虫って……安全なのかなあ。蚊が変な病気とか媒介しないかなあ。ダメだ! 暗闇だと僕は考えすぎてしまうのだ!
唯一の救いはストーブの出力が調整できることだった。
なのでおおよそ、ストーブの機能を果たしているのかいないのかの小さい灯りを灯して、寒さと恐怖で奥歯をガチガチと鳴らしながら、
虫除けスプレーと熊よけスプレーを両手持ちで構えるしか無かった。
ここが京国なら……綾氏だったら何かを察してすぐに駆けつけてくれる。いや、そもそも綾氏だったら安全なホテルを手配してくれる!
あいつマジで仕事できるやつだったんだな!!
っていうか京国って最高だったんだな!!
まさに無くしてから、その存在の大切さを知るという感情だが、ここはリヒト領で綾氏はもういないのだ。
大陸に来て、最大に心細くて情けなくなる瞬間だった。
* * * * *
翌朝。なんとか生きている。
「了様ー。Guten Morgen」
エルザがテントを開けて、僕はようやく地獄から抜け出せたと思った。
ところで僕はぼんやりついている、ほぼ意味のない電気ストーブを両足で挟んで抱え込み、目は虚だがそれでも両手にスプレーを握りしめている。
おそらく、数カ所蚊に刺されているだろう。
そんな姿の僕を見て、エルザはどんな反応を示すだろう?
綾氏だったら全力で心配してくれたかもしれないがここはリヒト領。
聞こえてきたのはエルザの呑気な笑い声だった。
「だ、大丈夫ですか……」
とか言葉では言っているが、お腹を抑えて手を叩いて笑っている。
こいつら、僕が今朝こうなっているのが昨日の晩からわかってたんじゃないだろうか。
朝ご飯は、昨晩のバーベキューの鉄板を再利用して、パンを焼いた。
リヒト国民は、旨味イコールチーズ+香辛料と考えているのだろうか。
パンに大量のチーズとハニーマスタードをかけて、さらに大量の香辛料をかける。
まあ、うまい。
景色もいい。ここに観光客がいないのは、アクセスが最悪だからだろう。
穴場なわけだ。
* * * * *
テントを片付け、車は公園を出、下山が始まる。
主に僕の昨夜の奮闘記で車内は盛り上がり、隣でエルザが爆笑しているわけだが……
こうしている間も僕は不安に苛まれていた。
運転手のイリーネさんは酒豪だ。昨日も水のように途切れることなくビールを飲んでいた。
しかしよく考えてみれば、昨日あのガードレールもない狭くてデコデコで、絡まったケーブルよろしくうねりうねった崖を登ってきた。
つまり今日は同じ道を降るわけだが……大丈夫なんだろうか。
僕の心配など他所に、エルザは端末を開いて向かっている街の説明を始めた。
「了様、我々が今向かっている『ニーナ・ハーゲン』はリヒト東側の国境地帯にございます。
都市の人口は、ラァジの指針する二十段階評価のうち八。のどかな田舎の都市にございます」
ついさっきまで世間話をしていたのに、業務連絡への移行がシームレスだ。
綾氏と違って、エルザはとにかく喋る。何かしら喋る。
この話術と愛嬌があっての外交官起用なのかもしれない。
なんだか、自然に心を開いてしまう雰囲気がある。綾氏とはまた違ったタイプの人懐こさだ。
「今は終わってしまいましたが、風車の周りの、Drachenkammgrasが真っ赤に染まり、冬の風物詩として絵葉書になったりするほど美しい都市ですわ」
「ドラッヘン……なんです?」
「こちらですわ」
エルザが端末を見せてくれた。これは僕も見たことがある。
確か『コキア』という植物だ。
「京言葉で、『竜の背鰭の草』という意味です」
確かに一面真っ赤に咲き誇るコキアに囲まれる風車は美しかった。
が、それより……
運転しながら、大きなあくびをするイリーネさんを見るたびに不安になる。
ところで、『旅のしおり』によると地名表記に……
『ニーナ・ハーゲン(荒仙堀)』と書いてある。
やはり京っぽい地名が()の中に書かれている。
これはなんなのだろう? と思うが、僕が今下手なことを聞いて、イリーネさんの手元が狂ったら僕は日本に帰れない。
今日も僕は、言葉を飲み込んだ。
「そして、ニーナ・ハーゲンといえば、ニーナ・ハーゲン城ですね」
「……城があるんですか?」
「はい! スタンウェイ・ジークベルグ皇子のお城にございます!」
エリザの顔が一段生き生きとしているのがわかる。
これは好きなものを語る時の人間の顔だ。竹中晶の事を語る綾氏を思い出した。
……同時に、スタンウェイ・ジークベルグなる名前とよく似たものを、最近何処かで見かけたような気がした。
「リヒトでは有名な方なんですか?」
「英雄の中の英雄ですね! 何せ、京国首都、荒神を、二度も陥落させた人物ですから!!」
何やら気になる事を言ってくるが、僕としては窓の外の、激しく揺れる景色の方が気になって仕方がない。
酔い残ってませんか? 一旦、休みますか? 本当に安全ですか?
さまざまな言葉が脳内で飛び交うがどれも運転手に対して失礼になる。
だから失礼にならなさそうなラインを狙って……
「落ちたら怖い道ですね……」
と言ったら、プクク……とエルザが独特の笑い方で返してきた。
「でも、もしここから落ちたら結構近道できますよ?」
などと本気で怖がっている僕をゲラゲラ笑っている。
* * * * *
車は山を越えて海の方に向かっている。
ニーナ・ハーゲンは少し離れた、海岸沿いの都市だ。
徳島を北とする『縦四国』で言うところの宇佐町あたりだろうか。
ちなみになぜ距離が離れているかというと、間に都市を挟んでいるからである。
『エイザ』もしくは『荏沙』という名前なのだが、そこを当たり前のようにスルーしていく。
「リヒトにも虚民区があるんですか?」
「キョミンク? ……ああ、Außerstadtのことですね」
「……アウサーシュタット?」
「いわゆる独立都市みたいなことです。リヒト領ではございません」
「戦争も関わらず、経済も干渉しない?」
「まあ、そう言うことになるんですかねえ。
道路は当然使わせてもらいますよ? リヒトが建設したものなんで。そっか。日本にはそういうの無いんでしたね」
「はい。だから感覚がよくわからないんです。どう言う扱いなんですか?
その……アウサーシュタットは」
「うーん……」
端末を眺めながら、エルザが考え込んでいる。
「答え辛い質問でしたか?」
「いや、そうじゃ無いんですよ。リヒト人の中でも、考えが割れる部分なので。
と言うのも、リヒトは人口が多く、特に東部はエデュケーション率が高くないものですから。
学校にも行けず軍にも入らないものが最後に行く場所……っていう印象の人が多いのかなあ」
「京と一緒ってことですか……」
僕がいうと、露骨にエルザは嫌な顔をした。
「あそこはだって、住民が労働することを強要する刑務所みたいな場所でしょ。
リヒトは自由の国ですから! 理由があって働けない人をサポートするMehrwertsteuer
……あー……日本で言うところの消費税もしっかり取ってるんですから!」
京と一緒にされると不機嫌になる。わかりやすい。
「リヒト政府としては合併したい人の方が多いんだと思います。その方が合理的ですし、現状、犯罪者が身を隠す場所になってしまってる事実もあります。
それとは別に、Außerstadtのおかげで勝てた戦いもあるんです」
「え、戦争に干渉したんですか?」
「一度だけ……ええ」
初めて聞く情報だ。
「なんで合併しないんですか?」
「一番の理由は、向こうが望んで無いからです。
文化も違いますし言葉も違います。そんな時期が、我々がラァジに入植する前から続いているんですよ。
それに……Außerstadtに干渉しようとすると何かと騒ぐうるさい隣人もおりますので……」
京のことだろう。
結局リヒトに来ても、虚民区だのアウサーシュタットだのの正体は、よくわからないままだ。
* * * * *
我々がニーナ・ハーゲンについた頃には夜になっていた。
リヒト人は、夜は働かず家族や友人、恋人と過ごすという性質があるらしく、市庁も十六時には閉まる。
なので市長への挨拶は明日になった。
当たり前といえば当たり前なのだが、京と言う国を十日間挟むだけで価値観がバグってしまうものだから、おかしなものだと思う。
波風が風車を回し、可愛らしい三角屋根の窓から暖かな灯りが漏れる。
リヒト人は、庭にもこだわりを持っているのか、一軒一軒のガーデニングに個性が出ており、みていて飽きない。
そして、明日のスケジュールがとにかく押していると言うことで、夜のうちにニーナ・ハーゲン城に案内された。
* * * * *
『ニーナ・ハーゲン城』なんて言うくらいだから、なんだかわからないが『シンデレラ城』みたいなのを想像してしまったが、
意外なことにそれは平然と住宅街の中に建っていた。
城というにはあまりにも小さく、例えるなら世田谷のちょっとしたお金持ちが住んでいる大きな家。という印象だった。
赤レンガは、ところどころ崩れ、最近補強しました。という工事の跡が露骨に見えたりしている。
今は文化遺産として保管されているだけで、特に誰かが住んでいるというわけでも無いらしい。
入り口には、最近できたのであろう建物の歴史を語る碑石が置かれていた。暗くて読みづらかったが、日本人観光客のためなのか、京人も観光にくるのかわからないが、日本語の説明も載っていた。
色々と気になる文言が書かれているが、中でも一番目を引いたのは、第三次大戦時に完全に倒壊しているのを、わざわざこの形まで復元したのだそうだ。
「第三次大戦時は、ニーナ・ハーゲンは京国の都市でしたので、この城は一度取り壊されて京国の軍事基地になっておりました。
それを第三次大戦で取り返し、スタンウェイ様の故郷を取り戻したんです」
自慢げにエルザは語った。
* * * * *
ニーナ・ハーゲンの宿は、海から少し離れてはいるが潮風を感じる、こじんまりとしたいい宿だった。
あと、十数日ぶりに食べるお魚が出てきて、馬と羊で蹂躙されていた内臓が涙を流して喜んでいた。
「ええと、了様。明日は、早朝に市長にあっていただきまして、すぐの出発となります。明日向かっていただく場所は、『ビルケンコプラ』公式イメージは『湖四都市の唯一の良心』です!」
と、エルザに言われて、あれ? と思った。
今日も何度か『旅のしおり』で大陸地図を見たが、そんな名前の都市近くにあったっけ……?




