淀桂〜突然現れる国境〜
京国で一番の宿だったと思う。
オーシャンビューで、寄せては返す波の音が静かに聞こえている。
もちろん僕は行ったことなどないから想像の話だが、日本の熱海とか、その辺りの宿が雰囲気的に近いのだろうか?
京国も観光地たり得るポテンシャルはあるのだ。その自覚がないだけで。あと飯が不味いだけで。
部屋は畳張りの和室。京国ではどこでもそうだ。
ただ、振り返ってみれば泊まった全ての部屋は清掃が行き届いていた。
京人特有の性格からくるものだろうか。
部屋のガラス戸は、開けられはしなかったが海を一望するのには困らない。
海はいい。……日本に帰ったら、熱海とか江ノ島に行ってみようかと、旅不精の僕が思ってしまった。
水平線の向こうから白い太陽が昇る。
大きなタンカー船が、逆光のシルエットで太陽の方向に溶けていく。
静かな時間を過ごしながら、僕は京国の何箇所の都市を回ったのか数えてみた。
思い出を数えてみたら、この黒堀で十二都市だった。
……そんなものか。なんだか気持ち的に一ヶ月くらいいるのかと思っていた。
そんなことを考えながら、水平線の向こうに溶けていくタンカー船を眺めていたらノックの音が響いた。
「了様、お目覚めでしょうか」
綾氏の声だ。朝食の時間だろうか?
* * * * *
「了様、次向かう『淀桂』が、ご案内する京国最後の都市になります」
え。と思って『旅のしおり』の大陸地図を見てみたら、確かに『淀桂』はリヒトとの国境地帯にあり、北側にある他の地名は全て見覚えのある名前ばかりだった。
「あ。じゃあ……次で皆様ともお別れってことでことですか?」
「そうですね。道中、私めも楽しゅうございました」
ようやく、この三人との距離も縮まって、飯が不味いこと以外は楽しくなってきたのに、何事も慣れてきた頃に終わるんだなあ。
などと諸行無常の感に浸ってしまう。
しかも前半僕は文句ばっか言っていたので、はっきり言って旅は楽しんでいなかった。
……なんだか今更、少しだけ後悔してしまった。
* * * * *
車内。車は一度内陸部に入り、そのまま南下していく。
「了様、これから向かう『淀桂』は、リヒトとの国境付近にある都市にございます。
見えますか? 車内から向かって左側。海沿いに立ってる山。それから右に見える巨大な山脈。
あの山の間が国境になります。都市の人口は、ラギの指針する二十段階評価のうち十六。なかなかの大都市です」
車は小高い緑の丘の間を進んでいく。
「……国境付近にそんな大都市が?」
「確かに、大戦時は何度も戦火に晒された都市ではあります。立地的にも隣国と地続きで攻めやすいのもあります。
しかしここ淀桂はこの土地ならではの逸話があるんです」
綾氏は、端末開いて一頁目、大陸の歴史を出力した。
「ここですね」
と言って差したのは一番上。建国期だった。
「統一機よりも前。京国の東部側の都市は違う文明の帝国から京武士が征服した都市だと聞きます。
その中でもここ『淀桂』は異なる帝国の首都であったと聞きます。
開戦し、仙神堀を征服した後勢いづいている京武士達の怒涛の攻撃に耐えきって撤退させたという逸話があります。
この場所を戦場とした攻防戦は統一機も続きます。
リヒトが初めて京国に攻め込んできた戦い、『カンプフ・フュア・ディー・フライハイト』の戦地となったのもここ淀桂。
ちなみにこの戦いでも京国はリヒト軍に勝利しています」
「……その、カンプフ、……なんとか? っていうの、道中何回か聞いた覚えがあるんですが……」
「はい。後に四度も続く長い長い大戦の、最初のきっかけになったリヒトの侵攻作戦。
『カンプフ・フュア・ディー・フライハイト』は、京国の三都市同時侵攻作戦だったんです。……ほら、ここでも、『三』という数字が出てきますでしょう?」
「だから京人は、『三』っていう数字が嫌いなんですか?」
「まさか。『カンプフ・フュア・ディー・フライハイト』だけでは……ないんですよね。あくまでも理由の一つです。
ともかく、長年京国を守り抜いてきた。歴史の深く、強い都市です」
綾氏が『強い』という言葉を放った瞬間だったと思う。
道路の両脇の丘が軽く動いたのだ。
そして、丘に擬態していた迷彩が溶けて、巨大なロボットが姿を表す。
「わあ!」
あれは前に一度見たことがある。確か『マスラオ』とかいうやつだ。
二機もいっぺんに見るのは初めてだが……それがいっぺんに立ち上がり、車の両側に立つと非常に迫力がある。
走っている車と並走するように一定の距離を開けて進んでいく。
おそらく護衛をしてくれているのだろう。
そういえば大陸に来る時言われた気がする。国境地はそれなりに緊張感があると。
* * * * *
徳島を北とする縦四国で言うところの香南市あたりだろうか。
山の麓に広がる広大な都市が淀桂だ。
『緊張感がある』と言われていたから、軍人がいっぱいいて、そこら中塹壕だらけみたいなのを想像していたが、案外ちゃんと都市だった。
ここにも大育部の学校がある。……そういえば西側の国境地帯、玉隅にも学校があった気がするが、
国境付近にに息子を通わせる親の気持ちはどうなんだろう?
玉隅の学校と違うところは、確か玉隅は山の上とか変なところに校舎があったのに対し、平地のだだっ広い都心部の隣に立っており、なんというか通いやすそうだ。
元々、どこかの帝国の首都があったのがこの淀桂だという。巨大な川沿いの都市で、海も近く、土地も広い。
過ごしやすい場所なのだろう。
* * * * *
気になることがあったのは、市長さんとの会話である。
それまではいつも通りの流れで、親父と市長さんを引き合わせたのだが、その直後……
「くれぐれも、よろしくお願いいたします」
と、言ったのだ。
視線が、丁度、親父(を抱えている僕の腕)と、僕の顔の中間を見ていた。
つまり、どっちに言ったのかわからない。
すでに死んでいる親父に何かお願いするものがあるとも思えないし、
僕に言ったのだとしたらますます意味がわからなかった。
どこを見るでもない目で、とにかく何かを切実に訴えていた。
この時点では、その『何か』は、わからなかった。
* * * * *
宿場にて。
僕はなんとなく、綾氏の部屋を訪ねた。
「いかがなされました?」
「はい。ここまで本当にお世話になりました。ありがとうございます」
僕は『二』のポーズを作り、深々とお辞儀をした。
「も、勿体無いお言葉にございます!」
綾氏も同じポーズで返してくれた。
「今日が、京最後の夜になるかもしれないじゃないですか。だから、少しだけ話をしたいと思ったんです」
「は……はあ」
いつもの綾氏とは、トーンがオクターブ高い声だった。
予想外だったのだろう。
「なんのお話でしょうか?」
「綾氏さんは、日本人をどう思っているんですか?」
どうせ親父の事を聞いたって、何も答えてくれないんだろう。
だから、ぎりぎり聞けそうな事を聞くことにした。
とにかく、どこまでも業務的に振る舞おうとするこの人の、本心を聞きたかった。
綾氏は困った顔を浮かべて、頭を掻き、眉間に皺を寄せて熟考した。
僕は辛抱強く、彼が何か話すのを待った。
「それは……答えられません。私は京国の外交官で、個人的な意見を言うのは良くないと思うので」
おおよそ想像通りの返答だ。
「そうかもしれませんが綾氏さん。僕はもう二度と京に来ないかもしれないんですよ?」
「いいえ? 帰りは仙神堀の空港ですから……」
そうだった……
「そうだとしても、京の人とちゃんと会話をするのはこれが最後かもしれないんです。だから京の人が何を思っているのかを知りたいんです。友人として」
すると、綾氏は目を丸くして僕を見た。
「ゆ、友人にございますか」
「だってそうでしょう。ここまで一緒に過ごした仲なんですから。友人と呼ばざるを得ないでしょう。
僕は外交官と話をしてるんじゃなくて、京の友人と会話をしてるんです」
この言葉は流石に響いたのか、綾氏は、「はぁ」と、照れとも取れる相槌を打った。
「日本にございますか……」
「はい同じ言葉を話し、文化もいくつか共通点があるのに、京と日本では環境が違いすぎます。
日本は島国で、強い国に守ってもらっているおかげで、いつ攻めてくるかわからない敵国なんて想像もできないものだから緊張感もない。
選挙に行かない人間が平然と政治家に文句を言う国です。
全員がそうではありませんが無宗教の人間で溢れ、酔い潰れた人間が尊厳もなく路上でいびきをかいて寝ています。
都会の路上には生ごみや食べ残しで溢れ、ネズミやカラスが増えていくのに、日本人の考えることはゴミを減らす努力の事じゃない。
ネズミやカラスを殺す事ばかりです。
そういう国を、どう言うふうに思いますか?」
僕が思いの丈をぶつけてみた。役十日ぶりに考える、自分の国のことだった。
すると綾氏の顔が変わった。
驚きの顔だった。
「……了様の暮らしてらっしゃる国のことですよね?」
「はい。そういう国なんです。知らなかったですか?」
「いえ、もちろん知ってます。幸雄様のご出身ということもあり、何度も伺わせてもらいました。
ほとんどは任務でですが……。
私が驚いたのは、自分の国の事をそんな風に言うのって……お辛くはならないのですか?」
綾氏に言われて、今度は僕が何も言えなくなってしまった。
それを察した綾氏は慌てて……
「いや、良い国だと思いますよ!? 魅力的です! 特に名前が近いということもあって、京都には個人的な旅行でも行かせていただきました!
京都の御苑や平安神宮などは、見事としか言いようがありませんなあ! 私、立ち尽くしてしまいまして!
日本人の美への意識の高さには、頭を垂れるものにございます!!」
「も、もう結構です。ありがとう」
自分でも、一体何が聞きたかったのかわからなくなってしまった。
一体、なんて答えてもらったら満足だったというのだろう。
次の質問は、もう少し明確な意図がある。
「……綾氏さんは、リヒトの事をどう思っているのですか?」
するとわかりやすく、綾氏は自分の頭をペチンと叩いた。
「……もっと答え辛い質問にございますな。というより、答えられません。
私は外交官で、あくまで中立の立場としてここにいるわけですので……」
「でも僕は明日からリヒト領に行くわけですよ? そのことをどう思っているのか、やっぱり聞きたいです」
「うーんー……」
綾氏が悶絶をしている。
僕は辛抱づよく言葉を待ったが、なかなか返答がない。
真面目な男なのだ綾氏は。
「綾氏さん、答えられないなら、綾氏さん個人ではなく、
京国民としての言葉でもいいです。
僕は明日から、どういう国に行くんですか?」
すると今度は明らかに嘆息し、自分の手元をじっと見つめながら、綾氏は喋り出した。
「できることなら……」
「はい」
「できることなら……、最後までお側を離れることなく、私が了様の旅のお世話をしたかったです」
絞り出すような声だった。嘘も世辞も下手な男だ。これは本心なんだろう。
「京とリヒトでは、生活感から文化も、まるで違います。お互い、何を考えているのかわからないというのが本音なのかもしれません」
「僕が明日から、リヒト側の人に案内されるのは、不安ですか?」
するとはっきり目があった。
「不安です。リヒトは、京国と比べて治安が悪い。もちろん我ら外交官三人とも、了様の安全を最優先とすることを約束事とし、
緻密に旅の計画を立て、ご案内するわけですけれども、それでも私は、できることなら了様のお側を離れたくありません。
特にリヒト領では。しかしそれは、契約違反ですので」
そこまで言い切ると、また視線が手元に移った。
「……申し訳ない。やはりこんな話はするべきではありませんでした。
不安にさせたかったつもりではないのです。出過ぎた真似でした。なんと謝罪したらいいのか……」
「いいえ、聞いたのは僕ですし、綾氏さんにはなんの責任もないです。
本当にここまで、快適な旅でした。綾氏さんには感謝しているんです。ありがとうございます」
「そこまで言ってもらえて、身に余る光栄にございます。
……了様。ラギ大陸は、京国の統一国家でした。それは私どもの偏見でもなんでもなく、歴史が語っている事実にございます。
そこにリヒトが入植してきたことについて、我々が思うことは多々あります。悪いことばかりではありません。
事実、絶滅期を経てからの大陸の復興は、リヒト人の協力なしでは不可能でした。
これもまた、歴史が語っている事実です。……ただ、これだけは覚えておいてくだされ。
大戦期に四度起きた大戦。四度とも、争いの発端を作ったのは全てリヒト人だということです。
我々は、常に領土を守っただけ。……それが京の人間の総意だと思っていただければ」
はい、と僕が頷こうとしたのを、なぜか綾氏は遮った。
「リヒトには、観光地も多くあり、日本人からも大人気の場所がたくさんございます。京国よりも楽しい旅となるでしょう。
担当につくエルザという女性も、それはそれは優秀な人物です。
引き続き、ラギ大陸の旅を楽しんでください。何せまだまだ、回る箇所はたくさんあるのですから」
こうして京国最後の地、淀桂の夜はふけていった。




