4-2-1
明治四年、二月三日。京。
瑠璃は、桐谷の義母さん、みつのそばにいた。
深夜まで剣を稽古し、朝は早く台所に立ち、下手くそなりの粥をこしらえる。みつが喜ぶから、真ん中にしわくちゃの梅干しを置いて煮る。同時に焼いていたイワシが焦げて、瑠璃は慌てて網から救出した。
粗方出来上がったら、洗濯した布おむつを持って、みつの部屋へ。
「義母さん、朝餉の前に、布おむつを取り替えましょう。」
「うん」
しかし、みつの布おむつには、僅かなお小水汚れだけだ。
「義母さん……食べられてないから、布おむつがほとんど汚れてない。寿命が、縮まってしまいますよ。」
「瑠璃や。頑張って、ご飯を作ってるだろうけど。あたしゃ、もう喉を通らないよ。」
往診のお医者様は、みつの癌患いを宣告し、寝たきりのみつは為す術なく弱っていった。
みつは、朝餉になっても、困った顔で迷い箸している。
無理して食べたって、吐いてしまうのだ。
瑠璃は、告げた。
「お義母さんの好きな、しわくちゃの梅干し、取ってきましょうか?好きなものなら、食べられるかもしれない。僅かでも栄養がとれる。」
「え。いいの?あんなに高価な梅干し……」
「夏彦さんが仕入れてる、お義母さんの為の梅干しなんですから、役に立ってもらわないと。」
瑠璃が運んできた梅干しを、みつは三個食べた。
「美味しかった。お腹がびっくりしてる。休もうかな……。」
「休んでてください。皿を片付けますから。」
瑠璃は、皿を磨いてる時、つい布巾に剛力がこもって、皿が割れてしまった。
「あぁ、未熟者……桐谷家の良い皿が。」
瑠璃は一通り片付け終わると、みつの傍らにやって来た。
「ねぇ、瑠璃。」
「はい。」
「瑠璃は、なんであたしに寄り添ってくれたの?あんたは新時代の女だ、嫁入り先の僕じゃあない。義理は無かったろう?夏彦は、あたしの医療費を稼ぐのに忙しいんだ。瑠璃がいなかったら、あたしは孤独だった。だけど、なんで瑠璃がこんなに孝行してくれたか、わからない。あたしはたいそうな人間でも無かったし。」
「お義母さんに孝行するのは、わたしのやりたい事ですから。ただ、下手くそなご飯しか食べさせてあげられなくて、もっと台所仕事を学べばよかった。」
みつは笑った。
「ご飯は下手くそだけど、瑠璃は天然理心流の門下生で、格段に強いんだろう?」
「……わからない。総司さんの生前に、手合わせ出来なかった。でも、約束したから。愛する人を超えたい。強い剣客に、なりたい。」
みつは遠い目をした。
「あたしは瑠璃のように誠実じゃなかったし、未来も夢も考えない、ちっぽけな女だった。あたしが穏やかになれたのは、瑠璃と出会ったからだ。あたしは、昔は長州人でね。夫の義母さんの世話だって嫌がって、夫のおばさんに任せきりだったし。尊王活動に熱心な義勇軍の夫に、到底理解が到らず、帰って来ないからって別の女を疑ってさ。妬みと寂しさから、あたしは嘘をついた。」
「……嘘、とは。」
「あたしが幕臣に斬られて危篤だから帰れ、とね。手紙が届くなり夫は馬を走らせて帰ってさ。すまぬ。二度と尊王活動はせぬ。犠牲にしてすまぬ、と……。夫の愛を疑った己を、呪ったよ。」
「……真相は、どうなりましたか。」
「隠しきれる嘘じゃなかった。あたしには刀傷ひとつないし。危篤どころか、パクパク飯食ってたよ。馬鹿なあたしは夫が帰って有頂天でね。あたしが寂しくて嘘をついたとわかるや、夫は離縁状を突きつけてきたよ。お前は己ばかりを知り、国の憂いを知ろうとはしない、とね。国を憂う夫に、自分の感情論だけをぶつけた、馬鹿な女だったからさ。離縁の後で、あたしの嘘は現実になってさ。夫の尊王活動から恨みを買い、あたしは幕臣に両足を斬られた。命が助かったのは、夫達の義勇軍があたしを助けて戦ったからだ。あたしは本当に、寝たきりになったのさ。夏彦は、以来、尊王と一切手を切って、あたしを連れて京へ逃げた。息子は夫を逆恨みしたが……あたしは思う。閻魔様が、嘘つきのあたしを許さなかっただけだ。」
瑠璃は、キッパリ言った。
「それはお義母さんだけじゃあない。古い時代に囚われたおなごには、実際に、家で待つしか許されなかった。お義母さんが嘘つきおなごだったのでは無い。時代が、そういう価値観を強制しただけ。現にお義母さんは、愛情に愛情で返せる人だ。」
「過保護だねぇ、瑠璃は。あたしは、許されたかった訳じゃない。最後に話したかったんだ。ありのままの、あたしをね。」
「大丈夫。お義母さんを閻魔様が裁くなら、わたしが閻魔様を斬り捨てる。」
みつは、にっと笑った。
「夏彦からも聞いた。瑠璃や……愛娘よ。あたしが眠ったら、あんたはあんたの道へ、旅立ちなさい。あたしの大事な瑠璃。愛する人の軌跡を追いながら、自由な女剣士になるんだ。あたしも、おなごの瑠璃が無双するのを見てる。あの世からでもなんでも、見てやる。あたしに夢を見せておくれ、瑠璃よ。……新時代を、駆け抜けるんだ。」
みつは、うつらうつらとして、眠った。
少し咳き込んでから。
息を、しなくなったまま。
みつは、安らかに亡くなった。
「おやすみなさい、お義母さん……。」
夏彦は、みつの葬儀まで引きずらなかった。
「母さんを看取ってくれてありがとう。母さんに、夢を見させてくれて。安らかな死に顔だった。本当に、お世話になったね。」
「夏彦さん。」
夏彦は頼もしく笑って見せた。
「後は任せてくれ。約束を、果たさなくちゃならない。離縁しよう、瑠璃。俺は桐谷商家の金持ちだから。俺が愛人を囲ったとでも、いくらでもいい訳出来るし。幸い、開国以来、桐谷商家は儲かっててね。慰謝料の建前で旅の路銀を送るから、滞在先からは手紙を。いいね?」
瑠璃は、躊躇った。
「何故、わたしのわがままに、そこまでして下さるのですか。」
桐谷夏彦は、穏やかに笑った。
「母さんの恩人だし……俺はね、瑠璃。貴女に最初から惚れていたんだ。貴女は最初から美しく、一本気だった。近藤勇さんと伊東先生から聞き、貴女の心を知り、見守る愛を選んだんだよ。だから、瑠璃の世話は俺のわがままだ。俺だって新時代の男、やりたいように生きるし、愛を貫きたい。遠慮なく路銀を使って、貴女の本来の道へ。失われた人生を、新時代を、駆け抜けてくれ、瑠璃。」
瑠璃は微笑んだ。
「貴方の深い理解に、ようやく納得がいきました。わたしの愛は総司さんだけ。でも、桐谷家への家族愛はある。貴方に支えられた、夏彦さん。わたしは行きます。貴方の愛も、お義母さんの夢も、絶対に、無駄にはしないから。」
瑠璃は、京を去る前に、総司との秘密の場所を巡った。
二月だ。椿は花開き、美しいまま。散るまで、あと僅か。
この場所が、戦の被害を受けなくて良かった。
瑠璃は、大和守安定を鞘から抜き放つ。
瑠璃色の刀身が閃いた。
繰り出したのは、無明剣・三段突き。
果たして、何処まで辿りついたか?
瑠璃にも、わからないことだ。
沖田総司がいない今、誰が瑠璃と死合えるのだろうか。
拍手が聴こえた。
「見事なり。噂に聴こえし、天才剣客、沖田総司殿かと、錯覚致しかけたが。あなや、貴殿はどこな猛者なのか?」
瑠璃は振り向いた。
今まで花か何かだと思っていたのは、美しい羽織り。
日陰を作って、世にも美しい女が、瑠璃を眺めていた。
休息中の、花魁のような。
瑠璃は、刃を鞘に納めてから一礼した。
「先客に気づかず失敬致しました。総司さんを、ご存知であられますか?美しい花魁の方。」
花魁は艶やかに微笑んだ。
「いいや。面識はござらぬ。わっちが一方的に、噂を知っているだけだが。新撰組に関与すりゃあ、あれほどの剣客、知らぬままではおりますまい。」
瑠璃は、彼女の訛りや、彼女が帯刀していることに気づいた。
「貴女様は、京の方では、ありませんね?新撰組に関わる、花魁……?剣をお持ちであられますが?」
花魁は羽織りを取り、立ち上がった。
花魁道中の下駄では無い。華やかな草履だが、あくまで旅の草履だ。
「わっちの話しはちと長いゆえ、端折るが、よろしいか?」
「はい。」
「わっちはかつて江戸であった東京から、はるばる旅をして参った。聞けば、新撰組は明治天皇の指揮下に降ったという噂。なれば、わっちが知己を訪ねてもお咎めはなかろう。ただし、尋ね人は行方不明でな。」
この美しい花魁は、新撰組に用があるのだ。
「わたしも新撰組に用が。貴女様の名は、なんと申されます?」
「わっちは東京、洲崎の品川楼で花魁を務めた嘉志久。身体の生まれは女であるが、男として名乗って育った。ゆえ、親からもらった男の名は、伊東甲子太郎と言う。」
瑠璃はその名に驚いた。
「伊東甲子太郎……参謀・伊東先生に縁の方ですか?」
嘉志久こと、伊東甲子太郎は首を振る。
「永倉殿も、わっちの名にたいそう驚かれたが、御陵衛士の伊東甲子太郎殿とは縁もゆかりもござらぬ。むしろ将軍家のお膝元の生まれ故、胸に秘めたる思想は旧幕。わっちの本名は伊東かし、母の干支が甲子であったゆえ、おかしと名付けられてな。それで、甲子太郎の名をもらい、名乗り申した。混同なさるならば、嘉志久の字で嘉志太郎でも、何も問題ござらぬ。こう書く。」
「嘉志太郎さん……身体はおなごで、育ちは男。では、内面は?」
少し、沖田総司に似た育ちだが。総司は見た目に反して、愛らしいおなごの心の人だ。
「飲み込みが早くて助かり申すぞ、女剣士殿よ。貴女と違い、わっちは内面も男。天が魂の器を間違えた、というところか。華美に着飾るのが好きな男でな。そしてこの剣は、目当ての銘刀、四ツ谷正宗でござる。訳あって親の借金を完済すべく、品川楼に身を置いたが、そんな理由で身など売りはせぬ。すべては目当ての品川楼の宝、四ツ谷正宗を我が物とする為であった。ところが思いのほか花魁まで成り上がり、まさに籠の鳥よ、外へは出れぬ。そこでイギリス大使をもてなした日に、わっちから芹沢財閥の芹沢殿へ、新撰組への入隊を相談したところ、芹沢殿が身請け金を払ってくださり、この通り今は自由になり申した。」
瑠璃は嘉志太郎に一礼し直し、自らも名乗り出た。
「遊女となられてまでの見事な責務を果たし、お疲れ様です、嘉志太郎さん。わたしは沖田総司ゆかりの女剣客、桐谷……いいえ。ここで改めまして、沖田瑠璃、と申します。わたしと総司さんは二人ともおなごの剣客にて、おなご同士で惹かれ合い、三日間の愛に生き、一対の剣となることを誓った身。わたしは亡くなった総司さんの道のりを旅して参ります。そして、我が剣を、見定めたく存じます。」
嘉志太郎は微笑み、尋ねた。
「総司殿の墓は存ずるところ。沖田瑠璃殿よ、わっちもその巡礼の旅に、お供してよろしいか?おなごで男のわっちに、おなご同士の剣士の恋人とは、他人と思えぬ。この新時代に、我らの剣が何処まで辿り着くのか、わっちも確かめたく思う所存。」
瑠璃は頷いた。瑠璃にも、他人とは思えない通ずるものがあり、純粋に嬉しく思った。
「ありがとう。新撰組を目指す方よ。共に、参りましょう。……嘉志太郎さん、その四ツ谷正宗を見てもよろしいですか?」
瑠璃とて、剣客として気にならぬ訳が無かった。
「うむ。ほれ。わっちも瑠璃殿の剣が見たい。普通の大和守安定ではござらぬな?」
「はい。どうぞ。思い出の一振りです。」
二人は慣れた手つきで刀の手入れをしながら語る。
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