4-1-7
その頃、京で一件、宴席があった。
裕福な、桐谷商家の婚儀である。
ガヤガヤと、煩い桐谷の親戚連中は、酒や料理に賑わって。
複雑な面持ちの、新婦の父。
新郎の男は、桐谷夏彦といい、開国依頼商売繁盛した実業家だ。夏彦は、初めて会った美人の新婦に、祝い酒をそそいだ。
「大丈夫。貴女に嫌な思いは、させないからね。」
白無垢の美しい新婦は、お瑠璃さんだった。
頑なに、笑うことは無く。
近藤勇がどうしたら、彼女を励ませるか悩んでいると、意図を組んだ伊東甲子太郎が、お瑠璃さんの御膳に近づいて座った。
「大丈夫よ。貴女が、本当に愛する人を思っていても、この旦那さんは見守ってくれるわ。桐谷夏彦さんは、わたし達が、特に気をつけた人選だから。」
「伊東、先生……」
「引き離した側が、励ませる問題じゃないわね。でも、忘れないで。……剣とは、人斬りの道具。貴女が稽古するのは自由よ。貴女は、おなご達の未来の芽生え。誉れ高き人よ。……だけど。血塗れの地獄なんか、ついて行ってはいけないわ。」
お瑠璃さんはため息をついた。
「賢い伊東先生は、お解りのはず。わたしは手遅れです。わたしは既に、総司さんの一対の剣だ。」
伊東甲子太郎は憂いげな眼差しをした。
「えぇ。わかっては、いるわ。貴女の歩き方一つだって、もう貴女は剣客……。でも、今の沖田ちゃんはダメなの。沖田ちゃんの責任は、わたし達の責任よ。力ずくでも止めるし、それに、沖田ちゃんはもう……限界なの。病に死ぬか貴女が斬るか。沖田ちゃんはきっと貴女に、愛する人ならばわたしを斬れと、言うでしょう。」
お瑠璃さんは、初めて涙した。
もう、猶予は無いんだ。
総司は、死の床についたのだ。
お瑠璃さんには、斬れない。
愛する人を、斬りたく、無かった。
伊東甲子太郎は、近藤勇らは、あえて悪役を引き受けて。
お瑠璃さんを、みんなで、守っていたのだ。
「伊東先生……お手紙お送り致します。どうか、総司さんの状態を、文にてお知らせください。あの人が、死ぬまで。ずっと、ずっと文を書きますから。」
伊東甲子太郎は頷いた。
「わたし達が貴女達を引き裂いたのだもの。それぐらいは責任を果たすわ。わたしの命ある限り……いいえ。わたしが死んでも、貴女に文が届くように。近藤さんにも、弟にも、わたしから頼むから。」
お瑠璃さんは涙が止まらなくなった。
総司を想い、黙って泣いた。
死んでしまう。
約束を果たせないまま、あの人は置き去りに。
悔しい。
生きる喜びを、与えられなくて。
伊東甲子太郎は、この悲しみに、自身も泣きたい思いだった。
優しすぎた、沖田総司の、末路について。
自身の無力さを、思い知った。
「いやぁね。何故、生きるべき若者から、先に旅立ってしまうのかしら……優しさ故に狂いだしたあの子に、何もしてあげられなかったわ。悲劇は、終わらせると唄いながら……わたしも、きっと近藤さんも。今ばかりは、己を呪うわ。」
お瑠璃さんは懇願した。
「治せた病ですよ!伊東先生!古い日の本を、変えてください!こんな不条理の無い、新しい日の本を作ってください……!」
伊東甲子太郎は約束した。
「約束しましょう。この命に替えても。死んだって言の葉を遺して、日の本を、変えてみせるわ。」
夕餉時を過ぎた。
西本願寺の寝床にいた総司は、運ばれたお膳に手をつけないまま、激しい咳で布団を出なかった。
少しでも、治りたい。
そうしたら、夜半に、お瑠璃さんに伝えられる。
しばらく、会えないけど。
彼女の顔が、見たい。
襖が空いた。
正装した、近藤勇、土方歳三、伊東甲子太郎、山崎烝が、部屋に入り、正座した。
「ゴホッゴホッ……皆さん、随分めかしこんで……一体?」
山崎烝が、酷い蒼白な顔をして、総司に土下座した。
「山崎……さん?」
「沖田君!面目ない!!すべて、この山崎烝の責任です!!」
悔いて悔いて、苦しむ山崎烝を、土方歳三が叱咤した。
「思い上がるなよ、山崎!こいつぁ、俺が命じた任務で、責任は上層部にあんだからよ。」
近藤勇は真面目な面持ちのまま、両目から涙を溢れさせていた。
「総司よ。お前の夫婦になるはずだったお瑠璃殿は、吾輩が伊東先生に知恵を借り、堅気の商家に娶らせたのだ。裕福で、彼女の総司に向けられた本当の愛に、理解が回る殿方を、吾輩と伊東先生で入念に人選したつもりである。」
「……え……?」
総司は頭が真っ白になった。
そして、生きる気力を失うなり、咳が悪化した。
「ゴホッゴホッ、ゴホッゴホッ……お瑠璃さんは!ゴホッゴホッ、お瑠璃さんとわたしは、誰にも引き離せない!!」
近藤勇は涙ながらに、総司の両手を握った。
「総司よ。吾輩にも、妻も妾もいるが、愛には責任が伴うのだ。お前の愛が、彼女を幸せに導く類だったならば。吾輩は何としても彼女を武家に養子縁組し、身分などは誰にも文句をつけさせずに、夫婦となる総司とお瑠璃さんを祝っただろう。すまぬ、総司。すべては吾輩の責任だ。至らぬ吾輩の身勝手が、優しいお前に大勢の仲間達を粛清させ、優しさから苦しんだお前は、人間を辞めたのだ……。だが、後生だ、総司よ。お瑠璃さんはまっさらな剣にしてやれ。お瑠璃さんまで、地獄に連れて行ってくれるなよ……!!」
総司は、近藤勇の慈愛に、納得してしまった。
だって、だから総司は近藤勇を信じてきた。
此度、近藤勇は、沖田総司から、お瑠璃さんを守ったに過ぎない。
なのに、彼は泣いている。
総司の苦しみを思い、泣いている。
総司は、己に戒めた優しさが、涙が、溢れ出た。
「ハハッ……わかっちゃあ、いたんですよ……猿山温泉で……あぁ、わたしは、この人を、地獄には連れてけないやって……愛して、いたんですよ……わたしの側から、離れなきゃ、ならないぐらいに。」
近藤勇の涙はさらに激しく、とめどなく流れた。
「お前なりに、愛する人を、守ろうとしたのだな……見事ぞ、それは誠の愛ぞ、総司よ。」
総司は、幼子のように、泣きじゃくった。
「わたしは……後悔した!お医者さんは、正しかった!もっと真剣に療養してたら、生きられたのにッ!!あの瞬間、わたしにはお瑠璃さんの未来が見えた……わたしが愛する人と添い遂げて、老いてヨボヨボに弱った彼女を介護し、最期を看取ることだって……生きてさえいれば、そんなありきたりな幸せは、叶ったんだ……!!わたしは!!大馬鹿だッ!!!」
近藤勇は沖田総司を抱き締めた。
「お前だけでは無いッ!!大馬鹿は吾輩だッ!!すべて、我らの武士道の、過ちぞ!吾輩の配慮が至らず、総司は剣だけを生き甲斐に走り抜け……池田屋からだ!大恩ある松平公に認められ、吾輩達は、新撰組は、もうただの壬生浪士組では無くなってしまった!剣の誉しか見えぬ田舎侍だった!!それがお前の命を代価にした誉れだと、考え至らぬ男で、すまぬ!すまぬ、総司……!!」
総司は抱き締められたまま、静かに告げた。
「今となっては……わたしは、近藤勇の剣にすら、なれない……。わたしは……何者なんだ……?」
近藤勇は告げた。
「家族だ、総司。吾輩の弟だ!」
「…………」
無力感に打ちひしがれた総司に、黙っていた伊東甲子太郎が、告げた。
「近藤勇の家族であり、剣だった貴女は、もういない。貴女は、新しい沖田総司になるのよ……自身がやりたかったことや、人間としての考えを、改めて、探していきましょう?再び貴方が笑う日を、近藤さんも望む。わたしも、望んでいるわ……。」
総司は瞬きし、やがて、嬉しいのか悲しいのかわからない涙に襲われた。
「……人間の、わたしは……お瑠璃さんに、一目でも会いたかった……!!助かって、良かったんだ!けれど、恋しいよ……!!」
伊東甲子太郎は、悲しみを堪えて、総司を勇気づけた。
「それが、人間の沖田ちゃんであるならば。その愛を忘れず、大事に抱えて生きなさい。療養中の励みに、度々彼女を想いなさい。生きてさえいれば、いつか会える……希望を無くさずに、沖田ちゃんは休んでちょうだい。」
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