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蝦夷共和国には、明治三年三月、永倉新八は東京を出発して福山に着し、杉村松柏の息子となった。
家老の下国東七郎が、永倉新八を匿っていて、福山に婿入りさせることで、新政府軍から守ったのである。
杉村松柏は医者であり、娘のきねと永倉新八は結婚し、婿養子となる。
永倉新八は婚姻初夜、きねの床に赴き、きねを縁側まで誘い出した。
「新八さま」
「悪ぃ。きね殿。込み入った話があるからよぅ。」
新八の始末の悪そうな顔に、きねは大事を汲み取って隣に座った。
「俺にゃあ、生涯かけて愛した女がいる。遊郭の遊び女だけれど、俺もあいつも本気で愛し合って、一女をもうけたんだ。俺の女は出産から衰弱して死んで、死に際にも会えなかった。しかし乳母が、俺に知らせを飛ばし、愛児に会わせてくれた。その頃は、新撰組は今にも出陣せにゃならず、俺ァ我が子とは京で、生き別れになっちまったがよ。」
きねは、真剣さを見てとる。
「新八さまは、その家族を本当に大切にしている。……わたしを、愛せませんか?」
「そうじゃねぇ、けど!こういうのは、筋道通して話さなきゃならん!」
「話してくださって、ありがとう。わたしは新八さまが新撰組の方だと聞いて、きっと女性関係は奔放でらしたと思っておりました。貴方は親の決めた婿様です。女の人生は殿方次第、私は不幸をも覚悟して白無垢をまといましたが。」
「そうじゃねェ!あえて奥方を持ちながら浮気するような輩じゃねえやい俺ァ!ただ、正確には、これからきね殿を愛するには、俺は二人の女を愛したことにはなる……それは士道不覚悟に相違ない、だからよ!そいつを知らせねば、対等じゃなかろう。」
「ならば、この先はきねひとりに。きねも鬼ではありません、生き別れた赤ちゃんは、発見次第引き取りましょう。」
「そりゃ……あたぼうよ!だが、過去でも愛は変わらぬ。おれの愛児も、好きだった女も、愛は偽りにはしねぇ。」
「ならば、新八さま。過去の大切な方も、今の私も、手に取れるだけ抱えてみんな、幸せに、してくださいまし。」
新八は大きな手のひらを、きねの肩に回した。
「生きていればこそ、なのか?俺は死に損ないの、美しくは散れなかった武士だ。」
「生きておればこそ、なのです、新八さま。散るは美学に御座いましょうが、生き残るものはいなければ。今までは、戦のために手放さなければならなかったでしょうが、生き延びた人は違います。拾い尽くしませ、新八さま。」
新八は初めて、戦場から帰ってきた実感を抱いた。
「きね殿。あんたのことも、やがて生まれてくる子らも、生きていればこそ、全部幸せにしてやる。俺は、俺の剣は、悲しい道は捨てる。生かす為の剣術、例えばこの新時代、家族を守るためだけに振るう剣を、門下生に教えてみたい。」
新八は剣術の門下生を集い、四月一日からフランス伝習隊の調練をやるようになった。
蝦夷共和国の福山となると、家老の下国東七郎は相当な無茶だとわかっていながら、何がなんでも永倉新八を助けようと、危険を犯したことになるが、それはひとつの新聞による。
武蔵国新聞「時事新報」の片隅に、こうある。
「七陵星ノ御旗ノ元二、新撰組ハ再起セヨ。土方歳三。」
下国は別に天皇陛下に逆らう意志など微塵も無いが、この知らせに、自身が匿ってきた永倉新八のあるべき道を知らしめられたのだ。
一方、武蔵国には明治五年に川路利良をヨーロッパに送り、警視庁がどう組織されているかを学ぶのだが、それまでに前身たる警察は作られていた。
大警視、川路利良より、警視庁は警視庁巡査二人を記者逮捕に向かわせた。
警察が踏み込んだ頃には、新聞記者宅はもぬけの殻。
「暗殺でもされたか?」
相棒に、藤田が笑う。
「馬鹿言うんじゃねーの。これを見なよ、アメリカ船の出航時刻の走り書きだ。元より蝦夷共和国に亡命する算段があったのよ。そうでもなけりゃ、誰がこの尊王思想の中で新聞にあんなのを載せる?」
「……亡命か。新聞自体は蝦夷共和国は発展してるらしいからな。フランス人がついてる。」
「やめとけよ。蝦夷共和国だの何だの言ってるけどさぁ、ありゃ佐幕派、幕府への大恩まで捨てた、幕臣達の末路なんだよ。」
「……あんたが言うのか?噂じゃあんた、新撰組の斎藤一なんじゃあないのかよ。」
藤田五郎巡査ひと睨みし、相方は黙り込んだ。
「おふざけが過ぎるぞ。新撰組なんてもんは、もう、終わってんだよ……。」
ややあって藤田巡査は警視庁の川路利良に呼び出された。
「藤田五郎くん。」
「は。」
「今回の件、いい機会だ。君の顔を活かしたい。蝦夷共和国に潜入し、新撰組内外の捜査を任じたいのだが。」
「土方歳三なら、俺の顔を見れば疑いもしませんがね。殺せちゃいますけど?」
川路利良、目を細めました。
「斎藤一。軽率な判断で殺しは自制せい。いま、新政府は蝦夷共和国に刺客を送り込むつもりは無い。技術的な人材不足だ。いくら革命と志士達が浮き足立っても、留学を経た幕臣らの力無くば、武蔵国は外交すらままならぬが現状。榎本武揚以下幕臣を、無傷で武蔵国に取り込んだほうが賢いやり方なのだよ。特に、我々は榎本武揚が欲しい。彼は有能な外交官だ。」
「すいません、冗談だったんですけどね。任務は承りましたよって。でも、武蔵国から蝦夷共和国へは、入れませんよね?」
「アメリカ船は天皇陛下の意に刃向かう移動手段だからな。土佐の海援隊に船を一隻頼もう。武蔵国から唐土、唐土から船を乗り換えて蝦夷共和国へ。唐土まで迎えに来てもらおう。」
※唐土……もろこし。現在では中国。
斎藤一は蝦夷地に向かう土方らと別れ、会津若松と命運を共にした新撰組組長である。
藩主、松平容保の降伏後、斎藤一もまた、敵方からの説得に応じ降伏。
唐土までの船では、この秘密任務に関わる全ての警官が同席し、斎藤一を茶化した。
「藤田さん、元々密偵なんですよね。いいなぁ、出世街道まっしぐらだ。」
高木時尾婦警だけは、斎藤に気を配った。
「やめなあんた達。この人だって微妙な任務だろうさ、元は仲間なんだ。」
「いいや。新撰組てもんは、京都守護職たる会津公あっての治安組織よォ。それが会津若松を置いて蝦夷に行くだなんて、何のお笑い草だか。会津若松無き今、あちらは新撰組を名乗るだけの違法集団でしかないでしょ。袂はきちんとわかってんの。心配いらないよ時尾ちゃん?」
「残されたのはわだかまりかい。此度はあんたが潜入捜査官だ。表にその感情は出さないほうが身のためだがね。」
「出すかよ。伊東甲子太郎一味だってだまくらかした密偵ですよ、これでも。ただ、ああ。これは耐えるしかないんだが。」
「どうしたね?」
斎藤一、実に残念そうに申した。
「いやね。蝦夷共和国って、蕎麦ないんでしょ?味噌は密輸頼り、食卓はフランス式のご飯と聞いてますがね。俺はしばらく蕎麦が食べれないのが、非常に惜しいのよ。」
「新撰組隊士、斎藤一、救援信号二ツキ、唐土ニテ当艦へ保護。明朝、蝦夷共和国二送リ届ケタシ。」
榎本武揚、唐土からのフランス艦の知らせを受け、立ち上がって喜んだが、今宵は酔いも回っているし、土方に手紙を書いて、側仕えに届けさせた。
武蔵国の新聞に介入する危険を犯し、ハラハラさせられたものの、無事に良い知らせが来てビールのピッチも進んでしまう。
製氷機で冷やしたビールはキンキンで、榎本武揚の日々の糧である。
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