3-7
慶応四年、四月二十五日。
近藤勇は、板橋刑場にて、断首の刑に処された。
彼の最期の花舞台である死は、決して夢見た誉れにあらず。
近藤の三十五年の人生は、こうして幕を閉じた。
近藤の首は、わざわざ京まで運ばれ、数日の間、さらし首となった。
余程の拷問の末か、苦悶の表情のままに。
潜入していた密偵が戻ると、土方はすべてを知り、立ち尽くした。
「大丈夫ですか、土方さん……?」
土方歳三は、もういないその名に、尋ねた。
「……近藤、さん……?」
あまりの絶望に、涙も出ない。
近藤勇は、土方歳三を庇って死んだ。
勝海舟も、西郷隆盛も、助けようと計っても。
近藤勇は、土方歳三を、頑なに庇って。
土佐藩により、京でさらし首にされて。
土方歳三は、守られたから生きていた。
自身が泣くなど、許されない。
己が、死なせてしまったのだから。
近藤を、死地に送り出したのは、土方自身だと、胸が苛まれた。
「あの時、本当に切腹させてやれば……斬首になど、ならずに済んだものを……。また、近藤勇の夢を、踏みにじっちまった。不甲斐ねえ……不甲斐ねえ、近藤さん……!」
土方歳三の中で、太陽だった男は、逝ってしまった。
夢を叶えることも叶わず。
「落ち着きましょう、土方さん……。」
土方の判断ミスで、殺めてしまった。
「副長。この先は、どうなるんですか……新撰組は、近藤勇を亡くし、ここまでじゃあないんですか……。」
この時、土方歳三の歯車は、狂いだしたのかもしれない。
土方は、生きながら、地獄の境地に立たされた。
「局長、近藤勇の責務は……確かに、引き継いだぜ。俺が……今度は俺が、近藤勇になる。」
「え……?」
隊士には、いきなり土方歳三が言い出した話が、イマイチ分からなかった。
「退路は無い。新撰組は、走り続けるしかねぇんだ。近藤勇を死なせた以上!近藤勇が残した新撰組は、必ず俺が報いさせてやる!誉ある戦いまで!!夢の元まで、死なせはしねぇ!!だから……」
土方歳三は、叫んだ。
「俺が、いる限り!此処が、俺が、新撰組だ!!」
土方歳三は、近藤の死を背負って、立ち止まる術を失った。
新撰組のすべてを背負う、新しい近藤勇になったのだ。
その業の深さは、地獄に佇む男の眼に、僅かな狂気を宿らせながら。
「土方、さん?」
「新撰組は、新撰組であり続ける!敵前逃亡は斬り捨てる!立ち止まることは許さねぇ!新撰組を守りきらねば、俺はもはや、許されねぇんだよ……!!」
土方歳三は、新撰組そのものになり、近藤勇になったのだ。
隊士達は気づいていた。
土方さんは、おかしくなっちまった。
それを悲しみ、共に果てる覚悟を決めた、島田魁たちや。
引いてしまい、いずれ見切りをつけねばと決意した、隊士たちもいた。
だが。
土方歳三は、そうでなければ、ならなかった。
近藤勇が唯一託した、新撰組は。
土方歳三だけが、守って行かねばなるまい。
彼に、命懸けで守られた側の、責務だ。
あの眩しい人を、死なせてしまった者の、責務だ。
人一倍責任感が強い故の狂気。
土方歳三の生き地獄は、此処から、始まったのだ。
流山で、近藤勇を失った土方歳三は、ますます加速するように、人生を進み出した。
単身、大鳥圭介率いる旧幕府脱走軍に参加。
伝習隊など、洋式調練を受けた軍隊が、土方歳三の新しい配下となる。
慶応四年四月、この洋式部隊を指揮して土方歳三は宇都宮城を攻撃。陥落させている。
土方歳三は、優秀な指揮官の才を持っていたのだ。
大丈夫だ。
新撰組は、負けない。
最前線で、斎藤一が敵を斬り。
後衛で、洋式部隊が発砲する。
守り神が。
近藤勇が、新撰組を守っているのだ。
「撃て!進めぇ……!!
斬れ!進めェ……!!」
しかし、快進撃は続かない。
会津戦争の敗北を経て、斎藤一が新撰組を降りた。
「残んのか?会津若松に。」
「まぁね。最期まで、浅葱色のダンダラ羽織りに相応しく、忠臣蔵してぇのさ。」
斎藤一に、土方歳三は告げた。
「会津若松にゃ、もう勝ち目はねェぞ、斎藤。」
「あーぁ。そーゆう問題じゃないし……。知ってる?会津若松の武家のお子様達、白虎隊は、城が燃えた時に泣きながら互いを刺し殺して全滅だってさ。」
「あぁ……守って、やれなかったな。」
斎藤一は物静かなままの土方歳三に怒鳴りかかり、胸ぐらを掴んだ。
「冷静過ぎやしねぇかアンタ!!ガキ共死なせて、会津若松は守れなくて!!何が新撰組だよ、おい!?松平公への恩義の為に、オレもアンタも、沖田ちゃんまで狂わせながら、何人殺してきたか、わかってんの!?」
土方歳三は真顔だった。土方には、既に両肩に背負う、新撰組の大勢の隊士達の命がある。
会津若松の子供たちまで、背負うゆとりなど無かった。
「それでも新撰組は、前に進まなきゃならねぇ。俺が、新撰組を報いさせる、その時まで。会津若松がなくなっても、新撰組は歩みを止めねえ。」
斎藤一は悲しそうに、土方歳三の胸ぐらを離した。
「馬鹿野郎。もう既に、新撰組なんか存在しねぇよ……オレはパス、降りさせてもらうわ。」
「俺がある限り……此処が、新撰組だ……」
斎藤一は静かに言った。
「その近藤勇ごっこは、一人でやってなよ。……次に会う時は、オレがアンタを殺してやるから。なぁ、壊れちまった土方歳三?後生だ……死なせてやるから、それまで、死ぬなよ?」
「ふ……ありがてえこったな。斎藤。必ず俺を殺しに来いよ。」
新撰組は二分割された。
斎藤一と共に会津若松に残った隊士達。
そして、土方歳三についてきた隊士達だ。
慶応四年は、明治元年となる。
明治元年、十月二十日から、土方歳三と榎本武揚の奮戦す、箱館戦争が始まった。
新政府軍と、旧幕府軍の、最後の戦いである。
元・海軍副総帥、榎本武揚は、勝海舟の説得に応じ数々の船を譲るが、自分達の主力艦、開陽等の温存に成功。
この無敵の開陽があれば、形勢不利を覆すに充分であった。
いわば、最後の武士道たる旧幕臣達の結束。
彼らの志しに感銘したフランス軍人、ジュール・ブリュネらは、敗北しか見えない旧幕臣側に見切りをつけ、帰国命令を出したナポレオン三世に逆らい、旧幕府軍に同行す。
ナポレオン三世説得の為の手紙を怠らず、最後の侍となる。
蝦夷地の新政府軍を撃退し、旧幕府軍は十月二十六日に、五稜郭へ無血入城し、榎本武揚は艦隊を箱館へ入港させた。
十月二十七日、土方歳三を総督として七百名を率いて、松前藩に武力鎮圧を試みる。
松前城は、藩主は既に逃げており、僅か百名が残存したが、二十八日に数時間で落城す。
松前城の残兵は、江差方面へ敗走した。
十一月十二日、旧幕府軍は五百名が江差に向けて進撃す。
十五日、江差に迫ると、既に松前兵は撤兵し、江差攻略の支援に来た開陽と海軍が、江差を無血占領していた。
しかし、この時いきなり天候が悪化し、主力艦・開陽が座礁。
開陽を助けに来た、回天と神速丸だったが、神速丸も座礁。
数日で開陽は沈没した。
開陽の損失により、旧幕府軍は制海権の維持が困難となり、新政府軍の蝦夷地上陸を許してしまうこととなった。
十二月十五日、旧幕府軍によって箱館政権発足。
蝦夷共和国の誕生であった。
総帥・榎本武揚は、蝦夷地開拓の嘆願書を、イギリス、フランスの軍艦に託した。
ここが、時代の分かれ目となった。
ブリュネの説得。
ナポレオン三世。
そして、ジェームズ・ドニファンという、男。
これが、蝦夷共和国の始まりだ。
本来ならば、彼らの死地として、蝦夷は選ばれたのである。
思わぬ勝利や、国家樹立に、総帥、榎本武揚らは祝杯を上げたが、土方歳三だけは、酒を飲まなかったという。
土方はひどく穏やかに変わった。
勝利の後は、仲間に自腹で酒をくばり。
「酔っ払って規律を乱したら困るから、一杯だけで満足してくれよ?」
との、土方の言葉に、部下達は喜んで一杯をいただいたという。
夜遊びはめっきり辞めて、仲間たちが遊郭へ出て行っても、一人静かに粗食を食べて、早く寝た。
敵前逃亡は斬り捨てても、必ず被害者の遺族を訪ね、
「あいつは優しいところのある人間でした。俺は悪いことをした。この金で、立派な墓を立ててやりなよ。」
と、自腹で金を払い、頭を下げ、部下を供養して回った。
土方歳三は、変わって行った。
近藤勇から学んだもの。
情けを、学習していたのかもしれない。
近藤勇に相応しく。
新撰組に、相応しくあらんと。
頑固で不器用な、この一徹の男は、彼なりにだが、優しくなっていった。
場所は蝦夷地。
新政府軍は冬が過ぎるのを待ち、翌、明治二年、二月に、八千人の兵と、軍艦四隻で、青森へ入る。
三月に宮古湾海戦にて、旧幕府軍は敗退。
四月九日、早朝。
新政府軍は蝦夷共和国・乙部に上陸した。
圧倒的兵力差に押し負ける蝦夷共和国軍だが、イギリス船から仙台藩を脱藩した見国隊四百名が加入した。
連日の敗戦が続くが、二股口の戦いで土方歳三の指揮が始まると、十三日正午過ぎから、十六時間に渡る激戦で、新政府軍は疲労困憊により稲倉石まで撤退。初の勝利を飾った。
二十二日、土方歳三は再び新政府軍を撃退。
さらに新政府軍は二回敗退。
以降、新政府軍は二股口を迂回する道を山中に切り開き、四月二十九日、矢不来が新政府軍に突破される。
退路をたたれる危険があった土方歳三軍は、五稜郭に撤退した。
五月一日、新政府軍は兵を集結、箱館総攻撃の態勢を整えた。
二日、旧幕府軍のフランス軍人ブリュネら一同は、何らかの訳あってフランス船で箱館を脱出。
十一日、新政府軍四千名は海陸両方から、箱館総攻撃を開始した。
新政府軍は四稜郭、箱館山を占領。
箱館山の番兵、新撰組は遁走し、砲台、弁天台場に逃げ込んだ。
この時の局長は相馬主計であり、共に戦ったのは島田魁である。
土方歳三は五稜郭におり、知らせを聞いて、馬に跨り、僅か七十人の陸軍兵を率いて、新撰組救出に出陣す。
途中で陸軍奉行添役大野右仲と会い、共に一本木関門に至る。
その時、蝦夷共和国軍の艦隊が敵艦を撃沈させた為、土方歳三らの士気は大いに高まった。
土方歳三は、味方の苦戦を見るや、兵を叱咤し、叫んだ。
「この機を逃すなッ!!」
と、大野に命じ、自ら指揮をとった。
「退却する者ぞあらば斬る!
撃て、進め!!
斬れ、進めェ!!
立ち止まることあらず!
貫徹だ!!
此処が、俺が……新撰組だァッ!!!」
土方歳三は、立ち止まれなかったのだ。
その身は生きながら地獄にあった。
近藤勇の死に、自らの退路を断ち。
近藤の守った新撰組に、土方歳三自身が成り代わった。
近藤勇の代わりに。
新撰組に、誉れを。
報われる日を、誉ある戦いを、目指す為に。
歴史の分かれ目であった。
土方歳三には、しっかりと新政府軍の狙撃兵のマークがつけられていた。
土方歳三は、あわや、此処で死ぬやもしれなかった。
そこに現れたのは、フランスのコルベット艦ル デュプレックス率いるフランス艦隊である。
ブリュネの説得に応じたナポレオン三世の計らいであった。
二十五歳のア・パリ中尉は、フランス公使の明治天皇拝謁に同行し、かつての榎本武揚の嘆願書を天皇陛下にお読みいただいた。
コルベット艦ル デュプレックスの海の彼方への大砲砲撃に、新政府軍も蝦夷共和国軍も目をむいた。
「休戦である!!フランス皇帝ナポレオン三世陛下のお達しあり、フランスはここに蝦夷共和国との同盟条約を果たし、フランス海軍の増援を送るものとした!フランス人公使は改めて明治天皇に拝謁したのだ!!結果、蝦夷共和国と明治天皇は和平!!明治天皇のご命令であるぞ、新政府軍はただちに撤兵せよ!!蝦夷共和国は成立!!植民地ではなく、正式な独立である!!この国は、フランス移民と和人により、開拓の地となるのである!!」
ア・パリ中尉の代わりに叫んでいたのは、束の間いなかったジュール・ブリュネと、その部下カズヌーブ、マルラン、フォルタン、ブッフィエらである。日本語が流暢な彼らにより、箱館戦争は終戦。
明治二年 。
箱館戦争、五月十七日、終結。
蝦夷共和国に平穏が訪れるや、新撰組を再び組織しながら、待った。
自身が破綻させた、新撰組を背負えるような。
相応しい、誰かが、訪れるのをーーー。
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