3-5
土方歳三の苦難から、もう歳三は大人になっていたが、その分も感極まる瞬間であった。
さっそく荷支度し、歳三は八王子より五日市へ。姉、のぶの嫁ぎ先までやって来たが、想像を絶する大屋敷に、まず、歳三が怯んだ。
のぶとの久しい再開はぎこちなかった。
「歳三君。数々の苦難を乗り越え、それでも剣への情熱の廃れる事なきは、見事だ。」
佐藤彦五郎と歳三にお茶を出し、固まってしまったのぶを、彦五郎が揺さぶった。
「おい、おい。のぶ。何事か、歓迎の言葉ぐらいあるだろう。」
「わたし達……小さい時以来、よね?歳ちゃんは末っ子で、わたしを知らないかもしれないわ。とってもちっちゃい歳ちゃんを置いて、わたしは気づいたら、働いていたし……歳ちゃん、わたしのこと、覚えてる……?」
歳三は笑うしか無かった。姉のぶも、苦労のあまり、小さい時のことしか、わからぬのだ。
「覚えてるよ。まだ、小さかった、姉貴だが……。姉貴も働いた金で、俺に飴をくれたな。」
のぶは嬉しかったらしく、笑って立ち上がった。
「なら、お祝いしなきゃ。お赤飯を炊いてくるわね。実家の粟粥と違って、もち米の美味しいやつよ。」
彦五郎は、歳三に告げた。
「歳三君には、丁度良かった。明日には天然理心流の近藤先生が、出稽古にいらっしゃる。近藤先生は四代目のお若い先生で、君とは波長が合うやもしれないな。」
その晩の、のぶの出した食事は旨かった。
もち米など、正月でも食べられ無かったし、絶妙な塩加減の焼き魚や、茸の佃煮は、飯がいくらでも入ってしまう。
「うめぇ……!」
ひたすら食う歳三に、のぶは笑顔でおかわりを茶碗に盛った。
「歳三君は、下戸では無さそうだけど……」
酒を勧めたい彦五郎だが、そんな隙は無い。
「食べ盛りに、食べれなかったのよ、貴方。」
「そのようだ。のぶ、昨日の芋煮も出してあげなさい。食べる人がいるなら、お裾分けに出すこともなかろうし。」
万延元年、五月四日。
初夏の暑さ相まって、歳三は飯の食い過ぎで燃焼し、じっとりと汗をかいて、布団に入っていた。
起き上がれば、日の出方から、自身の寝坊に気づき、枕元には握り飯とたくあんの入った皿が添えられていた。
姉ののぶと彦五郎のご厚意によって寝かされていた訳だが、歳三の剣術への熱意では、逆に困ったものである。
「頼もう!頼もう!」
門には、既に天然理心流の先生が来ている。
歳三は井戸まで走り、着物を脱いで全身に水を浴び、急いで汗を流し、清潔さを整えると、着物をしっかり着て防具をまとい、門に走って行った。
「頼も……おや?」
「天然理心流の四代目、近藤先生に相違なかろうか?」
「はい。吾輩が四代目の近藤勇です。時に、天気雨にでも降られましたかな?」
土方歳三、真っ赤に顔を染めた。
汗を流したはいいが、着物はびしょ濡れである。
「某、天然理心流の近藤先生に剣術をこうべく、立ち入った新参者です。それが、寝過ごしまして、先ほどまでは汗だくで布団におりました。無作法無きように、井戸水にて身を清めた次第です。」
のぶと彦五郎が後から来て、近藤勇がじきに笑い出すのを、見守っていた。
「えっ?…………ふっ、あっはっはっは!なんと、吾輩も今日寝坊しまして、彦五郎殿をお待たせ致し、初夏の暑さゆえ乾きましたが、自宅で大急ぎの行水を致しました!貴方が熱心に待っていて下さったことも、なんとかたじけない!お名前をなんと申しますか?」
土方歳三、気さくな近藤勇に安堵し、名乗った。
「某、石田の歳とばかりよばれておりますが、土方歳三と名乗らせてください。生まれは没落地主の農家で、本来は自身を某とも呼びません。」
「おぉ!気後れめさるな!吾輩も養子に入った身で、武家の生まれではありませんから。見たところ、吾輩達は歳が近いもよう。吾輩は二十八になりましたが、歳三殿はおいくつであられるのか?」
「二十六になりました。剣術を始めるには、遅い出だしですが。」
「なんの。農家のお生まれで今までお勤めがござったのでしょう。吾輩とて、実の父の読み聞かせなくば、今も畑を耕しておりましたよ。」
土方歳三、ようやくその人柄を真摯に受け入れ、率直に申した。
「某は、近藤先生のように気さくな剣術家に、今まで出会ったことがありません。剣の稽古の後も、まだお話を聞いてみたい所存です。」
近藤勇、嬉しげに土方歳三の両手を握った。
「吾輩もそう思っていました!歳三殿は熱心でありながら、飾らないお方であられる!のぶ殿、彦五郎殿よ、本日は長めに滞在しても、よろしいでしょうか?」
のぶと彦五郎はあたたかく二人を受け入れた。
「勿論ですよ。歳三君と近藤先生の友情に水を差すような輩は、ここにはいません。ごゆるりとどうぞ。」
「どうやら、今晩もお祝いね。もち米のお赤飯を炊きましょうね。」
稽古の時間は、また、夢のようであった。
土方歳三は、幼くして意を決して以来、耐えに耐え、ついにこの日を迎えたのである。
(人は、忍耐無くして偉業はなせぬ。一徹だ。一徹の道が、俺を剣に導いた。)
「歳三君は、どうですか?」
「今は初心だが、歳月経てば、吾輩は追い越されてしまうでしょう。そうなると、試衛館の吾輩の仲間たちにアテがあります。吾輩を超えた後も、もっと強くなれる!その証拠に、これだけの素振りをしていながら、歳三殿は呼吸ひとつ乱しておりませぬ!」
彦五郎も気づき、褒めた。
「本当だ、息ひとつ乱れてない。なんという持久力だ……」
近藤勇、言った。
「今までの忍耐が持久力を作り、好きな剣への熱意が、驚異的な覚えの早さを作ったのでしょう。」
その晩、土方歳三は近藤勇と席を並べて食事をした。
「吾輩も、他所では言うまいが、実家から今の家に来て飯を初めて食べた日は、飛び上がりました。」
「旨くて、ですか?」
もりもり食べる土方歳三に、近藤勇は喜んで話を聞かせた。
「そう、旨かったのです!歳三殿、見事な食べっぷりですなぁ!お姉さんも喜ばれるでしょう?」
「はい。実家では貧しく、食べさせてあげられなかったもので。今はひとしお、嬉しいですわ。」
「甲斐性のある旦那さんということですな、彦五郎殿は!」
土方歳三は箸を止め、実直に尋ねた。
「近藤先生は、実の父の読み聞かせなくば、今も畑でくわを握っていたとおっしゃる。読み聞かせとは?」
「はい!実の父は三国志を読み聞かせしてくださいましたので、幼い吾輩の夢が、今に至るのです!」
「ゆめ……?」
「歳三殿にとっては、剣の道こそが、夢のような原動力であられた。吾輩の夢は、関羽のような武士になり、清く正しく生き、死ぬことにあります!」
歳三にとって、初めて見る概念であった。
「清く正しく生きることは、立派です。しかし、死さえも、ですか。」
「死とは人生の最期の花舞台です。吾輩は、潔白な死を望みます。吾輩は、英雄でありたいのです!」
眩しい。
土方歳三には、近藤勇の夢は、輝き過ぎていた。
だが、この人なら出来よう。
「某にも、夢を教えてください。近藤先生の如く、眩しくなれるものか……。」
近藤勇は杯に、指を少し切り、血をそそいだ。
「ならば、共に義兄弟の契りをかわしましょうぞ!吾輩も、貴方のような弟分を持てることは光栄です。年上として、出来る限りを約束致す!!」
「……承った。」
二人は交互に杯を飲んだ。
「我らは、以後、無二の仲です。歳三殿、いや、トシ!!」
「近藤先生。いいや。近藤、さん」
二人はそれ以来、稽古だけでなく、試衛館まで行って語り合うようになった。
試衛館には、沖田総司、井上源三郎、土方歳三、山南敬助らが、集ってゆく。
この頃、既に斎藤一は仲間になっていたが、後に共に京へは行かなかったのだ。
夢だけでは動かない、現実主義者の斎藤一らしいとも言えよう。
佐藤彦五郎は、近藤勇の義兄弟となって、三味線を爪弾いた。
二人暑さを 川風に
流す 浮名の 涼み舟
合わす調子の 爪弾きは
水ももらさぬ 緑かいな
二年後。
文久三年、正月。
幕府浪士組の募集が行われた。
攘夷実行の為、近く京に上洛す将軍家茂を警護する任である。
参加資格は、尽忠報国の志あって心身健康たれば、身分は問わず召抱えるというものであった。
「我らも行こう、トシよ!田舎の道場主で終わるよりも、尽忠報国のお役に立ちたい!!」
試衛館からは近藤と土方、井上、沖田、山南、そして永倉新八、藤堂平助、原田左之助が共に京に向かった。
三月十二日深夜。
京都守護職、松平容保により、会津藩お預かりとなった近藤らは、壬生浪士組とし、京都を守る特別警察隊となる。
後に、新撰組と名を改めた。
この時の隊士の募集で、斎藤一は再会、加入した。堅実な男と言えよう。
「時に、トシよ。武士の肝とはどう考える?」
度重なる粛清は、局中法度を犯された印。
「貫く意思。一徹だ、近藤さん。清く正しく、そして、立ち止まること無く進む。人生は、止まったら最期だ。」
一、士道に背く事。
二、局を脱する事。
三、勝手に金策を致す事。
四、勝手に訴訟を取り扱う事。
この四ヶ条を背くときは、切腹を申し付ける事。
「土方さん……この人は、もう……」
粛清には、沖田の情けで逃亡を計る者もいたが、土方はこれを躊躇無く斬り捨てた。
「立ち止まるな!斬れ、進め……!!」
しかし、土方歳三が圧される。
沖田総司は、苦しみの狭間で、剣を振るった。
「うわあああああッ!!」
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