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文久三年、九月十八日。
まだ秋がかった涼しさは薄く、真夏の熱帯夜がようやく落ち着いてきた頃合であった。
この話は、新撰組がまだ新撰組と呼ばれる前、壬生浪士組であった頃のことである。
この頃、筆頭局長に芹沢鴨をいただき、続く局長、近藤勇、そして局長、新見錦が組を率いた。
芹沢派には、水戸を脱藩した水戸浪士達がくみし、近藤派には、土方ら、試衛館時代の仲間がくみしていた。
それぞれ、尊王第一の芹沢と、尊王も幕府も重んじる近藤で、思想的な派閥も分かれていた。
もっとも、永倉新八のように、試衛館時代からの仲間にも、芹沢鴨が大好きな隊士とており、完全に白黒別れていた訳では無かった。
この夜は壬生浪士組隊士達は揃って島原の遊郭、角屋での集会からの祝い沙汰。
この頃、壬生浪士組が寝起きするのは八木家屯所である。勝手に民家を乗っ取ったような始末ではあるが、後の屯所たる西本願寺も同じやり方の乗っ取りだから、彼らに倫理を正すのは難しいだろう。
八木家屯所にて、芹沢鴨闇討ちを待ち伏せる、土方、沖田、永倉も、痺れを切らしていた。
芹沢鴨は、生糸問屋大和屋の焼き討ちを代表に、酒の勢い余っての過激な行動を、松平公に名折れと嫌われ、近藤、土方らに芹沢鴨への戒めをせよ、との指令が及んでいた。
もっとも、命令が無くとも、近藤と土方は芹沢への天誅を計っていたであろう。
実は、芹沢鴨暗殺計画は、松平公の命令では無い。近藤勇と土方歳三の独断である。
松平公からしたら、芹沢鴨を叱ってもらうはずが、死んでしまったという事だ。
共に芹沢と過ごし、共に一本気たる永倉からしたら、芹沢は魅力的な男に違いなく。
壬生寺の境界で、近所の子供らとの遊びを、芹沢とこなした沖田からしたら、やんちゃで優しい人だったことに違いない。
近藤と土方からすれば、危険分子に、違い無かったーーー。
とはいえ、隊の内外では、芹沢鴨は人柄も信頼厚く、筆頭局長という立場なだけあって、仕事をそつなくこなし、皆の間では壬生浪士組代表は芹沢鴨である。土方達の行動は、万が一露呈していたら、それは天誅では無く、謀反に等しかった。
「今宵は帰らねぇんじゃねぇか?」
「しっ。永倉さん、誰ぞ来ます。」
一人、美しい女が屯所を尋ねてきた。
「隊士さん、鴨さんを呼んでよ。」
永倉、遠巻きに見て気づいた。
「ありゃあ、お梅さんじゃねぇか。」
芹沢鴨の愛する女、梅は、芹沢が遊郭に出かけたと聞いても帰らない。
「そうかい。なら、あたしゃここで待たせてもらうよ。鴨さんに、伝えとくれ。」
梅は、八木家屯所にて待つと知らせを飛ばした。
土方はにっと嗤う。
「ツキは、見放さなかったらしいな……。」
永倉、呆れた。
「悪趣味でござろう、土方よ。芹沢殿がこれで屯所に帰るのならば、それは一途な愛情故だぜ。」
永倉は近藤から直接の命を受けた山南敬助、原田左之助に手を引いてもらってまで、代わりにこの任についた。
近藤勇の勝手は、絶対に絶対に許せない永倉新八だが。
こと、芹沢鴨という大剣豪ならば、話が違う。
剣士として、慕えるからこそ。
命懸けで、挑みたい。
それは、永倉新八なりの、芹沢鴨の死への、納得と、花向けの為である。
沖田は、初めての闇討ちの仕事に、緊張しているのか、自分に言い聞かせた。
「情けは無用です。剣が鈍る……失敗は我が身の死に繋がります。相手は、……あの、芹沢さんなのですから。」
「梅!待たせたな、梅よ!」
「鴨さん!」
結果、芹沢は遊郭の女達より愛する梅を選んで八木家屯所に帰宅した。
その日、隊士達は殆どが遊郭から帰らなかった。
「どうして遊郭なぞ行っちまうの。あたしを不安にさせないどくれ。」
「わたしは女の遊びに遊郭に出向くのでは無い、梅よ。局長である限り隊士達の労いは必要だ。それに、以前のわたしならばともかく、愛するお前を知った後では、もはや代わりなど遊郭の何処にも見つかりはせんよ。」
「鴨さん……あんたが斬られたら、あたしも死ぬ。あたし達、引き寄せあっているんだね。」
「あぁ、わたしの一生の女、梅よ。わたしと添い遂げて、地獄まで共に来るか?」
「鴨さんがいない天国は、いらないね。」
「愛しい梅よ。酒を飲み直そう。美味い肴なぞいらん、お前と共におられるのならばな。」
芹沢鴨は愛妾梅と酒を飲み直し、語り合い。愛し合った。
土方らは芹沢が眠りにつくのを、待った。
天誅の内容は、ざっくばらんだが、こうだ。
全員芹沢鴨の寝床に何太刀も浴びせる。
梅の生死は問わず、いや、芹沢を相手にするのに、梅だけ無事にとは、難しすぎたのだ。
ことは、暗闇で決行する。
剣豪であった芹沢鴨に強引に打ち勝つには、酒の酔い、寝込み、様々な要因が必要だった。
「……殺るぞ。」
第一に斬りかかるはずの沖田が、土方の合図に答えなかった。
「おい」
「はぁーッ……はぁーッ……」
沖田は怯んでしまっていた。
ただでさえ、仲の良い芹沢鴨だ。
壬生寺の境界では度々、近所の子供たちの遊びを、一緒にし。
思い返せば、沖田は芹沢の怒っている顔を知らない。周りは気性の荒い人だと言うが、沖田の知る芹沢は、子供思いのやんちゃな笑顔だ。
芹沢の家内の如きお梅さんごと、殺すとなれば。
初めての人殺しには、相手が重すぎた。
「行くぞ!」
「あ……う、うわあああああああッ!!!」
天才であった沖田の剣筋は動揺から乱れ、続けざま永倉も斬りかかった。土壇場に負傷した芹沢鴨は飛び起き、愛する女が息絶えたのを手の中に見る。
「おおおお!梅ェェ!!」
「あぁ……」
芹沢は返しざまに斬りかかった。
「寝込みを襲うのが武士道か、否!引け沖田君、君の剣筋の揺らぎこそが人道なのだ!」
沖田、なんと芹沢の剣戟を打ち払い損ねた。
「はあっはあっはぁっ」
「総司ッ!!」
芹沢鴨までも、意図せず沖田総司を殺めてしまうところであった。
土方、間一髪で沖田に迫る芹沢の剣を打ち払い、指揮す。
沖田は軽傷だが、鼻の下に芹沢の太刀の切っ先を受け、出遅れた。
「追え永倉ァ!!総司、二度目は殺れ!!」
永倉に追われた芹沢鴨は、逃げこんだ部屋で、暗闇の中、八木家の家の者の出していた机につまづいて転んでしまった。
「えぇい!何が京都守護職だ!その剣がわたしの愛する女を殺め!!何が国を憂いた浪士か!!永倉君よ、君はどうだ!若き沖田君までわたしの血に染めたいか!?」
「あぁ。芹沢殿の血は、荷が重かろう。総司には斬らせんと約束ごろうじる。だが、俺は斬る。恨みも無い、芹沢殿とは面白いことばかりだった。だから、他のやつにはアンタを殺させん。さぁ、立った立った!構えるまで待つぜ。アンタとは一度、真剣でやってみたかったのさ。」
芹沢鴨、起き上がり、満足げに永倉に刀を構える。
「よろしい。君ほどの快男児ならば、酔いどれたわたしとはいえ、実力勝負に文句は言わぬ。さぁ、さぁさぁ!次にあの月明かりに、雲が差した時!」
「あぁ!!いざ、尋常に……」
月明かり陰る時、永倉新八、芹沢鴨、両名の荒々しい剣戟は始まった。
「馬鹿野郎!闇討ちに尋常も糞もあるか!!」
土方の怒声など、今は出る幕も無く。
二人の剣豪、誰かが付け入る隙など一切無し。
激しい剣舞は、二人の巨魁が拮抗する証だ。
「すごい……」
沖田のぼやきに、土方が尋ねた。
「お前のような天才でも、そう思うのか?」
「わたしの剣と、永倉さんや芹沢さんの剣は違いますよ。一撃の重さ、身のかわし……わたしと永倉さんが殺りあっても、ここまでいくかわからない。芹沢さんの剣は酔って尚、その域にあるんですよ。」
しかし、満身創痍の芹沢は、着実に両手をやられていた。
やがて、芹沢の剣が折れた。
「梅!わたしも往くぞ!!」
永倉に飛びついて制止したのは、沖田だった。
「辞めましょうよ、永倉さん……!もう、充分じゃないですか!!逃げてください、芹沢さん!死ぬ意味なんか無い!二度と会わなければ、済む話ですよ!!生きてお梅さんのお墓でも作って、新しい人生刻んで。そう。生きてたら、なんだって出来ますよ!!」
「……そうさなぁ。俺ぁ、芹沢殿の作る明日が、見たかったよ。」
芹沢は驚き、そして沖田に一度、笑いかけた。
「沖田君。見事なり、その信念を忘れること無きよう。わたしは焼き討ちから身の破滅を招いたが、真の天誅などは、人間の域では許されぬ。周りの愚か者共に流されて死ぬな、君たちは。さらば!」
芹沢鴨、逃げ延び、土方は沖田に怒号を飛ばした。
「総司!何をしてやがった!情けにほだされるな……てめぇが近藤さんの右腕にならなくてどうする。」
「わたしは近藤さんの味方ですよ、いつだって。芹沢さんはもう、剣を二度とふるえやしません。……事実上の死じゃないですか!もし、あれがわたしであったならばと思うと、ゾッとします。剣だけがわたしの存在意義……頭のいい芹沢さんでよかったんです。きっと全く違う道でも、生きていける。」
「……総司。近藤さんは何も、お前の剣だけを買ってきた訳じゃあねぇ。」
「……でも。わたしが近藤さんのお役に立てるのは、剣をふるえる間の期間限定ですよ。芹沢さんの件はわたしが全責任を負います。土方さん達は、悪くないですから。」
沖田の病を知らぬ訳も無く、土方は沖田が芹沢に己の死を見出したのだと気づくと、それ以上の深追いはしなかった。
「ちっ。永倉、総司よ。芹沢はここで死んだものとする……芹沢一派とは今後対立することもあるだろうが、芹沢の死という認識はブレさせるな。松平公すら巻き込んだ、事実阻害を行うものとし、事態の真相は近藤さんにのみ伝える。……いいな。」
永倉は返り血に塗れたまま笑った。
「かっかっかっか!鬼の土方も総司にゃ弱ぇか!!いいぜ。俺たちで、天下の松平公にまでうそぶいてやらぁ。」
雪霜に 色よく花の さきかけて 散りても後に 匂う梅の香
芹沢鴨の辞世の句である。
芹沢は、この時より、後にも先にも、この句を自身の墓場に相応しいとした。
翌日、芹沢鴨死亡の話で、壬生浪士組は持ち切りとなる。
一方で、八木家の勇之助少年が、足に怪我をしたと泣いて止まなかった。
芹沢鴨暗殺は、長州人の手によるものと言いふらされたが、勇之助少年は紛れもなく、昨夜の乱闘から負傷したのである。
沖田は顔を曇らせた。
自身の剣が、あの子の足に怪我を負わせたかもしれないのだ。
沖田は八木源之丞に向かい、
「勇坊までが、怪我をしたそうですね」
と、気落ちした様子で言った。
沖田総司は、沖田勝次郎の子として、麻布の白河藩亭に生まれた。歳の離れた姉、みつが婿をもらっており、家督を継ぐことは無く。
だが、父勝次郎は、総司を武士として育てたがり、あまりにも早くに亡くなった勝次郎の意思を尊重し、母は総司を剣の道にいざなった。
総司は、やがて芹沢の言葉に反するかの如く、その手を粛清の血に染めていくことを、この頃、まだ考えるよしも無かった。
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