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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第十五章 見過ごした代償――それでも、寄り添い合う
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第七十二話

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【数日後・八月十九日・月曜日・午前】


介入計画が始まって数日、チームのあいだにはどこか微妙な“静けさ”が漂い始めていた。


いちばん分かりやすかったのは、それまで皆を悩ませていた、胸がざわつくほど生々しい“集団悪夢”が、ぱたりと止んだことだ。


悪夢が止んだことは、まるで強い安定剤みたいに皆をほっとさせた。そのおかげで、“ストレス分散”という方針はやはり正しかったのだと、誰もがいっそう信じるようになっていた。


ただ、石原の胸の奥に残ったわずかな疑念だけは、そんな空気に溶けずに残っている。


穏やかな表面の下で、それは蔓の先みたいに、ひそかに伸び続けていた。


ここ数日見てきた限り、春野の状態が確かに上向いているのは間違いない。


頻繁に時計を見ることはなくなり、話すテンポもいつもの落ち着きを取り戻していた。報告を受けるときの焦りも、目に見えて減っていた。


それまで出ていた、まるで信号不良みたいな一瞬の“文字化け”も、ここ数日の会議では一度も現れていない。


――やはり、ストレスが軽くなれば異能力も消える。


そう考えていた皆の推測を、裏づけるように見えた。


だが――それは、今日の午後までの話だった。


石原は、会長の署名が必要な施設利用許可書を届けるため、生徒会室を訪れた。


扉はわずかに開いていた。

軽くノックしたが、返事はない。


そのまま扉を押し開けると、春野が窓際に立っていた。入口に背を向けたまま、窓の外を見ていた。


午後の陽射しが、その真っ直ぐな背中をくっきりと縁取っている。


片手はズボンのポケットに突っ込み、もう片方の手でこめかみを揉んでいた。


すぐには振り向かず、何かを考え込んでいるようだった。


石原の視線は、半ば癖のようにその頭上へ向かう。


【春野陽明の感情:疲労41#@&…】


石原の胸が、すっと冷えた。


――これはもう、“可能性”でも“前兆”でもない。


春野はすでに、はっきりした形を持つ異能力を手にしていた。


石原の足がわずかに止まる。


その気配に気づいたのか、春野が振り返った。


顔色は数日前よりも良い。目の下の隈も、いくらか薄れていた。


「石原? 許可書か?」


その声は落ち着いている。春野は歩み寄って書類を受け取ると、素早く目を通し、その場で署名を済ませた。


「ご苦労」


書類を返しながら、春野の視線はもう机の上に積まれた資料へ戻っていた。


「購入案はB案で決まった。細かいところは、お前と緒山で詰めてくれ」


「……了解」


石原は書類を受け取りながら、もう一度、あの文字化けだらけのタグを視界の端で捉えた。


生徒会室を出たあと、廊下の角で足を止める。


指先が、じわりと冷えていた。


その夜。


石原は自室で、スマホの画面を前にして長いことためらっていた。


そして最後に、グループチャットへ一文を打ち込んだ。


「感情タグに継続的な文字化けを確認した。春野は異能力に目覚めたと思う」


送信してから、数秒ほどチャットは静まり返った。


次の瞬間、立て続けに「?」が並び、その直後には杏が事情を聞こうと部屋へ飛び込んできた。


その後の議論は途切れ途切れに続いた。


誰もが慎重に言葉を選んでいたが、実質的な進展はない。


そんな中、ずっと発言していなかった花野が、一枚のグラフを送ってきた。


彼女がデータを洗っていく中で、ひとつ妙な点が見つかったのだ。


――八月十六日以降、春野はすでに決まっていた重要な判断に対して、二十六回も“最適化”をかけていた。


しかも、そのすべてが成功し、評価も高かった。


「そんなに勘が当たるものなの?」

立花が問う。


「会長はもともと慎重な人です。この一年一緒に仕事をしてきましたが、これほど頻繁に決定事項へ手を入れる姿は見たことがありません」


花野は淡々と続けた。


「それに――全部正しい。論理的ではありません」


誰もが、何かに気づきかけていた。


だが、誰もそれを言葉にしようとはしない。


石原はスマホの画面を見つめたまま、眉をひそめた。


脳裏には、あの解読不能な文字列が何度も浮かんでは消えていた。


「……リスク予知、とか?」

沈黙を破ったのは緒山だった。


「それか、“未来改変”とか?」

立花がすぐに続いたが、次の瞬間には自分でその案を否定した。

「いや、それはさすがに大げさすぎるか……今のナシで」


「朋奈さんの考え、方向性としてはアリだと思う」

杏が応じた。


少し間を置いてから、石原が最後に打ち込む。


「ひとまず、このまま観察を続ける」

「春野に気づかれないように。花野さんは引き続きデータを追って、ほかは実務の中でおかしな点がないか見てくれ」


全員、それに異論はなかった。


画面が暗くなる。


石原は長く息を吐き、天井を見上げた。


ここ数日、皆が積み重ねてきたものを、頭の中で静かにたどる。


(ずっと、方向を間違えてたのか……なんでだ)


石原は分かっていた。春野は昔から、そういうところで意地を張る男だ。


人に見せたくないものほど、胸の奥に押し込めて、意地でも出そうとしない。


ふと、あの頼れる顔が脳裏に浮かんだ。


(まったく……あの人は)

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